―6―
陛下。
陛下。
陛下。陛下。陛下。
陛下。陛下。陛下。陛下。陛下。陛下。陛下。陛下陛下陛下陛下陛下陛下――サウザー皇帝陛下!
兵士たちがまばらに上げた声は、いつしか歓喜の呼び声に変わり、ついには新たな鬨となる。
その中、サウザーは右手の剣をスッと掲げる。まっすぐに、天を貫こうとばかりに。その所作に、その姿に、更に多くの兵が希望と賛美の歓声を上げた。少しの間を置き、剣がゆっくりと下ろされる。地面に対し水平に、切っ先が真正面に据えられた時、歓声と鬨の声もピタリと収まった。
それはまるで、寄せては返す波のよう。サウザーが朗々と張り上げる声は、さながら雷鳴のごとく、静まり返った戦場に響き渡った。
「行け、我が同胞たちよ! 恐れる事など何もない。我々は幾百の戦場を戦い、幾千の危機を乗り越え、幾万の苦難を、幾億の死地を潜り抜け、打ち破ってきた。恐れる必要などない。これもその一つだ!」
剣で行く手を指し、兵を鼓舞するその姿は、まさに古の神話の語られる戦神。これまで病床にあった皇帝の雄姿は、全てのグランベロス軍兵士の目に燦然と輝いて映った。
皇帝サウザーの復活。それこそが、天がグランベロスにもたらした奇跡。いや、サウザー自身が起こしてみせた奇跡だ。
ならばサウザーは、我らが皇帝は天に等しき存在。この窮地に帰ってきてくれた、彼以外に誰を崇めろと言う?
だから兵士たちは今か今かと待ち構える。彼らの主、グランベロスの英雄、戦神、いや、グランベロスそのものであるその人の命令を。
そして、その時が、来る。
「進撃せよ、グランベロス軍!」
オオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――ッ!
高らかに上がる鬨の喚声と共に――
グランベロス軍の反撃が、始まった。
§
サウザーの出現は、盤面を完全に引っ繰り返した。
戦意喪失一歩手前だったグランベロス軍は完全に立ち直り、目前の勝利に酔いしれつつあったダフィラ解放連合には冷水を浴びせ掛け、同時に恐怖に陥れる。そうなると、寄せ集めの連合は、弱い。戦い慣れしていない部分――ダフィラ革命軍から、戦線が崩れ始めた。
それを、リベロは唖然と見つめていた。
「まさか……こんな――」
先程まで、押していたのは自分たちだった。
マテライトの指揮の下、このまま押し切れると思っていた。このままグランベロス軍を撃破できると思っていた。勝てるはずだった。勝利は目前で、あと少し踏み込めばそれを掴めると信じていた。疑う余地すらなかった。
それなのに――
サウザーの指揮の下、グランベロス軍は見事に息を吹き返した。
拠点防衛という足枷から解き放たれたグランベロス軍。拠点を自ら放棄する事、それは戦術の定石においては禁じ手であり、敗北に他ならない。けれど、打つ手が攻撃しかなくなったグランベロス軍に、最早迷いも惑いもない。当たり前だ。彼らは元々そういう軍隊だったのだから。
グランベロス軍は反撃する。まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのように。
グランベロス軍は進撃する。まるで追い風に吹かれるかのように。
グランベロス軍は突撃する。まるで壁に錐で穴を開けるかのように。
グランベロス軍は追撃する。まるで害虫駆除に躍起になるかのように。
逃げ遅れた革命軍の闘士が斬り捨てられる。
それを助けようとした別の闘士を、複数のグランベロス兵が囲む。
悲鳴が響き渡る。哀願が聞こえてこないのはせめてもの幸いか。「ダフィラに幸あらん事を!」――あぁ、あれはいつか仲間たちと一緒に決めた文句だ。革命の戦いの中、志半ばに倒れた時、何と言ってこの命を終えるか。雑談の中で語られた話題と、冗談半分で決められた言葉。本当に聞く日が来るなんて。リベロは耳を塞ぎたくなる。だがそれは許されない。決めたのはリベロだった。「暫定」を冠していても、指導者であるリベロが決めた言葉だった。
ダフィラに、幸あらん事を――そこここで聞こえてくる断末魔の祈り。ああ、ああ、ああ、ああ!
