―6―




 光が走る。
 特使館から、左手の丘陵から、右手の市街地近くから。


 そして、その全てがアンデッドの軍団に突き刺さり、炸裂した。





§






 その光景を、メロディアは目を丸くして見つめていた。
「『ハルマゲドン』……?」
 隣に立つアナスタシアが呆然と呟く。その間にも、白光は容赦なくアンデッドたちに襲い掛かり、彼らを塵へと還していく。
 それは、ウィザードが操る黒魔法の中でも特に難しい、高位の術だった。目も眩むほどの純白の光輝によって、影すら掻き消し、邪なるもの全てを灼き尽くす、容赦のない聖光の魔法である。
 その難易度ゆえに、メロディアたちウィザード隊では戦竜の影響下にないと操れないのではないか、と目されている。そして彼女たちと組んでいるツインヘッドにはまだ強大な魔法を支援するだけの魔力が備わっていないから、論理の帰結として、今『ハルマゲドン』を放ったのは彼女たちではない。
 では、一体誰が?
 そんな疑問を抱いている内に、地平を埋め尽くすほどいたはずのアンデッドの兵団が、綺麗にいなくなってしまった。大掃除を連想させるほどの綺麗さである。
 それに唖然としているのは、ウィザード隊だけではなかった。前線で敵を押さえていたマテライト率いるヘビーアーマー隊やランサー隊、後方から神竜召喚を連発していたヨヨたちや、彼女たちを守っていたルキアたちライトアーマー、傷付いた前線部隊を白魔法で治療していたプリースト隊、誰もが皆、僅か数分で見晴らしの良くなったこのアルタヴェリ平野の光景に絶句し、目を丸くしている。特使館の方にいるビュウたちも同じようだった。
 閑散とした印象すらある平野に、風が吹く。ほんの数分前まで気持ち悪くなるような嫌な臭いを乗せた風だったのに、今は爽快ですらあった。
 あれだけいたアンデッド兵たちは今や影もない。腐った肉も、ボロボロの骨も、彼らの錆び付いた武具も、その腐臭さえ、全て塵となって消えてしまった。残っているのは、地面に刻まれた彼らの足跡。それすらも、すぐに消えてしまうだろう。
 そしてその中を。

