―3―




 十月十日、深夜。
 本陣からの伝令との会見を終えて、彼は詰め所から兵舎へと戻っていた。
 夜はもう遅い。燃え上がるような昼間の気温は名残すらなく、しっかり着込んだ防寒着の上からでも凍りつくほどの冷気が襲ってくる。今夜の冷え込みはまた厳しい。彼は毒突いた
「……ちっ、このクソみてぇな寒ささえなきゃなぁ」
「大隊長、何か?」
「何でもねぇ」
 後をついてくる部下に吐き捨てて、彼は戻る道を急ぐ。
 ダフィラ。砂漠のラグーン。何でも、地表に昼間の熱を留めておくものがないから、夜になると恐ろしいほど冷え込むそうだ。あー寒い寒いと口の中でぼやきながら、彼は思う。だからダフィラになんか来たくなかった。夜は寒いし、昼間は暑いし、外縁の拠点に回ってくる酒はクソ不味いし、もちろん商売女なんていやしない。それで、この寒い夜をどうやって乗り切れと? あの酒の味を思い出して、彼は顔をしかめた。
 サクサクサク。ブーツが砂を踏みしめる音。この砂も嫌だ。ブーツの縫い目から中に入ってくる。苛立ち紛れに蹴飛ばしたらもっと酷い事になる。苛立ち倍増。あぁまったく、嫌だ嫌だ。何だって俺は外縁の警備に回されたんだ。くそっ、本陣のモヤシめ。あのモヤシがこんな編成をしたんだ。俺より弱いくせして、准将だなんて生意気な。
 サクサクサク。サクサクサク。サクサク……サク。
 彼は、ふと足を止めた。
 違和感。
 何かおかしい。
 何か足りない。
 足音が、足りない?

「――――?」

 後ろを振り返る。凍てつくような星明かりと、遠くに揺らめくかがり火と。それらがほのかに照らし出す暗い道には、……誰もいない。
「……? おい、グント? どこに行きやがった――」
 便所にでも行きやがったか? そう思いながら大きな声で部下を呼ぼうとし――

 その口が塞がれた。

「――――っっっ!?」

 背後からの手。それが彼の口を塞いでいる。凄い力だ。両手でほどこうとするが、ほどけない。何故だ? 何故ほどけない? いやそれよりも、こいつは誰だ? 俺は一体いつ後ろを取られた? グントはどこへ行った? こいつは何だ? 何で俺の口を塞いでいる? 一体何の目的で――
 そうやって混乱してもがいていたのは、実際には一秒にも満たない時間。その間に全て終わった。

 ドスッ。

 背中に何かがねじ込まれる。スゥッと冷たい何か。冷たい。体中の熱がそこから奪われていくようだ。ゾッと鳥肌が立った。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい冷たい冷たい寒い寒い寒い寒い寒い――


 ダラリッ、と力を失ったグランベロス軍ダフィラ駐留師団の大隊長の一人。その体を砂地に放り捨てて、黒衣をまとった小柄な影がその場から消えた。



 翌日、早朝。
 部下を伴って本陣から駆けつけたリオネルは、現場を一目見て唸った。
「これは……」

 現場は、グランベロス警戒線の最前。城砦跡に築かれた防衛拠点の、詰め所と兵舎の間である。
 そこで、一人の男が死んでいた。
 防寒着と周りの砂を、血で染めて。

 物陰で、随行していた部下の死体が見つかった。上がる声に現場は騒然となる。が、その声はどことなく疲れを宿した諦め気味のそれであり、言葉に直せば「やっぱりかよ」。それを尻目に、一緒にやってきた軍医はその場にしゃがみ込むと、死体を一瞥。僅か数秒、立ち上がって所見を口にする。事務的な口調の中に、嫌悪と痛ましさを滲ませて。
「背後から腰部を一突き。死因は、腎臓損傷による失血死――と、いうところでしょうな」
 解剖する事なく死因を特定したのには、理由がある。
「これで十五人目……全く同じ手口、ですな」
「……そうだな」