――その戦術的判断は、まさに見事と言う他なかった。皇帝サウザーは、戦場に立ったその瞬間、いやおそらくはその以前から包囲網を形成する各チームの戦力構成を分析し、把握していたのだ。
リベロたち、ダフィラ革命軍。その大半はAチームに組み込まれていた。
だからグランベロス軍は、まず真っ先にAチームの切り崩しに掛かった。他の勢力とは段違いに、革命軍は戦闘経験に事欠いている。だから容易く戦場の熱狂に飲まれ、容易く瓦解する。
烏合の衆。足手まとい。
グランベロス軍はダフィラ革命軍を追い立てる。背を向けた者を追い、刃を突き立て、次なる獲物を求めて飢えた獣のような目を巡らせる。
殺していく。殺されていく。何人も、何人も、昨日まで笑っていた者たちが、バタバタと、バタバタと。母国の行く末を祈り、グランベロス兵の手に掛かって、バタバタと、バタバタと。
「――ふざけるな……」
乾いた風の中に、血臭が混じる。
「ふざけるな……」
崩れ落ちた体が、砂埃を舞わせる。
「ふざけるな」
悲鳴が空気を裂く。
「ふざけるな!」
リベロは叫んだ。後退する事も忘れて。後ろに下がれと袖を引く仲間の事も忘れて。
流される血も、倒れる体も、聞こえてくる悲鳴も、全て。
全て、リベロの同胞、ダフィラの民のものだ。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! ここはダフィラ、我々ダフィラの民の土地だ! 我々の大地に土足で踏み込んできて、我々の血を流すなどとは何様のつもりだ!」
ダフィラの民は、相争ってきた。砂漠に住む『砂の民』とそれ以外の者たちが、燃料の採掘権を巡って醜く血を流し合ってきた。リベロ自身もその争いと無縁ではなかった。ダフィラに住む誰もが、その戦いと無縁であるはずがなかった。何故ならダフィラの民は、大なり小なり、燃料の恩恵に与って生きてきたのだから。
リベロは知っている。その意味で、自分の手はとっくの昔に汚れている事を。間接的にとはいえ燃料で生きている自分は、やはり間接的に、『砂の民』の血を流してきたのだという事を。
リベロは知っている。冨の不均衡は王家が作り出した歪んだ仕組みだという事を。燃料が生み出す冨のほとんどは王家が吸い取り、享楽に費やしている事を。
リベロは知っている。その仕組みを作り直す事が可能である事を。決して楽ではないけれど、歪んだ仕組みに寄り添って甘い汁をすすってきた者たちが妨害してくるだろうけれど、もっと正常な、もっと平等な仕組みを作るのは可能である事を。
リベロは知っている。そのためには王家の打倒が必要である事を。そのためには『砂の民』と手を携えていかなければいけない事を。そのために、これから更に多くの同胞の血が流れていく事を。
だが、それでも、
浄も不浄も問わず、流されるダフィラの民の血は、ダフィラの民のために流されなければいけないのだ。
リベロは踏みとどまる。仲間の引く手を振り払って、逃げ遅れた革命軍の闘士を襲うグランベロス兵に躍り掛かる。手にした三日月刀を振るい、がむしゃらに敵の首を斬り落とす。腰が抜けたか、中々立ち上がれないでいる闘士の手を引っ掴むと、引っ張り上げて背後に放り捨てる。三日月刀を敵に向かって構えた。すると、少し離れた所から叫ばれる声があった。
「何をしているかアブウェル! お主は後退せよと――」
「いえマテライト殿、私も戦います! 私も、仲間の後退を時間を稼ぎます!」
革命軍の指導者に納まったのは成り行きで、自分がそんな器でない事はよく知っている。だからずっと「暫定」を冠したままだ。
けれど、これはダフィラ解放のための戦いなのだ。
ダフィラを再生させる革命の、第一段階なのだ。
自分たちは誰だ?