 どこからか、黒い人影が無数に現われ、アンデッドのいなくなった平野に展開した。

「何者だ!?」
 突然の事態に、マテライトが鋭く誰何する。しかし、それに答える声はない。
 ――いや。

「……おや、これはこれは、エレナードティルのご令嬢」

 何の脈絡もなく、唐突にすぐ傍から聞こえた声に、メロディアはギョッとして脇を見た。
 アナスタシアの反対側。そこに、一体いつからいたのか、黒衣をまとった女がいる。その女の声に、皆が警戒し、構えを取った。
 しかし、女の態度は呑気なものだった。緩やかで何気ない動作で腰を折り、こちらの顔を覗き込んでくる。
「久しく。私の事は、覚えておいでで?」
「え……?」
 首を傾げるメロディア。対して女はニコリと微笑む。それは、決して悪意のある笑みではなかった。
 見た事がある。彼女は直感する。だから観察する。歳は、おおよそ、三十路を大分過ぎたくらいか? 見た事のある、涼しげな美しさをたたえる容貌。右目を隠すように伸ばされた黒髪と、その隙間から覗く真っ白な肌、切れ長の黒瞳、左目に掛けられた単眼鏡(モノクル)。襟の高い黒のマントに、首元から足元までを隠す丈の長い黒のローブ。
 単眼鏡(モノクル)。
 ピンと来た。ゴドランド人にとって、それを掛けた女といえば一人しかいない。ゴドランド人であれば誰もが、そして、ゴドランド人でなくても魔道に携わる者なら誰でも知っている、オレルス最高の魔道士と称えられる魔女。
 瞬間的に、メロディアは思い出した。芋蔓式に、相手といつ頃、どこで出会ったか、その時誰が傍にいたか、その全てを。
「――ママの、お友達? 教授って、呼ばれてた……」
「おや、思い出していただけたか、メロディア=エレナードティル嬢。以前お会いした時は貴女が三、四歳だったというのに、よく覚えておいでだ」
 メロディアの母が「教授」という敬称を持って呼んでいた女は、笑みを深くした。懐かしそうに細められたその眼差しが優しくて、不意に、母親を思い出してしまう。
「貴女が国をお出になってから、随分と心配したものでした。いくらエレナードティル家は冒険家の血筋とは言え、貴女はまだ幼子。我が友の忘れ形見がどこぞで危ない目に遭ってはいないかと、気を揉みました」
「――ハヴァー教授、アンデッドの掃討、完了しました」
 その言葉が終わるか終わらないかの時、展開していた黒衣たちの内の一人が女に歩み寄り、そう鋭く報告した。黒いローブをまとったウィザードだ。まだ若い。アナスタシアよりも歳下ではないだろうか? そしてビュウたちのように敬礼をしていないから、軍人ではない。
 学生だ、と瞬間的に判断した。
 報告を受けた女は、そうか、と短く応じた。それから再びメロディアの顔を覗き込み、
「失礼、エレナードティル嬢。先に無粋な仕事を終わらせなければならないので。――そうそう、貴女の祖父君がお帰りになられています。この戦いが終わった暁には、どうぞお会いなさい」
「お祖父ちゃんが?」
 おうむ返しに問い返すメロディア。女は頷く。放浪癖を持つ祖父は、ゴドランド戦役の折にメロディアとゴドランドから脱出して以来、行方不明になっていた。死んではいないだろうと楽観していたのだが、まさか時期同じくして帰っていたとは。
 失礼、という小さな言葉と共に、女はメロディアに背を向けた。歩く度に黒いマントが揺れ、衣擦れのささやかな音が聞こえる。その所作はこの戦場には似つかわしくないほど優美で、妙に現実離れしていた。
 一歩、二歩。特使館へ向かう教授の称号を持つ魔女は、唖然としたままのマテライトたち前線部隊をあっさりと追い越し、そして不意に立ち止まる。
 一拍の静寂。
「我々は、ゴドランド魔道連盟執行部である! グランベロス在ゴドランド特使メロゥ・ラディア=ホーント将軍に通告する!」
 その静寂を破って張り上げられた声は、凛然と、そして朗々と、荒野に響き渡った。
 驚愕すべき言葉を伴って。

「先程の戦闘において、我々は、死霊喚起術(ネクロマンシー)の不正使用を確認した! よって我々は、魔道条約第五十九条違反の現行犯により、貴殿を拘束する!」

『単眼鏡(モノクル)の大魔女』エキドナ=ハヴァーの宣言が、その戦いの結末を決めた。





§






 魔道条約。
 魔道士たちにとっては、国家の法よりも強大な拘束力を持つそれは、全ての魔道士たちに通用される魔法に関する倫理規定であり、罰則規定である。それを守る事は魔道士たちの当然の責務で、違反すれば、栄光ある魔道界から弾き出され、外法者という汚名を着て一生を過ごす事を余儀なくされる。
 良識ある近代国家は、即座にこの条約を批准した。そうしない事は、魔道士たちの犯罪を国として黙認している、と言っているようなものだったからだ。
 そうして戦前には全ての国が批准し、現在、グランベロスはこの条約の破棄をしていない。
 つまり、魔道条約は、グランベロス人、及びグランベロスの属州の魔道士たちに対して今も尚グランベロスの刑法以上の効力を誇る――


「異議あり!」
 抗議の声が響いた。
 それは、ラディアの背後にいたグランベロス士官のものである。彼は敢然とエキドナに向かって怒声を浴びせ掛ける。
「講和条約の特使特権の条項を忘れたか!? 在ゴドランド特使の行為について、ゴドランド政府及びゴドランド魔道連盟は、一切の干渉を禁止されている! ホーント将軍の行為が如何に魔道条約違反でも、それで将軍の拘束の権限を持つのはグランベロスの魔道連盟支部! ゴドランド魔道連盟ではない!」
 得意げですらある反駁に、しかしエキドナの声は、断罪の響きを決して損なわないまま放たれた。
「そちらこそ忘れたか? その条項は、あくまで特使館敷地内にのみ限定されている事を! 特使が今どこにいるか、そして特使がどこで死霊喚起術(ネクロマンシー)を使ったか、今一度確かめよ!」
 その瞬間、士官は凍りついた。すぐに硬直から脱すると、自分と、ラディアの立ち位置と、特使館の位置とを交互に確かめ、青ざめる。
 今更気付いたらしい。

