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「……何じゃと?」
 ビュウの呟きに、真っ先に反応したのはマテライトだった。
「どういう事じゃ、ビュウ。とっとと説明せい!」
「あー、ちょっと待て待て。俺も今、頭ん中整理するから」
 と、マテライトをいなし――
 それで実際に考え始めた事は、この場の状況と少々様相が異なった。

(……どういう事だ?)

 まず頭に浮かぶ疑問。

(何で、生きてるんだ? それも、こんな厚待遇で)

 トラファルガーに搬入されている、嗜好品の数々。
 それは全て、確実にヨヨのための物だ。
 あの場で生きたまま連れ去られ、その後安否が知れないヨヨのための。
 質実剛健を美徳とするベロス人が、例え皇帝のためとは言え、こんな巡航に必要のない物をわざわざ用意するとは思えない。そして用意された物からは、それが、皇帝にも匹敵するほどの貴人のために用意された、と推測される。
 それは誰か。
 あの皇帝とそういう意味で張り合えるのは、ヨヨ以外にいない。

(……ヨヨを、生かすつもりか?)

 そうとしか思えない待遇だ。
 いくら相手が王女とは言え、処刑する予定の者に焼き菓子だの絹のリボンだのを用意するほど、ベロス人は気前良くはない。もし、捕虜として本国に移送し、その後本国で処刑、などという事をするのであれば、適度に衰弱され、かつての大国の衰退と自国の強大ぶりを対比させ臣民に示した方が、余程意味もあるし、第一金も掛からない。
 大体、処刑する相手を着飾らせてどうする。
 そういう事から考えると、グランベロスはヨヨを、少なくとも生かして本国に移送するつもりらしい、という事が窺える。

(けど)

 ヨヨに関する結論が出ると、それに派生して別の疑問が浮上する。

(厚待遇で生かして移送して……――どうするつもりだ?)

 言い換えれば、それだけの価値がヨヨにはある、という事になる。
 その価値とは、何だ?

 しかし、とにかく今は。

(……ヨヨ)

 心の中で、連れ去られたままの主君に語り掛ける。

(予定変更としてこっちは進めるぞ)

 途端に、ビュウの頭はフル回転を始めた。
 これからの段取りは予定通りで良いとして、問題は自分の身の振り方だ。それにこの、事実に限りなく近い予想を告げたなら、マテライトは黙ってはいまい。すぐにヨヨを奪還しに行く、とか言い出すだろう。けれどこれ以上、予定外の文字通りの無駄死には必要ない。ならば――


 まったく、恨むぞヨヨ。
 結局、厄介な事は全部俺に回ってくるんじゃねぇか。


「……まず、先に断っておく。
 今から話す事は、全て俺の予測に過ぎない。状況証拠だけで物的証拠は何一つとしてないから、断言は出来ない。俺はこの予測にかなりの確信を持っているが、それでも、見当違いの可能性もある。それを念頭に置いて、聞いてくれ」
「まどろっこしいぞ、ビュウ! どうでも良いからとっとと話さんか! ヨヨ様はご無事なのか!? どうなんじゃ!」
 怒鳴り散らすマテライトを、無言で片手で制してから、ビュウは改めて場を見回す。
 誰もが、ジッと息を詰め、こちらの次の言葉を待っている。
 その全てをゆっくりと見回して、彼は再び口を開いた。

 延長戦、開始。

「結論から言う。
 王太子殿下は、生きておいでだ」

 おぉ……!

 場の各所から、感嘆の声が漏れた。それがざわめきとなり、それまでの静寂を簡単に突き崩していく。
「ヨヨ様が……!」
「姫様が、生きていらっしゃる……!」
「貴きカーナの血は、絶えていなかった!」
「ならば、いつまでもこうしている場合ではないぞ」
「そうだ。ヨヨ様を、ベロスの魔手から取り戻さなくては!」
「誰か! 誰かおらぬか! 士官どもに伝えよ! これより軍議を開く! ヨヨ様をベロスの匪賊から奪回するのじゃあっ!」
 マテライトがそう叫び――

「静粛に!」

 ビュウは一声張り上げた。声は予想外に広間に響き渡り、ピタリ、と歓喜と興奮の渦巻くざわめきが止む。誰もが、目を丸くしてこちらを見る。
 それらを改めて見返して、ビュウは言葉を続けた。

