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 その瞬間を目に焼きつけて、ビュウがまず最初に思ったのは、

(レディの腹を殴るなんて……何て連中だ)

 場違いといえば場違いなのだが、実際そうとしか思えなかったから仕方がない。
 カーナ軍の士官はまず間違いなく騎士称号を有し、騎士称号を獲得するためには、武術の腕だけでなく、宮廷の作法を一通りマスターしていなければならない。自他共に認める軍事国家であるグランベロスの士官とは、余りにもかけ離れている。
 それはさておき。
 ヨヨが拉致されるのを見納め、視界から彼女が完全に姿を消しても、ビュウは尚も構えを解かなかった。そちらに気を配れたのは僅か一瞬。その直後に、パルパレオスが強襲してきたからだった。
「よそ見をしている場合か、カーナのクロスナイト!」
 繰り出される剣を防ぎ、小手先程度の技でパルパレオスに防がせながら、己の頭脳が急激に冷えていくのを彼は感じていた。

(ヨヨが、連れ去られた)

 それは非常におかしな事だった。同じく国王を国の頂点に戴き、そしてカーナ同様最後まで抵抗して王城を奪われたマハールは、国王を始めとして、王家の血に連なる者はほぼ処刑された。国王の一家、兄弟、甥や姪、分家とも言えるいくつかの公爵家の直系……――その数は五十人近くになる。
 だというのに、ヨヨは連れ去られた。マハールの王女たちは、中にはその場で殺された者もいるというのに。
 後で公衆の面前で処刑するためか? 帝国が新たな支配者になったという事を示すデモンストレーションのために。
 だとしたら、今こうしている間にも、サウザーが腰の大剣を抜き払ってカーナ王の首元に突きつけている理由が、説明できない。デモンストレーションとしての処刑なら、国王に対して行なう方が余程効果的だし、下手に眉目秀麗な王女にそれを行なうと、逆に民衆の反感を買う可能性がある。

「下衆ども……我が娘をどうするつもりだ!」
「それは、貴様の知るところではない、カーナ王」
「囲うつもりか、ヨヨを。虜囚の辱めを受けさせ、犯し踏みにじるか!」
「……神竜を戴き、伝説を語り継いできたドラグナーの神聖なる血も、永き君臨の果てに、澱み穢れたか。自らの娘を、そのような邪な想像に登場させるとは」
 その瞬間。
「何、だと――?」
 一体何に反応したのか、カーナ王の声が凍りついた。
「サウザー……貴様、何故伝説の存在を知っている? 何故、貴様ごときが――」
「残念だがカーナ王よ、余にはもう、貴様と語り合っている時間がない。こうして話している時間すら惜しい。
 故に今、この余の手で、カーナの歴史を終わらせてくれよう」

「陛下ぁっ!」
 意識が朦朧としていたはずのマテライトが、悲痛な叫びを上げた。

 パルパレオスと力と技の応酬を繰り広げるビュウの視界の片隅で、傭兵時代には『銀髪の戦神』と恐れられたサウザーが、剣を掲げる。

 剣が、風を切る音と共に振り下ろされた。


 ゴトリッ…………


「陛下あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 玉座に座った姿勢のままの、カーナ王であったものの体の首の切断面から、噴水のごとく真っ赤な鮮血が吹き出る中。
 マテライトの悲鳴が、こだまする。

 それは、五千年近い歴史を有するカーナ王国の、呆気ないほどの幕切れだった。



 そしてその時。
 ビュウは確かに安堵した。
 床に落ちたカーナ王の首が転がり、虚ろな翠の瞳がこちらを恨めしそうに見つめているのに気付いても、尚。



 マテライトの悲鳴の余韻が消えて。
 背後のトゥルースたちが尚息をつめて。
 カーナ王の胴体から吹き出ていた血が、ようやく勢いをなくし途切れ始めた頃。


「……さて」
 ヒュンッ、と赤く染まった剣を一つ振り、床に血の弧を描いたサウザーが、冷徹な声を発した。
「貴様らは、どうする? 武器を捨て投降するなら、命だけは助けてやろう。主君の後を追うと言うなら、手助けしてやっても良い。
 選べ。どちらを望む?」

 服従か、死か。
 カーナ王の首が落とされた事を契機に動きを止めたビュウは、ご同様のパルパレオスから注意を逸らさずに、皮肉めいた思いで笑う。
「何がおかしい」
「さぁて、な」
 返す言葉は道化めいている。パルパレオスがあからさまに顔をしかめたのを見て、ビュウは更に愉快な気持ちになっていった。
 笑ったまま、左右の剣を滑らかな動作で腰の鞘に収めた。パチン、という納刀の音に、パルパレオスはおろか、サウザーたちも怪訝そうな顔をする。
 おそらくは、背後のトゥルースたちも。
「……降伏を選ぶ、か? いささか拍子抜けだが、中々利口だな、戦竜隊隊長よ」
 クックッ、とサウザーがさもおかしそうに笑った。先程までカーナ王に向けていた、軽蔑と失望がない交ぜになった笑い。
 その彼に、ビュウも似たような笑顔を向けた。腰に両手を当てる。
 いくらでも笑うがいい、サウザー。

 だがこの言葉で、笑っていられるか?

