―3―
月が、中天に差し掛かりつつある。
時刻はもう夜中――もしかしたら、もう日は変わったかもしれない。満月に近いその月は、皓々と、白い光を地上に落としている。
だが。
月光を圧するほど、地上は明るかった。
「隊長――」
ビュウの背後で、トゥルースが呻く。
「王城が……!」
ほぼ正方形に築かれたカーナ王都の一番北に、周囲の街並みを睥睨(へいげい)する形で、王城たるカーナ宮殿はそびえ立つ。
その王都が、その宮殿が。
――火の手に包まれていた。
眼下の光景から、ビュウは即座に視線を周囲にせわしなく動かす。
(――いた)
位置は宮殿の宮殿のほぼ真上。
二股の艦首が威圧的で、おそらく王都の住民は、真夜中の火事と頭上のそれに、ひどく恐れおののいているだろう。数千年来、このカーナ王都の上空に、あのようなものが侵入してきた事はついぞなかった。
帝国軍旗艦トラファルガーは、真下の街に散発的な砲撃を行ないながら、ただそこに浮かんでいる。
このままこの高度を飛行していれば、トラファルガーからの砲撃を受ける。
そう判断したビュウは、サラマンダーに指示を伝えた。
「サラ、滑空して高度を下げて、全力で王宮の練兵場に乗り込め」
サラマンダーは鳴きもしない。ただ、態度で了解の意を示すのみ。
すなわち、滑空するため、潜水するように体全体の角度を下げた。
「げっ――」
「しっかり掴まってろ! ついでに喋るな舌噛むぞ!」
ギョッとしたらしいラッシュたちの対応が早かったか、それとも、サラマンダーが高度を下げ始めたのが早かったか。
とにかくビュウがサラマンダーの首にしがみつく中、自由落下さながらの速度でサラマンダーは地上との距離を詰め始めた。
「――――ぃぃぃぃいぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいっ!」
裏返り、引きつった叫びを上げているのは、トゥルースだろうか? 内臓が浮かび上がり、体内で踊るような奇妙な感覚と、耳元で激しくなる風の音に耐える。マントとバンダナと髪の毛が風圧で背後に流れていくのを無視して、ただ迫りくる地面を凝視していると、あっという間に舗装された街路と肉薄した。
組まれた石の一つ一つまではっきりと見えるまでに近付き、あと少しで衝突、というところで、サラマンダーは不意に姿勢を持ち直した。一回羽ばたいて浮力を取り戻すと、その後すぐに路面と平行飛行を始める。
身を低くしてしがみついたまま、ビュウは、飛ぶように過ぎていく周りの建物から、現在位置を探る。
(……目抜き通りか!)
王都の中央を南北に、街壁の南門から王宮へと貫く、王都最大・最長の街路。今飛んでいるのがそこだった。
このまままっすぐ飛べば王宮へ。それを取り囲む城壁を飛び越えれば、すぐに練兵場である。
砲撃の飛び火が街を焼く中、ビュウは後ろの三人に叫んだ。
「剣を抜け! 突っ込むぞ!」
もうそこは、城門の目の前である。その手前でサラマンダーがグンッ、と首を上げ急な角度で上昇した。左の剣を抜きながらも、ビュウもラッシュたちも、振り落とされないよう天を向く首にしがみつく。
灰色の城壁を飛び越える。
その先にある慣れ親しんだ練兵場は、既に、グランベロス兵の制圧下にあった。
酷い状況だった。
燃える騎士団の詰め所。
斬り捨てられた兵士の遺体。
砂地の広場には血が染み込み、三千年以上の歴史を積み重ねてきた宮殿の所々から火の手が上がっている。その炎と熱が、地面に染み込んだ血を更に黒いものにしていた。
そしてこちらの乱入に気付く、グランベロス兵。
バラバラと、散っていた兵士たちがこちらの集まり、武器を掲げて、
「貴様ら、戦竜隊か――」
誰何の言葉を最後まで言わせるほど、こちらはお人よしではないのだ。サラマンダーの背中で身を低くしたまま、左手に握る剣を水平に振り、
「フレイムヒット!」
キュボォッ!
その軌跡に沿うようにして、炎が広範囲に放たれる!
