―7―
目を覚ます直前。
ビュウは、誰かが傍から離れていく、そんな感覚を味わった。暗闇に一人取り残され、去っていく誰かに手を伸ばしても決して届かず、その誰かは振り向かないまま笑い含みの声で何かを言ったような気がして――
一瞬後には全てを忘れ、ビュウは目を覚ました。
目を射る光。白さ。それが天井の色だと気付くまで、少し掛かった。
白いのは天井だけではなかった。壁、カーテン、寝かされているベッドの布団やシーツまで、目が痛くなるほど白い。窓の外からは白々とした光。それが部屋を白く照らし出す。朝の光。
外はもう朝。朝。朝――感じるのは違和感。何かが抜け落ちているのに、それが分からない。目覚めたばかりのせいか、それとも先程から重く鈍く感じる妙な頭痛のせいか。どちらにしろ、頭が上手く働かない。それにしても、ここはどこか――
「――ビュウ?」
左手から声。見やる。
淡い空色の瞳と、視線が真っ向から絡み合った。気遣わしげな色をありありと宿したそれ。いつか見た事のある色。あぁ、そうだ、マハールで倒れた時に――
「……フレデリカ?」
フレデリカだった。あの時と同じようにベッドの側にいて、ビュウの顔を覗き込んでいる。その心配そうな表情に、ビュウは何故か、ひどく安心するのを感じた。
そうして緩々と息を吐き、掛けるべき言葉を探す。しかし寝起きの頭は上手く働かず、
「……何で、君が?」
出てきたものは、そんな如何にも気の利いていない台詞。我ながら失笑ものだった。しかしフレデリカはそうは感じなかったらしい。ソゥッと、慎重に顔を近付けてきて、
「貴方の、付き添いよ」
「……付き添い?」
「そう。無理を言って、させてもらったの。本当はいけないらしいんだけど、あの人が病院に口を利いてくれて――」
「あの人?」
「僕だよ」
割って入る新たな声。フレデリカの背後から、薄く笑ったサウルがひょっこりと顔を出した。
「経過観察兼付き添いなら、僕一人で十分、って言ったんだけどね。でも、中々押しが強くてさ、結局折れちゃったよ。君のお姫様の口添えもあったし」
「……ヨヨが?」
それは、フレデリカにとっても初耳らしかった。唖然とした表情でサウルを振り仰いでいる。彼はそんなフレデリカに微笑のまま肩を竦めてみせたが、それが何を意味しているのか、彼女は解らず混乱しているようだった。
と、言うか。
「――で」
「ん?」
「ここはどこで今はいつで何がどうなっている?」
頭は徐々に動き出す。そうして意識したのは、スッパリと途切れた記憶だった。
アルタヴェリ平野で戦っていたはずなのに、気が付けば白い部屋で寝かされていた。
ビュウの問いに、フレデリカはサウルと顔を見合わせた。先程の視線の交換とは、また違った意味合いのそれ。何かを確認し合うような。
そして意を決したフレデリカが、口を開いた。
「ここは、サウルさんの大学の付属病院よ」
「サウルの?」
ゴドランドの最高学府。そういえば、サウルはそこで専任講師をしていたのだったな、とボンヤリと思い出す。そして彼の母は魔法医療の権威で、息子たる彼も多少携わっていたようないなかったような。
「今日は、九月二日、午前九時過ぎで、貴方は半日以上眠りっぱなしだったの」
記憶は、九月一日、午後五時くらいまでしかない。あの戦闘の最中で、記憶の糸はプツリと途絶えている。
「それで、状況なんだけど――」
と、言いにくそうに、フレデリカ。ビュウは目線で先を促す。彼女はしばし逡巡してから、
「……あのね、ビュウ。覚えてないかしら?」
「何を」
「貴方、昨日の戦闘で……サラマンダーから落ちて、気絶したのよ」
ビュウはきょとんとする。
サラマンダーから落ちた? 俺が?
