―2―
キャンベル。
青き大陸。オレルスの翡翠(ひすい)。空のエメラルド。
称賛する言葉こそ多いが、その歴史を紐解くと、これらの耳に心地良い賛美とは程遠い血生臭さが見出せる。
その血生臭い歴史の一端に、今、ビュウたちはいた。
「――というわけで、キャンベル史というのは、大体が『草原の民』と『森林の民』の民族紛争の歴史なんだ。この要塞だって、元は『森林の民』側が『草原の民』の侵入を防ぐために築いた長城だ」
「それを、グランベロスが防衛拠点に利用した、か……。
ねぇ、ビュウ? この要塞は、かなり老朽化してるわね? 要塞としての防御力という点で見れば、余り期待できないと思うんだけど……グランベロスは、よく使う気になったわね」
「そりゃ、新しく建てるよりかは、騙し騙し補修して使う方が金が掛からないからさ。
グランベロスも、三年前までの各国侵攻で、大分国費をバラ撒いたからな。経費節減が出来るなら、何だっていいんだろう。実際、新築するのと補修するのとでは、〇が一つか二つ違うはずだし。
それに、キャンベルはグランベロスに無条件降伏をした国だ。新しく要塞を建造、となると、用地やら労役やら建築費捻出の問題やらで、せっかくおとなしくしてくれているキャンベル国民から反感を買いかねない。連中も、『草原の民』を敵に回したら厄介だ、って事は熟知しているはずだしな。
そういった諸々の問題を考慮すると、築五百年以上で放置されて百年近くになるこの長城と要塞も、ありがたく見えるもんさ」
と――
そこまで一気に説明し終えると、隣を歩くルキアは感心したように目を軽く見開き、幾度か頷くと、
「だけど、ビュウって凄いのね」
「何が?」
「クロスナイトで、戦竜隊隊長で、反乱軍の提唱者で、頭が良い、って事。特に歴史。凄く詳しいのね」
「……そっちの本ばかり読んでだからなー、一時期」
と事もなげに答えると、読書家なのね、とルキアは明るく言った。
ルキア=ハヴァロッティは、マハール騎士団の一員だったライトアーマーだ。
ビュウよりも二つか三つは歳上だと思われる、長身の女騎士。長い金の髪と澄んだ青の双眸は、あのミストを思い起こさせるが、性格は大いに違った。その大らかな人柄は、どちらかと言えば、母に近い。
(……母さん、元気かな)
あの母が病気や怪我をするなど、カーナ・ラグーンとキャンベル・ラグーンが衝突するくらいにあり得ない事だが、ルキアから始まった連想は留まる事を知らず、ビュウに郷愁を催させる。
「アニキー!」
それも、二人の前方にある階段から下りてきたビッケバッケの声に、あっさりと断絶させられたが。
「どうした? ビッケバッケ」
「上の階に、人がいたんだ。ラッシュたちが取り押さえて……ここにいた、グランベロス兵みたいなんだけど」
弟分のナイトは、こちらの表情を伺うような視線をビュウに向ける。
「アニキ、どうする?」
ビュウはルキアと、特に示し合わせたわけでもなく、顔を見合わせた。
グランベロス皇帝サウザーが、カーナ王女ヨヨを伴い、キャンベルに入る。
グランベロスの帝宮に出入りしている知り合いの商人から手に入れたその情報が、これほどに慌しい蜂起を促した。
その目的が何か、までは判らなかった。けれど、護衛が親衛隊一個小隊のみで、グランベロスから最も遠い――そして、反乱軍の潜伏していたキャンベル領辺境テード島に最も近い――場所にまで足を運んでくれる、というこの状況を、逃す手はない。
人材、物資、戦力不足。圧倒的に不利な状況下だが、最早ただ一人となったカーナの王族がそこにいて、カーナの空中戦艦がすぐ近くに配備されていて、しかも、警備が手薄。
躊躇(ためら)う理由がどこにある。
