―5―
重い。
剣を打ち合わせた感想が、それであった。
(さすがは元特務、『潰し屋』ゲルトベルク……!)
ゲルトベルクの一閃を右の剣で受け止めたビュウは、しかしその重さに、攻撃のために遊ばせていた左の剣も防御に回さざるを得なかった。双剣を交差させてガッチリと受け止め、同時に振り下ろすようにして相手の剣を弾く。
更に一歩踏み込んでのビュウの右の剣による斬撃は難なくかわされる。続けて放たれた、その場で一度回転しての遠心力まで乗せた左の剣の一閃も、あっさりと防がれてしまった。
と、ゲルトベルクの手が動く。後ろに押されるようにして剣を弾かれ、体勢を立て直すのと同時に、彼はビュウに打ち掛かってきた。
ギィンッ!
剣と剣とがぶつかり合い、火花を散らす。その重さと、その衝撃による手の痺れを歯を食いしばって堪え、ビュウはゲルトベルクとの鍔迫り合いに臨んだ。
「……どうした、『魔人』?」
すぐ間近にあるゲルトベルクの浅黒い顔が、ニィ、と嘲りの笑みに歪む。
「得意とするのは、所詮尻尾を巻いて逃げ出す事か――剣では、己の母親にも劣ると見える!」
ギリギリギリと、刃と刃が不協和音を奏でる。ビュウもまた笑った。
「いいんだよ、俺は――」
徐々に左の剣を鍔迫り合いから外していく。
「力仕事は全部、他の連中の仕事でね……」
ついに、右手だけでゲルトベルクの剣と拮抗する。
「俺の仕事は、昔から小賢しい知恵を巡らす事だけだ!」
自由になった左の剣で、攻勢に出る。上段からの斬り込みを、さすがにゲルトベルクは後ろに飛んで避けた。
再び剣を打ち合わす。一合、二合――その度に、物騒な金属音が森に高らかに響き、衝撃が両腕を痺れさせる。
そして、右の剣を大きく払われ、隙の出来た右の脇腹をゲルトベルクの剣が襲う。
「――――っ!」
右足のバネを無理矢理伸ばすのと、元特務の鋭く遠慮のない突きが腹をかすめていったのは、ほぼ同時だった。もう少し反応が遅れていたら……そう思うと、知らず内にビュウの頬を冷や汗が伝っていく。
だから、相手の集中を少しでも乱そうと……――と画策したわけでは、決してなかった。
「……何でだ?」
ゲルトベルクは、応答しない。
「何故、サウザーについている。元特務旅団だった、あんたが」
「…………」
そしてビュウは、気付いた。
その沈黙が、こちらの言葉を無視するものではなく、単に言葉に迷うそれだ、と。
王属派遣軍特務旅団。
十二ある派遣師団とはまるで異なる目的の下に設立されたその部隊は、その目的故に、旧ベロス王権や親王族派と蜜月関係にあった。
だからこそ、おかしいのだ。
かつて特務旅団で小隊を率い、『潰し屋』の異名を以てビュウたちフリーランサーを恐れさせたこの男が、親衛隊員としてサウザーに仕えている事が。
そして。
ゲルトベルクは、その厚い唇をゆっくりと押し上げた。
「――解らぬさ」
「……何?」
「我らの思い……貴様には、一生解らぬさ」
そう言って、彼の姿が、フッと掻き消えた。
ヒッと息を飲み、それでもビュウは、本能に従って左に逃れる。
直後、右手に鈍い、これまでにない強い衝撃が伝わった。
一際高い金属音が、木々の間隙にこだましていく。
叩き折られた右の剣の切っ先部分が緩やかに弧を描き、そして、苔むす地面にドスリと突き立った。
「――ビュウっ!」
ラッシュの絶叫が後ろから聞こえた。
「……さて、どうする『魔人』?」
それにかぶるようにして、ゲルトベルクの静かな声が放たれる。
「クロスナイトとして二刀流を操る貴様が、左の一振りだけで、私に勝てるか?」
折れた右の剣を見下ろす。
何の変哲もない、特にこれといった銘があるわけでもない安物の剣だ。つい最近買った物だが、それでも、いずれ折れるであろう事は分かっていた。一回の戦闘ごとに刃こぼれは目に見えて増えていったし、脂による切れ味の悪化も肌で感じていた。
そしてゲルトベルクの言うように、クロスナイトは二刀流を基本として戦う。双剣の内の片方が折れてしまうと、それだけで、戦闘力は半減してしまう。
ビュウは、右手の中の柄を放り捨てた。
「…………?」
突然の行動に、何をしているのだか、という顔のゲルトベルク。その彼を視界の片隅に収めながら、ビュウは二、三度右拳を握ったり開いたり。
「……俺の親父の二つ名、知ってるか?」
「……何?」
「俺の親父だ。トリス=アソル。特務の標的リストにも名前があったはずだが?」
「…………」
それは、昔々の事。
『クロスナイトだからって、何もいつでも二刀流で戦う事ぁねぇさ』
父は、そう言った。
「さて――」
と。
ビュウは、おもむろにその右手を左の剣に添えた。
「『剣匠アソル』の剣技、ごろうじろ」
両手でしっかりと剣を構え直す。
ゲルトベルクはハッと反応して防御の形に構えるが、しかしビュウは構わずに、真っ向から飛び込んだ。