 グランベロス軍は、ダフィラ入りしてから僅か四日で、十五人もの大隊長を失っていた。

 大隊。グランベロス軍においては、作戦行動は大隊単位で行なう。つまり、上から通達される戦術は大隊単位の行動を決めているに過ぎず、そこから先、更に細かい動きについては大隊の裁量で決められるのだ。それを束ねる大隊長がいなくなる事、それはすなわち、作戦行動の細かいところで支障が生じる事に他ならない。
 十五人。それも、戦術的判断に優れた歴戦の大隊長ばかり。
 ダフィラというラグーンの土地柄か、補給物資が上手く調達できず、末端にまで行き渡っていないグランベロス軍の現状。そこに来てこの連続殺人事件――事故や自殺で腎臓損傷はあるまい――は、ダフィラ遠征でただでさえ下がりがちなグランベロス軍の士気にとどめを刺そうとしている。
 問題は山積みだった。大隊長の補充、皇帝への報告、事態の改善。それらを一度に解決する唯一の方法は、
(犯人を捕らえる事)
 誰がこんな事を、なんて考えるまでもない。大隊長ばかり狙っての殺人、こんな事をこの時期にするのは反乱軍以外になかった。
 だが、とリオネルは首を捻った。

 反乱軍は、まだ、ゴドランド領空内にいる。
 一体誰が実行犯なのだ?
 グランベロス軍はまだ、その尻尾さえ掴めていない。





§






 連続殺人事件も四日目となれば、そうそう騒がしくならないらしい。
 その辺りはさすがグランベロス軍、と言うべきなのか。双眼鏡で城砦跡の様子を盗み見ながら、砂色の頭巾と同色の動きやすそうな上下を身にまとうゼロシンは、うーんと唸って首を傾げた。
(意外と慣れるのが早いなぁ。これ以上「前哨戦」を続けると、もっと慣れて大隊長がいなくても動けるようになるんじゃ……。サジンなら、どう思うかな)
 しかし相棒はもう一つの城砦の偵察だ。この場にはいないし、こんな事でいちいち意見を求めれば「知るか」と一蹴されるのがオチだろう。
(ま、僕の仕事は偵察だし、続行か中止かの判断は頭目がするか――っと)
 ゼロシンは地面に耳を付けた。足音。数は……四つ。城砦跡の様子を見ようと近付きすぎて、哨戒コースの中に入ってしまったか。だが、まだ遠い。
(なら、もう帰ろう。これ以上詳しく情報を手に入れるなら城砦の方に侵入しないといけないしね。頭目にどうするか聞かなきゃ)
 相棒にも相談してみよう。何せせっかくの稼ぎ時、病弱な母のためにもミスは出来ない。ゼロシンは動き出す。足音も衣擦れの音もない。
 そうして動く姿はまるで影のよう。足跡すら、後には残らなかった。





§






 十月十六日、未明。
 反乱軍、ダフィラ入り。朝日が地平線から顔を出す頃、ハルマトワ砂漠のど真ん中にある山地の南側に降り立った。
 ハルマトワ砂漠。ダフィラ・ラグーン最大の砂漠地帯は、その北縁にダフィラ王都を抱く。砂丘あり、岩山あり、荒野あり、立ち枯れた灌木あり、と砂漠なりに変化の富んだ景色を楽しみながらその山地から北に三十キロほど行けば、王都に辿り着く。
 その手前、山地から北に十キロの地点。王都への道を塞ぐ形で、グランベロス警戒線は展開する。

 そして今。
 戦場の南端にて、作戦会議が、始まる。



「我々の目的はただ一つ。サウザーを生きたまま確保する事だ」

 本陣で一番大きいテント、その中で始まった作戦会議。長机の上座に立つビュウは、始まるや否や単刀直入かつ問答無用にそう言い放った。
 彼は、鋭く細めた目で長机の周囲に集まる面々を順に観察する。サウザーの拘束、それを戦術目標に定めたと言うビュウの言葉に対する、その反応を。

 ダフィラ革命軍暫定指導者リベロ=アブウェル――唖然としている。
『砂の民』代表マスゥード=ハシム――怪訝そうに眉をひそめている。
 アサシンギルド頭目カラ=ギリ――さして興味はなさそう。
 傭兵連代表カイツ=ベクタ――さも面白そうにニヤニヤ笑っている。
 各代表の随行員その他諸々――省略。