 自分たちが、特使館の敷地の外にいた、という事を。


 ――ゴドランドが内政干渉を封じる代わりに、グランベロスの在ゴドランド特使に認めざるを得なかったのが、特使特権である。
 その特権の内容は、主に、ゴドランドの法が適用されない事と、ゴドランドにいる全てのグランベロス人を無条件に保護できる事。解りやすくいえば、特使は人を殺してもゴドランドでは罪に問われず、ゴドランドの警察機構に逮捕されたグランベロス人を、同国人であるというそれだけの理由で保釈させられるのだ。
 だが、ここに一つの制限がつく。
 それはあくまで、特使館の敷地内に限られるのだ。
 つまり、ゴドランド共和国にゴドランドの法が及ばず、グランベロスの法のみ適用される、ごくごく小さなグランベロス帝国の飛び地があるのだ。国内の「外国」であるところの特使館の敷地の中で何が行なわれていようと、ゴドランドの人間に口出しする権利はない。
 だから、特使は敷地の中だけで好き勝手するし、同胞を保釈させたら、すぐに特使館で保護しなければいけない。
 しかし、一歩外に出れば、そこはゴドランドなのだ。
 特権の及ばない「外国」。そこで法を破れば、例え特使といえど、ゴドランドの法によって罪を問われなければいけない。

 だからこそ、ここでエキドナたち魔道連盟執行部が動かなければいけなかったのだ。
 特使館という、事実上のグランベロス駐留部隊をゴドランドの国益を損なわない形で撃破するには、魔道連盟の力が必要不可欠だったのだ。


 荒野に響く声の中、ビュウは、ラディアから目を離さないでいた。
 条約違反を宣告される事。それが魔道士にとってどれだけ致命的で衝撃的であるか、ビュウはよく知っている。ラディアが錯乱して暴れる事があれば、即座に取り押さえられるようにしておかなければいけなかった。
 そう――ここで、ビュウたちがラディアを殺してはいけないのだ。この局面に持ってきたのならば、その生殺与奪の権利は、最早ビュウたち反乱軍ではなく、エキドナたち魔道連盟執行部にある。
「……な、なぁ、ビュウ」
「何だ、ラッシュ?」
「あの小母さん、何なんだ?」
「ゴドランドの最高学府の筆頭教授」
「は?」
「でもって、うちのお向かいさんで、俺の母さんの三十年来の親友」
「はぁ?」
 きょとんとした顔でこちらを振り仰ぐラッシュ。確かに、「筆頭教授」と「お向かいさん」は結び付かないだろう。ビュウは横目で彼を見やって、
「ちなみに、見た目は三十代だけど、ああ見えて実は四十も半ばのはずだから気を付けろ」
「いや、そんな事聞いてねぇし」
「詳しい事は、後でゆっくり説明してやる。今は、ラディアから目を離すな。どんな暴走するか判らないぞ」
「あ、あぁ」
 と、ラッシュは慌てて視線をラディアに戻した。だが、
(落ち着いてるな……)
 それがビュウの印象だった。ラディアは、静かにエキドナの言葉を受け止めていた。
 先程、培養槽を破壊した時に見せた激情は、凪の水面のような表情からは読み取れない。それが、観念したからなのか、それともいわゆるところの「嵐の前の静けさ」なのか、少し判断できなかった。
 状況としては後者だと思うけれど、
(その割には、雰囲気が……)
 表情と同じく、凪の水面を想起させた。表情からも立ち姿からも雰囲気からも、目に見えて肌で感じられる全てから、抵抗や錯乱の予兆は感じ取る事が出来ない。
 普通ならあるはずのそれが、ない。それが、やけに不気味だった。
 一本の芯が抜けてしまったような、呆けた無表情。寝ぼけた顔、という形容が一番近いか。どこかぼんやりとしていて、立っている事さえ億劫そうに見える。
 そして。
 一番近いビュウたちでさえもあるかどうかが分からないほどに薄い唇が、小さく動いた。
「そうか……」
 紡いだ言葉は、それ。
 その余りの短さと素っ気なさと呆気なさに、思わず拍子抜けし、
「では、皆殺しだ」

