―7―
血。
血。
血の……血の、臭い。
暗闇の中、その鉄臭さにふと振り返ると、足元から遥か彼方にまで、血の筋が伸びていた。
血河。
それが、これまでの歩みの跡だという事に思い至るまでには、そう時間は要らなかった。
その血河の上に、ボゥッ、と光が灯る。
闇に浮かぶそれは、徐々に竜の形を取った。
翡翠色の鱗を持つ竜。見とれても良さそうな美しさなのに、何故か、見つめるだけで、見つめられるだけで、背筋がはっきりと粟立っていく。
その竜が、笑った。
嗤(わら)った。
『汝の往く道は、血の臭いに満ちている……――』
嘲笑が、深くなる。
『その先に、何を見る?』
前を振り返る。
前には、闇。
延々と続く闇。
空疎な、空虚な、闇の空漠。
空漠。
何も、ない――――
「――――っ!」
上げた悲鳴は、しかし声ではなく吐息となって部屋に満ちた。
目覚め、跳ねるように起き上がったのは、それと同時だった。大きく浅く荒い呼吸を肩で何度も何度もしながら、額から伝い顎へと流れ落ちる汗を手の甲で拭う。しかし汗は顔だけではなく体全体を濡らし、そのせいで悪寒が体を走った。総毛立ち、思わず肩を抱き締める。
そうしている内に、ようやく、息が整ってきた。恐慌に陥っていた頭も、だんだんと冷えてまともに回転し始める。大きく深く深呼吸をして、それでやっと呼吸が常態に戻った。左膝を引き寄せるように立てると、左手を突いて前髪をグシャリと掻き混ぜる。指と指の間を通るその感触は、何だか湿っぽかった。
左の掌に額を押し付けたまま、横目で周囲の状況を把握する。どこか煤けた感のある狭い部屋は、ファーレンハイトの二階にある高級士官専用の個室だった。ベッドと、書き物机と、備え付けの小さなクローゼットと。こんなみすぼらしい様子でよくもまぁ「高級士官専用」なんて吹聴していられるものだ、とも思うのだが――今だけは、ありがたかった。共同部屋なら、今のでラッシュたちを起こしてしまう。
今の状態を見られるのは、さすがに御免被(こうむ)りたい。
ゆっくりと、吐息が漏れていった。そして思うのは、
(何だ? 今の……)
あの、空恐ろしいほどの空漠は。
それを自分に突きつけ、目の当たりにさせた、あの鮮やかな緑の竜は。
いや、あの竜は知っている。覚えている。
三日前、この目でしかと見た。光の中から嘘のように現われた、あの、圧倒的な存在感と威圧感を持つ幻影の竜を――
背筋に、寒気が再び走った。
それが嫌悪感を伴っているのに気付き、彼は、その事についてそれ以上考えるのをやめた。気持ちを切り替えようと顔を上げ、ずっと額に当てていた左手が微かに濡れているのに気付く。
「……顔、洗いに行かないとな」
そこでやっと、彼は声を絞り出した。自分でもそれと分かるほどかすれていた。そんな事に苦笑できるほどの余裕が戻っている。その事にホッとしながら、彼は生温いベッドから抜け出した。机の上に無造作に置かれた青のバンダナを手に取ろうとして――
コンコンコン――
「ビュウ、ビュウ! もう起きてるかい!?」
忙しいノックの音と、急かすような声。ビュウは弾かれたように扉を見た。
今の声は、プリーストのゾラだろう。早いところ戸を開けなければ――
バンダナを掴み、乱雑に額に巻く。それからようやく、彼は戸口に出た。
「……ゾラ? どうしたんだ、こんな朝っぱらに」
木戸の隙間から見えるゾラの様子は、とても慌てていた。興奮と、あとは……歓喜?