「ところで聞きたいんだがな、サウザー」
「何だ。ヨヨ王女の安否でも気になるか? 安心するが良い。王女には決して――」
「あんた、駆け出しの傭兵時代、上司に連れられて入った娼館で、ナンバー4の娼婦・源氏名キャシーちゃん相手に起たなかった、って、本当か?」

 その瞬間。
 玉座の間の空気が、音を立てて凍った。
 サウザーの嘲笑も、パルパレオスの警戒も、アーバインとバーバレラの注視も、他の兵士のそれらすら、全てが一斉に止まる。

 そこを見逃すビュウではない。
 腰に当てていた左手が、素早くベルトの隙間から「それ」を抜き取る。 
 燭台の炎にヌラリと鈍く光る、薄い金属。鋭利な刃。
 刀身だけのそれを、彼は腰を捻って投げつけた。
 狙いは――サウザーの左上腕。

「――ぐっ!」
「陛下っ!」
 音もなく、銀色の刃は狙い通りに突き刺さった。鎧や手甲に保護されていなかった左腕を、サウザーは剣を落とした右腕で抑える。

 声が上がったと同時に、ビュウは次の行動に移っていた。
 刃だけのナイフをベルトから抜き取ったと同時に、右手に引っ掛けていたのは戦竜に合図を送るための細い笛の紐である。
 その先にくくりつけられていた笛を、彼は一つ鋭く吹いた。
 音は出ない。それでも、聞こえたはずだ。
 この下の階に待機している、戦竜に。

 ドゴォォッ!

 次の瞬間――サウザーの様子にパルパレオスを初めとするグランベロス将兵の注意が全て向き、トゥルースたちがまだビュウの発言の衝撃から立ち直りきれていない、その時。
 その更に背後、玉座の間から出てすぐの廊下から、一条の青白い電光が天井へと突き刺さった。
「トゥルース、ビッケバッケ、ミスト! ラッシュとオッサン引っ張って先に行け!」
「た、隊長――?」
「いいから、早くしろ! 上官の命令が聞けないのか、ソルベリー尉士!」
「――……はっ!」
 上官命令が効いたのか、トゥルースが先立って廊下の床に開いた穴から下に下りていくようだった。
 振り返ってそちらを確認したかったのだが、それは出来ない。

 最初の賭けには勝った。もう一つの賭けには、まだだ。

「貴様ぁっ!」
 グランベロス兵の内の一人がいきり立ち、剣を抜き払う。
「皇帝陛下を侮辱し、挙句に騙し討ちとは……――それがカーナ騎士の戦い方か!」
「おいおい、何言ってるんだ? ついさっき、そこの皇帝が言っただろ。戦場に卑怯も何もない、ってな」
 揚げ足取りの上に大分自己流の解釈だが、この際どうでもいい。激昂し顔を赤らめた兵士たちを、一瞬でも黙らせる事が出来れば。
「それに、いいのか?」
「何だと!?」
「その位置」
 と、ビュウは顎でサウザーの左腕を示す。ハッと息を飲み、パルパレオスたちが、まだ引き抜いていない――下手に抜けば、先程の王の胴体同様、傷口から一気に血が吹き出るからだ――ナイフの刺さる位置に目をやる。
「腕の神経は、確かちょうどその辺りだったな」
「――――っ!」
「いいのか? 放ったらかしにして。神経が傷ついたのに処置せず放っておけば、その左腕、二度と動かなくなるぞ」
「貴様っ……!」
「ついでに言っておくと、だ。そのナイフ、実は毒を塗っておいた。
 遅効性だが致死毒。……解毒治療は、時間の勝負だぞ?」
 そうして、ニヤリと笑った。
「さて、どうする? 俺を殺すか? 俺の部下たちを追うか? それなら結構。ただし、皇帝の腕一本か命を犠牲にする価値が俺たちにあれば、の話だがな」
 僅か十何歩かしか離れていないグランベロスの将兵たちは、一様に唇を噛み歯を食いしばった。その顔は、ほんの数分前のカーナ王と同じく、怒りで真っ赤に燃え上がっている。
「まぁ、どっちにしろ――」
 と、彼はヒョイッと小馬鹿にするように、彼らに肩をすくめてみせた。
「俺ももう、逃げさせてもらうけどな」
 その言葉がまだ、ビュウの口から離れきる前に。
 廊下の穴が急激に広がり、ビュウの元に到達した。
 玉座の間の大理石の床に立ったまま、彼は階下に落下していく。