 パチン。

 指が鳴る。

 ラディアの背後にあった特使館が、何の脈絡もなく膨らみ、破裂した。



 予想外の事が目の前で起きると人間というものはただ呆けてその光景に見入り、咄嗟に行動できないものである。
 そして、「予想外」に慣れているはずのビュウでさえ、さすがにこの時は動けなかった。
「……何だありゃ」
 自分の口から漏れた声は、間が抜けていて、現実味に欠いている。
 いや、現実味に欠くのは眼前の光景か。双剣を構える事さえ思いつけないまま、ビュウはただ、ぽかんと口を開けて四散した特使館を見つめる。
 正確には、その中を。
 砕け散る屋根の下、粉々になる壁の向こう――そこに、何かがうずくまっている。
 モゾリ、と動いたそれが、この薄闇の中にその姿を現わす。

 例えて言うなら。
 骨細工、だった。

 無理矢理形容するならば、骨で作った巨大な竜……だろうか?
 背部から突き出した腕と思われる二本の長い骨が、前傾姿勢になっている体全体を支えている。その二本の骨が動き、骨格だけの巨大な体を、ゴゾリ、ゴゾリと前へと動かしていた。
 そして、鋭角的なシルエットをした頭部――頭蓋骨? ――が、不意に鎌首をもたげ、
「――退けぇっ!」
 ビュウの警告は、完全に遅れを取った。

 ゴヴァァッ!

 口蓋から吐き出された闇色の炎が、硬直していた執行部のウィザードたちを飲み込む。
 悲鳴と怒号。ギリリを歯を噛み締めるビュウの耳に、耳障りな哄笑が聞こえた。
「あははははははははははははっ! 刮目せよ、ゴドランドの無学な魔道士ども! これが私の研究の集大成、ディジーザーだ! お前たちが顧みなかった死霊喚起術(ネクロマンシー)の真骨頂、とくと見るが良い!」
 竜もどきの骨細工ディジーザーは、ゆっくりと、その針路を彼方の市街に向ける。
「――街へ入れるな! 総員、『ハルマゲドン』詠唱用意!」
 エキドナの指揮に、ウィザードたちが揃って詠唱の口上を始める。
 荒野に低く響く詠唱句。刹那の間隙、そして、
「「「ハルマゲドン!」」」
 無数の声が、詠唱の結尾を高らかに轟かせる。甲高い轟音と共に、純白の光がブワリと膨張、炸裂した。
 ――が。

「効いていない……!?」

 その悲鳴は誰のものか。
 光が消えた爆心地。そこに、ディジーザーは小骨一つ欠かす事なく泰然たる様子でズルリズルリと動き出していた。
 あり得ない。誰かが囁く。囁きは重なり、悲鳴にも似る。
 あり得ない。ビュウは思う。アンデッドを容赦なく浄化させる魔法、それが『ハルマゲドン』だ。その『ハルマゲドン』の多重発動の直撃を受けておきながら、何故あのディジーザーなる骨細工はああも平然と動いていられるのか――

「フレイムゲイズ!」

 ディジーザーの足元(足元?)、炎が天を衝く。火柱はすぐに消え、焼かれた骨がボロリと崩れた。

「――成程」

 その声は、ギョッとするほど間近で聞こえた。

「生物のような造形で動くから錯覚しがちだけど、あれはスケルトンのような骸骨に死霊が宿ったタイプとは少し違うのか。むしろ、カルシウムの造形物に死霊を憑依させて動かしている、というところか……――『ハルマゲドン』の効きが悪いから、そのままのアンデッドではない、と思っていたけど、これはこれで厄介かな」

 聞き慣れた声だった。
 慣れすぎて、いい加減忘れる事も出来ない、それほどに耳に馴染んだ声だった。
 振り返る。
 深緑のローブ。黒縁の眼鏡。黒髪黒目の平凡な造作は、深く思索に沈む静謐な表情に彩られている。
 ビュウよりも頭半分ほど背が低い、同い年ほどの青年。彼は、自分に向けられた視線に気付くと、パッと気安く顔をほころばせた。

