―8―


「解放軍?」
「解放軍、だと?」

 ドヨドヨと、何度目かのざわめきが起こる。
 それに、ビュウは一つ頷いた。

「今は野に下り、雌伏し、いつの日にかグランベロスから王太子殿下とカーナを取り返す。そのための、解放軍だ。
 いや――カーナだけではない。グランベロスの支配に喘ぐオレルス全てのための解放軍を、この場で結成する」

 力強く宣言したビュウに――

「解放軍……」
「カーナを、グランベロスから……」
「この世界を、オレルスを帝国から解放する……」
「オレルス、解放軍……」
「オレルス解放軍」
「オレルス解放軍!」

 ワァッ、と。
 場が沸いた。

 そこに、最後の言葉を継ぐビュウ。
「エシュロン将補の言う通り、王太子殿下の御身がいつまでご無事なのかは判らない。もしかしたら、皇帝の気まぐれで明日にでも処刑されるかもしれない。
 だが、それでも、今は……殿下のために、我々の故郷のために、どうか堪えて野に下ってくれ」
「アソル佐長……」
「ビュウ……」
 誰かが、ポツリポツリとビュウの名を囁く。

 手応え十分。
 延長戦、勝利。

 そして隣のナルスが、ビュウにだけ聞こえるようボソリと呟く。

「……君は煽動家だな」
「策士と言ってくれ」



 解放軍結成が決まれば、あとは早かった。
「まずは、グランベロスにも名が知れている将兵は国外に脱出する必要がある」
「だけど、どうやって?」
 首を傾げるセンダックに、ビュウは平静としたまま、
「サン・レールを初めとするいくつかの空港都市に、俺の知り合いがいる。私貿易商人とかだ。俺からそいつらに一筆書くから、接触した時にそれを見せるんだ。そうすれば、少なくとも悪いようにはされない」
「どう接触しろ、と?」
「その指示書もこれから書く。――誰か、紙とペンを持ってきてくれ」
 声に、広間の外で待機していた従者がすぐさま言った物を運んできた。それを受け取ると、
「ビュウ」
 それまでずっと沈黙を守っていたサウルが、下座から離れてビュウの傍に歩み寄ってきている。椅子に座ったまま、彼は幼馴染みを見上げ、
「何だ?」
「これ」
 と、サウルは懐から小さな包みを取り出し、円卓に置いた。
 大きさは、掌に少し余る程度。厚さはちょっとした本くらいあるか。横に長い長方形が、深緑色の布に包まれていた。
「小母さんからだよ」
 ビュウは弾かれたように布を引っぺがした。
 その下から現われたのは、見慣れた紙の束だった。活版印刷により同じ書式が刷られているそれ。自宅の自室の机の引き出しの奥に隠してあった虎の子。

 正式名称、小切手。
 発行は、隣国マハールを本拠地とする、国際展開しているアルシェディア銀行。

「……何じゃビュウ、それは」
 尋ねるマテライトの言葉にどう答えるか、迷う。
 けれど答えはすぐに出た。ニヤリ、と不敵に笑う。

 それにしても。
 あの母は、こうなるのを見越して物資流通の情報や小切手をサウルに持たせてくれたのだろうか?

「決まってるだろ。当座の軍資金だ」
「何?」

 金がある。
 ならば、ある程度好きに出来る。

 ビュウはペンを取ってインク壺にペン先を突っ込むと、そのまま流れるように小切手に数字を書き始めた。一万。通貨単位はピロー。それを見て、覗き込むマテライトがギョッとしたようだった。
「おい、ビュウよ」
「何だ?」
「これは……何なのだ?」
「だからさっきも言った通り、当座の軍資金」
「そうではなくて、この金額は!」
「これくらいあれば好き勝手できるかな、と」
 言いつつ遠慮なく小切手を切り始めるビュウを見て、対するマテライトは唖然とした面持ちで、尋ねてくる。
「……一つ聞くが、な?」
「どうぞ」
「これは誰の金だ?」
「俺のに決まってんだろ。俺の個人資産」

 そして同時に、誰もが驚愕に身を退かせる。

 そんなに驚く事だろうか?

