―3―




「なぁ、ビュウ!」
「いちいち喋るな舌噛むぞラッシュ!」
「何でサラマンダーじゃなくてアイスドラゴンなんだよ!」
「サラだと一目瞭然だろうが!」
「はぁ!? 何の事だよ!?」
「だから、アイスだと空に紛れてすぐに見つからないだろ!」
「だから何のこぐぅっ!」
「言わない事じゃない――トゥルース! ラッシュの口の中にでも傷薬ぶち込んどけ!」





§






 中天に懸かる太陽が、ジリジリと剥き出しのうなじを焼く。
 キャンベル王都。そこを囲む城壁の上で、ファニカは後ろ手に縛られながらも、心は晴れやかだった。
 彼女の黒い瞳に映るのは、懐かしい緑の草原と――そこを埋め尽くす、やはり懐かしい、『草原の民』の騎馬兵群だった。
 もう、何年見ていなかっただろう。今、この時にこの光景を目に出来た事は、きっと彼女たちの祖たる『蒼き狼』と『白き鹿』に――そして、その二者を生み出した『天』に、感謝しなければいけない。
「……覚悟はよろしいか、ファニカ姫」
 隣に立つグランベロスの軍人が、冷たく、しかしどこか上ずった声でそう問うた。ゾンベルトの代理として師団の指揮に当たっている旅団長。歳の頃なら壮年を半ばも過ぎた頃だろう。作り物のような青い目が、鋭く、ファニカを刺し貫いていた。
 草原に展開する同胞たちから目を決して離さずに、彼女は唇の端を持ち上げさえしてみせた。
 旅団長とは反対側、ファニカの左隣に立つ兵士が、この首を落とす剣を振りかざしているのに、だ。
 殺される事は怖くなかった。むしろ、喜んでさえいた。
(トゥルイ様――)
『草原の民』の宗主、彼女の許婚の姿は、見つからないけれど。
 それでもファニカは心の中で彼に語り掛けていた。脳裏によぎるその面影は、まだ十にも届かない少年の、はつらつとした笑顔だった。
 ファニカが十五歳になったように、トゥルイもまた、十六歳になっているはず。顔立ちも、背格好も、声でさえ、全てが全て、記憶とは違うはず。例え彼がファニカの目の届くところにいたとしても、その姿を見分けられるかどうかと問われれば、否と答えざるを得なかった。
 だが、それでも良かった。彼はいる。きっといる。このキャンベルの大地からグランベロスを駆逐するため、トゥルイはとうとう立ったのだ。ここにいないはずがない。
 だからファニカは、微笑んだ。それはそれは、幸せそうに。

(やっと、私から解放されますね)


 情勢が一変したのは、今朝の事だった。
 師団司令部は、その時まで何も把握できていなかったらしかった。師団司令のゾンベルトが中々帰還しないのも、突然現われたカーナ残党に手こずっているためと思っていたらしかった。補給物資がまるで届かないのも、単に不測の事態が起こったためと思っていたらしかった。
 それらは、ある意味で正解だった――ただ、留守を預かる司令部の士官たちが思っていたよりは、圧倒的に深刻だっただけの話で。
 気付いた時には全て遅く、王都の城壁近くには、既に『草原の民』と『森林の民』の連合軍が迫ってきていた。

 だからファニカが選ばれた。
 トゥルイの許婚で、ルド族の姫である彼女が、最も適切だったのだ。

 見せしめに、処刑するのには。

 だがファニカはそれで良かった。
 自分の存在が、同胞に、何よりトゥルイにどれだけの重荷となっていたのか、よく解っていたから。
 だからずっと前から切り捨ててほしかった。自分の事など切り捨てて、『草原の民』と『森林の民』の誇りに賭けて、このキャンベルを取り戻してほしかった。
 それが、こんな形で叶おうとしている。


