―5―




 不意に、日がかげった。
 しかしそれが「かげり」程度では済まされないほどの闇だと気付き、ラッシュはギョッとして叫んだ。
「なぁ、ビュウ!」
「何だ!?」
 サラマンダーの首元で、前傾姿勢のまま怒鳴り返してくるビュウ。視線はこちらに向けもしない。それはサラマンダーに針路の指示を出さなければいけないからだ。編隊飛行をしている戦竜たちの水先案内人役、それが、反乱軍の中で唯一、何度かゴドランドでの戦闘経験を持つビュウが担った役割だ。
「もう夜なのか!?」
「あぁ!?」
「だから! もう! 夜、なのか!?」
 夏のこの時季、太陽が地平に沈むのはどこの国でも遅い。まして、現在時刻は午後四時。カーナだろうとマハールだろうとグランベロスだろうと、まだまだ太陽は精力的に活動中の時間帯だ。
 それなのに、この夜と見紛うばかりの闇は、
「影だ!」
「……はぁ!?」
「だから、上層の、キャンベルの影だ! ゴドランドはもう入影の時間帯、実質的な夜なんだよ!」
「忘れたのですか、ラッシュ!」
 と、今度はすぐ隣のトゥルースが怒鳴ってくる。
「ゴドランドは、オレルス最下層のラグーンです! 上層のマハール、キャンベルが光を遮るから、他の国より昼が短く、夜が長いんです!」
「だからって、こんな極端なのかよ!」
 ほんのついさっきまでは僅かに黄色がかった夏空が頭上にあったのに、今はもうその色も黒く沈んでいる。
 夕焼けすら、なかった。
 余りにも素早い昼から夜への転換は、およそ情緒に欠けていて、反論を許さないほどに一瞬の出来事だった。
「こういう国なんだよ、ゴドランドは!」
 飛行中で耳元では風がうるさく唸っているだろうに、それでも背後の会話を聞き取っていたらしい。ビュウは叫んでくる。
「この季節でも日の出は午前十時、日の入りは午後四時! 年間平均日照時間はたったの五時間程度! そのせいで冬は極寒、夏でも涼しいを通り越して寒くて仕方ないから冬物が手放せない! おまけに!」
 そこで初めて。
 ビュウは、視線を前方から僅かに外す。
 向けた先は、眼下を流れるように過ぎていくゴドランドの大地だった。
「植生は貧弱! 言っちゃ悪いが殺風景だ!」
 その通りだった。
 見渡す限りの荒野。所々に見える緑は、日光がなくとも育つコケ類やシダ類だろう。疎らに立つ木々の緑は精彩に乏しく、およそ「立派」という単語には程遠い。
「基本的に人間が住むのに最適な環境じゃない! だから、この国では魔道が発展した!」
 それが、魔道国家ゴドランドの背景だという。
 必要は発明の母。人が住むには苛酷な環境の中で、ゴドランド人は魔法という力を発展させる事により、その過酷さを克服してきた。
 暖を取るために、火の魔法を。
 土を耕し、効率よく作物を育てるために、土の魔法を。
 蔓延する疫病を克服するために、治療の魔法を。
 そうしてゴドランドにおいて魔道士たち――魔法を使う者の総称で、ウィザードやプリースト、ワーロックもこの中に含まれる――の地位は向上し、互助組織を形成、それはいつしか世界レベルにまで拡大し、とうとうゴドランド共和国に引けを取らない権力を誇る汎世界組織となった。

 それが、ゴドランド魔道連盟。


『というわけで、今回の作戦はゴドランド魔道連盟の要請の元に展開する』

 ――ファーレンハイトを発つ前に行われた作戦会議で、ビュウは開口一番にそう言った。
 ゴドランドは、キャンベルの『草原の民』『森林の民』やマハールの司法院のように、帝国に反抗する理由が表向きには存在しない。だから、これまでのように現地の反乱勢力と協力して全面的に解放戦、というわけにはいかないのだ。
 それは既に、皆に伝わっていた。
 問題は、「ならばどうする」だ。