「やぁ、悪友」
「よぉ、親友」

 街中の往来で偶然すれ違ったような、そんな何気ない挨拶。
 しかしサウル=ハヴァーはビュウの隣に並ぶと、突然の登場に唖然とするラッシュたちを置いてけぼりにして話の続きを始めた。
「さて、骨の燃焼温度は知ってるかい? 人骨は、おおよそ一千度から一千三百度程度で完全な灰になる。あれが純粋な骨かどうかは実際に採取して調べてみないと分からないけど、どちらにしろ、あれだけの量の骨だかカルシウムだかを『フレイムゲイズ』で完全に焼き尽くすには、高位の術者を何百人という単位で集めないといけない。つまり、『フレイムゲイズ』で攻めるのはちょっと現実的じゃないね」
「で、『ハルマゲドン』の効きが悪い理由は?」
「多分、死霊が憑依している部位――安直に言って、『核』だね。それがあれの動力源でもあるんだろうけど、周囲の骨に阻害されて魔法が届かないんだろう。そもそもアンデッドに『ハルマゲドン』が聞く理屈っていうのは、対象表面ににじみ出る死霊の気、専門用語で瘴気って言うけど、それを浄化する事で削り取るからなんだ。つまり、瘴気が出ないくらいに上手くコーティングすれば、アンデッドでも『ハルマゲドン』は効かない。あの骨細工は、そのコーティングでもあるんだろうさ」
「成程」
 つまり、洗い流そうと思っても完全密封で中身そのものが出ていない、という事か。そうなると問題としては、
「『フレイムゲイズ』は火力が足りなくて、『ハルマゲドン』は防がれて――で、対策は?」
「手はない事はない。ただ、少し時間が要る」
 そう言って。
 チラリとこちらを見るサウル。
 見返すビュウ。
「頼んだ」
「任せろ」
 そんな短いやりとりと、ほぼ同時。

 ディジーザーは、強敵の存在を察知したか、針路をゆっくりとこちらに変えた。

 ビュウはサラマンダーを呼ぶ。バサリ、と翼の鳴る音。すぐ傍に着地したサラマンダーに乗り込みながら、彼は口早に舎弟たちに指示を出す。
「お前ら、ここでサウルの護衛をしろ。いいな?」
 硬直していた彼らの内、ハッと我に返ったラッシュが身を乗り出してくる。
「待てよビュウ! あんた一人でどうにかなると――」
「周りに他の連中もいる」
 そちらの援護を期待する、と暗にほのめかし。
 ビュウの合図で、サラマンダーはフワリと飛び立つ。
 高度を取り、急降下。速度をつけてディジーザーに肉薄する。瞬間、ディジーザーから放たれる黒い炎。指示を出すまでもなく、愛竜はそれを危なげなく回避した。
 こちらの役割は、あくまで時間稼ぎ。
 そして夜空にも目立つサラマンダーで周囲を飛んでいれば、自然と展開しているゴドランドの執行部も反乱軍も援護しなければという気になってくるはず。
 どちらにしろ、サウルの手口は読めている。それほど長く引きつけておく事はない。
 低く歌うような、ビュウには理解できない言葉の流れ。サウルの声によるそれを聞きながら、ビュウはディジーザーの動きに注意を払う。
 と、もう一度放たれる炎。再びサラマンダーがそれをかわし――

 ――ブォンッ!

(――――っ!)

 それに隠れて振り下ろされる、骨の尾。
 気付いた時には遅かった。ビュウは、子供の胴ほどもある太さのそれに胸を打ち据えられ、サラマンダーの背中から大きく投げ出される。
 砕ける胸甲。あばら骨がメキリと軋むその嫌な音を聞く。
 胸から全身へと駆け巡る激痛。肺が潰され、中の空気が無理矢理に吐き出される。呼気に混じる鉄臭さに、折れたあばらが刺さったか、と恐ろしい想像をめぐらせる。
 そうして頭から落ちながら、ビュウは内心で毒突いた。
(フェイント、だと……!? 骨の分際で……――)