ダフィラ革命軍。ダフィラを再生させるために戦う者。
「――ならば、無理をするでないぞ!」
「はい!」
グランベロス兵が打ち掛かってくる。皇帝の出陣に士気を取り戻した彼らの勢いは凄まじい。繰り出された槍を何とか払い、しのぐが、手が出せない。
するとその時、顔のすぐ横を風が通り過ぎた。打ち合っていたグランベロス兵は咄嗟に横に身を翻す。体勢が崩れた。そこを踏み込んで、リベロは三日月刀を繰り出す。肉を断つ手応え。ドサリ、と敵兵は地面に崩れ落ちた。
荒い息を整えながら、彼は後ろを振り返った。グランベロス兵に身を翻させたものの正体は、放たれた矢。弓を構えた仲間が、頼もしい笑みでそこにいる。
「何をボケッと突っ立ってんだ、リーダー! 前向け!」
「――ああ!」
戻ってきた仲間たちと共に、リベロは迫り来るグランベロス軍に立ち向かう。
仲間を、守るために。
§
崩れかけていたAチーム側が持ち直したようだ。
(あの小僧め、やるな)
Dチーム主力、『砂の民』側。マスゥードは同胞の戦士たちを指揮し、猛攻を掛けてくるグランベロス軍とどうにか渡り合っていた。戦塵の向こうに透けて見える、グランベロス軍を挟んで反対側の戦線、Aチーム。その瓦解ぶりは目も当てられないほどだったが――何せ革命軍の小僧どもと来たら、戦意を挫かれた途端武器を放り捨てて逃げ出すのだ――、指導者であるリベロが踏みとどまった事で、一部の者たちの戦意が回復したらしい。
未熟で身の程知らずの若造と侮っていたが、意外や意外、必死になればそれなりの働きを見せるようだ。マスゥードは笑う。ニィ、と歯を剥いて、獰猛(どうもう)な獣のように。
打ち掛かってくるグランベロスの兵士。身を低くしてその攻撃をやり過ごし、鎧の継ぎ目を狙って三日月刀を滑らせる。吹き出す血。倒れてくる兵士の体を蹴って退かし、マスゥードは同胞たちに命令する。
「戦線を立て直す! 後退だ!」
Dチームは、グランベロス軍に押されるようにして、戦線を後退させる。
『魔人』の指示通りに。
§
Dチームと並んでグランベロス軍左翼と戦闘を繰り広げるBチームもまた、同じように戦線を後ろに下がらせていた。
その中、カイツは目を凝らす。黒ガラスのゴーグル越しの視界はやや暗く、ダフィラの強い日差しの元にはちょうど良いのだが、遠くにいる人物を探すとなると少し難しい。
(どこだ、どこにいる?)
使い捨てのナイフを投擲し、別の大振りのナイフで打ち掛かってきた敵兵の喉元を切り裂き、カイツは探す。頭に叩き込んだ、人相の特徴を思い起こしながら。
ちょうど、その時だった。
まるでカイツの鼻面を叩くかのように、突然火柱が上がったのは。
直後の行動は、ほとんど脊椎反射の賜物だった。あるいは、その行動を脊椎反射レベルまでに染み込ませた、長年の戦闘経験の賜物か。
カイツは、叫ぶ。
「下がれぇっ! 来るぞ!」
何が、とは言わない。
上司の尋常ならざる様子に異変を察した傭兵連の部下たちは、すぐに周りの者たちに注意を喚起して元いた位置から大きく距離を取る。
まさに、間一髪。
グランベロス本陣方向から走ってきた青い閃光が、それまでカイツたちのいた地面をやや蛇行気味に薙いでいった。
§
グランベロスにはいくつもの剣技の流派があるのだが、『ラグナレック』を特殊剣技として教える流派は数少ない。強力な技としてかつては注目されたらしい。が、いつの間にか廃れてしまったのだ。
理由は一つ。大味すぎて使えないのだ。
例えるならそれは、照準装置の壊れた砲台。クロスナイトの『ヒット』以上の射程範囲と威力を誇る『ラグナレック』は、それ故、使いどころが極端に限られる。
何せ、下手に放てば味方も巻き込む。濫用すれば味方の全滅もあり得る。そして、射程範囲が無駄に広いから狙いがどうしても甘くなり、結果としてそれら二つの可能性が限りなく増大する。
だから、かつてキャンベルの大森林地帯でビュウ=アソルと直接対決をした時のように白兵戦で用いるか、あるいは敵兵しかいないと判っている場所目掛けて撃つか、そのどちらかしかない。つまり、どちらにしろ、今のような乱戦に用いる技ではない。
