―8―




 王宮に戻ってきた時には、日はもうすっかり暮れていた。
 マハール王宮の機能は、ギョームたちの働きで戻りつつある。通用門の衛兵に敬礼を返しながら、ビュウは急ごしらえの竜舎にサラマンダーを休ませ、ヨヨの元へと向かった。
 明日の事について、一応話しておかなければならない。
(前々から話してはいたから、明日については単独任務扱いになるはず。ラッシュたちにはそういう事で誤魔化すとして……――)
 と算段していたビュウは、そこでふと足を止めた。
 王宮に入る通用口の所に、誰かが立っている。
 フレデリカだった。所在なさそうに、通用口の扉枠にもたれ掛かっている。
「……フレデリカ?」
 呼び掛ける。彼女はハッとこちらを見た。驚いたのか、少し見開かれたその瞳には、どういうわけかどこか暗く沈んでいる。
 何かあったのだろうか。そう思い、ビュウはフレデリカへと歩み寄る。
「こんな所に突っ立って、どうかしたのか? 何か、あったのか?」
「ビュウ……」
 と、彼女はこちらを呼んだ――
 と思ったら。
「こんな日に一体どこに行ってたの!」
「うぇ!?」
 急に怒鳴られた。
 眉尻を吊り上げ、眦(まなじり)を吊り上げ、肩をいからせ、こちらに身を乗り出すように詰め寄って。
 フレデリカは、普段からは想像も出来ないような剣幕で、言い募る。
「こんな雨が降っている日に! 病み上がりの貴方が! しかも私に黙って!」
「あ、あの、フレデリカ――」
「あちこち探し回って! 貴方のお父様にも聞いて! 北の大塩湖に行ってた、ですって!? こんな雨の日にサラマンダーに乗った、って言うの!? 風邪がぶり返したらどうするの!」
「いや、だから、その――」
「戦闘の時は仕方がなかったとはいえ、せめて休める日くらい――」

 フラッ。

 言葉が途切れたかと思ったら、急にその体が、傾いだ。
 ビュウは咄嗟に手を出し、
「フレデリカっ!」
 彼女を受け止め、大声で呼びながら、青ざめて目を回しているその顔をペシペシと叩く。
「あ……ごめんなさい」
 ビュウの左腕に支えられ、フレデリカはうっすらと目を開けた。苦笑する。
「大丈夫。いつもの立ち眩みだから……」
「いつもの、って……」
 彼女の言葉に思わず口ごもる。確かに、彼女は元々体が丈夫でなくて、何かあっては立ち眩みだとか失神だとかしていたような気もするが、
「……君こそ、ちゃんと休んだ方が良いんじゃ?」
「失礼ね。私は貴方と違って休める時はちゃんと休んでるわ」
 心外だ、と口を尖らせるフレデリカに、ビュウは薄く笑った。
 それから、ふと見つめ合い。
 自分たちの体勢を何故だか再確認。