戦竜隊長たる者が、乗騎から落ちる――何の冗談だ、それは。
「一時は、意識不明の重体か、と騒がれたんだよ」
こちらの訝しさを察したか、サウルが先を続ける。
「落ちた拍子に頭を打って、すわ脳内出血か、ってね。で、精密検査のためにここに運び込んだ」
そうしたら、と。
サウルは不意にケラケラと笑い出した。
「魔法走査の結果は、脳波、心拍、呼吸、血圧、物の見事に全て異常なし。怪我で酷いのはひびの入った肋骨くらいで、あとは創傷、擦過傷が数え切れないほどに、頭にたんこぶが一つ。要するに君、気絶ついでにただ寝てたんだよ。半日以上」
サウルの笑いは止まらない。
「過労だよ。どうせ、ここのところ、余り寝てなかったんだろ? 君のところのパレスアーマー氏がね、けしからん、軍人たる者が自己管理を怠るとは、目が覚めた暁にはこのマテライトが直々に訓告を申し渡すとして――仮にも反乱軍の幹部が大部屋に入院とは、恥を披露するようなもの、ここは一つ個室を用意してはくれまいか――」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
ビュウはバッと起き上がると、その勢いのままサウルの胸倉に掴み掛かった。
「って事はここはあれか!? 個室か!? 一泊したらとんでもない額でぼったくられる事で有名な、伝説の病院の個室か!?」
「いや、別にうちの大学はそこまでぼったくらないよ? せいぜい相場と同じくらいのはず」
「その相場そのものが高いんだろうが!
それであれか!? 俺をここに入れたのはオッサンか!? オッサンなんだな!? うちの財政状況を知っているのかあのオッサンは!」
「いや、それは僕に言われても困るけど、とりあえず――」
間近で騒がれているにも関わらず涼しい顔を崩さないサウルは、チラリと横に目を向け、胸倉を掴むビュウの手をつついた。
「君が元気で障害の心配もない、というのはよく判ったから、少し落ち着いたらどうだい? 彼女、ビックリしっぱなしだよ」
あ、と間の抜けた声を出した横を見やる。
フレデリカは、驚きに身を退かせ、怯えたように目を瞠っていた。
その視線にバツの悪い思いをしながら、とりあえずビュウは、サウルの胸倉から手を離し、ベッドに座り直す。あー、だの、えーと、だの口の中でモゴモゴ言いながら、
「……驚かせて、すまなかった」
「いえ……元気なら、それでいいの」
そう言ってフレデリカは笑うけれど、その笑みはどこか引きつっていた。
さもありなん。けれどどうする事も出来ない。ビュウは思考を切り替えた。
「それでサウル、状況はどうなってる?」
「一言で言えば、概ね君が意図した通りだよ」
まるで用意していたかのような、滑らかかつ間髪入れない返答だった。
実際そうなのだろう。サウルは続けてこう問うてきた。
「君はアルタヴェリ平野の戦闘の事、どこまで記憶にある?」
「――……あのディジーザーとかいう骨に尻尾を叩きつけられたところまで、だな」
「成程。最初にサラマンダーから落ちた時か。その後も平気で戦っていたのに、随分と飛んだものだね。
じゃあ、手早く状況説明と行くよ。まず、昨日のアルタヴェリの戦闘について。ディジーザーは、僕が滞りなく吹き飛ばした。ラディアと特使館の部隊は魔道連盟名義で拘束、今は連盟本部に拘留中だ。いずれ連盟の方からゴドランド政府当局に一連の事件に関する報告書を提出する事になっている。それを受けて、当局はグランベロスに公然と抗議をするだろう」
スラスラと、的を得た説明。こちらが目覚めるまでの間に草稿を用意して、練習したかのようだ。十中八九、それに似た事を頭の中でしていたのだろう。
しかしそうして話している間、サウルの表情がだんだんとやる気なさそうな無表情に変わってきた。いや、むしろ、明らかに面白くないと思っているようだった。
それもそのはず。何故なら、
「全ては、君と魔道連盟と共和国政府の描いたシナリオ通りに、ね」