「姫様が……――」
「――殿下が?」
「姫様が、もうそろそろお目覚めになりそうだよ!」
ビュウはハッと目を見開いた。
大森林地帯の深奥でサウザーと対峙して、三日目の事だった。
ヨヨが間もなく目覚めそう、という声は、ファーレンハイト中に響き渡っていた。
が、まだ早朝五時半なのと、ゾラ自身が規制を掛けたのとで、ファーレンハイト二階奥、今後ヨヨの居室となる貴賓室に足を踏み入れた者は少ない。集まっている面子は、マテライトを筆頭に、センダック、何故かタイチョー、そしてやはりどういうわけかラッシュ、トゥルース、ビッケバッケの三人。
その六人が寝台の周囲を占拠している中、ビュウは、少し離れた位置に置かれたテーブルの上で、延々と柑橘類を切っていた。手の中に収めたレモンを、果物ナイフで適当に六等分し、へたを取り、手近に置いた銀メッキの水差しに落とし込んでいく。それだけの作業を、この部屋に駆けつけてからずっとしている。
「悪いねぇ、ビュウ」
「別に構わないさ」
鉢に盛られた果物の山を見やる。航行中には嗜好品となる、傷みやすい生の果実だ。目覚めたヨヨのために、と、昨日買ってきた物だった。
「あっちの子たちにやってもらった方が良かったかねぇ……」
「いいさ。もう終わったし」
水差しの中を注ぎ口から覗き込んで、ビュウはそう告げた。これ以上入れるのも無駄になるだけだろう。ナイフを置き、布巾で果汁に濡れた手を乱雑に拭いて、
「……昔っから、あいつに関係する厄介事は俺に回ってくる仕組みになってるしな」
「――え? 何か言ったかい?」
諦め混じりの吐息のような声は、注意をこちらから逸らしていたゾラの耳には届かなかったようだ。ビュウは苦笑して、
「いや、何でもない」
対するゾラは、そうかい、と呟いて、ベッド脇の場所取りで揉めているマテライトとタイチョーの口論の輪へと向かっていった。いつもの一喝が炸裂する事だろう。そのドサクサに紛れて、こちらも場所を確保しておかなければいけない事に思い至り、ビュウはそそくさと寝台へと向かった。
そう――ヨヨにまつわる厄介事は、全て、自分に回ってくるのだ。今も、昔も。
これから、動機はまるで違うのにマテライト辺りに何やら勘違いされそうな「場所取り」などというものをするのもそのためだし。
よくよく思い返せば、三日前もそうだったのだ。
光が、弾けた。
純白の光が、ヨヨを中心にして広がり、満ち、そして、音もなく弾け散った。
サウザーと対峙していたビュウは、見た。光が淡く融けていくその宙空に、ユラリッ、と波紋が走ったのを。
そして、その波紋から。
「竜……!?」
――そう呻いたのは、サウザーか、パルパレオスか。少なくともビュウではなかった。ビュウはその瞬間、それどころではなかったからだ。
この森に入ってからずっと感じてきた、あのどうしようもない吐き気が。
更に激しくなって、ビュウを容赦なく襲っている。
それでも嘔吐感を堪えて竜を見据えたビュウの碧眼に、それはひどく美しく映った。
形の揃った鱗は全て見事なエメラルド色に輝き、色のくすみも剥げたところもない。淡い若草色の角は雄々しく天を突き、艶と張りのある翼の皮膜は鮮やかな橙で、鱗とのコントラストが目が覚めるほどだった。戦竜よりも二回りは大きいその体つきは少しも貧弱なところがなく、竜としては理想的な体躯だ。
その姿は、まるで陽炎のように微かに透けて、向こうの木々の葉がうっすらと見えた。それは幻想的な光景で、ハッと目を奪われるものなのだが――
それでもビュウは、その竜に対し、どうしても嫌悪感を拭えないでいた。
理由は、本能的に解っていた。
そんな戦慄に襲われているビュウの目の前で、深緑の竜はその口蓋を大きく開いた。
サウザーに向けて。
「サウザー!」
パルパレオスが警戒の声を発する。だが、それにサウザーが反応する間はなかった。
音のない咆哮。
瞬間、生まれ、放たれた青白い光球は、弾けてサウザーを襲う。
「ぐぁっ――!」
光は、サウザーの体全体を貫き、消える。
そして、彼はその場に倒れ伏した。
「サウザーっ!」
絶叫するパルパレオスが、即座にサウザーに駆け寄る。その直後、彼の背後で、ドサリッ、と音がした。
それに対して真っ先に叫んだのはビュウだった。
「ヨヨ!」
声につられて、パルパレオスが勢いよく背後の大地を振り仰ぐ。白光は消え、まるで支えを失ったかのように、ヨヨは草地に倒れ込む。
