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 弧を描く銀色の軌跡が、この大森林地帯の深緑に映えて、とても美しかった。
 パルパレオスに突き飛ばされて地面に倒れ伏したヨヨが、手を突いて上体を起こした時に見たものについての感想が、それであった。
 ビュウは、サウザーの壮絶な一撃を一振りだけとなった剣で受け止め、弾き、自ら打ち掛かっていく。その斬撃もまた苛烈なのか、サウザーのそれを捌く表情には、余裕がなかった。
(……いえ、違う)
 ヨヨは気付く。サウザーが、切羽詰まった顔をしている、その本当の理由。
(恐れて、いるの?)
 それはつまり、『魔人』の意味を今更理解した事によるのだろう、という事は、すぐに想像がついた。

 ビュウは、笑っている。
 笑いながら、サウザーに剣を振るっている。
 その鬼面のような笑顔は、歴戦の傭兵をして恐れさせしめるに十分なものだった。

 まさに、『魔人』。

 ヨヨが息を飲んだ直後、ビュウはサウザーから大きく間合いを取り、叫んだ。
 背後の、仲間たちに向かって。





§






「ビッケバッケ!」
 呼ばれ、それまで二人の戦いに惚けたように見入っていたビッケバッケは、ハッと我に返った。
 ビュウが、肩越しにこちらを見ている。
「剣を貸せ!」
「え――」
「投げろ!」
 彼の叫びに、ビッケバッケは咄嗟に竦む。そして、腰の剣帯に差したまま抜き払ってもいない己の剣を、見下ろした。

 これを投げてビュウが受け取れば、彼は、再び二刀流で戦える。
 それこそ、グランベロス側が何度も呼んでいる『魔人』のように。
 ……ビッケバッケが知らない、ビュウとして。

「早くしろ!」
 怒声にも似た催促に、彼は逡巡をやめた。

 例えビュウが自分の知らないビュウとして戦ったとしても、それでもビュウはビュウだ。自分が『アニキ』と慕う、ビュウ=アソルだ。
 その彼を助けられるのなら、ためらう必要はない。

 ビッケバッケは、手早く剣帯から鞘ごと剣を外すと、大きく振りかぶった。
「アニキぃっ!」
 投げる。

 長剣は緩やかな放物線を描いて跳び、ビュウは、それを一瞥しただけでサウザーに視線を戻す。
 そして、無造作に伸ばされた彼の手に、ビッケバッケの長剣は当然のように収まった。





§






 シャリン――

 剣を鞘から一気に抜き放つ、その美しくも危険な金属質の音。

 ……その音が好きだった。
 幼い自分が危険に晒された時、母はいつも駆けつけてくれた。そして、今の自分がやったように、長剣を無造作に、そして素早く一気に抜き払い、迫り来る敵を眉一つ動かさずに斬り捨てた。
 だから、その冷たい硬質な音は、自分にとっては美しく、耳に心地良いものだった。その音の後にどんな現実が待っているのか、そういった事を全て含めても。――いや、そういった事を含むからこそ。
 剣を抜き、敵に切っ先を向ける。そうして始まる命のやりとり。
 それが、それこそが、自分にとって全てだった。

 だから、ビュウは笑った。
 かつてのように。


 躍り掛かる。
 時間差で繰り出す左右の斬撃に、何故かサウザーの反応が遅れた。左の剣の切っ先が、サウザーの腹をかすめていく。もっとも、厚手の服を斬り裂いただけだったが。
 ビュウは更に踏み込んだ。右の剣で繰り出す腹を薙ぐ一閃はフェイク――気付いたか、サウザーはステップバックでかわす。続く左の突き――これは、相手の剣に上へ払われる。
 深くなるビュウの笑み。更に、懐へ一歩。

 ドフッ!

「――――っ!」
 目を見開いて、サウザーは右脇腹にビュウの蹴りを受けた。息を詰まらせ、サウザーにとっては左、ビュウにとっては右に飛んでいく。
 突きもフェイク。本命は、左の蹴りなのだ。
 だから、追撃に移る彼の動作は余りにも速かった。サウザーを追うようにして右に跳ぶと、向こうが足で制動を掛けるその一瞬を突き、右の剣を袈裟懸けに振り下ろす。遠慮は、ない。
「――ちぃっ!」
 呻くサウザー。その剣が閃く。高く響く金属音。水平に掲げられたサウザーの剣が、ビュウの右の一撃を防いだ。
 競り合っても面白いが、無駄だ。そう判断して、ビュウは左の剣を振るった。狙いは、向こうの右足。
 ヒュンッ、と風切り音が鼓膜を打つ。その途端、サウザーがバッと後ろに退いた。振り下ろされた左の剣は空を切る。位置関係は、互いに互いの間合いの外。

(さて、何をしてくる?)

