―5―




 戦竜がいななく。
 怒号が響く。
 その中、西城砦の旅団長は叫ぶ。
「食い止めろ! 何が何でも反乱軍をここで食い止めろ! 叩き潰せ!」
「駄目です! 守備隊が立ち直りません! 大隊長がいないから――」
「――えぇいっ! ならば私が出る!」
 武器を引っ掴み、本丸を飛び出す旅団長。敵は東側から来ている。ならば東側に手隙の者を回して――

 破砕音。

 岩が崩れ、崩落していく轟音。戦竜のいななきや怒号を掻き消すほどのそれは、予想外の方向から響いてきた。驚愕に表情を引きつらせ、旅団長は振り返る。
 そう、彼は振り返った。東側に向かおうとしていた彼が振り返る。その方向はすなわち、

 西。

 旅団長は目を疑った。西側の防壁が崩壊している。
(東の攻撃は、囮か!?)
 東側に手勢を回していたこちらを嘲るかのように、そこからバラバラと飛び込んでくる無数の影。
(砂色の……!?)
 身を低くして、全速力で掛けてくる砂色の――マントと頭巾をまとった、反乱軍の戦士。マントの裾から、握っている武器の刃が飛び出している。朝日を受けて輝く白刃に、彼はようやく武器を構えた。
 が、その瞬間、
「――――っ!?」
 突進してきていたはずの戦士の姿が、不意に掻き消えた。どこだ!? 混乱し、首をめぐらせる旅団長。
 その彼の脇腹に、灼熱感が走った。

 ズブリ。

 身の毛もよだつような音が遅れて聞こえてきたのは、ただの錯覚だったか。喉元からせり上がってきた鉄臭さを吐き出して、旅団長は脇腹に短剣を突き刺している戦士を見下ろす。
 砂色の頭巾。砂色のマント。足を覆うフェルト。そして、顔を判然とさせないマスクと、黒い色ガラスをはめ込んだゴーグル。
 彼はにわかに理解した。その、軍事国家グランベロスの常識とは掛け離れた装備の意味を。装備の色と、そしてゴーグルの意味を。

 ――見えにくくして……見やすくするためかっ!

 しかし、理解したところでもう意味がなかった。何故なら、その戦士の左手に閃いた短剣が、旅団長の顎の下の柔らかい肉を突き、口腔を貫いて脳を下から突き上げたからだった。



 城砦Aの指揮官らしい男を倒し、カイツは辺りをザッと見回した。先に破られた東側の城壁から次々に突撃してくるAチームの兵士たち。その先頭に立つマテライトの檄は、やかましいけれど聞く者の背筋をピシリと伸ばしてしまう凄みがあり、
(成程、アソルの坊主が一部隊を任せるわけだ)
 と、カイツは身をひねる。剣を突きの形で繰り出してきたグランベロスの士官は、カイツの脇をすり抜けて砂地にたたらを踏んだ。怒りと焦燥に彩られたその顔がこちらを向く。その体勢が整う、それよりも早く、カイツは動いた。左手を閃かせ、士官の右目に短剣を放つ。サクリ。突き立った切っ先は、そのまま脳を抉(えぐ)った事だろう。悲壮な表情のままビクビクと痙攣する士官には最早目もくれず、周囲の状況を確認した。
 まるでお祭り騒ぎのような狂騒。Aチームの兵士たちとBチームの部下たちが揃って守備隊を小突き回し、そして指揮官を早々に失った守備隊は総崩れ状態だ。カイツはすぐ傍に控えていた直属の部下に指示を飛ばした。
「信号弾、上げろ!」
「了解っ!」
 背中に筒を背負っていた部下が、それを砂地に下ろし、筒の中に丸い塊を落とし込んで、導火線に火を点ける。一拍間を空けて、甲高い風切り音と共に赤い煙が空に舞い上がった。
 青空に描かれる、一筋の赤い線。それを見送って、カイツは次なる行動を取るべく、マントの内側からナイフや小剣を取り出す。