そして、サウザーがキャンベル北方の大森林地帯の手前にある長城の要塞に入ったのを知り、ファーレンハイトを奪還してから三日経った今日、ビュウたち反乱軍はこの要塞に攻め込んだ。
……空振りだったけれど。
ビッケバッケと共に上がった階段の先にある部屋に、先に突入し、そして要塞がもぬけの殻だった事を身を以って証明してくれた連中――マテライト、タイチョー、ラッシュ、トゥルース――が雁首を揃えて、部屋の隅で人垣を形成していた。
「……で?」
「――ビュウ! 遅ぇじゃねぇか!」
「お前らが俺たちを無視して先に突入したんだろうが。
で? 何がいた、って?」
「こいつじゃ」
と、神妙な顔で腕を組んでいたマテライトが、顎をしゃくって示した。四人の体の隙間から、ビュウは首を伸ばして覗き込む。
「……………………下っ端じゃないか」
おそらく、捕まるまいと必死に逃げ回っている内に、こんな所に追い込まれてしまったのだろう。
グランベロス軍の兵卒の中でも下っ端中の下っ端、レギオン位とおぼしき若い兵士が、傍から見ても哀れなくらいに顔を恐怖の色に染めて、その身を震わせていた。
「……まぁ、確かに下っ端じゃろうが」
ビュウに言われて改めて確かめたか、チラリと兵士に視線を走らせたマテライトが、何やら重々しく返してくる。
「それでも、何か知っているはずじゃ。例えば……――」
と、再び彼に目を向ける。哀れなレギオン兵は、ビクンッ、とあからさまに身じろぎした。
「サウザーめとヨヨ様がどこに行ったか、とかな」
「けれど、何も話さないんです」
フォローするようなトゥルースの言葉に、ビュウは思わず額を押さえた。
そりゃ、こんな風に囲まれちゃ、ビビるに決まってるだろ。
特に、実戦経験がろくになさそうな、こんな若いレギオン兵――外見からして、大体十四歳から十七歳か。グランベロスでは十四歳で兵役に就く事が義務づけられているから、そのくらいだ――では、尚更だ。大体こちらは、つい先程まで守備隊と戦闘を繰り広げ、多少落としたとは言え、返り血や砂埃や泥で、まだ装備も汚れているわけだし。
「ビュウ、どうするでアリマスか?」
「どうする、って聞かれてもな……」
安易に回答を求められても、困る。ビュウはレギオン兵を見下ろしたまま思案すると、ふと思いつき、並ぶラッシュとマテライトを少し脇にどけてその場にしゃがみ込み、少年レギオン兵の目を覗き込んだ。
「というわけで、知っている事は何でも教えてくれると、こちらとしては非常に嬉しいんだが?」
「隊長、そんな、ストレートに」
げんなりした口調で、トゥルース。しかし、相手のレギオン兵はといえば、
「し、しし、知って、る、こ、事?」
余程怯えているのか、どもりがひどい。グランベロスの新兵訓練は、一体どうなっているのだ? いくら若いとは言え、こんな肝の据わっていない兵を配備するなんて。自分がこれくらいの歳には、無駄に肝が据わりすぎていて、敵に囲まれようが目の前で人が死のうが、眉一つ動かさなかったのに。
そうだ、と一つ無言で頷いたビュウに、その若輩者は、目を見開いたまま視線を落ち着かなげに彷徨わせて、
「な……何も、何も、知りません。だから――」
「だから?」
「だから……――」
盛大な溜め息と共に先を促すと、彼はしばし口ごもってから、
「ご、拷問だけは……」
情けない。
ビュウは、再び盛大に溜め息を吐いた。
「? どうかしたでアリマスか?」
「何でもない」
何でもない事などない。
すがるような眼差しをこちらに向ける、若いグランベロス兵。
これが、かつてビュウが真っ向から対決した、あのベロス王属派遣軍――ツンフターの、成れの果て?