 自然とこぼれる笑み。クリアになっていく思考。
 意識が、かつてのそれと等しくなっていく。

『魔人』と呼ばれた、あの頃と。

 サウザーが剣を構え直した。肩に担ぐような、少し引いた上段の構え。
 それを目にした瞬間、ビュウの記憶を触発するものがあった。それは一つの予感であり、あるいは、あの十一年前の悪夢でもある。
 来る。
 ビュウもまた、剣を、交差に構えた。

「ラグナレック!」
 叫んで、剣を叩きつけるように振り下ろすサウザー。
 刀身からほとばしった青光が衝撃波となり、ビュウへと突き進む。

「フレイムヒット!」
 同じように言葉を放ち、交差した剣を斜め下へと振るうビュウ。
 閃いた炎熱の刃は波紋のように広がって、青い光刃を迎え撃つ。


 接触。
 閃光と、轟音。


 それを切り裂いて、二つの影が交錯する。

「やるな……! 私の『ラグナレック』を、あんな小技で受け止めるとはな!」
 その言葉と共に放たれたサウザーの一撃を、ビュウは双剣で受け止めた。
「慣れてるんでなぁ、『ラグナレック』を受けるのは。もっとも!」
 ギンッ、と敵の剣を跳ね上げるビュウ。
「うちの母さんの方が、もっと重いの放てるがな!」
 サウザーの胴に隙が出来る。跳ね上げられた剣は、すぐには戻れない。
(これで終わりだ――)
 ビュウは、渾身の一撃でサウザーの腹を狙う――

 ガヂンッ!

 左手を襲った衝撃に、ビュウは剣を取り落とした。そして、拾おうとは思わずに、サウザーとの間合いを取る。
 一瞬遅れて、今までいた位置をサウザーの突きが通り抜ける。もし剣を拾おうとしてその場に踏みとどまったら、十中八九、腹を貫かれていた事だろう。衝撃に痺れる左手に四苦八苦しながら、ビュウは歯噛みした。
「意外に素早いな、小僧」
 突きをかわされたにも関わらず、サウザーは特に悔しそうな表情も見せていなかった。
「それに、その仕込み手甲……特注品か。ただの鉄ではあるまい」
 サウザーの勢いのついた斬り下ろしからビュウの左手を守った白い仕込み手甲には、へこみはおろか傷すらない。
「……ゴドランド産の呪鍛合金製だ。左右合わせて十万ピロー」
 その金額に、さすがにサウザーは驚いたようにやや目を丸くした。
「素材と暗器の仕掛けとを考慮しても……法外な値段だな」
「そうか? 俺は――」
 と、左拳を握る。
「安いと思ったがな!」
 再び間合いを詰める。迎え撃つサウザーの斬撃を右の剣だけで弾き、左拳で向こうの腹を狙う。それに気付いたサウザーは過敏に反応した。左の手甲に仕込まれているのが毒針である事を思い出したらしい。
 ビュウから見て右に逃げた彼の胴を、左拳がかすめていく。が、すぐにビュウは左腕を大きく払った。白い手甲が、サウザーの脇腹にめり込む。
 もちろん、こちらの踏み込みも足りなかったので、大した一撃にはならない。しかしそれで十分だった。打ち払いの衝撃に身を任せて右に退いたサウザーに注意を向けつつ、ビュウは先程取り落とした剣に飛びつき、再び柄を握り締める。
 そして、左の剣を上段に据えて大きく後ろに引き、右の剣を下段に収めて水平にする。
 意識を集中させる。脳裏に描くのは、赤々と燃える炎。その炎はまるで粘土のように形を変え、湾曲した赤い刃に変化する。
 イメージが出来上がった瞬間、自分の身の内に力が流れ込んでくるのが分かった。背後から。サラマンダーから。
 力の流れをイメージする。身の内をただ駆け巡るのではなく、一つの統一された流れへと変化させる。その流れが二つに分かれる。一つは、体の左側へ。もう一つは、右側へ。二つの流れは、それぞれ肩、肘、掌へと向かっていき、ついには握る柄から白銀の刀身に到達する。
 チラリ、とサウザーを見た。いつの間にか先程と同じ肩に担ぐ構え。
 だが、こちらの方が早い!
「フレイムヒ――」

 ――その瞬間だった。
 凛とした声が、割って入ったのは。

「ビュウ、やめなさい!」

 炎に変換されて放出されるはずだった力が、どこかへと拡散し、掻き消えていく。その声が、ビュウの集中を簡単に破ってしまったせいで。
 単なる制止で乱されるような、やわな集中力ではない。だが、今のは――

(ヨヨ……!?)

『フレイムヒット』を放とうとした前傾姿勢から、たたらを踏むように身を起こして、声の方向を見る。
 サウザーの背後にある台地。彼に攻撃されようとして、パルパレオスに突き飛ばされたはずのヨヨは、そこに胸を張って仁王立ちしていた。
 彼女は、叫ぶ。
「私の騎士ならばこそ、やめなさい! 今は、機では――」
 そこで、言葉は不自然に途切れた。
「…………!?」
 目を見開くヨヨ。その翡翠色の瞳が細かに揺れる。
 唇がわなないた。中途半端に開かれたまま、小刻みに震えている。
 その強張った表情は、まさに、恐怖のそれだった。
 彼女の突然の変貌に声もなく見つめていたビュウは、ヨヨがビクンッ、と一つ身を震わせるのを目にした。不意に青ざめ、自らの体を抱き締めた彼女は、うわごとのように、こう囁いた。

「……違う――」

(ヨヨ?)
 事態が、尋常でない方向へと転がっていく。
 それをビュウは直感で悟った。

「違う……――私は、私はそんなのじゃ――」

 肩を抱き締めていた腕が耳に当てられ、次の瞬間、ヨヨは大きくかぶりを振った。

「違う違う違うっ! 私は……私は、嫌! 嫌、嫌、嫌、いやいヤイやイヤイヤ――――」
「ヨヨ――」
 だが、ビュウの声も届かない。彼女は、その白くほっそりとした首を大きく仰け反らせた。

「イヤァァァぁぁアあぁぁぁァっ!」

 その悲痛な絶叫が森にこだました瞬間。



 光が、満ちる。

 

 

 

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