フレデリカが、今度こそ驚愕に目を見開いてサウルを見、それからゆっくりとビュウを見る。
サウルはいささか険のある顔でビュウを見下ろしている。
そしてビュウは、
「……それは少し違うな」
ニヤリと、不敵に、笑う。
「ゴドランド当局の本分と魔道連盟の使命、二つの事情の妥協点を作るために介入しろ、と要請された――それが真相だ」
ゴドランド当局の本分。
それは、ゴドランド共和国の独立と国益を守る事。
魔道連盟の使命。
それは、魔道士たちに倫理規定を広め、遵守させる事。破られた場合には制裁を課す事。
――ゴドランド政府は、グランベロスからの実質的な独立をもっと具体的な形にしたかった。
言い換えれば、特使を排除し、軍の再編成をしたがっていた。
軍を再び持つ事で、グランベロスの介入なしに国防が可能である事を示したがっていた。
――魔道連盟は、魔道士としてのラディアを裁きたかった。
ラディアが人間を素材にアンデッドを生成している事を掴んでいた。しかし物的証拠がなかった。物的証拠があっても、相手が特使館にいる限り手出しできなかった。
だからその全てを手に入れられる状況を欲しがった。
これが、今回のゴドランドにおける戦闘の大まかな真相だ。
「……どちらにしろ、その妥協点そのものを設定したのは君だろう。今の話し振りからすると」
「否定はしないな」
笑うビュウに、サウルははぁ、と大仰に溜め息を吐いた。大袈裟な割には、不快感も疲労感も露になっていないそれ。
そして再びこちらを見やった時には、その表情には呆れ果てたとばかりの微笑が浮かんでいた。
「まったく、君らしいやり口だよ。外交の教本にでも載せたいくらいだ。武官よりも文官の方が向いてるんじゃないか?」
「俺もたまにそう思うが、それでも俺は、王太子殿下の騎士だから」
「言うと思った」
笑うサウル。ビュウもつられて笑う。そんな二人を、フレデリカは何か得体の知れないものを見るかのような目で見ている。
「まぁ、これだけしっかりしているなら、もう退院しても大丈夫かな。肋骨も、四六時中寝ていなきゃいけないほど酷くもないしね。痛むだろうけど、それくらい君なら平気だろ?」
「あぁもちろん」
間髪入れず、力いっぱい頷く。その様にサウルはまた笑った。
「これ以上個室には泊まりたくない、と。分かったよ。医局と事務には僕が話を通しておく。それで、後は――」
その時、病室の戸がノックされた。ビュウを無視し、サウルがどうぞ、と声を投げる。
果たして扉から姿を覗かせたのは、一晩ぶりに見るトゥルースだった。その後ろには、ラッシュとビッケバッケも。
「あの、サウルさん、フレデリカさん、隊長は――」
「あぁ、もう大丈夫。少し記憶が飛んでるだけで、身体的にも精神的にも問題ない。話し合いの席に連行しても、適当に上手くやるさ。ねぇ?」
と、最後はこちらに向けての言葉。けれどビュウは頷かない。話し合いの席?
無言の問いを感じ取ったか、サウルはそのまま説明した。
「今回の一件について、当局の担当者がお姫様にご挨拶をしたいそうだ。曰く、『宗主国の不祥事に巻き込んでしまった事について、宗主国に代わって謝罪したい』――」
嘲るように朗々と、そのお題目を語るサウル。
「要するに、ゴドランド政府と魔道連盟、そして君たち反乱軍の間での事後協議を始めたい、とそういう事さ。
政府と連盟の利害調整に一番貢献した君がいないと、話にならないだろう?」
そんな親友の言葉に、ビュウはそうだな、とやる気なく笑って頷いた。
短い休息は、かくして終わりを告げたのだった。
§
ビュウは、ラッシュたちを伴って病院から去っていく。
その間際、ラッシュがサウルを見て苦々しい顔をした――
フレデリカの目には、そう映った。
「あの、それで、サウルさん」
「何かな、フレデリカ嬢」
「私たちは、あの……どこへ?」
病院の廊下である。
フレデリカを伴い、ビュウのいた個室とは別の棟を目指すサウルは、その問いに足も止めずこちらも見ず、