 作戦はもう、第三段階に移行しつつある。





§






 西の空に、赤い煙が一筋上がっていった。
 東の空には、黄色の煙。

 黒ガラスのゴーグル越しにそれを見上げ、フレデリカは作戦の第二段階が成功した事を知った。ホッと胸を撫で下ろす。
 第二段階。すなわち、城砦A、Bの制圧。
「では、私たちもそろそろ参りましょうか」
 砂色の防砂頭巾の下の、黒ゴーグルとマスク顔。皆が同じ格好をしているからパッと見には判別が付きにくくなっているのだが、それでも、コルテは何故かコルテだと判った。マスクの下でもそれと判るほどに口元がにこやかだからか、それとも防砂マントを着ていても尚放たれる上品な気配のせいか。楚々とした動作で、しかし臆する事なく先頭に立って歩き出すコルテを、彼女の部下らしいウィザードたちが、そして少し遅れて反乱軍の魔道士たちが追う。
 作戦は、第二段階から第三段階へ。フレデリカたちCチームは砂漠を進む。当初の待機地点、山地Cの北側から動き始め、北西の砂丘を目指す。

 それはちょうど、あの爆発が起こった地点。

「残存兵がいるかもしれないから、迂回いたしましょう。皆さん、お気を付けて」
 先を行くコルテの声は僅かに笑みを含んでいて、ピクニックに出かける貴婦人のように楽しそうにも聞こえた。戦場でそんな声を出すなんて不謹慎。そんな思いが胸をチラとかすめたが、フレデリカはすぐにそんな考えを振り払った。

 きっとこれが、傭兵なのだ。

(だからビュウも、こんな作戦を思い付けたのかしら?)
 こんな作戦、とはすなわち――

 軍を四つに分けての多面作戦。
 砂上装備による低視認性の実現、及び暴風からの身体の保護。
 擬似蜃気楼による囮作戦。
 城砦Aに対する東西同時攻撃。

 作戦の第一段階から第二段階までの経過をまとめれば、こんな感じになる。


 作戦会議の日、ビュウが木箱で持ち込んだのは砂上行軍装備一式だった。防砂頭巾、防砂ゴーグル、防砂マント、マスク、砂上用ブーツ。砂漠の苛酷さから兵士たちの身を守るためのこれらの装備で、ビュウは同時に低視認性――見にくさも実現した。砂漠と同じ砂色にする事で、こちらの身を背景の色に紛れやすくする。実際のところそこまで上手く行かないだろうが、これを着て、敵の目の前で素早く動いたりすれば、一瞬でもこちらを見失ってくれるだろう。――ビュウのそんな目論見は、成功している。
 それらを指揮官に配布し、説明した上で、彼は作戦の流れを説明した。
 まずは第一段階。ここで活躍するのはコルテ率いるCチーム、後方支援の魔道部隊。
『蜃気楼を作って、城砦A、Bの遊撃部隊を誘き出してほしい。出来るか?』
 その無茶な要求にどう応えたかと言えば、こうである。
 コルテ他ウィザードたちが、『アイスマジック』を城砦A、Bの中間地点にある砂丘上に発動させる。ただし、通常よりも威力を格段に落とした形で、だ。その結果、『アイスマジック』は砂丘周辺の空気を急激に、かつ極端に冷やしただけに留まる。
 そこに朝日が差し込み、冷えた箇所以外の空気が暖められる。そうすると、何が起こるか。

 極端な冷気による、光の異常屈折。

 結果、本来砂丘の上には存在しないはずのCチームが、あたかも砂丘上にいるように浮かび上がって見えた。それが、城砦Aの物見兵が見た「竜を従えた複数の人影」である。
 蜃気楼など砂漠では比較的よく起こる現象だが、ビュウの様々な工作によって士気が低下し、たるんでいたグランベロス軍がそれに気付くか。結果として、二つの城砦から合わせて二個大隊が出撃した。
 そしてそれが砂丘に来たら、魔法による遠距離攻撃で撃破する。