いくら若いとはいえ、拷問に怯えるような未熟な兵士を、属州駐留軍の守備隊に配備するとは。
一体どんな教育を受けてきたのか知らないが――
「……質が落ちたな」
「え?」
問い返してきたのは、トゥルースか、ラッシュか、それともレギオン兵か。
どれであっても大差なかった。
興醒めした、冷ややかな眼差しを向けると、それを敏感に察したか、眼前の新兵は再びビクリッ、と身を震わせた。
それが更にこちらを冷めさせるのだが、もうどうでもいい。
「で、ビュウ、どうすんだよ。拷問するか?」
いつまでも黙っているビュウに苛立ちを感じたか、ラッシュが神経質に声を張った。狭い部屋に意外なほどに派手に反響して、心臓がネズミほどもない臆病者の精神を更に追い詰める。
「拷問、か……」
と呟いて、相手を観察すると、
「ご、拷問だけは……痛いのは……」
「……痛いのは嫌か」
少年兵は勢いよく、そして何度も頷いた。
そんな覚悟も出来ていないのか。
――そんな覚悟も決めさせられなかったのか。
ビュウは立ち上がると、左右交互に視線を向けて、
「タイチョー、オッサン、そいつが暴れないよう押さえてくれ」
「何じゃ、結局拷問するんか」
「分かったでアリマス!」
重装歩兵二人に両脇をガシッと固められ、レギオン兵はびっくりした面持ちで忙しなく周囲に目をキョロキョロとさせて、
「ラッシュ、トゥルース、そいつの足を押さえ込んで、靴脱がせろ」
「靴ぅ?」
「分かりました。――ほら、ラッシュ」
淡々と頷いて与えられた指示をこなし始めるトゥルースと、どこか納得いかない面持ちでそれに倣うラッシュ。レギオン兵は、相変わらず怯え戸惑ったまま。
情けない。
これが、誇り高きベロスの戦士か。
彼の、さらけ出された足の裏を見下ろして、ビュウは言った。
「拷問がただ苦痛を与えるだけの行為である、という認識は、基本的に間違っている」
「……え?」
「拷問の本質は、手段を問わずに対象から望む情報を聞き出す事であり、そのため、その手段は何も暴力行為に限られない」
こちらの言わんとする事が理解できないらしく、レギオン兵は青ざめた顔のまま、きょとんとした間抜け面でビュウを見上げている。
「人間というのは、激痛に慣れるように出来ている。だが、くすぐったさには、意外に弱い」
そして、ビュウは言い放った。
「ってわけで、ラッシュ、トゥルース、そいつの足の裏を徹底的にくすぐれ。王太子殿下とサウザーの行方を吐くまでやめるな」
「……何だよ、それ」
「……分かりました」
やはりラッシュは納得が行かない様子で、トゥルースは妙に神妙に、それぞれ頷き――
爆笑が部屋にこだまするのを、ビュウの背後に控えていたルキアとビッケバッケは、呆れているのか感心しているのか、それとも怒っているのか、その辺りの判断が微妙につきにくい表情で見守っていたのだった。
笑いすぎで失禁しそうになったレギオン兵曰く、
「ヨ、ヨヨ、姫、と、サ、サウ、ザー、皇帝っ、陛下、か、は、き、きき、北、の、森、に――――」
「北の森……北部大森林地帯か」
「何だって、サウザーの野郎はそんな所にヨヨ様を?」
と、首を傾げたラッシュに、ビュウは肩を竦めてみせた。
「さぁな。俺たちの与(あずか)り知らない理由があるんだろうさ」
「――そんな事はどうでも良い」
二人のやり取りを聞いて、マテライトが鷹揚に言い切った。
「とにかく、そこに行けばヨヨ様がいらっしゃる、という事じゃ。ならば、即座に赴き、サウザーめの魔手からヨヨ様をお救いするのみ!
さぁビュウよ、すぐにドラゴンどもの準備をしろ! 大森林地帯に向かうぞ!」
何を言っているのだ。人も竜も、先程の戦闘の疲労がまだ抜け切っていない――
喰いつくような剣幕のマテライトに対し、ビュウがそう反論しようとした、その時。
「み、皆? ち、ちょっと、ちょっと、大変大変……」
そんな、オドオドとした声に遮られ、ビュウは言葉を飲まざるを得なかった。
――それにしても、そんな声で「大変」などと言われても、まるでそんな感じがしない……――
(大変?)