 今回、様々な工作でここに集う事となった四勢力の代表。それぞれの反応は概ね予想通りで、ビュウは内心安堵した。出だし上々。まずはよしとするか。
「どういうつもりじゃ、ビュウ。サウザーを捕らえるなどと」
 隣に立つマテライトの声は、訝しげにも、責めているようにも聞こえた。ビュウは視線を隣に転じて、
「メリットが薄い」
「何じゃと?」
 不信げに顔を歪めるマテライト。一体何を言っているのか、言いたいのか、そんな風に怪しんでいるようだ。眉間にしわの寄った顔を、感情の混じらない視線で見つめ返しながら、
「なら聞くが、オッサン。サウザーを殺すメリットは?」
 そんなビュウの言葉に、彼はムゥと唸って考え込んだ。
「……皇帝が、交代する」
「それで?」
「サウザーが死んだとなれば、帝国は混乱を免れまい。最悪分裂する」
「それで?」
「わしらには願ったりではないか」
「成程。つまりオッサンの願いは、帝国との戦争状態の継続なんだな?」
 突然の論理の飛躍。マテライトは目を剥き、他の面子も面食らったように目を丸くした。その中から、恐る恐るといった様子で、ビュウの左、マテライトとは反対側に立つ男、元カーナ戦竜隊のエド=ウォリックが口を挟んだ。
「あの、隊長、何故そんな結論に至るのかが見当つかないのですが……」
 ウォリックは、反乱軍とダフィラ革命軍、『砂の民』とのパイプ役を担っていた。同時にダフィラ革命軍の軍事顧問も二年近くやっている。それでもやはり、この結論の飛び具合にはついていけないらしい。それは他も同じようだった。口には出さずとも、表情が説明を促している。ビュウは淡々と口を開いた。
「サウザーが死ねば、皇帝が交代する。誰になるか、それはこの際、パルパレオスでもグドルフでも、他の首脳でも有力者でも、何となればまるきり無名の奴でも構わない。だがその新皇帝には、即位してすぐに大仕事が待ち受けている」
「大仕事?」
「手付かずにすれば皇帝としての正統性そのものが疑われて、成功すれば一気に支持を集められて、失敗すれば権威失墜間違いなし。サウザーの死後すぐに、グランベロス国民全員が望む仕事だ」
 さて、何だ? 無言の問いに、テントを沈黙が支配する。黙考する皆を、ビュウは試験官の心持ちで見つめていた。どれくらい長く掛かるか――

「――サウザーの仇討ち」

 案外短かった。声を上げたのは、黒く日に焼けた男。顔の彫は深く、鷲鼻が特徴的だ。歳はビュウの両親と大差ないだろう、その歳頃の戦士に見合った恐ろしく鋭い目付きで、男はこちらを見てきた。
 マスゥード=ハシム。『砂の民』の戦士頭、次期族長だ。
 彼は、ヒゲを伸ばした口元をニヤリと持ち上げて、
「そうであろう、ビュウ=アソル?」
 ビュウもニヤリと笑って頷いた。
「さすがはハシムの総領、ご明察、お見それしました」
「白々しい。我が部族に同じような風習があっただけの事だ」
 とはいえ、マスゥードの表情はまんざらでもなさそうだ。ふん、と息を吐くその口元は、未だ持ち上がったままだった。
 すると今度は、長机を挟んでマスゥードの反対側に立つ男が声を上げる。灰色の頭巾をかぶった、まだ歳若い青年。リベロ=アブウェル。ダフィラ革命軍の「暫定」指導者。その立場にそぐわない優しげな――と言うよりも頼りなげな風貌の彼は、考え込みながら、途切れがちに言葉を紡いでいく。
「そうか……。サウザーはグランベロスの英雄……英雄が殺された、となれば国民は仇討ちを望む……新皇帝は即位したてで基盤は安定しない……だから、実績を作って皇帝である事の正統性を主張する……帝国を上げて、反乱軍を倒そうとする……反乱軍だけじゃなく、私たちも……」
「そして戦争状態は継続、元々不安定なダフィラ情勢は麻のごとく乱れ、他国にも飛び火する」
 ボソボソと呟くのは、下座に立つ茫洋とした表情の男。アサシンギルドの長にはまるで見えないその顔は、何だかのっぺりとしていて特徴に乏しく、街で見かけてもまず印象に残らないし、おまけに年齢も判断しづらい。カラ=ギリは、聞き取りづらい声で尚も続けた。
「ならば、メリットよりデメリットの方が大きい……か。だが『魔人』、だからと言ってサウザーを捕らえてどうする?」
「それはもちろん、交渉の材料になってもらう」
「交渉?」
 頷くビュウ。
 交渉――すなわち、捕虜返還交渉である。
 敵方の将を生きて捕らえた場合、敵方と交渉の場を持って自軍側の捕虜と交換したり、あるいは身代金を吹っかけたりする。

 グランベロスという国にとって、サウザーという男の身柄と属州の宗主権、どちらが大切か?