 ここまでが、第一段階。
 第二段階は、残り三つのチームの出番だ。

 城砦A攻略担当のA、B両チーム、城砦B攻略担当のDチームは、爆発が見えたと同時に待機場所から城砦に向けて進軍を開始。戦竜の魔法攻撃によって城壁を破壊し、一気になだれ込む。
 城砦Bの方が、城砦Aよりも小規模で手薄なのは、事前の偵察で確認済み。加えてDチームにはこういうスピード勝負に強いライトアーマーやアサシンが配備されている。勢い任せの突撃で、城砦Bは制圧できた。
 しかし城砦Aの方は守備隊の数も多く、手こずる事が予想されていた。だからビュウは、
『A、B両方を城砦Aの攻略に当てる。Aチームは山地Aを左回りに東側から、Bチームは右回りに迂回して西側から攻撃だ。突撃のタイミングは、Aチームは城壁に到着してすぐ、BチームはAチームの突撃に城砦内の守備隊が動いてから』
 こちらと相手の実力に余程の差がない限り、奇襲は仕掛けた方が成功する――さも当たり前と説明したビュウの言葉は、そんな口調だったから、余計に説得力があった。

 そして、彼の言う通りになった。


 これで、作戦は第二段階まで成功。グランベロスの防衛ラインの第一、二つの城砦は制圧した。
 フレデリカたちは、爆発の跡も生々しい砂丘の向こう側に立つ。爆発に巻き込まれ、尚生き残ったグランベロス兵が思い出したように襲ってくる――が、Cチーム付きの戦竜であるモルテンの雷にほとんどがとどめを刺され、それでも向かってくる兵士にはコルテが黒魔法で一蹴する。
 損害を一切出さないまま、Cチーム、第三段階の配置に付く。
 後は、前線を駆ける残り三つのチームの行動開始を待つだけだ。





§






 その後、かねてからの予定通りに、マテライト率いる主力部隊Aチームは城砦Aからそのまま北上する。
 カイツ率いる第二主力部隊Bチームは、城砦Aから南東へ進軍、城砦Bから出て山地Bの北側に回り、その後北上を始めた遊撃部隊Dチームと合流する。

 そして始まる、


 血と喚声と熱狂の、狂宴。



 第二防衛ラインの別の場所で、ダフィラ駐留師団第二守備大隊のシム・エリッヒ=ヨーマンもまたパニック一歩手前まで追い込まれていた。
 彼は第二防衛ラインの右翼に配備されている。敵兵の猛攻、その異常なまでの士気の高さに気圧されながら、ヨーマンは悟った。このままでは押し切られる。マズい。声を張り上げる。
「後退っ! 後退しろっ!」
 すると、副官の泣きそうな絶叫が応えてくる。
「駄目ですっ! 後退できませんっ!」
「何だと……!?」
 ヨーマンは後背を振り返る。
 遥か彼方、左翼もまた後退しようとしていた。だが、左右が一度に後退しようとして出来るはずがない。これは、まさか。
 唖然とするヨーマンの視界の片隅で、敵兵の振るった剣の白刃が煌めいた。



 第二防衛ライン左翼、ダフィラ駐留師団第十二防衛大隊のリント・フランツ=デヴォンは混乱していた。
 おかしい。
 向かい来る敵。
 おかしい。
 打ち払っても打ち払っても突撃を掛けてくる敵。
 おかしい!
 明らかにデヴォンを狙い撃ちしてくる、その敵兵の目の色に恐怖し、彼はがむしゃらに槍を振るった。突きを繰り出し、穂先で払い、頭上で回して勢いをつけて振り下ろす。そうして一人、また一人と敵兵を屠っていくけれど、しかし反乱軍の勢いは止まらない。いやむしろ、どんどんと増すばかり!
(何だこいつらは!?)
 嬉々として打ち掛かってくる反乱軍。いや、その表情は見えない。ゴーグルとマスクで顔は隠されている。だが判る。こいつらは嬉々としている。嬉々として、デヴォンを倒そうと躍り掛かってくる。何故だ? 何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ!?
 混乱の極みに達し、半ばパニックになったデヴォンの耳に、敵兵の言葉が飛び込んできた。

