―4―
ビュウが、後続の者たちを引き連れてマテライトたちに追いついた瞬間、
「――マテライト!」
センダックの悲鳴が光差す広場に響く中、マテライトの体が宙を舞った。その軌跡を追うようにして舞う、陽光を受けキラキラと輝く無数の金属片は、身にまとう鎧か、はたまた砕かれた戦斧か。
ザザッ、と背中から草地に転がるマテライトに、センダックとルキアが咄嗟に駆け寄った。その一方で、立ち止まったビュウの背中に張り付いていたビッケバッケが、
「ラッシュ! トゥルース!」
と、同じようにして、剣を折られ倒れているラッシュたちに駆け寄る。その傍に、タイチョーもいた。
ビュウは四人を一瞥する。とりあえず、生きている――が、この場でこれ以上戦うのはまず無理だ。
それから、ほぼ真正面にいる連中に、鋭く細めた碧眼を向けた。
「ほぉ……あの時の小僧か」
その一団――計、七人――の中心にいる男が、ゆっくりと、一歩前に歩み出る。
ブルーグレイの険しい眼差しが、ビュウの視線とかち合う。
「久しいな、若き戦竜隊隊長」
口調に笑みと同量の憎悪を込めて、サウザーはニィ、と笑ったのだった。
放たれる威圧感は、歴戦の将軍ゆえか、それとも皇帝ゆえか。
睨まれ竦む背後のプリースト、ウィザードたちや、マテライトやラッシュたちを助け起こしたセンダック、ルキア、ビッケバッケはこの際無視する事にして、ビュウもまた、口の端を皮肉げに持ち上げた。
「左腕の調子は如何か、サウザー皇帝? まぁ、貴方の利き腕は右であったと記憶していたが」
「よく知っているな、ビュウ=アソル。だが、この通りだ」
と、サウザーは左腕をこちらに示してみせる。握ったり開いたり、を繰り返して。
その動きは、比較的滑らかだった。
「潰すのであれば、右腕にするべきであったな」
別に、どちらでも良かったのだが。
こちらの思いなどつゆ知らず、左腕を脇に下ろしたサウザーは、改めて質(ただ)してきた。
「して、用向きは?」
彼の前に展開する、四人の兵士たち――隙のない構えから察して、十中八九、親衛隊――が、油断なくビュウに剣の切っ先を差し向ける。
グランベロス軍の最エリート部隊の隊員が、四人も。
「――もちろん」
声を張り上げ返しつつ、しかしビュウの頭脳は冷静に打算を開始していた。
親衛隊員が相手では、ビュウの後ろにいるヘビーアーマーやランサーたちが束になったところで、たかが知れている。
であるならば――
「我らが主君、カーナ王国第一王女にして正統なる王位継承者、ヨヨ=フィアレ=ル=カーナ王太子殿下をお返しいただく」
朗々と宣言して、ビュウは、サウザーの更に後ろにいる、午後の日差しを受けて照り輝く、見事な黄金色の髪の娘に目を向ける。
三年ぶりに見たヨヨは、二十一の女に相応しい美しさと肢体を兼ね備えたようだった。しかし、眼前で繰り広げられた戦闘――それも、旧知の者たちが倒れゆく――に色をなしたか、青ざめ、胸のところで両手をギュッと握り締めている。
そして、その唇が震えながらも開き、
「ビュウ……!」
と囁かれたのを、ビュウは、確かに耳に捉えた。
変わらないな、と思う。
そうやって、さも心配そうな顔をしてみせる、ヨヨのその演技力が。
「……笑止な」
と、サウザーは鼻で笑い飛ばした。
「我がグランベロスの大事な賓客を、そうやすやすとどこの馬の骨とも知れない者たちに渡せるものか」
「馬の骨、だと……!?」
反応したのは、ビッケバッケに助け起こされつつあったラッシュだった。それを聞きつけたサウザーが、チラリと地に伏す彼に目をやり、
「違うか――と問いたいところだが、生憎、そんな議論をしている場合ではない。
さぁ、ヨヨ王女」
と。
不意に後ろを振り向いたサウザーが、背後のヨヨに呼びかけた。彼の背中は、もちろん、親衛隊員たちが油断なく守る。
何より、彼の傍にパルパレオスがいる。手は出せない。
「この神竜ヴァリトラと語り、カーナ王家の神秘の力――神竜と語りその心を知るドラグナーの力を、我々に示してください」
(な……?)