『我々はあくまでゴドランド政府に正式に認められた旅客として入国し、王太子殿下の治療のために、大事を取って皆で戦竜に乗って首都に向かう――これが、我々の表向きの行動理由だ』

 それからビュウは、まぁこっちの一番の目的は治療だけどな、と小さく付け加えた。

『この表向きの大義名分は、何が何でも貫き通さなければならない。というのも、我々反乱軍とゴドランド政府の間に何らかの協議があった、と現状でグランベロス本国に把握されるのは具合が悪いからだ。そのため、我々はそのように行動し、作戦を遂行する』

 正直な話。
 ラッシュは話を聞いていて、随分とゴドランドに気を使うな、と思った。
 いつかビュウから聞いた話によるゴドランドの印象は、余り良くない。ゴドランドは政治的判断とやらで多くの兵士を犠牲にし、例えそれが苦肉の策であっても、グランベロスの支配を受け入れた。
 今回の作戦は、要するにゴドランドをグランベロスから解放するためのもの。それだというのに、ゴドランド側の勢力がほとんど関わってこない、というのはどういう事だ? しかも、「要請」なんていうオブラートに包んだ上から物言う態度は一体何様のつもりだ?

『何か……気分悪ぃな』

 作戦会議の雰囲気にはいつの間にかギスギスした空気が混じり、皆の気持ちを代弁するように、ラッシュはボソリと呟いた。
 自然と集まる皆の視線を受け、そのまま発言を続けた。

『だって、そうじゃねぇか。ゴドランドはグランベロスから解放されたい、そうだろ? だったらゴドランドも戦うべきじゃねぇのか? ゴドランドの連中は表向きだろうと何だろうと動かねぇで、何でそんな奴らのために俺たちだけが戦わなきゃならねぇんだよ』
『そこはそれ、ゴドランドにもゴドランドの都合があって――』
『そんな都合で俺たちだけが命懸けなきゃいけねぇのは何でだ、って聞いてんだよ俺は』

 弁解しようとするビュウに、半ば喧嘩腰で反駁するラッシュ。
 緊張感をはらんだ空気に、しかしビュウは、おどけたように肩を竦めた。
 それがまるで馬鹿にされているようで、ラッシュは食って掛かる。

『大体それじゃ、ゴドランド戦役で政治家に使い捨てにされた兵士たちと同じじゃねぇか。ビュウ、あんた、仲間がゴドランドの捨て駒になっても良いのか、って言うのかよ!』
『んなわけあるか、このアホ』

 あっさりと切り捨てられ、ラッシュはそのすんなりさについポカンとしてしまった。
 そしてそれを見、皆をグルリと見回してから、ビュウは続ける。

『良いか、この作戦がどう転ぶかは、まだ俺にも分からない。だからこそ、何もなかった時のために、表向きの大義名分を通す必要がある。そして、俺たちが表立って動く理由は――』

 ビュウの顔は、いつもと同じく、どこか本心の読めない平静とした表情だった。

『その方が、平和的に解決するからだ』


(一体何が『平和的』だってんだよ。平和? 俺たちは戦争してるんじゃねぇのか? カーナをグランベロスから解放してないってのに、平和も何もあったもんじゃねぇだろ)
 ビュウは結局、あの会議で反乱軍がすべき事だけを皆に伝えた。それがどういう意図を持つのか、ビュウの思惑通りに行った作戦が最終的にどんな結果をもたらすのか、それはいつも通り、ビュウの胸の内に秘められたままだ。
 半ば八つ当たり気味に胸中で毒突きながら、ラッシュは、地平線の向こうに丘の稜線とは違う起伏を見出した。
 直線的な凹凸の連なり。影の薄闇の中、それが何かをラッシュは知る。
「ビュウ! 街だ!」
「見えている!」
 これまで飛んできた時間と距離、そして方角から考えれば、あれがゴドランドの首都、という事になる。
 それを確認すると同時に、先頭を飛ぶサラマンダーの針路が僅かに変わった。街へ向かう針路に角度を加え、弧を描くようにして街から離れていく。
 そして、針路を変え始めてから一分も経たない内だった。

 ヒュンッ――

 斜め下前方から。
 高速で何かが飛んできて、サラマンダーの首をかすめた。

 ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!