「ぎゃあぁっ!」
「クロスナイトか――!」
炎に襲われながら、兵士の誰かがそう叫ぶ。
ビュウは笑う。
「だったらどうする?」
スタンッ、と。
サラマンダーの背から、その兵士の前に飛び降り、笑い含みの声で問うビュウ。
「え――」
間の抜けた声を律儀に聞くつもりはない。
滑らかな動作で抜き放った右の剣で袈裟掛けに一閃し斬り捨てると、彼は、残りの「荷物」を下ろした頭上のサラマンダーに、
「サラ!」
呼び掛けを合図に、深紅の戦竜が、グランベロス兵に向かって大きく口を開ける。
刹那吐き出された炎に、敵が十数人、断末魔を上げる間もなく塵と化す。
その間も、ビュウは、周りに注意を払うのを忘れていなかった。――バラバラと、王宮への渡り廊下から集まりつつある敵兵が十人弱。渡り廊下への出入り口の周りに三人。自分の周囲に二人。いささか無様な着地姿勢からすぐに体勢を直し、こちらに駆け寄ってくるラッシュたちに斬り掛かろうとしているのが、三人。
「ラッシュ! トゥルース! ビッケバッケ!」
声を張り上げ、ビュウは走り出した。左から来た敵兵の剣を受け、弾き飛ばし、速度を落とさずに出入り口に向かう。
「突っ込むぞ! 雑魚に構うな!」
「おうっ!」
向かってきた兵を勢いに任せて一閃し、ラッシュはこちらの言葉に応じた。そしてそのまま走り出し、ビュウは真正面から、ラッシュたち三人は右側から、それぞれ渡り廊下への出入り口を襲う。
そこには既に、剣や槍を構えて通すまいとするグランベロス兵が――六人!
「ここから先は通さ――」
「フレイムヒット!」
足も止めずに、左右の剣を顔の前で交差させ、開くようにして一気に振り下ろす!
シュゴゥッ!
先程よりも激しい炎が、左右に分かれて敵兵の一団を襲った。彼らは業火に体を舐め尽されるが、さすがは歴戦のグランベロス兵、倒れない。
が、体勢が崩れて隙が出来る。
「はぁっ!」
「せぃっ!」
「えぇいっ!」
その内三人を、ラッシュたちがそれぞれ裂帛(れっぱく)の気合いの下に斬り伏せた。ビュウはビュウで、無言で一人を刺し貫く。
練兵場から、渡り廊下へ。
磨かれた御影石の廊下は、所々崩れ落ち、乾いた血がこびりついていた。敵兵はもう展開している。三個分隊。
「行くぞっ!」
「はっ!」
分隊の一つが、隊長の号令の下に前に出る。が――
構っている暇は、もうない。
ビュウは、右手の親指と人差し指で輪を作ると、それを口に持っていき、指笛を吹いた。
人の耳にはかすれがちに聞こえる甲高い音。だが……――
キュオオォォォウッ!
戦竜の可聴音域には、十分入っている。
「ひっ――」
その引きつった声は、隊長のものだったか、兵士のものだったか。
とにかくグランベロス兵三個分隊は、横手から放たれたサラマンダーの炎に飲み込まれる。
少しして炎が消えたそこには、黒焦げになった死体が十と少し。
「行くぞ」
これほど様々な死体が散乱する場面にはやはり慣れていないらしく、ラッシュたちは絶句するが、ビュウは感情のない声でそう告げ、先に立って走り出す。
渡り廊下。ここを通っていけば、宮殿本館に入る。
グランベロスの手管は、概ね読めていた。
大部隊を防空師団四〇四連隊にぶつけて、そこに兵力が集中している隙に、守備が薄くなった所から防衛線を突破。トラファルガーで王都上空に侵入し、そこから直接、王城に攻め入る。
おそらくは、移動用に訓練された竜を使ったのだろう。夜陰に紛れて練兵場に降り、そこから宮殿の各所を制圧していく。時刻は深夜。いくらいつ攻め込んでくるか分からない状況とはいえ、この時間帯は多くの者が休みを取り、不寝番をする者の疲労は濃い。
そこを突いた、月並みな、しかし効果的な陽動作戦だった。
その成果――つまり、カーナ兵の死体――をそこかしこで見る事が出来、ビュウは小さく舌打ちした。
徹底している。
練兵場から、宮殿一階の中央部まで……配備されていた騎士団の兵士およそ五百名近くで、生存者は一人もいなかった。
この分では、他の場所に配備されている兵――戦竜隊の隊員も含めて、生存は絶望的かもしれない。
気分が悪くなる。
(……相変わらずだな、サウザー)
割れた大理石のタイル、燃えカスになった緋色の絨毯、散乱している窓ガラスの破片、破損した剣や槍や戦斧。視界に入るそれらには見向きもせず、ビュウはただ一心不乱に走り続ける。
(人の国に土足で入り込んで、好き勝手に暴れて……――そのやり方、あの時とちっとも変わっちゃいねぇ……!)