その瞬間、ビュウの頭は真っ白になった。
神竜ヴァリトラ?
ドラグナー?
ヨヨの背後にある、大きな緑の物体。それは、よくよく目をこらせば、翼を畳んで眠る竜の化石に見えなくもない。
あれが、神竜ヴァリトラ?
ヨヨが、あれと、語る……――
ドラグナー。
途端にビュウを、これまで感じていたものよりもずっと激しい吐き気が襲う。それこそ、この場で胃の中にあるもの全てを吐き出してしまいたくなるような。
そして、それが致命的な事だと判っているのに、ビュウは身を二つに折り曲げずにいられなかった。
「ビュウっ!」
悲鳴。ヨヨだ。
それにかぶるようにして、ザッ、という雑草を踏みしめる音――
かつての感覚が蘇る。
ビュウは、上目遣いに視線を正面に戻した。
向かってきたのは、三人。まだ若い――ビュウよりは歳上だろうが、壮年と言うには早すぎる年頃。三十路前後だろうか。
殺す。
敵は、正面、左右の三方向から。正面の親衛隊員が、一番近いか。かなり使い慣れているらしいバスタードソードを、突きの形で繰り出してくる。
剣尖がビュウの腹を貫こう、という瞬間、彼はその剣尖の高さよりも更に低く身を屈め、前に身を投げ出すようにしてその親衛隊員の懐に潜り込んだ。
バスタードソードの柄を握るその右腕を左手で掴み、唐突な出来事に唖然とする親衛隊員の顎に、ビュウは握り締めた右拳を当てる。
カチリ、と鳴る音。
すると、ビュウが身に付ける白く重厚な手甲の仕掛けが作動し、前腕部を保護している分厚くやや歪な金属板に内蔵されている極薄の鋭利な銀色の刃が三枚、手の甲の部分に開いた射出口よりバネ仕掛けにより射出。サクリ、という軽い音と共に、親衛隊員の柔らかい下顎の肉に深々と突き刺さった。
「がっ……――」
口から血を吐き、仰け反る親衛隊員。口蓋を突き破り、脳にまで達しただろう。それくらいの威力を求めて造らせた仕込み手甲だ。高い金を払ったのだから、そのくらいのコストパフォーマンスを期待してもいいはずだ。
仰向けに倒れる僚友の体に、肉薄してきた他の二人は反応しきれなかった。
ザシュザシュゥッ!
「あぁっ……!」
戦友の体に剣を突き立ててしまった、という罪悪感が、二人を呻かせる。そしてその隙を、見逃すはずがない。
ビュウは音もなく絶命した親衛隊員の影から躍り出ると、一番手近の敵に肉薄した。今度は左拳を握り、やっとビュウの接近に目を見開いて反応し始めた彼の顔に、それを叩き込む。
左の手甲に仕込まれていたのは、中指よりも少し長い、細く鋭い毒針。それが、目を貫く。
「っがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
絶叫。拳を引いて針を抜き、付着した血を軽く払う。眼を貫かれた親衛隊員は、顔を手で覆って悶絶していた。そのまま草むらに倒れ伏し、痙攣を始め……動かなくなる。
その頃には、ビュウは最後の親衛隊員に迫っていた。相次ぐ戦友の唐突な死に、さすがの隊員も色をなしたか、こちらに、化け物を見るかのような怯えた目を向ける。
愚かな。
「ひぃっ……!」
自然、口元に笑みが浮かんだ。それを見て、ついに彼は頭が恐慌に陥りかけたらしい。そこで初めて剣を抜き払うビュウ。
右の剣、一振りだけ。
親衛隊員が剣を閃かせた。左から来た斬撃を少し無理して右手に握った剣で受け止め、そのまま、更に一歩踏み込む。
右手を、大きく上に上げる。
ギィンッ、と澄んだ音を立て、親衛隊員の剣が大きく上に弾かれた。体勢を崩すには至らないが、それでも一瞬だけ、胴ががら空きになる。
そこに、ビュウは蹴りを入れる。胴を包む鎧とブーツの底に仕込んである金属が硬い音を立てる。そして、蹴りの勢いに親衛隊員が負けた。後ろへと、尻餅を突く。
それで終わりだった。
ズブリ。
「っは……!」
無造作に放った突きは、彼の喉元に突き刺さる。声帯を切り裂き、動脈を切断し、切っ先を引きずり出したら、盛大に鮮血を撒き散らす。
それでビュウの興味は失せた。仰向けに倒れて、まだ息があるのか、死へと続く痙攣と浅い呼吸を繰り返す親衛隊員から、視線を正面に戻す。
サウザーとパルパレオスの表情は、それなりに見物だった。
手練の親衛隊員を瞬殺。それも、騎士の戦い方とは思えないやり方で。眼前で繰り広げられた、現実味に欠ける、しかし凄惨な光景に、さすがの二人も表情を強張らせている。ヨヨも、ともすれば上げそうになる悲鳴を押さえているのか、口元に手を当て、蒼白な顔で震えている。
だが。
その中でただ一人、顔色を変えず、ビュウに挑むような顔つきを向けている者がいる。
サウザーたちを護衛する最後の親衛隊員は、確かに、今ビュウが殺した三人よりも、格が上に見えた。年齢はサウザーとパルパレオスよりも上で、おそらくは四十前後。黙って三人を戦わせていた辺り、おそらくは、この護衛分隊の隊長だろう。
その男が、一歩、前に歩み出た。顔の造作がよりはっきりと見える。
(ん……?)