 ファニカは笑う。
 戦端は未だ開かれていない。きっと、この首が落ちると同時に戦闘が始まるのだろう。今はファニカが生きているから、誰もこの身を案じて矢の一つも放てずにいる。だが、一度この首が胴から離れれば、最早彼らを縛るものは何もない。
(この旅団長は馬鹿だ)
 嘲りが胸中をよぎるが、それでも穏やかな笑みは崩れなかった。
(人質の価値は、生きていてこそのものなのに)
 そして人質の役目は、死ぬ事にある――
 死ぬ事で、全ての軛(くびき)を断ち切る。そうしてこの国の礎となる。
 だから、構わない。
 風が吹いた。朝、幽閉されていた部屋から引き立てられたままだから、黒髪はろくに結われてもいないし、白い寝巻きのままでもあった。ほつれた黒髪がうなじをくすぐり、頬を撫でる中、ファニカはチラリと右隣の旅団長に視線を送った。
 彼は、こちらが笑っているのを見て眉をひそめた。不愉快そうに、苛立たしげに。
 本当に、この男は馬鹿だ。敵の接近に恐れおののいて、こんな無意味な事をよく考えもせずにするなんて。
 それは、最早哀れでもあった。日焼けしていない顔。余り戦場に出た事がないのだろう。滑稽だ。
 ファニカは、告げた。
「どうした? 私の首を落とすのだろう?」
 その言葉を侮辱と取ったのか。旅団長の顔にサッと朱が差した。そして表情を僅かに怒りに歪め、ファニカを挟んで向こう側にいる兵士に合図した。
 兵士が一つ頷いて、剣を振り下ろそうとする。

 ファニカは目を閉じた。

 同胞たちの絶望のざわめきが、遠く聞こえるようだ――

 ――ドッ!

 しかし実際に聞こえた音はそれだった。鈍くこもった音。すぐ隣からだった。
 ハッと目を開け、ファニカは左隣を見る。剣を振りかざした兵士。その首元に――一本の矢が、深々と突き刺さり、貫いている。
「なっ……!?」
 突然の事に、右隣の旅団長が狼狽の声を上げた。しかし、それに続く言葉はない。

 ビィンッ――

 懐かしい、弓弦(ゆみづる)の鳴る音。

 ドスッ!

 どこからか放たれた矢が、何の脈絡もなく、剣を抜く事すら思い付けなかった旅団長の胸を射た。続く二射、三射目の矢が次々に彼の胸に命中し、名も知らぬ旅団長はそれを信じられない面持ちで眺めながら、ゆっくりと、仰向けに倒れていく。
 城壁の、ファニカから見て左右に展開していた兵士たちが色をなした。槍を構え、剣を抜き、一斉にこちらへと殺到する。
 しかし、上がり掛けた喚声を弦の鳴る音が制した。次々と放たれる矢が、ファニカを殺そうと駆け寄ってくる兵士たちを屠っていく。
 そして彼女は、この草原では余り聞いた事のない音を耳にした。

 バサッ――

 それは、竜の羽ばたきの音だった。
 ファニカが先程まで見据えていた方向。それよりも少し上のところに、空色に近い青の鱗の竜が、高度を保とうと大きく羽ばたいている。その背にいるのは五人の男。その内の四人――剣を抜き払ったところを見ると、剣士らしい――が真っ先に竜から城壁の上へと飛び降りて、突然の事に固まるグランベロス兵へと斬り掛かっていく。残った一人は矢をつがえ、剣士たちの援護をしていく。
 それはすぐに終わった。見届けた弓使いは、青い竜の背に乗ったままファニカに背を向け、眼下の騎馬兵たちに高らかに命じた。

「行け、我が同胞、『蒼き狼』と『白き鹿』の子らよ! 最早我らを縛る鎖は何もない! 今こそこの草原に生きる者たちの誇りを示す時!」

「遅れて申し訳ない、ファニカ姫」
 低い声がすぐ近くで聞こえた。続いて、縛られていた手が解放される感触。背後を見ると、この日差しを集めたような金の髪と、その下に青いバンダナを巻いた青年が、ナイフでファニカの縄を切ったところだった。
「本当ならば、もう少し早く来られるはずだったのですが――さすがはキャンベル、広くて行軍には困る」
 青年は少し笑った。その笑顔を、ファニカは見た事があった。記憶を手繰り、その名を思い出す。
「貴方は……カーナ戦竜隊の、ビュウ=アソル?」
「覚えていただいて光栄です、ファニカ姫。いや」
 と、青年――ビュウは頭上を仰いだ。
「もう、カトンとお呼びすべきですか?」
「まだだ」
 竜の背の上に立つ弓使いがあっさりとかぶりを振った。
「まだ、正式に迎えたわけではない。もっとも」
 そこで言葉を切って、彼――逆光で姿がよく見えなかったが、声の調子からして、彼だ――はようやく城壁へと降り立った。そうしてやっと太陽を背にする事がなくなり、ファニカは彼の姿をまともに見る事が出来た。
「この戦いを終えたら、すぐにそうなる」