「――サラ!」
 ビュウが叫ぶ。それをきっかけに、サラマンダーが飛んでくる何かに対して炎を吐いた。
 ラッシュは見る。
 地上から射掛けられる、それは無数の矢だった。
 それも、何故かボロボロな――
「サラ、向こうの木立に降下だ!」
 ビュウの指示を受け、サラマンダーは速度を上げた。





§






 攻撃の第一波は失敗。
 反乱軍の兵士を誰一人討ち取れなかった、という報告を、彼女は眠たそうな半眼のまま、無表情に聞いていた。
「反乱軍と思われる竜の飛行編隊は、南の木立に降下した模様。――閣下、ご指示を」
 椅子の手すりに頬杖を突いて、彼女はゆるりと視線をめぐらせる。
 その先には窓。その向こうには庭。
 特使館の庭は、広さだけは十分にあった。そして、この館の主たる彼女が無頓着なせいで、花壇は作られておらず、よって彩りというものは存在しない。
 ――いや。
 あるには、ある。兵士たちの演習にも使えるのではないか、というほどの広さを持つ庭に、等間隔に並ぶ「それ」。人の背丈ほどもあろうかというほどの高さの筒が、下に何やら赤黒い蔓のような物を絡ませ、内部に宿した燐光を明滅させている。
 それは、見る者が見れば慄然とする代物だった。
 色素の薄い瞳で「それ」を見つめていた彼女は、大儀そうに、
「……あれを開封しろ」
 ハスキーボイスが紡いだ言葉に、報告に来ていた部下は一瞬きょとんとし、それから目を見開いて顔色を青ざめさせた。それから間を置かずあたふたと、
「し、将軍閣下――あれは、その……色々と問題が」
「問題?」
 そんな事は初めて知った、とばかりの無邪気ですらある口調で、彼女。部下は大きく何度も頷いて、
「そうです。特使館があれを秘匿していた、という事が知られたら、対外的に――」
「そんな事か……くだらん」
 懇願混じりの部下の言葉を、彼女はそう一蹴する。
「そんな事には興味がない。私の興味は――」
 そこで初めて。
 彼女は、表情らしいものを浮かべた。
 病的なほどに白い肌。薄い唇。血色が良いとは到底言えないその唇が、微かに、歪んだ形を描く。
 笑み、に見えなくもなかった。
 そのまま彼女は椅子から立ち上がると、どこか力の抜けた足取りで、窓辺に歩み寄った。そして、不意に両手を広げ、
「――さぁ、お行き、私の可愛い僕(しもべ)たち。朽ちた身に破れた鎧をまとい、骨透かす手に錆びた剣を携え、最早疲れを感じぬその足でどこまでもお行き。そして……――」
 窓ガラスに、彼女の顔が映る。
 背筋が凍るほどの不気味な喜悦が、そこにあった。