面長の顔、少し浅黒い肌、くっきりとした目鼻立ち。
どこかで見た気が……――
と、ビュウが内心首を傾げていると、
「……見事だな」
分隊長が、口を開く。
「さすがは、『魔人アソル』」
§
「……『魔人』?」
最後の親衛隊員の口から飛び出てきた言葉を反芻して。
ラッシュは、トゥルースやビッケバッケと顔を見合わせた。
その聞き覚えのない単語は、どうやら、彼らの尊敬する戦竜隊隊長を指すものらしい。
ひどく違和感があった。
§
「『魔人アソル』……?」
部下の言葉に、パルパレオスは記憶をさらう。
その二つ名を、どこかで聞いた記憶があった。
§
ヨヨは、震えていた。
震えながら、ただまっすぐに、ビュウを見つめていた。
(ビュウ……――)
心配などしていない。
彼女の騎士は、あんな男になど負けはしない。
背後の神竜さえなければ、背筋を伸ばして、胸を張って、青ざめる事もなく、彼の戦いを安心して見ていられるのだが。
§
懐かしい呼び名だ。
そしてその呼び名で、ビュウは、対峙している親衛隊員の正体を悟った。
より正確を期すならば、彼が親衛隊に所属する前――グランベロスがまだグランベロスではなく、ベロス王国と呼ばれていた時代、ビュウたちが「ツンフト」と呼んでいた王属派遣軍での所属を。
「俺をそう呼ぶ、って事は……」
『魔人』。
かつて、ビュウが在野の傭兵、通称フリーランサーであった頃、いつの間にか付けられ広まっていた二つ名だ。
それを、この場で、元ツンフターの親衛隊員が、わざわざ呼ぶ。
『魔人』の二つ名が付けられた経緯を把握しているビュウには、それだけで十分なのだ。
「てめぇ、元特務旅団だな?」
サウザーとパルパレオスが、ハッと親衛隊員を見る。
彼は、肯定とも否定ともつかない微笑を見せた。
それに対し、ビュウも、薄く笑ってみせる。
その笑顔の対峙は、傍から見ても、獰猛(どうもう)なものであったろう。
先に口を開いたのは、結局こちらだった。
「名前は?」
「イラド・ヤエル=ゲルトベルク」
低く抑揚に欠いた声が耳に届いた瞬間、ビュウの記憶に触発するものがあった。
「ゲルトベルク……」
途切れていた記憶と記憶を繋ぐ糸が、今、元通りになる。
「――思い出した。てめぇには、仲間が五人、殺されている」
ゲルトベルクといえば、ビュウたちフリーランサーの間では恐れられた、王属派遣軍特務旅団の刺客だった。
「特務の人間が、何でサウザーについているかは知らないが……」
スラリと、鞘に収めたままだったもう一振りの剣を抜く。
「ちょうどいい。ここで死ね」
ゲルトベルクは笑ったままだった。
そして笑ったまま、剣を構えて一足飛びに間合いを詰める。
それが傭兵同士の戦いである、という事を理解していたのは、この段階で、ごく少数。
剣戟の音が高らかに森に響いた瞬間、その数は、僅かに増えた。
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