それでもサウザーが、味方を巻き込む心配を抱く事なく、安心して『ラグナレック』を放てるのには、一つの理由がある。
照準装置が、いるのだ。
最前線で戦い、サウザーに狙うべきポイントを教える者が。
「フレイムヒット!」
剣を振るう。少し離れた所、敵兵のすぐ傍で燃え上がる炎。パルパレオスは直後、その身を脇に僅かに退かせる。
次の瞬間、パルパレオスのいた場所を縫うようにして、青い閃光――『ラグナレック』の光刃が走り、敵兵を薙ぎ払った。敵兵の上げる悲鳴と喚声を聞きながら、パルパレオスは左に大きく体を開き、同時に左の剣を振り下ろす。
「フレイムヒット!」
再び上がる炎。そして走る青い光。『フレイムヒット』を受けきった敵兵は、安堵の瞬間に襲いくる『ラグナレック』の洗礼を受け、あっさりと倒れ伏す。
サウザーとパルパレオスの二人組を最強たらしめる要因の一つ。それが、このコンビネーションだ。
サウザーは、パルパレオスの『フレイムヒット』が上がる地点を狙って、『ラグナレック』を放つのである。それを知っている味方はパルパレオスが技を放った瞬間に射線軸上から退避し、知らない敵は『フレイムヒット』を防いだ事に安心したところに『ラグナレック』を受ける。
乱戦の中で『ラグナレック』を活用するなら、こうするより他にないのだ。
そうしてパルパレオスは、次なる獲物を探す。一個小隊を率い、左翼から右翼へ、兵士たちに指示を与えながら、移動に乗じて『フレイムヒット』を放ちながら。
サウザーの護衛には親衛隊の精鋭を当てているし、左翼の指揮はたった今リオネルと数人の幕僚に任せた。ならば自分の担当は右翼だ。そちらへと走りながら、思い出したように『フレイムヒット』を撃つパルパレオス。駆け抜け、通り過ぎた所を薙ぎ払う『ラグナレック』の清冽な炸裂音を背後に、彼は走る。走る。走る。
そして不意に、小隊の部下が声を上げた。
「――将軍、あれを!」
指差すその先は空。隊長が中天に差し掛かりつつある真昼の青空に、一際鮮烈な緋色が嘘のように浮かんでいる。
羽ばたき、時折滑空して地面のグランベロス兵を襲い、炎を吐く、その緋色。
戦竜サラマンダー。
戦竜隊隊長ビュウ=アソルの、乗騎。
「行くぞ! あそこに敵の指揮官がいる!」
「「「はっ!」」」
パルパレオスとその小隊は、走る速度を上げる。上空に浮かぶサラマンダーとの距離が縮まる。その直下にいる敵部隊との距離も。走る速度が更に上がる。パルパレオスは手振りだけで背後の部下たちに戦闘態勢に入る事を命じる。気配だけで、敵部隊に今にも躍り掛かれると判った。それを把握して、笑う。
(これは、貴様もやった事だ)
敵部隊が、こちらに気付いて向き直る。
「頭を狙う――これは、貴様も取った戦術だ、ビュウ=アソル!」
ゴォウッ!
その声を引き金にして放たれた『フレイムヒット』は、サウザーへの合図に放ってきた火柱とは違い、クロスナイト本来の『ヒット』――苛烈な炎刃だ。突然の攻撃に回避動作が取れなかったか、砂色のマント姿のビュウ=アソルは防御姿勢を取り、炎刃の猛襲を堪える。だが、無駄だ。炎が、マントを舐めるように燃え広がる。
さぁ、どうする?
その時、パルパレオスは異変を感じた。
ハッと背後、来た道に目を向ける。そこに立つ、砂色のマント姿の反乱軍の兵士。
まるで、退路を断つような――
(まさか)
「引っ掛かりおったな、サスァ・パルパレオス=フィンランディア!」
ビュウ=アソルが、叫んでマントを脱ぎ捨てる。
その下から現われたのは、金色に輝く鎧。
戦斧を握る右手。
金メッキの兜。
違う。ビュウ=アソルではない!
「――マテライト=エシュロン……!?」
その後ろにいた者たちもまた、次々にマントを脱ぎ捨てる。ナイト、ではない。全身鎧と戦斧で武装した、ヘビーアーマーたちだ!
まさか。
まさか。
まさか!
こんな手に、引っ掛かるなんて!