 私の前に、新しい僕を連れておいで。


 かくして、幽谷の魔女、在ゴドランド特使メロゥ・ラディア=ホーントの攻勢が始まる。





§






「フレイムヒット!」
 ビュウが左右の剣から放つ炎刃が、兵団の前線を薙ぎ払う。
 断末魔の叫びもなく、無言の静寂のまま、敵兵たちは炎に焼かれて倒れる。しかし後続の兵士たちは、倒れる戦友などには目もくれず、倒れ伏したその体を踏みつけてビュウたちに迫る。
 ガチャリ、ガチャリ。無言の兵団が奏でる耳障りな金属音の重奏。それを破るように、後方のウィザードたちの声が闇の戦場に響き渡る。
「「「「フレイムゲイズ!」」」」
 巻き起こる炎の渦は、その内に兵士たちを取り込んで激しく燃え盛る。
 しかしそれでも敵の攻勢は止まらない。ビュウは舌打ちした。
 兵団は、いつの間にか地平を埋め尽くし、展開する反乱軍を包囲する。それは、圧倒的な物量で押し潰そうという、戦術の欠片も存在しない最も原始的な作戦だった。
「「来たれリヴァイアサン! かしこにてその神威を示さん事を!」」
 後方から響く、ヨヨの凛とした声とセンダックの――普段からは想像もつかない――厳然とした声。その呼び声が、中空に瑠璃色の鱗を持つ長大な竜を現出させる。
 水の神竜、リヴァイアサン。
 半透明の竜はその口蓋をガパリと開け、光り輝く吐息を迫り来る兵団にに浴びせかける。
 無数の兵士たちが氷塊の中に閉じ込められ、その活動を止める。それを認め、後方のヨヨが叫んだ。
「ビュウ! 策、は!?」
 息切れが酷い。ヨヨとセンダックは、既に三回もリヴァイアサンを召喚している。それに今更気付いてビュウは歯噛みした。
 それでも、押し負けそうなのだ。
 これまでのグランベロス軍は、神竜の姿に戦意を喪失した。一瞬で味方を薙ぎ払うその力を畏怖し、逆らう意志を投げ捨てた。だが、今迫り来る兵団は違う。神竜の姿にも戦意を失わない。何故なら、彼らは心を持たないからだ。戦意を持つ心、恐怖を感じる心を。彼らは神竜に砕かれた戦友を踏み砕き、その穴を埋めるべく、特使館から無尽蔵に湧き出て、ビュウたちへと殺到する。
 ヨヨの問いに答えられないまま、彼は己の見込み違いを呪った。
 話には聞いていた。だが、それを過小評価した。それは、知識がなかった、では済まされない、致命的なまでのミスである。
 風が運ぶ腐臭に胸の悪さを感じながら、内心で毒突いた。

(これが当代きってのネクロマンサーの本領か……! 一度に万単位のアンデッド兵を操るなんて、んな話聞てねぇぞ!?)

 メロゥ・ラディア=ホーントの擁するアンデッド兵団の進攻は、止まらない。


 ネクロマンサー。
 一般には死霊使いとも呼ばれる、魔道士の一種である。
 そもそも魔道士といえばウィザード、プリーストがメジャーどころで、次点でワーロック、その後にマイナーどころとしてシャーマンやらエクソシストやらアルケミストやらが名を連ねる。
 ネクロマンサーは、その次の次の次の次の次の次くらいにようやく登場する、言ってしまえばマイナー中の超どマイナー、ゴドランドでも一人か二人いれば良い方、というほどのマイナー職、いやむしろレア職である。
 一般的でない故に、ネクロマンサーの術はろくに研究されておらず、それを軍事利用した時の効用というのがいまいち分かっていない。だから、対抗する戦術が立てにくい。
 ビュウが分かっているネクロマンサーの能力は、次の二つ。
 アンデッドを召喚する。
 召喚したアンデッドを自在に操る。
 ビュウ自身の魔道知識というものが余り豊富ではないので、分かっているのはせいぜいこれくらいである。どれくらいの魔法力の消耗でどれくらいまでアンデッドが操れるのか、ネクロマンサーを中心としてどれくらいの距離まで魔法が有効なのか、そういった戦術を組み立てるのに必要な事柄がまるで分からない。
 だから、ジリ貧の消耗戦が強いられる。戦闘が始まり、既に四時間。敵兵を問答無用に薙ぎ払おうと、ヨヨとセンダックはその身を削って力を揮う。ウィザードたちも、プリーストたちも、前線で兵を食い止めるナイトやヘビーアーマーたちも、もう疲弊が酷い。
 このままの戦闘が続けば、いずれは――