 カラはクツクツと笑った。健康的とも豪快とも言えない、何とも不気味で陰気な笑いだ。その笑顔だけは、歴史の陰で暗躍するアサシンのトップに相応しい。
「ハイフェーツ翁が気に入っただけの事はあるな、『魔人』。
 だがその状況が成立するのは、グランベロス側にサウザーを必要とする者がいる場合だけだ。端的に言えば、忠犬パルパレオス、奴が生きて本国に帰還し、捕虜返還交渉に応じた場合のみ。もしパルパレオスが戦死し、グドルフ辺りが皇帝になったらどうする? あの男は、最悪サウザーを切り捨てる」
「いや、奴は切り捨てない」
 かぶりを振るビュウ。意外、という顔をしたのはリベロとマスゥードだけで、反論している当のカラの表情は茫洋としたまま崩れない。その唇が小さく動く。
「理由は?」
「サウザーは、生きているだけで皇帝としての正統性を主張できる。グドルフとサウザー、どっちが人気者だ?」
 グドルフが皇帝になっていようと、サウザーは生きてさえいれば皇帝として復権できる。それだけの支持を持っているし、そしておそらく、グドルフ自身がそれを一番理解している。だからこそ彼は、サウザーが確実に生きている限りサウザーを切り捨てない。切り捨てられない。
 サウザーの身柄拘束。その意図が確実に伝わったか、それを確認すべく改めてビュウは場を見回した。その時だった。

「話は、解った」

 待っていました、とばかりに声を上げる者。下座、カラと対峙する形で立つ男。これまでの議論を、ニヤニヤと、何か見世物でも見るかのような目で静観していた彼は、皮肉げに笑って藪睨みの黒目をビュウに向けた。
「けど俺が聞きたいのは、俺がうちの連中に持って帰ってやりたいのは、そんな話じゃねぇ。その戦術目標をどうやってクリアするか、その障害になるグランベロスの大軍をどうやって乗り越えるのか、そして」
 彼の言いたい事は理解している。ビュウもまた、傭兵だったからだ。傭兵たちの興味関心は、突き詰めていけば、その最後の一点しかない。
 傭兵連代表カイツ=ベクタ。
 黒髪黒目、彫が浅いながらも整った顔立ちをしているが、鋭すぎる目付きと斜に構えた態度が全て台なしにしている。ビュウにとっては古馴染みに当たるその男は、ともすれば金に対して意地汚いとさえ映りかねない薄い笑みを崩さないまま、単刀直入に尋ねてきた。

「お前は俺たちに、いくら払う?」



 バサリッ。

 その言葉に対し。
 ビュウはただ、携えてきた書類を長机に音を立てて乗せた。皆の目が書類に集中する。
 書類。いや、それはむしろ冊子と言った方が良い。上辺に開けられた二つの穴に紐が通され、綴じられているその姿は、雑ではあるが製本されていると言えなくもない。紙が黄ばんでいて、一番上のページのインクがやや色あせている事から、その冊子はそれなりに古い物と知れる。
 他の者たちがただ「?」と顔に浮かべている中で、カイツの表情は少し違っていた。彼は目を僅かに細め、射抜くような鋭い視線を冊子に注いでいる。そこに懐かしむような色と感心するような色とが同居している事に、ビュウは気付いていた。
 だから、ビュウは笑う。

(爺さん、始めるぞ)