「待てコラ株券!」
「いい加減諦めろ推定金額百万ピロー!」

 ……………………

「株券って何だー!?」

 無意識の内に入れた突っ込みのせいで、デヴォンは混乱の内にとうとう押し切られた。



 同じく第二防衛ライン、ダフィラ駐留師団第八突撃大隊のエス・オルトヴィン=シュナイズは苛立たしげに歯噛みしていた。
「反乱軍め、姑息な真似を……!」
 まったく予期していなかった両側面からの攻撃は、第二防衛ラインを混乱に落とし込むのにうってつけだった。どてっ腹をぶん殴られて、防衛ラインは応戦もままならないほどのパニックに見舞われている。
 いけない。このままでは。
 敵のペースに乗せられて、突破される!
「隊長、指示を!」
 右に逃げる事も、左に逃げる事も叶わない。本陣の方へと後退する事など以ての外。ならば、選ぶべき道はただ一つ。
「――前進! 一旦山地方面に南下、体勢を立て直す!」
 シュナイズの叫びに隊員たちが叫んで応える。士気はまだ萎えていない。立て直せる。まだ、大丈夫だ。確信を胸に抱き、シュナイズは先頭に立って前進を始めた。左右からの攻撃に押し出されるように、突撃大隊は前進し、その流れに乗って他の大隊も山地方向へと南下していく。第二防衛ラインは、徐々にいびつな三角形へと変わっていき、そして、

 その三角形を真っ二つに裂くように、一条の紫電が彼らを貫いた。



 明らかになった敵の戦術に、指揮卓上の地図に手を突いたパルパレオスが大きく舌打ちした。
「反乱軍め……小賢しい真似を……!」
「いやぁ、割りと正攻法でしょう」
「解っている!」
 思わず突っ込みを入れたリオネルに、パルパレオスは怒鳴り声を上げた。落ち着いてくださいよ、将軍。そんな気持ちを込めて上官に冷静な視線を送ると、彼は気味悪そうな表情で顔を上げ、
「……何だ?」
「いや、将軍が冷静になれるように、オーラを」
「要らんっ! そんなものよりも!」
 と、パルパレオスは地図をバンと叩いた。その強さに、地図の上に置いた各部隊の動きを示す駒がグラリと揺れる。
「必要なのは、この状況を打開する策だ!」
 この状況を一言で言い表わすなら――

 用意周到な包囲網、だろうか?


 反乱軍は現在、本陣前に布かれた第二防衛ラインを左右から挟撃している。
 そのせいで、第二防衛ラインの兵士たちは左右に逃げる事も、まして本陣方向に後退する事も出来ず、唯一手薄な方向、前へと進むしかない。
 しかし、前進すれば二つの山地の間辺りに待機しているらしい魔道部隊の遠隔攻撃に晒される。
 ――もし西城砦と東城砦が健在なら、両方から援軍を出させて魔道部隊を潰し、それから防衛ラインを援護させていただろう。しかし両方の城砦は既に制圧され、指揮系統は完全に破壊されている。そちらに援軍を出させるのは不可能だった。
 加えて反乱軍の兵士たちは、どういうわけか、兵卒やただの士官には目もくれず、大隊を指揮する大隊長を真っ先に倒そうとしている。まるで宝の奪い合いでもしているかのように。その勢いは余りに凄まじく、これまで伝令がもたらしてきた報せによると、各隊はその猛攻に押し切られて大隊長を失い、結果、統制を失って混乱している。
 混乱して、山地方向へと逃げて――山地方向からの魔法攻撃に倒れて。

 リオネルは不意に、グランベロスを発つ前に感じた不安が何なのか、悟った。


 グランベロス軍は、防御が不得手なのだ。


 理由は考えるまでもない。グランベロス軍の前身は王属派遣軍、あの傭兵軍の主な使い道は戦場の露払いだとか強行偵察だとか、そういう非常に攻性で、かつ危険性と損耗率の高いものばかりだった。
 だから、グランベロス軍の攻撃力は優れている。優れすぎている。攻撃力だけなら、オレルス一だろう。
 だが――防御力は。
「敵から自陣を守る」という経験が極端に少ないグランベロス軍に、防御のノウハウはない。だから挟撃に混乱する。遠距離からの魔法攻撃に浮き足立ち、パニックに陥る。
 そこに隊長不在による指揮系統の混乱という要素が加われば、どうなるか。

(まさかこれほどだなんて)

 最強の軍隊、グランベロス軍。その予想外の脆さが露呈されて、リオネル自身もまた戸惑っていた。まさか反乱軍はこれを見越していたのだろうか?