 その時、不意に閃いた。

 リヴァイアサンの攻撃による穴が埋まるまでの、僅かな小休止。ビュウはバッと背後を振り返る。
 プリースト隊に支えられて、ヨヨとセンダックは息も荒く何とか立っていた。
 この闇の中という事を差し引いても、二人の顔色は余り良くない。神竜という強大な存在を召喚するのには、それだけの代償を必要とするのだ。

 では――敵のネクロマンサー、ラディアは?
 万単位のアンデッドを操り、同じだけの数のアンデッドを一瞬で消されて、それでも尚その穴を埋められるだけのアンデッドを送り込んでくる、ラディアは?

 それを考えた時、ふと思い出されたのは幼馴染みだった。ビュウが知る中で、五本の指に入るほどの腕を持つ魔道士。黒魔法と白魔法を自在に操り、失われた古代の強力な魔法をその研究によって復活させた、それだけの実力を持つ悪友。
 ビュウはその実力を知っている。その限界を知っている。だから、分かる。
(あいつでも、万単位のアンデッドを何回も召喚して操るなんて真似は出来ない――多分、あいつのお袋さんも)
 ビュウの悪友も、誰もが認めるオレルス最高の実力を持つ魔道士も、為し得ない業。ラディアはどうやってそれを実現している?

「隊長! 第五陣が来ます!」
 トゥルースの声で我に返り、前方を見る。戦場を埋め尽くすアンデッドの群れ。骸骨や、腐った筋肉を練り上げたような造形の兵士が、その身に壊れかけの鎧をまとい、ゆっくりと、しかし着実に、反乱軍に迫る。漂わせる腐臭に、胸が悪くなりそうだった。
 第五陣の陣容。第三陣、第四陣とはかなり異なっている事に気付き、ビュウは考える。

 万単位の召喚を四回もしたのに、まだ、これだけの数を揃えてくる。それも、全く別の種類のアンデッドを。
 その底なしの力は一体何だ?
 これだけの数を召喚し、操り、まるで消耗していない、というのか? それとも、ラディアと同等の力を持つネクロマンサーがグランベロス軍のラディアの隊に他にいた、というのか?
 あり得ない。
 ネクロマンサーは稀少職。オレルスでもラディアの他には一人か二人しかいない、というのがゴドランド魔道連盟の見解だ。その一人か二人しかいない他のネクロマンサーが、よりにもよってラディアと同じグランベロス人、というのが信じられない。そもそもベロスという国は、魔道よりも実際的な武力に力を入れてきた歴史を持っているのだ。
 そしてまるで消耗していない、というのもやはり考えにくい。魔法にはすべからく対価が必要だ。魔法力という対価は、体力のように、消耗しすぎれば昏倒する。ヨヨやセンダックでさえ、神竜召喚三回でフラフラなのだ。万単位を三回以上も召喚して、尚も召喚できるラディアは?
(――何か、仕掛けがある)
 それも、とんでもないイカサマ的な仕掛けが。
 それを掴むには――

「――ラッシュ、トゥルース、ビッケバッケ!」
 ビュウは叫んだ。剣を構え直した三人の視線が集まる。
「サラで突っ込むぞ!」
「……はぁ!?」
 予想通り、ラッシュが激しく首を傾げ、噛み付いてきた。
「何言ってんだ、ビュウ!? この状況で突っ込む!? 自殺する気かよ!」
「このままここで戦ってても死ぬだけだ! ――殿下!」
 と、再びヨヨを振り仰ぐ。目線を寄越してくるヨヨは青い顔のまま、肩で荒い息をしていた。
「私の隊がラディアを抑えます!」
「……分かりました。行きなさい! 道は私たちが開けます!」
 ヨヨはそう答えると、センダックと頷き合い、詠唱を始めた。