「君に――というか、君たち反乱軍に、かな。会わせたい人がいてね。ビュウは当局との協議に行っちゃったし、お姫様もパレスアーマー氏も政治参謀殿もそれで来られそうにないしね。仕方ないから、反乱軍を代表して君に会ってもらおう、と」
「え――ち、ちょっと待ってください」
声が上ずった。焦燥が口をついて出る。
「わ、私が、反乱軍をだ、代表? あ、あの、サウルさん、私にそんな大役――」
「え? あ、ごめん。言い方が悪かったかな。別にそんな大仰なものじゃないよ。相手は君も多分知ってる人だし」
「え……」
フレデリカは咄嗟に記憶を探った。ゴドランドに、知り合いはいないはずだ。
考え込む彼女の様子に、サウルは再びクスリと笑ったようだった。黒い後頭部が僅かに揺れる。
「会ってみれば分かるよ」
「そう……ですか?」
「うん。――実は、本音を言えば、さ」
と、今度は苦笑気味に話す。
「もしかしたら君には失礼かもしれないけど、確実を期すために、ビュウの舎弟トリオを連れていきたかったんだよ。でも、僕は彼らに嫌われてるし、会合場所への案内役も必要だったしね。で、君にご足労を願った、というわけなんだ」
「いえ、別に、失礼なんて……」
かぶりを振りながら、ふと脳裏をよぎるのは、別れ際のラッシュの表情だった。
「……仲が、悪いんですか?」
「僕は別に、どうとも思っちゃいないんだけどさ。ただ、僕はビュウとの付き合いが彼らよりも長くて、平気でビュウをけなす時もある。彼らにしちゃ、面白くはないだろうさ」
淡々とした言葉だった。それこそ、どうとも思っていないような。
会話はそれきり途絶えた。フレデリカはそれ以上の話題の種を見つける事が出来ず、黙ったままサウルの後をついていくばかり。
いや、違う。
本当は、聞いてみたい事がたくさんある。ビュウが親友と呼び、ビュウを悪友と呼ぶ、彼に。
ビュウとはどういう出会いだったのか。
昔のビュウは、どういう少年だったのか。
ヨヨとは知り合いなのか、親しいのか。
ラッシュたちとの出会いを知っているのか。
それだけではない。
あれだけの力を持ちながら、何故、カーナ防衛戦に参戦しなかったのか。
ビュウの過去を知っているのか。
ビュウとヨヨがあれほど親しい理由を知っているのか。
そして、今は何より。
ビュウの付き添いの事で、ヨヨの口添えがあった、とはどういう事なのか――
聞きたい事はたくさんあるのに、気後れしてどうにも聞けない。切り出せない。二人してただ黙々と歩くばかりで、
「あのさ」
と思っていたら、サウルが不意に声を投げ掛けてきた。心臓と体が一緒になってビクリと震え、同時にフレデリカの声も震えていた。
「は、はい?」
「失礼でなかったら、教えてもらえるかな」
その時初めて、サウルはこちらを肩越しに振り返った。
「君は、ビュウの事、どう思ってる?」
ドクリ、と。
再び、心臓が震えた。
「どう……とは?」
「まぁ、要するに――」
こちらが声を震わせているというのに、対するサウルは朗らかなものだった。まるで、世間話をしているかのようだ。こちらはそんなものではないというのに。
「極端な話、ビュウに対して恋愛感情を持っているかどうか、って話だね」
『好きな人が、いる?』
いつか、ヨヨから投げ掛けられた問いが、耳の奥に蘇る。
「恋愛感情なんて、そんな……どうして、私が?」
「いやぁ、だって」
サウルの朗らかさは崩れない。
朗らかなまま――フレデリカに言葉のナイフを繰り出してくる。
「付き添いたい、ってあれだけ食い下がる、って事は、そうじゃないの?」
図星だった。
でも、それをはっきり言うわけにはいかない。フレデリカは逃れるように彼から視線を逸らし、手の指を組んだり揉んだりしながら、
「そ、そんな……そんなんじゃ、ありません。私は別に、そういうのじゃ……。だって、ビュウはヨヨ様の――」
「そこでどうしてお姫様が出てくるのかは解らないけど、でも、この話題にはあながち的外れでもないね。あの二人は本当に仲が良いから」