 リオネルは、戸惑いの内にパルパレオスを見た。十五年。それほどに長い付き合いになる上官は、かつてないほどに苦悩の表情を浮かべていた。歯を喰いしばり、眉間にしわを寄せ、目を細め、まるでそのどこかにこの危機を乗り越えられる方策が隠されていると言わんばかりに、地図をジッと睨みつけている。
 きっと、頭の中で様々な戦術を試行し、その可否を判断しているのだろう。彼はまだ諦めていない。苦悩に満ちているけれど、その苦悩は、決して諦めではない。
 視線を、パルパレオスから駒の置かれた地図へ。リオネルもまた深く考えに沈んだ。城砦の外から微かに聞こえてくる喚声が遠退いていく。代わりに響いてくるのは、自分自身の声。
(何か、策があるはずだ)
 策。打開策。解決策。この窮地を打開し、優勢に転じるための打開策が。打開。優勢。打開。優勢。策。策。策。策。策策策策策。
(あぁ、駄目だ。私もやっぱり混乱している)
 単語ばかりがグルグルと頭を巡り、文字が、あるいは音の連なりが、もつれてこんがらがってクシャクシャになって、脳髄に絡みついて離れなくなる。振り払うように、リオネルはかぶりを振った。それから深呼吸を一つ、二つ。
 落ち着け、落ち着くんだ、ラス・リオネル=ハルファー。自らに言い聞かせるリオネル。軍人でありながら、半ば文官のような働きをしてきたのだ。戦術的な解決策ならきっとパルパレオスが見つける。ならば自分は、全く別の角度から解決策を見つけよう。
 そうしてまた深呼吸を一つ、二つ。解決策の糸口――に繋がるかもしれない閃きの糸口を見出したのは、その時だった。
 まずは、状況を整理してみよう。つまり、何が劣勢の要素としてグランベロス軍の前に立ち塞がっているのか。

 一つ――指揮系統の混乱。
 一つ――慣れない包囲戦。
 一つ――かねてから懸案事項とされてきた、士気の低下。

 それぞれの問題の解決策は、

 指揮系統の混乱――指揮系統を復活させる。
 慣れない包囲戦――包囲網を突破する。
 士気の低下――何かで盛り上げる。

 そして行き着く究極的な課題。――どうやって?
 リオネルは思わず頭を抱えた。突き詰めていって、そこをクリアできなければ意味がない。それも、可及的速やかに。士気を一朝一夕で盛り上げる方法なんて、何があるというのだ? 活躍した者には恩賞を出す、とでも言うか? だがそれはリオネルの権限の外にある発言だし、そもそもそういう形で士気を盛り上げるのであれば、戦闘前にやるのが一番効果的だ。今更言ったところで誰も聞かないし(聞けないし)、聞かれたとしても「今更遅ぇよ!」と突っ込まれて終いである。
 どこかにないか。もっと手軽に、指揮系統を復活させ、包囲網を突破し、士気を盛り上げる方法は。
(……これがせめて、防衛戦でなければ……)
 リオネルは、不意に目を見開いた。