 黒髪の少年だった。
 やや釣り目がちの黒瞳が、色々な感情に揺れていた。喜びであったり、懐かしさであったり、戸惑いであったり。
 髪を隠す色あせた青のバンダナが、風に揺れる。腰には矢筒、手には弓、身に纏うのは『草原の民』のローブと、その下にはおそらくチェインメイルを着けているはずだ。
 彼は、視線をひたとファニカから据えて離さない。
 その真剣な瞳を、彼女は覚えていた。
 そうだ。忘れるものか。この瞳を……彼女は、ずっと待っていたのだから。

「トゥルイ様……」
 確信を持ってその名が呼べた。少年は、否定をしなかった。
「待たせたな、ファニカ」
 と、言って。
 彼は、背負っていたもう一つの弓と矢筒のセットを、おもむろにファニカに渡した。
「行けるな?」
 ファニカは、笑った。

『草原の民』も『森林の民』も、妻は夫をあらゆる場面で補佐する。特に戦闘においては、その役目は顕著だった。夫と共に作戦を立案し、もし夫が倒れれば、代わりに指揮を取る。
 それが彼女たち。この大地に生きる女。
 夫と共に戦場を駆ける――これが、どれほど嬉しいか!

「もちろんです、我が『蒼き狼』」
 トゥルイもまた、笑った。
「では行こう、我が愛しき『白き鹿』よ」
 それで十分だった。
 トゥルイと共に矢をつがえる。城壁の上から、敵兵を狙って。騎馬隊の弓兵たちもまた、城門前に展開する部隊へと向けて矢の雨を降らす。


 キャンベル駐留師団は、この僅か三時間後に崩壊。各地の基地へとバラバラになって潰走した。
 トゥルイ・カーンはその追討を命じ、結成された追討部隊がすぐさま王都を出発した。


 西暦四九九九年、六月十日。
 キャンベル両王国、解放。





§






 ヨヨたちが補給基地攻略部隊に先んじて王城にやってきたのは、日が傾いた頃だった。

「トゥルイ・カーンはどちらに?」
「……は?」
 会って早々、開口一番に発せられたその言葉に、ビュウは目を丸くした。
「だから、トゥルイ・カーンよ。今どちらに?」
「確か尚書省の方に――って殿下、いきなりどうされたんです?」
 問いつつも、ビュウはヨヨの背後に控える視線で同じ事を問うた。が、マテライトは彼にしては珍しく沈痛な面持ちで、力なくかぶりを振るだけ。
 それでビュウは悟った。――何かが、あったのだ。
 だが問う事は憚られた。いや、彼女の様子が問いを発するのを阻んでいた。ヨヨはそのまま対面するビュウを押し退けると、尚書省へと繋がる回廊へと足を向ける。


 城門前で駐留師団を下し、その余勢を買って市内へと侵攻した連合軍を遮るものは何もなく、これまでの展開から一転して、余りにも呆気なく、王城の制圧が出来た。
 キャンベルの王城は、カーナのそれとは趣を異にする。建物自体は低く、上方向よりも水平方向に広がっていく感じだ。石と、木と。主にその二つで造られている。丹塗りの円柱が規則正しく並ぶ回廊は長く伸び、玉座の間へ、近衛隊の詰め所へ、文官たちの仕事場へ、それぞれ繋がっている。
 その回廊には、今も『草原の民』と『森林の民』の兵士が行き交っている。グランベロスの兵がどこかに潜んでいないかを探しているのだ。長衣の文官たち――そのほとんど全てが、マハール系入植者だ――がこの事態に目を剥いてオロオロしているが、誰もそれに注意を払っていない。