「我が内の猛き魂――」

「者ども! ヨヨ様が神竜を呼ぶまで、敵を食い止めよ!」
 マテライトが、ヘビーアーマーとランサーを率い、敵の最前線とぶつかる。

「そは竜。雷の王者――」

「サラ!」
 上空で援護していたサラマンダーが、ビュウの呼び声に応えてすぐ傍へと下りてくる。着地の風を顔に受け、ビュウはラッシュたちを伴い、その背に飛び乗った。

「永の眠りより醒めしその荒ぶる心、咆哮となりて響き渡らん――」

「フレイムゲイズ!」
 ウィザードたちの援護射撃。

「この血の盟約によりて、我は汝に怒りの場を与えん。さればこそ」

 ビュウたちは、サラマンダーの背にしがみつくように、前傾姿勢を取った。
 そして。

「来たれヴァリトラ! かしこにてその神威を示さん事を!」

 まるで小石を投じた水面のように、空間に波紋が走る。
 そこからスルリと抜け出たのは、翡翠の色をした鱗を持つ、半透明の竜。鮮やかな橙の皮膜を大きく開き、ギラリと光る眼で眼前のアンデッド兵団を睨み据えると、その顎を大きく押し開ける。
 口先に生まれた青白い閃光が、一直線に、特使館へと向けて、弾けた。

 キュドォッ!

「サラ! 行け!」

 ヴァリトラが消えるのを合図に、ビュウはサラマンダーに離陸を命じた。
 バサリ、とサラマンダーが一度羽ばたく。ビュウたちを乗せた体が上昇し、そしてすぐに滑空に入った。ヴァリトラの放つ雷電によってアンデッド兵団のただ中に生まれた道を、超低空飛行で駆け抜ける。
 雷電の軌跡の外にあるアンデッドたちが、衝撃から脱してすぐ傍を高速で飛ぶサラマンダーに追いすがる。ヒュンッ。矢が放たれた。しかしサラマンダーは止まらない。止まっている暇などどこにもない!
 アンデッドの空隙の向こうに高い壁が見える。特使館だ。その壁の一部に穴が開いていた。ヴァリトラの雷電が直撃したのだ。黒々とした煙を上げるそこにビュウたちは接近し――ついには到着する。

 そして見た。

「――何だ、こりゃ」
 すぐ傍で、ラッシュが呆然と呟いた。それがやけに耳についた。それは、ビュウの心情を端的に表わしていたからかもしれない。
 何だ、これは。まさしくその通りだった。
 眼下には特使館の庭がある。花壇も芝生も何もない、土が剥き出しのそのやたらと広い庭の光景は、はっきり言って異常だった。

 等間隔に林立する謎の筒。
 中に燐光を宿し、下部に赤黒い蔦を這わせ、全体的にドクリドクリと脈打っている。
 その間を忙しく行き交うのは、味方以外では久しぶりに見る、生きた人間だった。ピシッとしたグランベロスの軍服を着て、その中の一つの筒の蓋を今まさに開けるところだった。
 突如乱入したこちらに気を取られる彼らの傍で、中途半端に開けられた筒と蓋の隙間から、何かヌラリと光るものが這い出た。それはすぐ傍の士官の襟を掴み、そのまま筒の中へと引きずり込む。士官の絶叫は、すぐに聞こえなくなった。

 何だ、これは。

 視線を這わせる。破れた壁のすぐ傍に、粉々に砕けた筒があった。ガラスと何かの溶液、のようだが、この距離では判然としない。
 その溶液の中に、蠢くものをビュウは見た。

 それを例えるなら。
 アンデッドの、胎児。

 瞬間、ビュウは悟った。
(まさか――)
 無数に並ぶ筒。
 いくつか蓋の開けられた物。
(まさか、これが――)