 防衛戦でなければ。
 防御でなければ。
 攻撃であれば――

「――将軍、何かの形で攻勢に回るのは、不可能でしょうか?」
「何だと?」
 パルパレオスは視線をこちらに寄越してきた。リオネルは説明する。
「我が軍は、防御は不得手ですが、攻撃ならば誰にも負けません。なら、攻撃に回るべきです。攻撃に回り、包囲網を突破して、反乱軍を撃破するんです」
「それはつまり……この城砦を放棄しろ、という事か?」
「……あー、そうでした……」
 やはり、思い付きだけで戦術の事に口を出すべきではない、という事か。リオネルは額を押さえて天井を仰いだ。
 グランベロスが守勢に回っているただ一つの理由。ここにサウザーがいるからだ。重い病に侵されたサウザーが。
「失礼、将軍。今のは忘れて――」
「いや、いい。構わん。――そうか、その手があったか……」
 パルパレオスが不敵に笑った。先程までの苦悩の色は消え去って、目には生気が戻っている。彼は、いっそ快活なまでに笑って、
「やはり、慣れない拠点防衛などするものではないな。ハルファー、行くぞ」
「って、どこへですか、将軍」
「決まっている」
 一体何が決まっていると言うのだろうか。踵を返し、指揮卓を離れて城砦の奥へと歩を進めるパルパレオスの、その背中を追ってリオネルは首を傾げる。司令部を出て、奥の廊下に入り、奥へ、奥へ。その道筋を歩く内に、リオネルにも徐々に彼の考えている事が理解できた。


 全ての問題を解決する、切り札。
 それは最初から、彼らの手にあったのだ。


 そして二人は、ある扉の前に立つ。一際大きく、一際豪華な扉。その左右に立つ歩哨は、不安げな表情をこちらに向け、しかしきちんと敬礼する。パルパレオスは答礼し、それからおもむろに扉を叩き、そして――





§






 ダフィラ解放連合は、自分たちの優勢を疑っていなかった。
 グランベロス軍は、自分たちの劣勢を信じられない気持ちで受け止めようとしていた。
 両者の士気には大きな差があり、グランベロス軍は徐々に、心を折られていった。
 折れた武器で戦う者がいた。
 倒れた戦友の亡骸を抱える者がいた。
 膝を突き、慟哭する者がいた。
 グランベロスの兵は空を仰いだ。誰か、と。誰か、誰か来てくれ。助けてくれ。世界最強の誉れ高き彼らにとって、その祈りはおそらく初めてのもの。誰かに助けを乞うなどと。しかし彼らはそれほどに追い詰められていた。それほどに切実だった。皇帝の御前で、敗北を喫するなど。こんな場所で友を失うなど。反乱軍ごときに負けるなど。だから、誰か、誰か、誰か。

 その祈りが、通じる。


 キィィンッ!


 空気を裂く、甲高い音。
 空と大地を割る、青い閃光。

 本陣から放たれた『ラグナレック』の光刃は、ほとんど瓦解していた第二防衛ラインの縁を沿うように湾曲して走り、ライン右翼を侵食していた敵部隊――連合での通称はAチーム――を斬り裂いた。


「――我が忠実なるグランベロス軍よ」


 戦場に訪れた奇跡のような静寂。その静寂を貫いて、奇跡のような声が轟く。


「ここまでの苦難、よくぞ持ち堪えてくれた」


 奇跡を見るような目で、グランベロス兵たちは本陣を振り返る。


「余は、ここにある」


 風が吹く。砂塵が舞う。
 砂塵の向こうに影がある。長衣をまとった長身の影が。剣を上段から振り下ろし、その後ゆっくりとした動作で右手に持ち直す影が。


「余は、諸君らと共に、この戦場に立っている」


 風が、収まる。
 砂塵の向こうから、その男は姿を現わした。背後に腹心と、親衛隊を従えて。
 青みがかった銀髪。
 生気に満ち溢れた青灰色の双眸。
 不敵な笑みを形作る口元。
 右手の長剣。長衣の上から身に着けた鎧。軍靴。全身から立ち上る、威厳と威圧感、背筋が凍り、あるいは心が躍るほどの戦意。


「立てよ、我が兵士たちよ! 今こそ共に、反乱軍を殲滅する時!
 立てよ、我が兵士たちよ! グランベロスの誇りの下!」


 グランベロス帝国皇帝、カイゼル=ディオ・サウザー=フォン=グランベロス。
 その奇跡のような力強い声が、心が折られつつあった全てのグランベロス兵の戦意を回復させた。


「一気呵成に、攻勢へと転ずる!」

 

 

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