 その彼らを横目に見やって、早足に廊下を進むヨヨを、ビュウたちは追った。

「――ヨヨ王女」
 しかし、その廊下を渡りきる前に正面からの声がヨヨを止めた。追っていたビュウたちもまた、足を止める。
 身なりを整えたファニカと、士官を何人か引き連れたトゥルイが歩いてくるところだった。彼はヨヨと、二、三歩分の間を空けて立ち止まり、
「遅れて面目ないですわ、トゥルイ・カーン」
 口火を切ったのはヨヨだった。トゥルイはその言葉にかぶりを振る。
「何を言われるか、王女。貴女は貴女の役目を果たされた。――補給基地の一件は、全て聞きました。ビリカ・カンに代わって役目を果たしてくれた事、心より感謝する」
「……いえ、カーン」
 応じるヨヨの声は暗い。
「カーンこそ、よくぞ王城を取り戻されました。――ところで」
 と。
 不意にヨヨは話題を変えた。
「一つだけ、お願いがあるのですが」
「願い? それは?」
 促されて答えるヨヨの声は、どこかゾッとしたものを含んでいる。
「我が叔母、ルザ・カトンに面会を希望します」
 トゥルイが、後ろに立つファニカと顔を見合わせた。



 実は、ルザ・カトンの扱いを定めかねている。

 地下牢へと下りる階段で、先導するトゥルイはそうこぼした。
「そもそも、彼女が王位に就いた事自体が異例だった。我が父の死後、彼女以外の父の妃たちは、皆慣例に倣って父の兄弟や従弟たちに新たに嫁いだ。それが、彼女だけが彼らの元にも行かず、この国の民でもないのに文官たちの後押しで王位に就いてしまったから――」
 階段を降りきったところでトゥルイは不意に言葉を切った。それからヨヨに、
「――失礼した王女。貴女の叔母を貶めているつもりはないのだが――」
「構いませんわ、トゥルイ・カーン」
 彼の言葉をあっさりと遮って、ヨヨは続ける。
「確かに、こちらの慣習から見れば、あの方は随分と型破りな事をしましたものね。その後にした事も考えれば、疎まれていても当然だと思っていますわ。大体ドニブル・カンの死後、我が父の薦めに従ってカーナへ戻らなかったのも異例だったのです。そんな方を殊更に弁護する気は、私にはありません」
 聞きようによってはこれまたとんでもない発言だが、ビュウはそれには賛成だった。だから注意はしない。
「それに、いずれ譲位を求められるのでしょう? その後についてお気を揉まれるのでしたら、むしろ捨て置かれてもよろしいのでは?」
「ヨヨ様、仮にも女王はヨヨ様の叔母君ですぞ?」
「父の勧めに従わずにキャンベルに留まり、挙句、あっさりとグランベロスの軍門に下った……――マテライト、貴方だって『何たる事だ』と憤慨していたじゃない」
「む……それは、そうですが」

 ドニブル・カンの第五妃、ルザ・カトン。
 ヨヨの父、カーナ先王の実の妹姫であった彼女は、カーナ王国とキャンベル両王国の関係を良好にするため、ドニブル・カンに下に嫁いだ。それが、今から十八年近く前の事だという。
 しかし彼女はドニブル・カンの子を産む事なく、七年前、夫を亡くす。『草原の民』の慣習では、寡婦は亡き夫の兄弟や従弟と再婚するのが通例なのだが、彼女はそれを選ばず、そして国に戻ってこいという兄の言葉も突っぱねて、そのままキャンベルに留まった。
 その時、『草原の民』や『森林の民』の勢力を宮廷から追い出したがっていたマハール系入植者の文官たちに推挙され、まだ幼かったトゥルイに代わって王位に就く。

 その辺りの事情でルザ・カトンを嫌うのは当然トゥルイを擁していた『草原の民』であり、ヨヨではない。だがヨヨは、叔母を積極的に嫌悪している。
 その理由を、ビュウは知っている。

 牢の長い通路を歩ききると、一番奥に一際大きい牢があるのが見えた。鉄格子のはまったその左右には、険しい表情の二人の若い女――右は赤毛、左は金髪――が控えている。彼女たちはこちらを見て、
「何用ですか?」
「女王様はお疲れです。これ以上のご負担は許しません」
「貴様ら、トゥルイ・カーンの御前であるぞ。無礼な口を利けば、女だとて容赦はせぬ」
 ルザ・カトンの側近とおぼしき女たちと、トゥルイの側近が一触即発の空気を醸し出す。そんな、空気が危険な雰囲気を孕み始めた、その時。