そう言って、また少し笑って。
その笑みが少し寂しげだったのに目を瞠る内に、サウルはパッと前を向いてしまった。
「あ、あの――」
「ビュウの事をそういう風に思ってない、って言うなら、それならそれでいいや。でも、ちょっと残念だな。ようやく彼にもそういう相手が出来た、と思ったんだけど」
その言葉が、朗らかな声の調子とは裏腹に何だか寂しそうで。
フレデリカは、束の間、目を瞠る。
「彼は昔から、この手の事には縁がなくて――いや、少し違うな。自分から避けていた、っていうのが正しいかな。誰かを好きになったとか、誰かに好かれたとか――この僕でさえ一つか二つはあったのに、ビュウには全くなかったんだ。いつか、そっちの気があるのか、って聞いてみたら、しこたまぶん殴られたね」
それは殴られるだろう。無言でフレデリカは納得する。
「結論から先に言えば、彼はただ、誰かに遠慮しているだけなんだよ。……昔も、今も、ね」
昔も、今も。
その言葉に、言葉以上の含みがある気がした。
でもそれが何か、フレデリカには分からなかった。
だから、彼女は口を開いた。それを聞こうと思ったから。しかし、何と聞けば良いのか、それすらも分かっていない事に気付き、結局は口を閉ざす。
「僕は一応、彼の……親友、だからさ。適当に幸せになってほしい、くらいは思ってる。でも、このままだったらビュウは……」
サウルの声が暗く沈み、ついには途切れる。そこから先の言葉は、なかった。
放たれるよりも前に、サウルが足を止めたからだった。
ビュウが泊まっていた個室から、随分は慣れた場所。まるきり違う棟の、その更に奥まった病棟。その病室の戸の一つの前が、彼の足が止まった場所だった。
「……サウルさん?」
「ここだよ」
その言葉に、もう暗い調子はなかった。すっかり鳴りを潜めていた。まるで、そんな声を出した事などないように。そんな話題などしていなかったかのように。
「ここに、君たちに会わせたい人がいる。と言うか――」
言いながら、問答無用で戸を開けるサウル。ノックもなしとは、何という無礼。こちらの心の準備もまるきり整っていない。
そして、続いて見えた光景に。
フレデリカは絶句した。
そこは個室。
窓際にはベッド。
その上で、鏡と睨めっこしながら念入りに顔を叩く――化粧水を塗っているらしい――女性が一人。
少しくすんだ色合いの金髪がサッと揺れ、それに隠れていた顔が驚きに彩られてこちらを向く。
知った顔だった。
「いい加減回復してもう退院してもいい頃合いなのに、何故か中々退院していただけなくて。と言って別にリハビリに励むわけでもなく、ここのところはずっと美容にかかずらっているようでさ。病室が空かなくて困っていたんだ。これを期に、反乱軍(そちら)に引き取ってもらいたいんだけど」
カーナ騎士団が誇るライトアーマー、ミスト=パウエル――
余りにも唐突な再会に、彼女はただ呆然とこちらを見入っていた――
「――やだ、ちょっと! 何ノックもなしに戸ぉ開けてんの!? まだスッピンなのに! 乳液も美容液も塗ってないのに! ――あああお肌が乾いちゃうっ! お肌のお手入れは時間との勝負なのよっ!」
……別に、そういうわけでもなかったらしい。
再びピタピタと念入りに肌を叩き出したミストの姿に、フレデリカは、ただ肩を落とした。
§
魔道連盟、本部会議室――
そこで執り行われている協議は、順調に進んでいた。
「さて、今回の作戦に協力する報酬として、そちらから提示されたのが、エキドナ=ハヴァー教授によるヨヨ王女殿下の魔法治療と……神竜、もしくは竜の伝説に関するあらゆる情報、でしたね?」
ゴドランド政府当局者の確認に、ヨヨは一つ、大きく頷いた。
「治療費に関しては、我々ゴドランド政府が国庫から負担させていただくとして、ハヴァー教授、治療に関しては」