ビュウは咄嗟にヨヨの元へと駆け寄ろうとした。ザリッ、と地面を蹴った音に反応して、パルパレオスがサウザーを抱えたままこちらに視線を向ける。ビュウは足を止めた。互いに、険しい視線で睨み合う。
――仕方ない。斬るか。
ビュウが、そう判断した、その時だった。
「カーナ戦竜隊隊長、ビュウ=アソル佐長……――」
不意に、かつての肩書きを囁かれ、彼は構えようとして僅かに上げた剣の切っ先を下げる。
パルパレオスの濃青の瞳に、危機的なものを感じなかったからだった。警戒はあるが、殺気はない。
「貴様の事を、王女から幾度となく聞かされていた……」
そう呟いた声には苦さがあった。まるで、向こうの言う「王女の話」が、聞かされた当人にとって余り楽しい話ではなかったかのように。
パルパレオスとビュウは、そのまましばし視線をかち合わせていた。しかし、ふとパルパレオスはこちらから視線を外して、背後の大地の上を見やり、それから、親指と人差し指で輪を作って口に持っていく。
ピィィィッ、と甲高い音が響いた。
それを合図に、一頭の飛竜が舞い降りてくる。青い鱗の竜だった。着地の羽ばたきが風を巻き起こし、ビュウの顔を叩く。剣を持ったままの右手で顔をかばうと、
「――王女を、お返しする」
パルパレオスの声が耳に届いた。
「今は、我らから退こう。だが……次は、容赦しない」
そう告げる相手の表情は、余りに苦く、どこか辛いものを含んでいる。
そして青い飛竜は飛び立った。
それを、内心安堵して見送ったビュウは、慌ててヨヨに駆け寄り、存命を確認。ファーレンハイトへと運んだのだった。
三日前のあの時に感じたものと同じ嫌悪感を、ビュウはほんのつい先程覚えていたのだ。
ふと、あの日のヨヨのあの声を思い出す。悲痛なまでの拒絶の叫びを。
(……どうしたんだ、お前は)
文句を言うマテライトを押し退けて陣取った、ヨヨの枕元。そこに立って見下ろす彼女の寝顔は、お世辞にも安らかとは言えなかった。
苦しげにひそめられた眉。額にうっすらと滲む汗。中途半端に開いた唇はカサカサに乾き、浅くやや荒い呼吸を繰り返している。
(いくら何でも、あれは尋常じゃないぞ? どうしたんだよ……)
胸中の語り掛けが、眠り続ける主君に通じるはずがない――
「――う……」
ビュウはギョッとした。
ヨヨが呻いた。
まるで、こちらの心の声に応えるかのようなタイミング。そんなはずないだろ、と自分で自分に突っ込みを入れていると、
「おぉっ、ヨヨ様っ!」
マテライトが、まるで食いつくようにヨヨの枕元に駆け寄り、跪いた。そこにいたために押し退けられる事となったラッシュは一瞬憮然としたが、すぐにヨヨの様子に注意を戻す。
誰もが待ち望んでいた瞬間が、ついに訪れた。
ヨヨの目蓋が、ゆっくりと押し上げられる。
王女の目覚めに、マテライトが、ラッシュが、トゥルースが、ビッケバッケが、タイチョーが、センダックが、安堵と感嘆の息を漏らす。
しかし彼女はまだ夢と現の境を彷徨っているようだった。その下から現われた緑翠の双眸が、虚ろに天井を見据え、ベッドを取り囲む者たちの上を無感動に通り過ぎ。
その視線が、唐突に、ビュウに止まった。
乾いた唇が動き、少しかすれた声が紡がれる。
「あれ……ビュウ……?」
やはり寝ぼけている。
目覚めていきなりだが、現在の情勢はさておき、自分の置かれた最低限の現状を把握させなければならない。
「おはようございます、殿下」
寝台に横たわるヨヨと目線を合わせるため、ビュウは恭しく膝を突き、その耳元に穏やかに囁いた。
そんな彼に対し、案の定ヨヨは、
「……え? ビュウ、貴方――」
「生きて再びまみえられた事、このビュウ=アソル、この上ない喜びと感じております」
「何でそんな他人行儀な――」
いい加減己の立場を思い出せ、この馬鹿娘が。
「殿下のご無事のご帰還を、我ら旧臣一同、心よりお待ち申し上げていたのです」
「我ら旧臣一同」とフレーズにこれでもかとばかりにアクセントを置くと、こちらを見るヨヨの目が、僅かに見開かれた。
やっと思い出したか。相変わらず世話の焼ける。
薄く笑みながらも胸中ではそんな風にぼやくビュウ。その側で、ヨヨは再び視線をめぐらせた。
「――マテライト……」
「おぉ……ヨヨ様、そうです、わしです。マテライトめにございますぞ!」
ヨヨの呼びかけに、マテライトはそれだけで感涙している。
「センダック……」
「姫……姫、よくぞ、ご無事で――」
センダックもまた、そこで言葉を詰まらせた。
「ラッシュ、トゥルース、ビッケバッケ……」
「ヨヨ様――」