 意識が、闇に落ちる。



 そして刹那。
 サラマンダーの背から地面へと、頭から投げ出された「彼」は、宙で器用に一回転、ストン、と何事もなかったかのように着地した。
 その様は余りにも平然としていて、たった今、胸を強打された事など感じさせない動作だった。
「彼」は周囲に視線をめぐらせた。歌うような詠唱が聞こえる。サウルのものだ。幼馴染みの危機の中、彼は心を乱す事なく、淡々と、精神を集中させて詠唱句を紡いでいる。
 その中、「彼」は剣を構えた。ここで骨細工を食い止め、時間を稼ぐ事。それが今の自分の仕事らしいから。
 そんなこちらの様子に、骨細工は色めき立ったようだった。怪訝そうに動きを止め、それから長い腕の一方を、慌てたように「彼」に向けて振り下ろす。
 対する「彼」は、顔色一つ変えず、左の剣を頭上に水平に掲げた。

 ――ギィンッ!

 僅か一刀のみで、その振り下ろしを完全に防ぎきる。
 直後、「彼」は押し付けられた衝撃に流されるように右に飛ぶ。ズズゥン、と地面にめり込む腕。
 その横に立ち、彼は右の剣をザクリと地面に突き立てた。流れるような動作で開いた右手を左の剣に添え、背を大きく逸らし、大上段に振りかざす。

 バガァァンッ!

 断ち割られる腕の骨。骨片舞う中、「彼」の滑らかな動きは止まらない。
 左の剣を捨てる。極太の骨を叩き折る、というその衝撃に負けて刀身の半ばから折れてしまった剣は、使い物にならない。突き立てていた右の剣を取り、今度は断ち割ったその切り口に、刃を当てる。
 そして、そのまま骨細工の本体に向かって、走り出す。
 バキィッ、と音を立て、腕の骨が上下真っ二つに割れていく。ひび割れはバキバキと走り、ついには付け根にまで達する。それを見届けた「彼」は剣を大きく上に払い、割れた上半分を跳ね上げさせた。バキリ、という音と共に、明後日の方向に飛んでいく上半分。そして骨細工は、腕一本を失ったために体のバランスを崩し、グラリ、と地面にその身を伏せた。
 それを見届け、「彼」は再びサラマンダーの背に乗る。ちょうど良いタイミングだったから。


 詠唱の結尾が唱えられる。
 そして青年の雄々しい声が、荒野に凛と響き渡る。

「バグデム!」

 刹那。
 生まれ出でたのは、光。
『ハルマゲドン』のそれのように、見惚れるほどに美しい純白ではない。『フレイムゲイズ』の炎が見せる叙情的なものでも、『サンダーゲイル』の雷が見せる清冽なものでもない。
 いわばそれは、原始的で暴力的で圧倒的な光。
 見るだけで恐怖に背筋が凍るような、本能に訴えかけてくる光。
 光は膨張し、破裂し、ディジーザーへと一直線に走り、ぶち当たる。
 耳を聾するほどの轟音。
 吹き飛ばされるほどの衝撃波。
 荒れ狂う光と熱と大気に晒された者たちは、口々に悲鳴を上げる。

 そして――

 全てが消えた後、残ったのはポッカリと開いた穴。
 地面を焦がし、溶かし、そして何も残していない。
 ……あれだけあった骨は、すっかり掻き消えてしまった。


「そ、んな……!?」
 余りにも一方的な光景に、ラディアが驚愕の声と共にガクリとひざまずく。
 残ったグランベロスの士官たちも皆、恐ろしいほどの破壊に声を失い、戦意を完全に喪失している。

 これが、終結となった。

 それらを見届け――

「――ビュウ!」

 叫ぶサウルの声を聞きながら、意識を失くしたビュウは、再びサラマンダーの背中から地面へと落ちていった。
 地面に落ちる、その瞬間。
 こちらをジッと見つめる、自分によく似た金髪碧眼の少年を見た――ような気がしたが、すぐに意識は暗転したので、定かではない。





§






 聖暦四九九九年、九月一日。
 この日、魔道条約違反により、メロゥ・ラディア=ホーントがゴドランド魔道連盟に拘束される。
 最上層の宗主国と最下層の属州という位置関係にあって、それは、事実上のゴドランド共和国解放だった。

 

 

 

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