「おやめなさい、ネルボ、ジョイ」

 牢の奥から声が響いた。美しく落ち着いた、女の声だった。二人の側近がそれに反応して牢を顧みる。
「女王様!」
「ですが――」
「構いません」
 奥から返る声はにべもない。側近――どちらが「ジョイ」でどちらが「ネルボ」だろう? ――が口ごもる中、牢の奥の影が動いた。
 必要最低限と思われる、小さい、余りにも小さい換気・採光窓。ほとんどただの切れ目のようなそれは、しかし脱走防止のために鉄格子がはまっている。その窓の前で静かに佇んでいた女が、ゆっくりと、こちらへと一歩歩み出た。
「……お久しぶりですね、トゥルイ様」
「久方ぶりです、ルザ・カトン。ご健勝そうで何より」
「貴方様こそ。……譲位を、お求めに?」
「いえ、それはいずれ改めて参ります。今は」
 と、トゥルイは一歩横へと退き、ビュウとヨヨの二人を鉄格子の前に押しやった。
「貴女もよく知る方が、貴女にお会いしたいと」
 声の主はもうそれを聞いていなかった。
 地下牢の僅かな明かり。それに照らし出された、結い上げられた金色の髪が揺れた。蒼穹を宿した双眸が大きく見開かれた。白い頬が痙攣し、紅色の唇が震えた。質素なローブに包まれた華奢な肩がやや強張り、衣服に隠されて見えない足が、一歩、後退りした。
 その声が、確かに紡ぐ。

「ヨヨ……ビュウ――!」

「……七年ぶりでございますわね、叔母上」
 ヨヨは、再会した叔母に向かって婉然と微笑んだ。
 白々しい言葉とあいまって、その笑顔は、薄ら寒さを覚えるくらいに恐ろしい。



「では、我々はしばし席を外そう」
 トゥルイがそう言うと、ファニカたちを伴って去っていった。足音が遠ざかる。
「マテライトも、席を外してくれる?」
「ヨヨ様……解りましたですじゃ」
 マテライトもまた、タイチョーを伴って去る。
 それを見送るネルボとジョイは、指示を仰ぐようにルザを見た。
「……お前たちも、少し席を外しなさい」
「ですが、女王様」
「この二人と、三人だけで話がしたいのです」
 主君にそう強く言われてしまっては、臣下としてはどうしようもない。二人は顔を一度見合わせると、渋々とその場を辞した。
 その足音も、十分に遠ざかり、
「……何故、ここに?」
 ルザの発した最初の問いが、それだった。対し、ヨヨは笑う。皮肉げに。
「私も本当は、叔母上とお会いする気はありませんでした。でも、その必要が出たので」
「そうではありません」
 切り捨てる彼女の声は厳しく険しい。ヨヨは、笑みを消した。一転して冷ややかな眼差しで、自らの叔母を見やる。
「何故、このキャンベルでグランベロスと戦ったのですか。
 ビュウ、貴方たちがカーナの残党を組織して、ヨヨの奪還のためにこの地に現われたのは聞いています。ですが、ヨヨはサウザー皇帝の下から帰還したでしょう。ならばカーナに赴き、カーナの駐留師団と戦えば良いでしょう。それなのに、何故未だキャンベルに留まり、あまつさえ、『草原の民』と『森林の民』と共謀してグランベロスと交戦したりするのです」
 ルザの表情に、こちらを責める色は強い。
「『草原の民』と『森林の民』をたきつけて、新たな戦争を起こすとは、一体どういう了見です? 確かに、二つの部族のグランベロスへの不満は強い。いずれそれは爆発したでしょう。
 ですが、だからと言って、貴方たちが手を貸す理由にはならない。そしてまた、そんな事で誇り高い彼らが部外者の力を借りるとは思えない。
 一体何が目的で、彼らに近付いたのですか?」
 問われて、ビュウとヨヨは顔を見合わせた。
 ヨヨの目が言う。貴方が説明して、と。
(俺、この人苦手なんだけどなぁ……)
 胸中で愚痴をこぼしてから、ビュウは咳払い一つの後に、その端的な答えを言った。