 ラディアの召喚の、正体。
 召喚ではなく、生成――

 背筋に怖気が走る。
 吐き気がした。
 死臭を嗅いだような錯覚に、思わず顔が引きつる。
 ……これまで、人に誉められた事をほとんどしてこなかった。誰かを陥れ、殺し、踏みつけにしてきた。その人生に悔いはないし、だからこそ、その業を背負って先を生きる事を覚悟してきた。今更、目の前で敵兵が一人死んだ程度で揺れ動くようなやわな心を残していたつもりはない。
 それでも。
 それでも――
(……俺の中に、まだこんな感情が残ってたなんて)
 吐息。
 そして無言のまま、ビュウはサラマンダーの背の上で立ち上がった。
 あの筒に入っているのは誰なのだろうか。その誰かは、こんな風に死後も踏みにじられる事を望んだのだろうか。作り変えられ、人にあらざるものになり、戦場に駆り出され、そして再び殺される。そんな事を、彼らは望んだのだろうか?
 ――人に誇れるような生き方ではない。それでも、譲れない一線はある。目の前のこの光景は、その一線を大きく逸脱している。
 見逃せるか? 否。
 許せるか? 否。
 ならば答えは一つ。すべき事はたったの一つ。しかもそれが作戦には何の支障もないと来たら――喜んでやるべきだ。
 双剣を抜き払う。構える。激情が体の中で渦巻いている。怒りと哀れみは、そのまま力へと転換される。サラマンダーの魔力を借り、それを刃として解き放つ。
「サンダーヒット!」
 双剣から放たれた紫電の刃が、筒をことごとく薙ぎ払った。



 その時、特使館から出てくる人影があった。
「貴様らぁっ!」
 ハスキーボイスの怒声。ビュウは妙に冷めた気分で、声の主を見下ろす。
 背後に部下を従え、杖を片手に肩を怒らせてこちらを睨みあげてくるのは、銀髪の小柄な女だった。歳の頃はパッと見には判らない。二十歳くらいにも見えれば、四十くらいでも通用しそうだった。
「よくも私の魔道の結晶を……私の培養槽を……私の可愛い僕たちを……!」
 培養槽。
「……あぁ、その筒の事か」
「筒ではない! 培養槽だ! 私がゴドランドに赴任して以来作り上げてきた、私の魔道研究の集大成だ! それをよくも、よくも……!」
 女は憤怒で顔を紅潮させていた。くだらない。ビュウは鼻で笑う。
「貴様、何がおかしい!?」
「その程度か」
「何!?」
「その程度か、と言ったんだ、メロゥ・ラディア=ホーント」
 くだらない。本当に、くだらない。
 これが研究の集大成?
 これが魔道の結晶?
 これが、そんなご大層な物だと?
 くだらない。
 実に、くだらない。
「魔力を行使せず、培養し貯めたアンデッドを放出して良い気になるなど、それでも魔道士の端くれか? そんな事はマハールの養殖業者でも出来るぞ? それが、貴様の魔道研究の集大成だとは、随分と安っぽいな」
「小僧――」
 ラディアはその眼差しに憎悪と殺意を込め、ますます睨み上げてくる。それを、ビュウは笑った。
「貴様も魔道士なら、自分の魔力で勝負すると良い。そんな物に頼らないでな!」
 そして。
 ビュウは再びサラマンダーの背にしゃがみ込むと、一気に反転、特使館から撤退する。
「待て反乱軍!」
「――ホーント将軍!」
 視界の片隅に、追いかけてくるラディアと、追いすがる士官たちを捉えた。そのまま特使館の敷地を出て、反転、サラマンダーを着地させ、背から下りる。
 ラディアは。
 特使館の敷地から。
 一歩、外へ。
「ならば見せてやろう! この私の力を!」
 部下を背後に従え、杖を掲げるラディア。何事か唱えると、高らかに叫ぶ。

「メイクアンデッド!」

 地面が、ボコリ、ボコリと隆起する。
 そこから現われたのは、朽ちた死体。錆びた装備をまとうアンデッド兵たち。それらはズルリズルリと足を引きずり、剣を構えるビュウたちへと近寄ってくる。
 そして、そこに。

 特使館の方向から、純白の閃光が地を満たした。

 

 

 

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