「私の話はまだ終わっていない。どうか、最後まで聞いてほしい」
「何を悠長な事言っとるか、ビュウ!」
 こちらの声を遮るように、マテライト。
「ヨヨ様がご無事なのじゃろう!? ならば、一刻も早くあの血に餓えた野獣どもの手から解放して差し上げねば! ヨヨ様の御身が危ないのじゃ! それなのに、お前なんぞの話で貴重な時間を無駄にしてはおれん!」
「だったら尚更俺の話を最後まで聞け!」
 彼を更に上回る声量で、ビュウは一括する。気迫に気圧されたか、グッ、とマテライトが押し黙った。
 それから、フゥ、と一息吐いて、ビュウは説明を始める。
「まず、殿下が現在置かれている状況について。
 私には、殿下には今日明日と差し迫った危機はないように思われる。むしろ、グランベロスは積極的に殿下を生かして本国に護送するのではないか、と考えている」
「根拠は?」
 尋ねてきたのはセンダック。それに対し、ビュウは先程の推測――トラファルガーに運ばれている嗜好品とその量、特に絹のリボンについて、グランベロス人の気質――などを話し、
「この厚遇は、捕虜ではなく貴人のそれに対するもの。そう考えると、王太子殿下は貴人として遇されていると推測される。
 以上から、おそらく王太子殿下は捕虜としてではなく貴人としてグランベロス本国に護送される――と、私は結論する」
 と締めくくると、マテライトはひどく胡散臭そうな表情でビュウに視線をやった。
「……お前の話の筋が通っている事は、認めよう。
 だが、ベロスの連中がお前の思う通りに動くとは限らぬ。ましてや奴らは、我々に対し夜襲を仕掛けてきた。そんな卑怯者が、ヨヨ様をいつまでも害さずにいると、本気で思っとるのか?」
「元々グランベロス人は質実剛健。その上、現在帝国の財政状況は近年の戦争により余り思わしくない。そのため、皇帝は自分のための嗜好品の予算さえ切り詰めている。
 そんな中、本来なら捕虜として扱うべき殿下に、高価なカーナ産の絹のリボンを送った――処刑する相手に、リボンなぞ与えても仕方ないでしょう」
「そのリボンだが、ヨヨ様ではなく、従軍する女官のための物かも知れぬぞ?」
 他から上がった声に、ビュウは呆れ混じりの溜め息と共に、
「だから申したでしょう。グランベロス人は質実剛健。質素、倹約こそ美徳とします。それに、彼らは男女官職問わず兵士としての訓練を受けています。カーナを占領したとは言え、彼らにとってはここはまだ戦地。戦地でアクセサリー類にうつつを抜かすほど、グランベロスの女性兵は腑抜けではない。
 付け加えて言いますが、皇帝にはまだ后候補も妾もいないとか。
 そうなると、戦費を用いてまでリボンを送る相手は、我らが殿下以外にいない、というわけです」
 今度こそ言葉を結ぶ。
「……なら」
 再び、センダックがボソリと呟く。
「何でサウザーは、姫をそんな待遇で? わし、それが判らない……」
「――そんな事はどうでも良い」
 決然と言い切ってマテライトの声は、それまでとは打って変わって、ひどく静かだった。しかも、何か強固な意思のようなものまで感じられる。

 来たな、と。
 ビュウはそう直感した。

「要するに、ベロスの下衆どもはヨヨ様に手を出さない、という事じゃろう? ならば、奴らがまだカーナにいる内に、トラファルガーへと攻め入ってヨヨ様を取り戻す! そして余勢を買い、カーナからベロス人を追い出すのじゃ!」

「……アホか」

「何じゃとぉっ!?」
 ボソリと呟いたビュウに、マテライトの一際大きい怒声が投げ掛けられる。ブツリと切れてしまいそうなほどに血管をこめかみの辺りに浮き上がらせて、口角泡を飛ばし始めた。
「貴様、わしをアホと言うか! このわしを! 一体何様のつもりじゃ! 大体、さっきから聞いておれば偉そうにしおってこの小僧めが! それが上官に対する態度か!」
「そう言うなら、もっと現状を把握してくれ将補」
 いい加減疲れた口調で頼むと、マテライトは怒りを顔に昇らせたまま怪訝そうに、
「現状、だと?」
「この場にいる者も全て、現状をよく思い出してほしい。
 トラファルガーはサン・レール港に停泊している。殿下がいらっしゃるから、警備の厳しさは相当なものだろう。詳しい情報がないから何とも言えないが、元々トラファルガーにいる警備も含めて、おそらくは一個連隊はいると思われる。
 一方こちらは、数こそそれに匹敵するものの、まともに戦える者だけを数えると一個中隊を僅かに越える程度。
 この数で、サン・レールまで行き、トラファルガーに潜入して、警備を薙ぎ払い、王太子殿下を救出して、その余勢を買ってグランベロスから王都を奪還する――現実的に見て、それが可能であると本当に思う者は、挙手してくれ」

 問うビュウの声に――
 手は、一つも上がらなかった。
 王都奪還を言い出したマテライトですら、客観的に現状を述べられ、押し黙っている。


 ……それほどに、グランベロス帝国軍は強大なのだ。
 潜入や情報収集といった隠密活動には、小回りの利く部隊の方が良い。それは戦争の常識である。
 だが、その常識を成立させるには、その部隊が他よりも抜きん出て高い実力を誇っている必要がある。
 現状を改めて認識し、両軍の兵士の技量や経験の差を冷静に考慮すると、今このウィントリーにいる残存兵力では、トラファルガーに突入する以前に潰されてしまう。


 誰もが押し黙り、沈痛な面持ちで円卓に目を落とす中、ビュウは滔々(とうとう)と語る。
「思い出してくれ。我々はグランベロス軍に敗北した。何故か。それは、我々が帝国よりも弱かったからだ。兵としても、軍隊としても。我々はまず、それを理解する必要がある。
 それから、改めて考えてくれ。殿下は我々に何を望まれたか。それに対し、我々は何をすべきか。そして、我々はこれから、何を為すべきか」

 腹は、とうにくくっている。
 あとは、この場にいる者たちを説き伏せるだけ。

「……アソル佐長は、それを何だと?」
 と問うたのは、防空師団の士官だった。ビュウよりもずっと年上で、けれど階級はこちらより下だ。ビュウは答える。
「殿下は我々に、生き延びる事を望まれた。ならば我々は、生き延びる事を最優先にしなければならない。
 だが――私とて、このままで済まそうとは思わない」
 そう言った時。
 場が、ドヨリとざわめいた。

 そうだ。こうなってしまった以上、このままで済ますつもりはない。
 ヨヨが生きて、自分が生きて、そして、まだ機会がある。
 ならばそれを存分に利用してくれる。

「私は……ここに、解放軍の結成を提案する」

 言い放った静かな声が、広間に波紋のように広がった。

 

 

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