「何じゃ、センダック。何が『大変』じゃと? 言っておくが、これから出立の準備をせねばならんのじゃ。貴様なんぞのウダウダ話に付き合っとる暇なぞないぞ」
「そんな場合じゃないよ、マテライト。とにかく大変なんだから……わし、わし、もうどうしていいやら……」
要塞の外にいたはずのセンダック老師は、途方に暮れたようにかぶりを振った。その彼に、ビュウが声を掛ける。
「どうしたんだ、センダック老師? 外で何かあったのか?」
「あぁ、ビュウ……そうなの。大変なんだよ。敵が……」
「敵じゃとぉっ!?」
たった一単語に敏感に反応して、マテライトがセンダックに詰め寄った。胸倉を掴まんとするその剣幕に、マテライトよりも年長の――と言うか、年寄りの――センダックは、目を白黒とさせた。
「敵襲か!? 敵襲なんじゃな!? どこから攻めてくるんじゃ!?」
「マ、マ、マテライト、苦しい、苦しいよ。わし、目の前が何だか真っ暗……――」
興奮の余り胸倉を掴んだマテライトに、か細い抗議をするセンダック。しかし、その声も徐々に消え去り――
「……タイチョー、オッサンを押さえてくれ」
「分かったでアリマス。――ほら、マテライト殿、ちょっと落ち着くでアリマス。それではセンダック老師も喋れないでアリマス」
どうどう、とまるで馬でも宥めるように、センダックからマテライトを引き剥がすタイチョー。一方のセンダックはようやく気道が確保され、ゼーハー、と肩で荒い息をした。
「それで、センダック?」
「あ……ビ、ビュウ」
「敵か?」
「あ、そう。そうなの。グランベロスの駐留部隊が、こっちに来てるの。この要塞を包囲する形で。
……ねぇ、ビュウ。どうしようか。敵の指揮官は、どうも、ゾンベルト将軍みたいなの……」
ゾンベルト。
その名に、マテライトは押し黙り、タイチョーは動きを止め、ラッシュはトゥルースやビッケバッケと顔を見合わせ、ルキアはハッと息を飲んだ。
ゾンベルト。
グランベロス軍キャンベル属州駐留師団司令。
得意な戦略は物量作戦。
「包囲されているのか?」
「この要塞? ……ううん。包囲されかけてる、って感じ」
「敵の規模は?」
「詳しくは判らないけど……多分、三個か四個大隊くらいは……」
はっきりとしないセンダックの報告を聞き、マテライトがビュウに目を向けた。
その目は既に、武人のそれだ。
「ビュウよ、どうする。偵察を出す暇はないぞ」
「そうだな……」
と、少し考え込む。
敵は、およそ四個大隊――千人程度。
包囲されかけている。
「――ラッシュ、トゥルース、他の連中に出立を呼びかけろ。今すぐに、だ」
「分かった!」
「了解しました!」
二人が連れ立って走っていくのを見送ると、マテライトが、
「どうするつもりじゃ? 真正面から戦う、わけではあるまい?」
「ある意味そうさ」
「……何じゃと?」
さすがにマテライトは聞き返してきた。しかしビュウは、事もなげに、
「こっちも余裕がないからな。指揮官の部隊だけを叩き、そこから包囲網を突破する」
さすがキャンベルだけあって、この要塞の付近にも森は多い。
まずは全員でその森に潜伏し、戦竜五頭――ビュウの部隊のサラマンダーを初めに、アイスドラゴン、モルテン、サンダーホーク、それに訓練を終えてこちらに合流したばかりのツインヘッドを囮として飛び立たせ、徹底的に暴れさせる。
それだけで向こうが浮き足立つとは思わないが、少なくとも、森に潜伏しているこちらには気付かない程度には注意を逸らす事が出来る。
そうして徐々に包囲網を狭めてくるゾンベルトの部隊を待ち受け、ビュウたちナイト隊やマテライトたちヘビーアーマー隊でそれを撃破。そこに開いた穴を、皆で突破する。
それと同時に戦竜を呼び戻し、乗り込んで、そのまま大森林地帯へ飛び去る――
「――ってな感じで慌しくなるが、四個大隊全部を相手にするよりかはマシだろう」
「……追撃部隊については?」
「ゾンベルトを直接叩くんだ。追撃部隊云々の前に、指揮系統が混乱する。その隙をちゃんと利用できれば」
「逃げ切れる、という事か」
ビュウの言葉を継いだマテライトは、腕組みをして、重々しく頷いた。
「グランベロスの前にして尻尾を巻いて逃げ出す、というのは気に入らんが……ヨヨ様をお救いする作戦を控えておる。ゾンベルトごときに消耗している場合ではない」
「じゃあ、オッサン」
マテライトはうむ、と頷いた。
「一点集中でゾンベルトの部隊を撃破、その後、大森林地帯へと赴く!」
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