 極端な話、抱き合っているポーズ。

 揃って顔を赤らめると、二人同時にパッと互いから離れた。
「ごごごごごごめんなさいっ! わた、私、私ってば……」
「あ、ああ、い、いや、その、俺も、その、何と言うか……」
 舌は上手く回らず、言葉はどもり、声は上擦った。
 まぁ、何と言うか、やたらと気恥ずかしい。
 そしてその後の言葉が続かず。
「そそそれで結局こんな所でまさかずっと俺を待ってたとかお説教で!?」
「あああああのそのね別にそういうわけじゃないんだけど!」
 やっぱり何だか気恥ずかしい――
 と思っていたら、フレデリカの様子が少し変わった。
「そういうわけじゃ、ないんだけど……」
 彼女は言葉を濁す。チラリ、とビュウを上目遣いに見てから、視線を外した。まるで何かに迷うように、彼女の目はあちらこちらを彷徨う。
「私、貴方に謝った方が良いのかな、って……」
「え?」
 謝る? 何を?
 やや顔を伏せて、フレデリカはポツリポツリと語った。
「さっき、貴方のお父様に聞いて、って言ったでしょ?」
「……あぁ、そういえば」
 自分の行方を探している時の事か、とビュウは思い出す。
(あのクソ親父め……人の行き先を勝手に喋りやがって)
 しかも大正解というからタチが悪い。
「それで、貴方と貴方のお父様の昔の話……少し、聞いちゃった」
「…………」
 ビュウは。
 何も言わず。
 ただ、フレデリカを見つめた。
「……ごめんなさい」
「……別に」
 多少の打算の後に、答える。
「話されて困るような昔でも、ないけどな」
 正確には、話されて困るような事は他言無用、と家族で決めているのだが。
 とりあえず、通用口でいつまでも喋っていても仕方ない。ビュウはフレデリカを伴って、城内に入った。
「それで」
「?」
「どんな事、親父は話してた?」
「……貴方とお父様が本当の親子じゃない事とか、貴方とお母様が昔傭兵をやっていた事とか……」
「そうか……」
 十一年くらい前の事までか、と見当を付ける。
「……血が、繋がってないなんて」
「驚いたか?」
 えぇ、と頷くフレデリカ。
「貴方とお父様、あんなに仲が良くて似てるから……」
「仲良い? 俺と親父が? よしてくれ、気色悪い」
 げぇ、と呻いてビュウは言う。
「これでもな、あのクソ親父が母さんを口説きだした頃、俺は本気で親父の暗殺を考えてたんだからな。それなのに仲が良い、なんて……」
 すると、彼女は苦笑を見せて、
「昔の話でしょ?」
「……まぁ」
 言葉を濁す。確かに、昔の話なのだが。
「――でも、そうすると」
 ふと思い付いたように、フレデリカ。少し不安げに顔を曇らせ、
「貴方もやっぱり、オークール公爵家の一員、というか、マハール貴族の一人、という事になるのかしら」
「あ、それはない」
 間髪を入れずに否定すると、対する彼女はきょとんとした顔で、
「どうして?」
「うちの親父に、オークール公爵の爵位継承権はないから」
「そうなの?」
 少し驚いた彼女に、頷く。
「あぁ。オークール家が貴族に復帰した時に、要らないから、って継承権放棄を宣言したんだよ、うちの親父は。俺の姉さんについては親父がしばらくの間放棄させなかったけど、義兄さん――うちの副隊長と結婚する時に、正式に放棄した。だからうちの家は、血縁関係はともかく、爵位継承関係ではオークール家とは無関係なんだ」
 元々、ビュウとトリスに血の繋がりはない。繋がってもいないのに、よその国のよその家の家長になる権利なんて、鬱陶しいだけだ。
 それ以前に、幼い頃からフリーランサーとしてオレルスを放浪していたビュウにとって、「故国」という概念そのものが薄いのだから、「自分の国」も「よその国」もないのだが。正直な話、カーナの騎士をやっていたのだって、ヨヨがいればこそ、だ。
 ヨヨがいなければ、そもそも軍属になろうという気にすらならなかった。
 そんな事を考えるビュウの耳に、フレデリカの、何故か安堵した声が転がる。
「そうなんだ……」
「フレデリカ?」
「え? あ、うん、何でもないの」
 彼女はこちらを見上げ、かぶりを振った。取り繕った笑顔は、そうでないと如実に語っている。
 ビュウはほんの僅かな間彼女を見つめたが、特に追及するところでもないな、と判断して疑問を封じる。
 それより先に片付ける問題が、すぐそこに。

「おぅ馬鹿息子、ようやく帰ってきおったか」
「よぅクソ親父。俺がいない間にペラペラ要らない事喋ったらしいじゃないか」

 トリスが、柱に背をもたせ掛けて、ビュウに片手を上げてみせた。
 ビュウもまた、軽口と共にそれに応じて片手を上げ、歩み寄り――

 ゴスッ!

 至近距離に入った途端、何故か頭を殴られた。
「ってぇぇぇ……――っていきなり何しやがるこのクソ親父!」
「やかましいこの馬鹿息子! お前、この父に厄介事を押し付けおって! 父親を何だと思っている、何だと!」
「んだとぉっ!?」
 と、今度はこっちの右拳を繰り出す。拳はすんなりとトリスの顎にヒット。
「――このクソガキ! 父ちゃんに手ぇ上げたな!?」
「先に手ぇ出してきたのはどっちだクソ親父!」
「黙れ馬鹿息子! 今日という今日はもう勘弁ならん! そこに直れぇっ!」
「うるせぇクソ親父! こっちだってもう限界だ! いい加減引導を渡してくれる!」

 そして廊下で始まる殴り合いの大喧嘩。視界の端で、フレデリカがオロオロしている。
 トリスの首をガッチリとホールドし、顎に手を伸ばして無精ひげを一本一本抜きながら――地味な攻撃だが、意外に効いている――、ビュウはふと、思う。
 血が、繋がってないなんて。フレデリカはさっき、そう言った。
(それが、何だって言うんだろうな)

 血は繋がっていなくても。
 ビュウにとってトリスは父親で。
 トリスにとってビュウは息子で。

(……それで、いいよなぁ、親父)
 痛い痛いと喚きながらビュウの頭に手を伸ばし、髪の毛――それも、よりにもよって頭頂部の、だ――を鷲掴みで抜こうとするトリスの髪を逆に引きちぎって。