 心の中に浮かんだ面影は、「よし、やれ」と、悪戯小僧のような笑顔で頷いた。

「俺の財産目録だ」
 言い放つ。疑問符を浮かべたままの顔がチラホラとこちらを見る。だから何だ? そう言いたげな表情。
「まず傭兵連の扱いについて改めて説明する。
 傭兵連の雇用主は、反乱軍指導者ヨヨ=フィアレ=ル=カーナ王太子殿下だ。よって、報酬も反乱軍の財政から払われる――が、今はとりあえず俺が立て替える。オッサン、これは良いな?」
「そしてその金は、カーナを解放した暁には国債扱いにする。解っておるわ」
 面白くなさそうに吐き捨てるマテライト。カイツも同様につまらなさそうだった。
「それはとっくに聞いてるぜ、アソルの坊主。つまり、俺たちにいくら払うのかはお前の胸次第って事だろう? どケチのお前の事だ、再興したカーナにも吹っかけるつもりでいるんだろ」
 ビュウは答えなかった。だが向こうにはそれで伝わるだろう。まぁ、要するに――そのつもりだ、という事が。
「話を戻す。傭兵連にいくら払うか。
 俺の作戦に参加し、指示に従う。その条件下で、必要経費は別で一人五万ピロー」
「五万ん!?」
 目を剥いたのは反乱軍側の随行員、トゥルースである。それも当然。傭兵市場において一回の出撃に対する報酬の相場は最低五千ピロー、最高二万ピロー。相場以上の法外な値で、まして、それをビュウが――ひいてはカーナ王国が払うとなれば、唖然とするのも当然だ。
「少ないな」
 しかしカイツは常識外の事を平然と吐き捨て、トゥルースはおろかリベロやマスゥードの目まで丸くなる。そこに浮かぶ色に、怒りや妬みが混じりだす。五万ピロー。大金で、しかも簡単に自分の中の価値観に転換できる数字だ。トゥルースの頭の中でも、こんな風に価値転換が行なわれているだろう――カーナ軍の士官の年俸以上の額。それだけあれば、カーナの中流家庭は一年を楽に過ごせるだろう。かなりの贅沢込みで。
「アソルの坊主、てめぇまさか、そんなはした金で俺らに命張れ、って言うんじゃねぇだろうな? だったら、悪ぃが俺は下りるぜ?」
 そんな額を、カイツは「はした金」と言い捨てる。その皮肉げな表情と挑発的な口調もあって、誰もが敵意混じりの視線をカイツに送る。だが、彼は気にする素振りを見せない。それが心地良いと言うような態度だ。

 あぁ、気付かれているな。

「まさか」
 ビュウは大仰に肩を竦める。その言葉に、仕草に、カイツの態度に怒りを見せていた面々がギョッとした。
 傭兵ごときにまだ払うつもりか、俺たちにはタダ働きさせて。怨嗟の声が伝わってきそうだ。
「だが」
 怨嗟の気配が、不意に落ち着く。その言葉の先に何を続けるつもりか、皆がビュウの次の声に集中する。
「これ以上は、完全歩合制だ。それも物納、ついでにあんたたち傭兵連だけに適用されるものじゃない」
「? どういう意味だ、アソルの坊主?」
 ビュウはニヤリと笑った。出来るだけ、不敵に見えるように。

「現在残っている、帝国軍の主立った将校・士官に、賞金を懸ける」

 トンッ。
 ビュウは、長机に置いたままの財産目録を指で叩いた。
「賞金は全部、俺の私産から出す。だからカーナ王国の国庫は一切関係なく、よって賞金首を倒した者は、その所属を問わず賞金を支払う。反乱軍だろうとダフィラ革命軍だろうと『砂の民』連合だろうとギルドだろうと傭兵連だろうと、稼ぎたい奴は死ぬ気で戦え。
 ただし、賞金首狩り参加の唯一の条件は、俺の作戦に従う事。俺の作戦から外れて独断専行した者には賞金は払わない。――ここまでで異存がある者は?」
 長机を見回す。誰の手も上がらず、誰の唇も動かなかった。代わりに、その目には先程までの不満や妬みが消えている。いきなりの話に対する不信感も見えるが、予想外の稼げるチャンスに輝き始めている。
「いないな。では、お待ちかねの賞金についてだ。
 まず、先程言った『物納』について。賞金は物納、だがただの物じゃない。上手くすれば、向こう三世代遊んで暮らせるだけの金を生み出す物だ」
 そう言って。
 ビュウは冊子を手に取り、パラパラとめくると、あるページを皆に見せた。
「例えばサスァ・パルパレオス=フィンランディア。こいつが今回の戦いの要になる事は考えるまでもない。だから奴の首には『これ』を懸ける」
 身を乗り出し、そのページを見る代表たち。次の瞬間、