一部焼失した木の扉を蹴り開けると、宮殿の中心部、大ホールに出る。
そこにもやはり、多くのカーナ兵が倒れていた。大半が騎士団。大戦闘があったらしく、文字通り死屍累々たる光景が広がっている。むせ返るほどの血臭に、けれど今更吐き気も起きない。
だからビュウは、それらに目もくれなかった。元々、虐殺の跡を見て目を逸らし胃液を吐くような、そんな可愛い神経など持ち合わせていない――彼は眉一つ動かさないまま、大ホール正面奥に伸びる、二階の玉座の間へと続く大階段へと、敵味方入り混じる屍の山を踏み越え、大股で走り出す。
大階段の半ばに踊り場、更にそこから左右に階段が分かれる。踊り場から左に折れ、彼らは二階に踏み込んだ。
そこから先は、死体の様相がガラリと変わる。――グランベロス兵の、ではなく、カーナ兵の。玉座の間の近辺を守っていたのは、宮廷騎士団ではなく、親衛隊だった。鎧の上に羽織るマントの変化からそれに気付き、ラッシュが呻く。
「親衛隊でも……!」
親衛隊は、騎士団の中で特に武術に優れた者が選抜される、精鋭集団だった。それでも、グランベロスの前には無力だった。グランベロス兵の死体の方が少ない。
するとその時、ビュウのすぐ後ろを走っていたビッケバッケが声を上げた。
「ア、アニキぃ!」
「どうした!」
「あ、あそこ――」
立ち止まり、回廊の壁際を指差す彼の、その指先をビュウは目で追う。
「……ショーン将軍」
親衛隊隊長を務めていた壮年の男が、それより若い何人かのカーナ騎士と共に、血まみれで倒れていた。生死は確認する気も起きない。
「――手間が省けたな」
「へ?」
「何でもない。急ぐぞ。陛下の御身が危ない!」
回廊の先には、開け放たれた両開きの扉が見えている。
玉座の間へと続く、最後の扉だ。
ビュウは再び走り始めた。扉に向かって、まっすぐに。
そして――くぐり抜ける!
「――――!」
玉座の間。
そこに足を踏み入れた途端、ビュウは息を飲んだ。
「――陛下っ! ヨヨ様っ!」
一歩遅れて玉座の間に入ったラッシュが、悲鳴じみた声を上げた。
その広い部屋の奥には、玉座がある。
そこに座るのは、この国の元首、第二三七代カーナ王その人。
そしてその隣に控えるのは、先日十八歳になったばかりの第一王女にして王太子、ヨヨ。
二人は完全に孤立している。
周囲を、こんな場所まで侵入してきた歴戦の将軍たち――ほとんど無傷の彼らに、包囲されていたから。
玉座とビュウたちを分断する帝国将軍の包囲網。
分断された「こちら側」には、見知った顔がいくつもあった。
「ビュウっ……!」
すぐ傍から声が聞こえた。悲痛な、女の声。
「ミスト――」
「お願い……エシュロン団長を、止めて……」
帝国将軍に注意を払いながら、横目に見たその先には、所々血に汚れたライトアーマーがいた。ミスト=パウエル。宮廷騎士団の軽装歩兵隊に所属している、ビュウより年上の友人だった。もう体力がないのか、それとも気力が尽きたか、折れた細剣を逆手に握ったまま、その場に座り込んでいる。
涙で潤んだ彼女の青い瞳から、ビュウはハッと目を外し、正面に移した。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
――ガキィッ!