 首を傾げながら、ビュウは一番近い位置にいるナルスに、
「俺、今何かおかしな事言ったか?」
「……自覚してくれ、ビュウ」
 と、堪えられないといった態で、ナルス。ふむ、とビュウは唸って、
「つまり、俺が当座の逃亡に関する必要経費すらケチるほどの吝嗇家、と思われてた、ってか? 失敬だな、俺はそこまでケチじゃないぞ」
「ピローに換算して、士官の年俸を平気で上回る額をポンと出せるほどの資産を持つ君と、その神経に皆驚いているのだよ」
 私自身もね、と彼は続けた。

 別にビュウとて、一万ピローもの大金を平気でポンと出せるような神経を、持ち合わせてはいない。
 単に、時と場合による、というだけの事だ。
 そして今こそ、その時だ――
 たった、その程度の事。


 国外に脱出させなければいけない士官や軍幹部は、全部で十五人。
 マテライトを初めとする騎士団の主だった士官、防空師団の生き残りの内大部隊を率いていた者、戦竜隊ではビュウ自身にナルス、他にも数名。その部下たちも含めると、脱出組は百人以上に膨れ上がる。
 その百人を、四人一組(フォーマンセル)を基本に脱出部隊として再編成。そして、それぞれの脱出部隊を率いる件の士官たちに、金と国外脱出の手引きをしてくれるビュウの知人への手紙、彼らへの接触方法の書かれた指示書を渡さなければならない。
 けれど、それだけでは駄目だ。解放軍として、いつか蜂起するための「準備」も、今からしておかねば――

 昔取った杵柄と言うべきか、それとも、持つべきものは友、と言うべきか。
 とにかく、こういう時に物を言うのは知力と財力、それに人脈だ。

 ほとんど即興で練った策を口早に説明すると、改めて集められた脱出組を指揮する士官たちは、驚愕し、愕然とし、それから感心した。
「成程、そういう風に……」
「ああ。そうすれば、今後動きやすくなる。
 とにかく今注意するのは、それぞれの指示書に書かれた空港都市に何が何でも、ただしグランベロスの目に留まらないように辿り着く事。アルシェディアの支店なんてどこの空港都市にもあるから、小切手はそこで必ず換金する事。俺の知人と接触したら、そいつの指示には必ず従う事。もしそいつが脱出料金を吹っ掛けてくるなら、俺に直接請求するよう言えば良い」
 そこで、士官の一人が尋ねてきた。
「その佐長のお知り合いという方に、帝国の手が回っていて……その……我々が脱出する、という情報を帝国軍に密告する可能性は?」
「あるかもしれないが、ほぼゼロに近い。何故なら、俺の知り合いはどいつもこいつもサウザーが嫌いだからな。奴に協力するならグランベロス軍を敵に回した方がマシだ、って言うような連中さ」

 正確には、そういう気質の者をわざわざピックアップしたのである。どれだけこちらとの繋がりが深い者でも、何かの拍子に密告に走らないとも限らない。ならば、せめてグランベロス帝国とサウザーをとことん憎んでいる者を、グランベロスに何らかの形であっても協力する可能性の少ない連中を、運び屋に指定するだけ。
 一種の保険だ。

「さて、説明はここまでだ。各人、それぞれの部隊の再編成に行ってくれ。負傷者はウィントリーに置いていくように。グランベロスも、まさか傷病兵にまで手出しはしないはずだ。再編された部隊の構成人員は、口頭ででもいいから後で俺に報告してくれ。以上だ。解散」
 その言葉と共に、広間で円卓を囲んでいた者全てが、一斉に敬礼をする。ザッ、と踵を合わせた音が大音響となってホールにこだました。そして、下座から退出していく。
 残ったのは、ビュウとサウル、それに――

「ビュウ」

「……義兄さん? 何をやってるんだ。あんたもウチの連中の再編成に」
 ナルスは、しかしえらくさばさばとした表情で、かぶりを振った。
「いや、私は残るよ。ウィントリーに。今決めた」
「なっ……?」
 ビュウは絶句した。

 残る――残る、だと?