ラッシュはそれきり言うべき言葉を失くし、ただ、泣き笑いのような表情を浮かべただけだった。トゥルースも同じように笑い、ビッケバッケだけが、いつものようにあっけらかんと笑っている。
彼らの顔を改めて見回しながら、ヨヨはゆっくりと身を起こす。
「皆……私、どうして? ここは――」
「ここはファーレンハイトだよ、姫」
センダックの答えに、ヨヨはチラリとそちらに目を向けて、
「……ファーレンハイト?」
「カーナ旗艦、ファーレンハイト。ビュウがつけてくれた、新しいこの艦の名前だよ。姫、覚えてる? 三日前、森林地帯でサウザーから解放されて、そのままずっと昏睡状態だったのです」
「三日……? では」
「そうだよ、姫」
深く大きく頷くセンダック。
「姫は、帰ってきたんですよ。わしたちの元に。わしたち、カーナの生き残りを中心とした、反乱軍の元に」
「そう……」
と、小さく吐息するヨヨ。右手で額と目を覆い、
「……夢では、なかったのね」
淡々とした言葉だった。
感動があるわけでも、ましてや落胆があるわけでもない。ただ、事実を事実として受け止める、その感情ではなく理性が先に立つような、事務的とすら言える声音があった。
「そうだよ、姫。これは夢じゃないんだよ。姫は、帰ってきたんだよ」
尚も言い募るセンダックは、その声の調子に気付いてはいないようだった。いや、おそらく、この場にいる誰もが気付いてはいない。王女帰還という慶事に浮かれているから。――ビュウを除いては。
そのまま、しばし沈黙が過ぎた。どことない違和感に誰もが戸惑う、そんな沈黙だった。
違和感の源は判っている。ヨヨだ。グランベロスから解放されて喜ぶべきところを、自分たちのようにあからさまに喜ばず、何か含むところがあるのか表情を暗くさせている。予想とは百八十度異なるその主君の顔に、ラッシュたちは顔を見合わせ、タイチョーは相も変わらず掛けるべき言葉を見つけられず、センダックはソワソワしだし、マテライトは急に何か良い事を思いついたような明るい顔をして――何かを思いついた?
「おぉ、そうだ! 夢といえば!」
不意にマテライトが声を上げた。暗いものを吹き飛ばす、底抜けに明るい声だった。――いや、暗いものから目を逸らすための空元気、の方がそれらしいか。
「先程まで、何やら夢をご覧になっておられたご様子でしたが……一体でどんな夢をご覧に?」
その瞬間、ヨヨの表情が強張る。
ビュウの頭のどこかで、警鐘が鳴った。
「夢……?」
「そう、夢ですじゃ! お聞かせください、ヨヨ様! ヨヨ様のお話が、わしは大好きなんですじゃ!」
「……大した夢では、ないわ」
と、どこか自嘲気味に返すヨヨ。
「ただ……緑色の鱗の竜が出てきて、話を――」
「竜と、話を?」
センダックが敏感に反応した。ヨヨのすぐ背後に歩み寄り、彼女の肩からその顔を覗き込むように身を乗り出して、息せき切って言う。
「姫、どんな話をしたの? 緑の竜って、あの、森にあった化石の竜の事?」
「……多分、その竜だと思うけど……でもセンダック、何故? ただの夢よ」
「それ……ただの、夢ではないよ」
「え――」
ヨヨの声が上ずった。それに気付かず、センダックは早口に続ける。
「それは多分、神竜と話したんだよ」
――その時、どれだけの者が気付いただろう。
ヨヨの体が、ビクンッ、と一つ震えたのを。
「わし、感じる。今まで感じた事がないほど強くて、大きくて、不思議な力……。これ、多分、神竜の力なんだと思う」
「…………」
「王家の言い伝えによれば、神竜と話をする時は、夢のような現のような、そんな曖昧な感覚があるんだって。だから、姫が見た夢は、ただの夢じゃない……」
「……………………」
「わしはワーロック。そのわしが、こんなに大きな力を感じてる、という事は、多分、神竜を召喚する事も出来る――でも、それには神竜の名前を知らないと。
だから姫、教えて。神竜と、どんな話を?」
「………………………………」
長い沈黙の末――
「……神竜の心を、集めろ」
「――え?」
「神竜の心を、集めろ。そうすれば、私はドラグナーになれる、と……神竜ヴァリトラは、言いました」
苦々しい、吐き捨てるような声音だった。
苦悶の末に絞り出した、辛さばかりが目立つ声だった。
それなのに――
「ヴァリトラ……それが、神竜の名前?」
「おぉ、ドラグナー! ヨヨ様が、ドラグナーに!?」
「マテライト殿、ドラグナーとは、何でアリマスか?」
(誰も、気付かないのか?)