雄叫びと、金属同士が打ち付けあう鈍く響く音。続く、重い何かが床に倒れ込む音。ガシャリ、と金属のこすれる音も耳に届く。
音源は、金色の鎧をまとった壮年――を少し過ぎた男からであった。鎧の隙間から血を流し、フラフラと立ち上がる。
「マテライト! ――ちくしょぉっ!」
叫び、ラッシュが剣を両手に持ち直して駆け出した。が――
「ラッシュ、やめろ!」
ビュウの声も届かない。
ラッシュを迎え撃つのは、赤み掛かった髪を無造作に伸ばした、壮年一歩手前の男だった。感情の読めない表情で、若いナイトの斬撃を落ち着いたまま紙一重でかわすと、その手に持った長剣を、無造作に振り下ろす。
鈍い、しかし先程の音とは質の異なる金属質の音が、玉座の間に響き渡った。
渾身の一撃をかわされ、無防備になったところを重く鋭い衝撃に襲われ、ラッシュは為す術なくこちら側まで弾き飛ばされた。呻きながら上体を起こそうとするが、それすらままならず、そのまま仰向けに転がってしまった。その様子に、赤毛の男の隣に立つ、長い亜麻色の髪を持つスリットの入った深緑の戦闘服を着た女が、フンッ、と侮蔑感を露にした鼻息を吐く。
続く赤毛の男の斬撃は、金メッキの鎧の男をこちらによこした。ザザザッ、と床に背中をこすらせてきた彼に、ビュウは素早く一瞥する。
「くっ……何の、これしき……」
「――オッサン、寝てろ」
起き上がろうとした彼に、ビュウは静かに感情を押し殺した声を掛けた。オッサンと呼ばれた彼は、こちらに睨みを利かせた視線をよこし、
「今更、来おって……何を言うか、この若造がっ……!」
「だからこそ、後は俺に任せてくれ」
低く囁きにも近い言葉だったのに――
「ほぉ……」
帝国将軍の一団から、こちらに声への反応の声が上がった。
「我がグランベロスの誇る将軍たちを前に『任せてくれ』とは……随分自信過剰な騎士ではないか」
こちらを睨み据える将軍たちの背後から。
ずっと玉座と向き合っていた一人の男が、ビュウを振り返った。
微かに青みを帯びた銀髪と、灰色の瞳。こちらを嘲るような微笑を浮かべて、しかしこちらに相応の注意を向ける鋭さを表情に含めて、彼は顔だけをビュウに向けた。
「……貴様が、カーナ戦竜隊隊長ビュウ=アソル、か……。
カーナ唯一のクロスナイトで、戦竜隊の隊長というから、どんな猛者かと期待していれば……まだ子供か」
ビュウのそれより尚低い、どこか蔑むような調子の声が響く中。
けれど彼は、それを半分も聞いていなかった。
一刀流のナイトの上級である二刀流のクロスナイトで、カーナ軍の要たる戦竜隊の隊長、しかし十八歳――侮られるのは当たり前だと思っていたから、特に気にはならなかった。
それ以上に気になるのは、打ち倒されたラッシュと金メッキ鎧の男――カーナ宮廷騎士団団長、マテライト=エシュロン将補――の方だった。
ラッシュの方が、トゥルースが助け起こした。マテライトの方は、ビッケバッケとミストが診ている。
そちらは三人に任せて、ビュウは、正面の帝国将軍たちに視線を戻した――ふりをして、玉座の間の様相を改めて確認する。
おそらくマテライトが率いてきたであろう騎士団の団員は、帝国将軍に倒されたか、彼らが連れてきた直属の兵と相討ちになったかしていた。が、帝国将軍直属の兵士がまだ何人も立っているのに対し、カーナ騎士はもうほとんど息をしていない。
彼我の実力差に、ビュウが胸中で感想を下す。
(まぁ、予想はしていたけどな)
殺された者たちの中に旧知の顔もあるが、それすら、ビュウの心に動揺をもたらさない。
「どうだ、フィンランディア。お前とあの小僧と、どちらが上だ?」
「……恐れながら、陛下」
銀髪の男に反論するのは、長剣を正眼に構えたままの赤毛の男と共にこちらの向き直り、油断なくその動向を窺う、壮年と言うにはまだ早い金髪の男である。年の頃は、二十代後半か三十近く――赤毛の男と同じほどか。常人ならばそれだけで引き下がるような気迫のこもる紺色の瞳が、ビュウを突き刺すように睨み据えている。
その腰には、ビュウと同じく(彼は抜き払っているが)、二振りの長剣――クロスナイト。
その男を、ビュウは知っていた。いや、この場にいる「将軍」と呼ばれる者全ての名を、彼は、その顔を見ながらそらんじる事が出来る。
ラッシュとマテライトを打ち据えた赤茶けた髪の男は、ゲオルク・アーバイン=エルベブルク。
その隣の女は、ギゼラ・バーバレラ=ケンプファー。
金髪のクロスナイトは、サスァ・パルパレオス=フィンランディア。
そして。
「どのような敵であっても、その真の実力を判ずるには、戦う以外に方法はございません。
ですので、憶測では――」