 リベロの顎がガクンと落ちた。
 マスゥードの目玉が飛び出した。
 カラの表情から茫洋ささえ欠け落ちた。
 カイツの笑みから皮肉さが消えた。

 そのページに記された、ビュウの「財産」。
 ビュウ=アソル名義、ダフィラ南部にある手付かずの油田三つ。
 ダフィラの国家財政をも左右しかねない、その資産価値は五十億ピロー相当。

「他にも、親衛隊副隊長、准将ラス・リオネル=ハルファー。こいつにはこれとか」

 ゴドランド辺縁部の親魔金属鉱脈。資産価値、十億ピロー相当。

「後は、これとか、これとか、これとか」

 ダフィラやキャンベルの宝石・貴金属鉱脈。
 マハール系商会、ゴドランド系魔道工房の株券。
 一級カーナ・ワイン醸造所の所有権。
 キャンベルの西部穀倉地帯の土地所有権及び農場運営権。

「不動産がかさばって鬱陶しいなら、即物的に現金もありだ。その場合は、賞金として懸けた物の資産価値相当の金額を払う。ただし小切手な」

 その場合に動かせる最大金額は、百億ほどだったか。

「ってちょっと待って!」
 本気で慄いた様子で、リベロが叫んだ。顔色が悪い。ガタガタ震えてさえいる。
「えええええとえとえと、あの、その、アソル佐長? 貴方、今、自分が何を言っているのか解ってます?」
「そりゃもちろん」
 あっさりと頷くと、彼は顔色を更に悪化させて財産目録とビュウとを見比べ、叫ぶ。
「嘘でしょう!」
「いや、嘘って言われても」
「カーナの軍人ってのはこんなにお金持ちなんですか!? 違うでしょ! ウォリック尉長に聞きましたよ、結構薄給だって!」
 ビュウはウォリックを半眼で見やる。彼はサッと顔を逸らした。
「大体これ、全部本当に貴方が持ってんですか!? 絶対嘘でしょ!」
「じゃあ、財産目録見ます? これ、一応アルシェディアの本店がまとめた物なんだけど」
 そう言って、ビュウは冊子を長机の中央に押しやった。一瞬の静止の後、リベロは財産目録を奪い取り、食い入るように各ページをじっくり見つめる。
 これまで述べた財産は、全て、確かにビュウに所有権がある。それは、法律大国マハールの司法院や現地の法律も認めるところだし、財産管理はアルシェディア銀行の担当部署や信頼できる代理人に任せてある。任せっぱなし、と言ってしまうと頼りないが、かの銀行の専門家が携わっているとなれば信憑性は多少増すだろう。
 とはいえ、財産目録の各ページに押してあるアルシェディア銀行の認印をリベロが分かるかどうか――
「――ほ……本物、なのか……?」
 分かったらしい。信じられない、といった口調で呻いたリベロの手から財産目録を奪い取り、カラがパラパラッと素早く全ページを眺める。
「……成程。確かにアルシェディアの認印が押されている。もっとも、私は別に疑っていなかったが」
 フッと陰気に笑い、カラは財産目録をビュウの方に返してきた。
「お歴々、『魔人』はちゃんと報酬を支払うようだ。信用しようではないか? 何、もし裏切ったりしたなら、皆で小突き回せば良いだけの事。尚、その際には是非とも我がギルドのご利用を」
「そちらこそ、自分のところの兵にはちゃんと伝えて、上前をピンはねしないように。
 で、ここまでで異論のある人は?」
 最早誰からも何も上がらない。その反応に満足そうに頷いて、ビュウは離れた所に控えるトゥルースに目配せする。今までの出来事に呆然としていた舎弟は、そこでハッと我に返ったようだった。慌てて横に置いていた木箱を抱え、ビュウの側にやってくる。
「異論がないようなので、これから具体的な戦術の説明に入る。今回の作戦のコンセプトは」
 木箱を長机の上に置くトゥルース。一抱えほどもある大きさのそれは、長机に置かれると、ちょうどビュウの胸の高さまである。あらかじめ釘を抜いておいたその蓋を開け、中に入っている物を取り出し、机の上に並べ、そしてその品物に各代表たちの視線が釘付けになるのを確認して、彼は宣言した。

「『兵は拙速を尊ぶ』――短期決戦だ」


 そして、『魔人アソル』の戦術案が披露される。

 

 

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