刃と刃が真っ向から噛み合う。ここで再び鍔迫り合いをしても、先程と同じ結果になるのは目に見えている。ならば、とビュウはゲルトベルクが剣に掛ける力の方向――つまり背後へと一旦飛び退く。
直後、たたらを踏むようにしてつんのめるゲルトベルク。バランスが崩れた隙を突かんとビュウは剣を突きの形で繰り出す。
その瞬間のゲルトベルクの判断は見事なものだった。事後の反応が鈍くなるのを覚悟の上で、こちらの足元へとその身を投げ出すように滑り込んだのだ。
(足を取られる――)
ハッと息を飲んだビュウが右足を前に蹴りだそうとするのと、片腕だけで上体を起こしたゲルトベルクがその右足首を掴んだのは、ほぼ同時。蹴りは、上がらない。
「――――っ!」
ゲルトベルクの手が閃き、握る剣でこちらの右足の腱を狙ってくる。ゾワリと背筋が粟立つのを覚えて、しかしそれでもビュウは退かない。
退いていられない!
「ぅらぁっ!」
蛮声を上げ、掴まれた右足を無理矢理蹴り上げる。そして次の瞬間に感じた加重からの解放に、本能が警鐘を鳴らした。
ゲルトベルクは右足を離して、どこに消えた?
「っぁああああ!」
右手から突進。転がり、起き上がったらしいゲルトベルクが、剣を腰だめに構えて、重心を低くして飛び掛かってくる。
突き出される剣。それを、握る剣で打ち据えて方向を変え、刀身をそのまま相手の剣の上を滑らせる。そして更に一歩踏み込み、ゲルトベルクの左肩を一閃する!
ザンッ!
「ぐぁっ……!」
肩当てに守られた左肩ではなかったが、それでも上腕をやられた左腕を使おうとするのは難しいだろう。ゲルトベルクが痛みに顔をしかめたのと同時に、ビュウは間合いを取って大上段に剣を振りかぶった。
それを見た向こうがハッと息を飲む。が――ビュウは、何のためらいもなく叫ぶ。
「フレイムパルス!」
バシュッ!
「がはっ――!」
振り下ろした剣から放たれた炎の刃は、防御のために掲げられたゲルトベルクの剣を砕いてその胸を正確に貫く。しかし瞬間的に傷を焼かれ、体液を蒸発させられ、彼は血を吐く事も出来ない。
心臓と肺を灼く熱に、ゲルトベルクは息を詰まらせ胸と喉を掻き毟った。しかしすぐに地に倒れ伏す。息も荒く、その動きを見守るビュウ。
こんな声が、耳に微かに届いた。
「解る、まい……――――」
それが、先程のあの会話の続きである事は、すぐに解った。
元特務でありながら、親衛隊員になったゲルトベルク。その胸に抱いていた大志が何であったのかは、もう知る術はないだろう。絶息したのを見て、ビュウは剣を下ろした。
(……解るかよ)
そう胸中で呟いた途端に、ビュウはゲルトベルクへの一切の興味をなくした。それから、特に気分を変える事もなく、ビュウは顔を上げてそこにいる男をまっすぐに睨みつけた。
「さて、サウザー皇帝……」
件の人物は、さすがに親衛隊員を四人も一気に殺されて、顔色を僅かに変えていた。
「どうされますかな?」
そう言って笑ったビュウの顔は、自分でも凄絶だと感じていた。
すると、サウザーはようやくといった態で口を開いた。
「……思い出したぞ、『魔人アソル』……――」
傍に控えるパルパレオスと、ビュウの背後のマテライトやラッシュたちが懐疑の目を向ける中、彼は、ゆっくりと言葉を続けた。
それは、苦々しさにまみれていた。
「十一年前のマハールで……私の率いる第八師団の先行偵察部隊を殲滅し、逃走を指揮しながらも我々に打撃を与えた――」
「――あの時の……!」
パルパレオスが声を上げた。ハッと変えた表情は、その時の衝撃を思い出した驚愕の顔だった。
十一年前、マハール。
当時十歳だったビュウは、まだツンフターだったサウザーが司令を務め、パルパレオスが突撃大隊を指揮していたベロス王属派遣軍第八師団と、交戦した。
フリーランサーとツンフターが血で血を洗う激戦を繰り広げた、あの悪夢の六日間。
それを忘れていたとは、随分と腑抜けたものだ。
「成程な……。あの時の小僧なら、これほどまでに我々の手を煩わせてこられたのも納得できる……」
口角を皮肉げに吊り上げて、サウザーは呻く。ビュウは鼻で笑った。それを見咎めるサウザー。
「何がおかしい?」
「……そうやって自分を慰めるのはそちらの勝手ですが、話を逸らすのはやめていただきたい」
「…………」
「改めて、ご回答願おう」
そして、語気を更に強くして、ビュウははっきりと問うた。
「どうされますかな?」
「……………………」
サウザーは、押し黙っていた。
ビュウもそれ以上何も言わなかった。そのため、痛いほどの沈黙が大森林地帯の深奥を包む。
そして。
「……ヨヨ王女」
最初に動いたのは、やはりサウザーだった。
しかし、動いた先がビュウの予想から少し外れていた。てっきり自分に斬り掛かってくると思ったのに――
(ヨヨに……?)