 そんな低レベルな親子喧嘩は、騒ぎを聞きつけたヨヨとギョームが説教にやってくるまで、続いた。



 マハール王国、東部。
 キャンベル・ラグーンへの主要航路が始まるサルーン市は、オレルス最大規模の空港都市である。
 商業国家としてのマハールは、キャンベルへの航路が開拓された時に始まった、とも言える。キャンベルとの貿易の最古にして最大の窓口として、この街は、マハールの王朝が何度変わろうがグランベロスに支配されようが、昔と変わらない繁栄を誇っている。
 明けて七月二十六日。ビュウは、その街の目抜き通りを一人歩いていた。
 しかしその様子は、いつもと違う。

 一言で言えば、軍服でも戦闘服でもなかった。
 相変わらず青を基調とした服装。裾丈が膝くらいまである薄手の上着と、喉元を半ばまで隠す襟の高いシャツ。上着の下になっていて見えないが、その夏の中、ベストまで着ている。
 履いているブーツも軍靴でなければ、帯剣すらしていない。
 ただの平服だった。
 いつもと同じなのは、額を巻く青のバンダナだけ。

 彼は行き交う人の流れに逆らわずに、街の中心へと歩いていく。
 露店が多く立つ街の中央の広場。その程近くに、国教会の礼拝堂よりも威風堂々とした、赤茶けたレンガ造りの大きな建物がそびえる。
 そこが、ビュウの目的地。

 国際展開し、各国に支店を置くオレルス最大の金融機関、アルシェディア銀行本店。

 階段を昇り、観音開きの扉をくぐる。その先にも扉があり、それをくぐると、途端に視界が開けた。
 磨かれた大理石の床。広々としたホール。すぐ向こうには細長いカウンターがあり、窓口担当の行員たちが客の応対をしている。
 ビュウはそれを一瞥すると、開いている窓口に歩み寄った。接近するこちらに気付いた行員は顔を上げ、
「いらっしゃいませ。本日はどういった――」
 と、決まりきった応対の台詞を最後まで言わせず。
 彼は無言で、上着の内ポケットから出した二つ折りの紙を、行員の目の前に広げた。
 しばし目をパチクリとさせていた行員は、その紙面をじっくりと眺め、
「――し、失礼しました」
 途端に畏まる。頭を下げると、
「少々お待ちくださいませ。ただ今、係の者が参ります」
 と、手元の呼び鈴を押す。リーン、という金属音が響き渡ると、それほど待たない内にカウンターの側の扉からピシッとした黒い制服の行員がやってきた。彼はビュウの傍までやってくると、慇懃に腰を曲げて、
「招待状を拝見してもよろしいでしょうか?」
 先程窓口係に見せた紙を見せる。案内係はその表面を目でなぞると、
「……アソル様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 と、ビュウの先に立ち、奥へと案内する。扉を抜け、広くはあるがやや薄暗い通路を道なりに歩く。
「こちらです」
 通されたのは、会議室だった。窓が一つもない白い四角い部屋。天井の比較的大きな吊り角灯が照らし出すその部屋の中央に円卓が置かれ、全部で十二の席が設けられていた。それらは一つを除き、全て埋まっている。
 失礼いたしします、と案内係が入り口の扉を閉めた。鍵が掛けられ、部屋は完全な密室となる。
 案内係の気配が十分に去ったのを確認すると、ビュウは改めて、円卓に座る十一人を見回す。

 年齢は全てビュウより上。五十歳以上が、確か四人いたか。残りは皆、三十五歳以上五十歳未満だったと思う。
 男九人、女二人。その二十二の瞳が、一斉にビュウに向けられる。
 瞳の色は様々だった。黒、茶色、青、緑、灰色、琥珀。同様に、肌の色も様々だった。
 オレルス世界中からやってきた彼ら。
 彼らは、この世界の一つの中枢とも言える。

 咎めるような急かすような、そんな彼らの視線を受け止めて、ビュウは薄く笑んだ。
「遅れて失礼した」
「会議の時間には間に合っています」
 空いている席の右隣に座る壮年の男が、懐中時計の文字盤を見下ろし、言う。
「ですが、時間が惜しいのは皆様同じ事。アソル様、お座りを」
「ああ」
 ビュウはその空席に座る。
 そこは議長席だった。
 椅子に着き、彼は改めて、今度はじっくりと、僅かに時間を掛けて、卓を見回した。皆が、ビュウの言葉を待っていた。
 ビュウはその言葉を、発する。 
「ではこれより」
 円卓の上に置いた領の手の指を軽く組み重ねて、ビュウは、酷薄な微笑のまま、宣言した。

「最終調整会議を、始めよう」



〜第四章 終〜

 

 

 

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