「もちろん、請け負わせていただく。我々魔道連盟もまた、今回の作戦で大きな利益を得た。その対価を支払う事に異論はない」
鷹揚に応じたのは、エキドナ――こちらは魔道連盟の代表として、この場に出席している。そこに口を挟むのは、会議卓に着くヨヨの背後に控える、ビュウ。
「それで、神竜に関する情報は?」
鋭く問う彼に、当局者はエキドナにチラリと視線をやった。
元々ゴドランドを目指したのは、ヨヨの治療のためだった。
しかし、マハール出発直後に、ヨヨはビュウにこう語った。
ゴドランドに、神竜がいる。
ゴドランドだけではない。全てのラグーンに、一体ずつ、神竜がいる――
だからこそ、反乱軍は、何が何でもゴドランドから帝国軍を排除しなければいけなかった。
帝国に、神竜を確保されないために。
そのために随分と回りくどい事をした。
そして、その成果は――
「結論から言いましょう。
神竜は、アルタヴェリ平野の北、ラグノデン砂漠の遺跡で確認されています」
と、エキドナはクイ、と単眼鏡(モノクル)の位置を直した。
「先頃、考古学者のレイフ=エレナードティル教授がラグノデンの洞窟内に神殿跡と、奥殿に鎮座する竜の化石らしきものを発見した、との事。そちらのお話とを突き合わせて、その竜の化石が神竜である可能性は高い。そしてエレナードティル翁によれば、洞窟内に魔物は少なく、探索は容易だそうです」
「エレナードティル翁……メロディアのお祖父様でしたね。場所は、その方しかご存知ない?」
ヨヨの言葉に頷くエキドナ。
「えぇ。ですが、動き回るのが好きなエレナードティル翁の事、ご相談すれば二つ返事で道案内を承れる事でしょう」
「分かりました。
では、ビュウ、マテライト、センダック、ラグノデンの遺跡への出立を――」
「ですが王女、その前に」
言い掛けたヨヨの言葉を、エキドナは遮った。その眼差しは、いつになく険しい。
「まず申し上げておくのは、私、エキドナ=ハヴァーは貴女様の診察及び治療を承りました。よって、これよりの私の言葉は、主治医からの言葉としてお聞きください。――後ろのお三方も、よろしいか?」
ビュウは、両脇に立つマテライト、センダックと視線を交わす。
「――当然ですな」
吐息混じりに、マテライト。
「もちろんです、ハヴァー教授」
やや慎重気味に、センダック。
「それで、何か問題でも?」
淡々と、ビュウ。
自分たち三人と、そしてヨヨとを順に見やって、エキドナはひどく感情の薄い表情を見せた。
それは、医者の顔。
「反乱軍のプリーストの方々から提出していただいた診療記録を拝見したところ――」
と、言葉を切る。僅かに考え込む仕草。
「実際に診察してみないとご病気について確実な事は申せませんが、その悪化の原因は神竜にある、と見てほぼ間違いないでしょう」
「……それが?」
抑揚のない声で、ヨヨ。凍てついた声音だ。
しかしエキドナは、その冷たさに動じる事なく、同じくらい冷ややかに言葉を紡いだ。
「もしラグノデンの竜の化石が神竜ならば、殿下のご病状が悪化する可能性は高い。
主治医として申し上げます。ラグノデン行きはおやめください」
「――いいえ」
しかしヨヨは否定の言葉を紡いだ。毅然と、敢然と。
「私は、ラグノデンに参ります」
「それでは、殿下のお身体が――」
「構いません」
「ヨヨ様」
マテライトの案ずる声に、ヨヨは淡々と話す。
「私は、カーナの王太子、ドラグナーです。ドラグナーの務めとして、……神竜の元に、参ります」
そして彼女は、チラリとビュウを仰ぎ見る。
「ビュウ、この協議が終わったら、すぐにでも出立の準備を。私は、ラグノデンの遺跡に、神竜に会いに行きます」
浮かべた表情は、悪戯をする少女のようにあどけなく――
「ハヴァー教授の診察は、その後。嫌な事は、先に済ませましょう」
……病床にある老婆のように、死の影が見え隠れしていた。
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