「貴女の騎士は、中々侮れませんな」
サウザーは、背後に緊張の面持ちで控えていたヨヨに向き直っていた。言われた当のヨヨは、
「サウザー皇帝……?」
と、聞き返すだけ。
その声に幾分の不審の調子を聞き取ったサウザーは、フッと表情を和ませて、
「貴女の騎士には負けました。まさか、これほどまでとは……。我が親衛隊をこんなにも見事に退けてみせるとは、思いもしませんでした」
「…………」
「その騎士に免じて――」
言葉を切って、サウザーは、体の向きを少し変えた。
ちょうど、ヨヨに道を譲るように。
「ヨヨ王女、貴女を我が帝国から解放して差し上げましょう」
「皇帝……?」
信じられない、といった様子のヨヨの声を耳に受けながら、ビュウの頭は既に高速回転を始めていた。
したり顔で微笑むサウザー。カーナを滅ぼしておきながら、何故かヨヨを虜囚にし――その実態が「擁護」であったのを、ビュウは知っている――、キャンベルくんだりまで連れ回しておきながら、こちらがちょっと暴れただけで解放する?
(何を企んでいる?)
「さぁ、お行きなさい。あそこに、貴女のかつての臣下がいる。ためらう事はないでしょう」
「…………」
その言葉に、ヨヨはその目をこちらに向けた。
戸惑いと、懐かしさと……色々な感情に揺れる、鮮やかな緑色の瞳。
その目が、こちらを見た。
一瞬だけ、その目に浮かぶ表情が変化する。
脆弱さが消え、苛烈さが上る。
そして、ビュウはその苛烈さの意味を理解した。
(ヨヨ……――)
あれは。
覚悟の目だ。
三年前に、あの闇の中で見せたものと同じ、悲壮感すら漂う凄絶な覚悟だ。
そして同時に、こちらへの全幅の信頼感。
(――応えないわけにはいかないか)
何故なら自分は、彼女の騎士だから。
ヨヨが、一歩こちらへと足を踏み出す。
ためらいがちな一歩が、二歩、三歩、と数を増やし――
「……私は、貴女の力を借りずとも新たなる時代の扉を開いてみせる」
サウザーが、ポツリと呟いた。
「共に見れぬのは、いささか残念ではありますがな――!」
そして。
複数の影が、同時に動いた。
目にも止まらない速さで腰の剣を抜き払ったサウザーは、ヨヨを背後から斬ろうとした。
それを見たパルパレオスが、それを上回る速さでヨヨを――ビュウから見て――右に押しやる。結果、サウザーの剣は空を斬る。
――はずだった。
ギィンッ!
これまでの中で一際高い耳障りな金属音が、緑の天蓋を震わせていく。
それと同時に、ビュウの両手にも無視できないほどの痺れが手から肘、肩へと伝って駆け抜けていった。
両手で構え、支えた剣は、血にまみれ、既にボロボロでありながらも、何とかサウザーの壮絶な一撃に耐え切ってみせた。
「……嬉しいぜ、サウザー」
ギチギチと、サウザーと力勝負を演じながら、ビュウは小声で囁く。
その、余りにも嬉しそうな、しかし不穏な声音に、サウザーは眉根を寄せた。
「そういう卑怯者なところだけ、昔と変わってくれてなくてよぉ……――」
「何……?」
「これで――」
ビュウは、不敵に笑った。
それを見てサウザーが一瞬退いたが、そんな事はどうでもいい。
とにかく、彼は言い放った。
「心置きなく、てめぇを潰せる」
ヨヨを狙うサウザーの一撃を、二人の間に割って入る事で防いだビュウのその笑顔は、『魔人』の二つ名に相応しい禍々しいものだった。
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