「何じゃタイチョー、知らんのか! 良いか、ドラグナーとはな、神竜と語り、その力を自在に操る神秘の力を持つお方の事じゃ! 我らが忠誠を捧げる、気高く尊きカーナ王家。その聖祖がドラグナーであらせられ、神竜バハムートの加護を得て我が祖国カーナを建国したのじゃ!
そしてヨヨ様のお言葉通りならば、ヨヨ様はかつての聖祖の再来じゃ! ドラグナーとなられ、我ら反乱軍を勝利へと導き、祖国カーナの解放と再興を成し遂げてくださるのじゃ!
――おぉ、そうだ。こうしてはおられん。この事を皆に伝えねば! タイチョー! わしに続けぃっ!」
「はいでアリマス!」
中年二人はドタドタと部屋を去っていく。そのやかましさに、残された者たちは全て、目を丸くしていたのだが、
「――……なら、私は」
不意に、ヨヨがポツリと呟いた。
「私は……ここでも、ドラグナーである事が求められる、というの?」
「――姫?」
「ヨヨ様? どうしたんだよ」
センダックとラッシュの気遣わしげな声も聞かず、ヨヨは尚も呟く。
感情の欠けた、声で。
「どうして……どうして、皆? ドラグナーが何だと言うの? 神竜なんて、そんな力……そんな力で、一体何が出来るの? 何にもならないじゃない――」
「姫、姫、どうしたの?」
「ドラグナー……ドラグナー、ですって? 私が、この私が、ドラグナー? そんなの……そんなの、冗談じゃないわ!」
ヨヨの感情が爆発した。
怒声が炸裂する。割れた声は部屋にこだまし、その反響にセンダックもラッシュたちもギョッと身を退かせた。
「ドラグナー? それが何だって言うの! どうして皆、私にそうである事を求めるの! 冗談じゃないわ、やめてよ!」
「姫――」
恐る恐る伸ばされたセンダックの手をパシンッ、と勢いよく払いのけて、彼女は尚も絶叫する。
「聖祖と同じ? 再興を成し遂げる? 誰がいつ、そんな事するって言ったのよ! 勝手な事ばっかり言わないで! 人の気も知らないくせに――」
ギラリ、と周囲を睨むヨヨの目には、涙が浮かんでいた。それに皆がたじろぐ中、ビュウ一人だけが、冷静に焦っていた。
(まずい)
このままでは。
「あぁ、そうね。どうせ貴方たちは、旗印が欲しいだけでしょ! 亡国カーナの王女、神竜の心を知るドラグナー! 何て素敵な旗印かしら! 怖気が走るほどよ! 何も知らないくせに――何も知らないくせに、よくそんなおためごかしを言っていられるわね!」
「ヨ、ヨヨ様……?」
「それとも、知らないからそんな事言っていられるのかしら? この力の所以(ゆえん)を! これがどんなに――」
もう駄目だ。
そう結論してしまえば、後は早かった。
パシンッ。
部屋に、乾いた音が響く。
その直後に訪れたのは静寂。シン、と耳が痛いほどのそれは、目の前で起こった事態に対して呆気に取られた故のものだった。
目の前で起こった事態。
ヨヨは、打たれた左頬にゆっくりと左手を当てた。
ビュウは、ヨヨの左頬を打った右手をゆっくりと下ろした。
ヨヨの嘲笑にも似た悲鳴の残響が消えたのを見計らって、ビュウは、静かに告げた。
「皆、悪いが、席を外してくれないか」
「え……な、おい、ビュウ――」
「いいから」
と。
何か言おうとしたラッシュを睨んで黙らせたビュウは、それから、トゥルース、ビッケバッケ、センダック、ゾラの順に視線を送る。
それから、重ねて、
「いいから」
「……分かったよ、ビュウ」
忘我の態から脱したセンダックが、少し傷付いた様子で、しかししっかりと頷いて、
「さぁ、皆……」
と、先頭に立って、二人を残し寝台から離れていく。
最後まで逡巡していたラッシュが、足を戸口に向ける間際、ふとビュウとヨヨに不安げな視線を送り――
……バタン。
扉は閉まり、貴賓室には二人だけとなった。
痛いほどの沈黙に、それでも互いにただ黙って堪えながら。
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