「食料です」

「……何ですって?」
「より正確には、兵站(へいたん)の確保。キャンベルの解放に手を貸したのは、それ以上でも以下でもありません」
 ルザの不審げな目を見返しながら、彼は淡々と説明した。
「ご存知の通り、キャンベルはオレルス世界一の穀倉地帯。ここをグランベロスに押さえられたままでいると、これから帝国と戦っていくのに非常に不利だ――何せ、現在世界で流通している小麦の四分の三がキャンベル産。これが全て帝国の手に握られているとなると、彼らは容易にこちらを兵糧攻めに出来る事になる。
 それを防ぎ、兵士たちの士気を一切低下させる事なく戦いを続けていくなら、安定した食料、特に主食の供給は、必要不可欠なのです」

 ビュウたち――と言うかビュウが最初に懸念したのは、食糧事情だった。
 兵士の胃袋は大きい。そして、その減り具合は士気に関わる。「腹が減った」で士気を低下させないためには、ちゃんと食べさせてやらなければいけない。
 だから、『草原の民』・『森林の民』の蜂起に手を貸し、彼らにキャンベルの覇権、つまりオレルス最大の穀倉地帯の経営権を取り戻させて、その恩で以て食糧援助を約束させる。
 同時に、彼らの新たな指導者トゥルイ・カーンを立たせる事が出来れば、一石二鳥。
 かくして『草原の民』と利害は一致した――特に、ファニカを救いたがっていたトゥルイらや、キャンベル南部や西部の農場を取り戻したがっていた一部の氏族と。

 食料の補給線の確保。
 それこそが、ビュウがキャンベル解放戦に臨んだ、本当の理由だったのだ。

「それは、つまり……」
 ルザは沈痛な面持ちで目を伏せた。表情にサッとかげりが差す。
「今後も、グランベロスとの戦いを続けていく、という事ですね?」
「そうです」
 ビュウは即答した。すると彼女はキッとこちらを睨み据えた。
「何故です? グランベロスがオレルス全土を占領した事は、確かに、不満の多い事でしょう。ですが、これにより、一応の平和が訪れました。事実このキャンベルも、絶えた事のない氏族間の抗争がこの四年間で一度も起こらなかった」
「だがその代わりに、『草原の民』も『森林の民』も、グランベロスに対し幾度となく小競り合いを仕掛けていた」
「……それも、時が経てばなくなります」
「例えそうだとしても、その前に彼らは立ちましたよ。我々が手を貸さずとも」
 険しくねめつけたまま、口を閉ざすルザ。その穿つような視線を受け止めて、それでもビュウはただ一言、こう付け加えた。
「彼らと我々は、違うんです」
 それを聞いた途端。
 彼女は、表情をなくし、肩を落とした。うなだれる。
 そう。キャンベル人――『草原の民』と『森林の民』の事であり、決してマハール系入植者ではない――とカーナ人は違うのだ。闘争を常としてきた彼らと、平穏を常としてきた自分たち。戦いに対する姿勢そのものが、まるで違っている。彼らの精神性は、むしろグランベロス人に近い。
「……私は、この地に平穏をもたらしたかった」
「そんな独り善がりで、よくまぁキャンベルの女王になろうと思えましたわね、叔母上」
 これまで黙っていたヨヨが、不意に口を開いた。皮肉げで辛辣な言葉。女王はパッと勢いよく顔を上げ、悲しそうな顔をする。青い双眸は潤み、今にも涙をこぼしそうだ。
 そんな叔母を、ヨヨは鼻先であしらう。
「そんな顔されても困りますわ。まるで、私が苛めているみたい」
「ヨヨ……貴女、まだ私を――」
「まさか」
 皆まで言わせずに否定するヨヨ。口元は微笑んでいるが、目はまるで笑っていない。
 冷徹さが面を支配している。
「もしかして、私が叔母上をなじるために来た、と思ってらっしゃいます? ご冗談を。そんな暇、私にはありませんわ」
「では、一体何の用で――」
「お尋ねしたい事があって、参りました」
 ようやく。
 ヨヨが、本題に入ろうとした。
 呼吸一つ分間を置いて、それからまるでナイフを突き立てるように、鋭く、彼女はその言葉を言い放った。

「何故、私たちを産んだんです?」

 女王の表情が、絶望感と悲壮感に歪んだ。

 

 

 

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