「義兄さん、ちょっと待て。一体何考えて――」
「心配しないでくれ。別に、何か破滅的な事を考えているわけではない。
 ただ、カーナに誰か残っていた方が、グランベロスのカーナ支配の状況を君なり父上なりに伝えられるだろう、と思ってね」
 何を馬鹿な事を。
 はぁっ、と大げさに溜め息を吐いてみせてから、ビュウは改めてナルスを見やった。
「義兄さん、俺の情報網を甘く見ないでくれ。別に義兄さんが残らなくても、カーナの情勢を知る方法はいくらでもある。母さんもいる事だし」
「だが、私にしか出来ない事がもう一つあるんだ」
「……それは?」
 問い返すビュウに、ナルスは笑った。
「カーナ国内における反乱勢力の統制を取る事」
「――――!」
 
「何せ、私は戦竜隊副隊長であると同時に、エシュロン伯子だからね。貴族勢力にも顔が利く。貴族勢力の意向を一つにまとめておければ、いつか我々が蜂起した時、国内が分裂するのを多少なりとも抑止できるはずだ」

 そしてビュウは見抜いた。
(そうか、義兄さん――)
 納得する。
 この義理の兄がこんな事を言い出した、もう一つの理由。
(……そうだよな。姉さんを置いていくわけには、いかないよな)
 戦竜隊長の姉であり、副隊長の妻であるアルネ。もし彼女がこのウィントリー城に多数の傷病兵と共に取り残されれば、ここを制圧しに来たグランベロス軍はきっと、彼女を拘束、その後尋問に移るだろう。
 二人目の子を身ごもっているアルネがそれに堪えられるとは、思わない。
 だからこそ、ナルスは残るのだ。妻と、我が子らを守るために。
 戦竜隊のナンバー2である自分が残れば、少なくとも、家族に累は及ばない。

 けれどそれは、同時にとても危険な事だ。

「――……死ぬなよ、義兄さん」
「死にはしないさ。私にはまだやる事がたくさんある」
「義兄さんが滅多な事にならないよう、俺の方でも手配しておく。――頼めるな? サウル」
 と、そちらに顔だけを向けてそう聞くと、今まで聞いているだけだったサウルはフゥ、と溜め息を吐いて、
「乗りかかった船だしね。出来る限りの事はするよ。――ただし、やり方は僕に一任してくれるね?」
「もちろんだ。必要なら手助けもつける」
「それはこちらでどうにかするよ。君ほどじゃないけれど、僕や母さんもそれなりに顔が広いしね。
 だから、ビュウ、君は自分の事だけ心配してるんだ」
 言ったサウルの顔は、真剣だった。
 サウルだけではなく、ナルスも。

 先程即興で仕立て上げた、脱出作戦の一部。
 脱出組がカーナに六つある空港都市に辿り着くまで、ビュウが陽動でグランベロスの追討部隊を抑える。
 戦竜隊隊長。その首がもたらす功績は、大きい。だからこそ。

「――なぁに、心配するな」
 ビュウは笑ってみせる。
「そう簡単に死ぬほど、俺もヤワじゃねぇよ」





 そして、それより三日後の明け方。

 エシュロン伯領を貫く道の片隅で、金髪の青年が一人佇んでいた。
 青年の周囲を彩るのは、赤。目も覚めるほどの。鮮血の色。
 青年自身、鮮血に身を汚しながら、しかし何も感じていないかのようなリラックスした動作で握る剣にこびりついた血を払うと、パチンと納刀する。そして、血の色とは全く違う、日の出の緋色を宿した竜に歩み寄り、
「行こうか、サラ」
 と、その背に乗る。
「頼んだぞ」

『任セテヨ、ビュウ』

 緋色の竜が空を舞う。大勢のグランベロス兵の死体が転がる街道から、夜の紺から明けの赤、そして昼の青へと変わっていく空へと。

 仲間たちと合流するために。



 これより三年間、ビュウ=アソルは歴史の表舞台から完全に姿を消す。



〜第一章 終〜    
       

 

 

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