驚愕の余り絶句するパルパレオスの視界の片隅で、煙を引いて、空に赤い信号弾が上がった。
§
ちょうどその頃、リオネルは左翼部隊の指揮を取っていた。
指揮を取る、と言っても、裏方専門のリオネルに出来る事は限られている。だから彼がやるのは、戦術的な指揮を取る親衛隊幕僚たちの手綱を取る事だけだ。しかし、いくら後方でコソコソしているとはいえ、自分のようなろくに戦えない者が戦場に出ているのは害でしかない。もっと下がろうか、そう思っていた時だった。
ヒョォウッ、と甲高い音が戦場の空気を切り裂く。
リオネルは空を見上げた。西の空に、一筋の赤い煙が線を描いている。
(あれは、信号弾)
裏方専門だから知っている。あれは、ゴドランドの工房が開発した物だ。魔法花火の原理を応用したとか何とか、以前売り込みに来た商人の口上を思い出す。結局買わなかった。それで作戦の指示を与えるのは、伝令を走らせるよりも素早く確実かと思ったのは確かだが、同時に、戦術の転換を敵に悟られると危惧したのだ。
だが、反乱軍がそれを意志伝達手段に用いている、という事は――西、右翼で何かが起こりつつある、という事だ。
(まさか、将軍に何か)
と、咄嗟に足を踏み出した、まさにそのタイミングで、
トスッ。
軽い音と共に、爪先のすぐ先に突き刺さる一振りのナイフ。
「――やぁっと見つけたぜ、ラス・リオネル=ハルファー准将」
少しくたびれた調子を宿す粗野な声が、左手の方から聞こえてきた。聞いた事のない、男の声。リオネルを守るように展開する部下たち。遅れてそちらに視線をやる。ちょうど、声の主の部下らしい者たちが武器を構えたところだった。
皆、一様に砂色の頭巾とマント姿。顔には黒い色ガラスを嵌めたゴーグルと、マスク。数は全部で七人。前に立つのが、ナイフを投げてきた声の主だろう。同じ格好をしているから、外見から判るのは身長差くらいしかない。男女の別すら判然としない、それほどまでに外観をひた隠しにする装備だが、それでもリオネルは、確信を持って判断した。
ナイフを投げた男は、笑っている。
ゴーグルが目元を、マスクが口元を隠しているけれど、判る。雰囲気で、判る。男は笑っている。どこか斜(はす)に構えて、皮肉げに笑っている。
それがこちらを馬鹿にするものではないと察しているのだが、それでも、気分は良くない。だからリオネルは、彼にしては険のある声で――そして周りの者にしてみれば、いつも通りのどこか呑気さを漂わせる声で――尋ねた。
「何者だ?」
「お相手させていただく、通りすがりの傭兵だ」
人を食ったような口調。
人を食ったような笑み。
それらと共に、戦士――カイツ=ベクタは、マントの合わせ目から手を出す。無手。だが、次の瞬間、まるで嘘のようにその手にナイフが現われる。
こちらがハッと身構えるより先に、彼は、叫ぶ。
「信号弾、上げろ!」
その直後、少し離れた所で上がる黄色の信号弾――
剣戟の音がすぐ傍で聞こえ始める中、リオネルはそれを見上げ、見つめる。だから、彼は気付いた。
青空を高速で横切る、「何か」に。
§
西と東の空にそれぞれ立ち上る、二色の煙。
それが一体何なのか、思考するサウザーの目が違和感を捉えた。
「む……?」
目にしているのは、ダフィラの青空だ。砂塵のせいか、下の方に黄色がかった層があるけれど、その上に広がるのは、抜けるように高く青い、オレルスの蒼穹だ。
その青色が、チラついた。
(何だ……?)
気のせいか、目に砂塵が入ったか。サウザーは目をこらし、そして――気付く。
「構えっ!」
「陛下――?」
「来るぞ! 構えよ!」
直後、突風がサウザーたちを襲う。足元に影が差す。それは、高速で頭上を通り過ぎた戦竜がもたらしたもの。風にたたらを踏み、サウザーが親衛隊員たちに命令を下す、
――よりも、尚早く、
「アイス! やれ!」
次の瞬間、
サウザーを守っていた護衛分隊の一つが、氷塊に閉じ込められ、
もう一つは、続けて放たれた雷に撃たれて炭化する。
それを苦々しげに、憎々しげに見つめるサウザーの耳に、バサリッ、という羽音が響いた。砂地に崩れ落ちる、絶命した親衛隊員たち。そこから視線を引き剥がし、斜め上の虚空を睨みやる。
いや、そこはもう虚空ではなかった。力強い生命がある。
陽光を受け、瑠璃色や空色に輝く鱗。
力強さよりも優美さを感じさせる肢体。
精緻な彫刻のように繊細な翼。
アイスドラゴンという名の戦竜は、芸術品にも見紛う美しい体躯を滞空させ、地上のサウザーたちを睥睨(へいげい)する。その背には四つの影。その内の一つが、悠然と、余裕を感じさせる動作で戦竜の背から立ち上がり、サウザーと生き残った一個分隊を見下ろす。
防砂頭巾、防砂マント、ゴーグルにマスクは、他の反乱軍の兵士と同じ。だが、その色がまるで違う。
空色。
この空に溶け込むかのような、真っ青な――
「ご機嫌麗しゅう、サウザー皇帝」
立ち上がったそいつは白々しい言葉を投げかけ、慇懃無礼に腰を折る。体を起こすその時、彼はゴーグルを額に上げ、マスクを下ろした。
「ケリを、着けに来てやったぞ」
「ビュウ=アソル――!」
これまでの戦いは、全て、この瞬間のための布石。
それを悟ると、サウザーは険しい表情で剣を構えた。
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