「答えられない、か……。お前らしい答えだ」
満足そうに答え、ビュウに向けていた嘲笑とは明らかに違う笑いを浮かべる、その銀髪の男。
グランベロス帝国初代皇帝、カイゼル=ディオ・サウザー=フォン=グランベロス。
いずれも、ベロス王国時代には、派遣軍の師団司令、もしくは司令補佐として、その勇名を馳せた歴戦の戦士である。
パルパレオスにそう返してから、サウザーはスッと再び玉座の王と対峙した。
「けれどおそらく、戦えばフィンランディアが勝利を手中に収めるであろう……。我々を食い止めようとしてきたあの哀れなカーナの騎士たちを鑑みれば、自ずと判る事だ」
「何を言うか、この下衆が!」
王は一喝した。
ここからは将軍たちの影になってろくに見えないが、きっとその表情は憤怒に彩られている事だろう。
「夜陰に乗じ、疲弊した我が軍の隙を突き、多くの将兵を虐殺して、この聖なるカーナ宮殿を不浄の血で汚しおって……! 卑怯ぞ、血に飢えた野蛮人ども!」
「……卑怯?」
蔑みの言葉を無視し、そこにだけ反応するサウザー。ハッ、と肩をすくめて大げさに鼻で笑ってみせる。
「卑怯、とな。戦争で、戦場で。
これだから、戦争をろくに知らないカーナ人は困る」
逆に嘲笑われて、カーナ王はギリリッ、と歯を食いしばったようだった。
「まぁ良い。カーナは今日この日を以って、滅亡する。負け犬にいくら吠えられようが、痛痒も感じぬわ」
「負け犬だとっ……!? 卑賤の者が、朕を侮辱するか!」
「侮辱ではない。単なる事実だ。
そして事実を告げられ過剰に反応するのは、図星を指されている証拠だ、カーナ王」
冷静に聞けば、そのサウザーの答えが、単に「野蛮人」だの「卑賤」だのと蔑まれた事に対する報復だと気付くのだが。
嘆かわしい事に、ビュウの主君はその冷静さを欠いていた。
「貴様ぁっ……このっ、下賤の輩が……!」
「好きに吠えるが良い、カーナ王。余はもう、貴様に用はない。
――ヨヨ王女殿下をお連れしろ」
言葉の最後は、周りにいる直属の兵に向かって放たれたものだった。
その言葉の意味をビュウが理解するのと、グランベロス兵が動き出すのは、ほぼ同時。
「させるかっ!」
床を蹴り、玉座の傍で蒼白な顔のまま微動だにしないヨヨに歩み寄ろうとした兵に、剣を振り上げ跳び掛かるビュウ。
けれどその内の一人を襲おうとした双剣は、別の二刀によって阻まれた。
ビュウと、標的にしたグランベロス兵と。両者を結ぶ一直線上に素早い動作で割り込んだのは、髪の色や目の色はビュウとほぼ同じだが、造作自体はまるで違う――パルパレオス!
二つの剣の両方で鍔迫り合いを演じながら、ビュウははっきりと舌打ちした。
(マズい……)
力も、技量も、おそらくはほぼ互角か、相手の方が上であっても機転で覆せないほどの差ではない。
だが、今の状態ではビュウの方が圧倒的に不利だ。体力、持久力、共にここにたどり着くまでに消耗してしまった。
いや、それより何より。
(ヨヨ……!)
敵兵の手を逃れようとして身を翻し、しかしすぐに両脇を二人の兵士によって固められ、逃げ場を失う彼女。
彼女が、連れ去られる。
だというのに、己は何をしている!
「どけぇっ!」
鍔迫り合いから、一転、叫びながら右の剣に力を更に込め、パルパレオスの左の剣を押し返す。
その瞬間、右側を押さえつけていたものがなくなり、フッと前に流される。
それが、相手が左の剣を一旦引いて、こちらにたたらを踏ませようとしたのだ、という事には、そうなる前から気付いていた。
体勢を崩したビュウの左肩に、パルパレオスの右の剣が喰い込む――
のを予想して、彼は左手を水平に掲げた。敵の剣の前に差し出して、その軌跡を阻むように。
それは、一歩間違えれば自殺行為であった。
――ガギィィンッ!
「何っ……!?」
パルパレオスの斬り下ろしは、白い手甲によって完全に防がれた。衝撃が左腕全体に伝わるが、その程度で済むなら大した事ではない。
そしてその一瞬が命取り。
先程力に流され泳いだ右の剣が、パルパレオスの鎧に守られた左の脇腹を襲う。
ところが相手もさるもので、予想していたのかそれとも本能か、衝撃を受け流そうと、パルパレオスはビュウから見て左に流されるように飛んだ。そのまま、叫ぶ。
「行け! 早くしろ!」
それはヨヨを捕らえた兵たちに向けられたものだった。ビュウはもう彼には構わず、そちらに意識を向け――
彼が見たのは、兵の内一人がヨヨのみぞおちに拳を叩き込み、気絶させて、そのまま引きずるようにして奥への扉から姿を消す、まさにその瞬間だった。
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