§





「しまった!」
 こちらを嘲笑ったまま落下していく戦竜隊の隊長に、パルパレオスはそんな月並みな言葉しか発せられなかった。
 逃げられた。
 サウザーを、主君を、無二の親友を侮辱して。
「追うぞ! 決して取り逃がしてはならぬ! 拘束し、陛下を侮辱した事を後悔させてやらねば――」
「待てパルパレオス、落ち着け!」
 走り出そうとした彼の肩を掴んだのは、崩れそうになっているサウザーの体を支えていたバーバレラだった。
「お前が行ってどうするというのだ! 負傷された陛下を放り出し、あの小僧に意趣返しだと!? お前はそれでも、皇帝陛下の親衛隊隊長か!」
 耳元で鋭く叫ばれた叱責に、血が上った頭に冷水を浴びせかけられたような感覚を覚えるパルパレオス。
 ふと、サウザーに目をやった。顔は伏せられたままだが、それでも、眉間にしわを寄せ目をきつく閉じ、必死に歯を食いしばっているのは、見て取れた。
 それは、神経を傷付けられたその激痛に耐えているのか、動脈を切断されて流れ出る血のゾッとするような喪失感を無視しているのか、それとも……心の古傷をえぐられた事への怒りを、こらえているのか。
 どれであっても、辛そうだった。
 これほどまでに辛そうな親友を見るのは、一体どれほどぶりか――そんな、益体のない疑問が頭をかすめる。
 そうだ、自分は親衛隊の隊長だ。彼を守る兵士だ。それを忘れて、追おうとするなど。しかも、僅か十名ほどの兵の何人かを率いて。

 愚か者か、己は!

 ここで自分が独断専行し、深追いすれば、きっと返り討ちにあう。あの戦竜隊隊長は、悔しいかな、自分たちより余程冷静だった。
 サウザーは口でこそ侮っていたが、実は、この玉座の間に踏み込む前に交戦したカーナの騎士団と親衛隊、そして後から駆けつけてきた、あのマテライトとかいうパレスアーマーの率いてきた一個小隊は、パルパレオスたちの手を非常の煩(わずら)わせた。
 決死の覚悟で臨んできた者たちは、実力に差があっても、手強い。
 もしここで、自分がサウザーから離れてみろ。そこを狙って、またカーナ騎士が掛かってくる。死を覚悟した者を侮ってはならない。
 そうだ。自分がサウザーから離れてどうする。己は、サウザーを守る兵士だ。彼を守り、トラファルガーに戻って適切な治療、特に解毒治療をを受けさせる。これが、現状の最優先事項ではないか。
 悔しいが、確かに、あの少年の言う通りだ。皇帝の腕一本を、あるいは命を犠牲にする価値は、彼らにない。

「……サウザー、いいな? 一度、トラファルガーに戻る」
「くっ……致し方、ない、か……」
 さすがに自分の傷の重さを自覚しているのか、サウザーは青ざめた顔で、――いつもなら大体ごねるのに――比較的素直に頷いた。
 それを見て、パルパレオスはアーバインに顔を移す。頷いてみせると、彼は部下に指示を飛ばした。
「誰か、屋上へ行って竜を呼べ」
「はっ!」
 アーバインが率いてきた兵が、すぐに玉座の間の奥へと引っ込んでいった。
 奥には階段があり、その階段は、三階へ、そして屋上へと続いている。
 この玉座の間を制圧してから撤退する時は、屋上へ出て移動用の竜に乗り、それから上空にトラファルガーに戻る手筈だった。
 ――だが。
「大変ですっ!」
 屋上へ行ったはずの兵が、すぐに戻ってきた。その青ざめた顔色に、パルパレオスは思わずアーバインと顔を見合わせる。
「か、階段が、屋上への階段がっ……」
「何だ。どうしたと言うのだ」
「な、何者かによって、破壊されています! あれでは、上る事が出来ませんっ!」
「何――」
 パルパレオスは絶句した。
 階段が、破壊された、だと?
「それは確かか!」
「はっ! 階段は、二階から三階までの十数段、壁ごと何かの力によって破壊されており……そのまま上るのは、到底無理かと!」
「では、上から出なくていい。下に下りれば良いだけだ! 敵などおらぬだろうが、誰か見てこい!」
 配下の兵に指示を飛ばしたバーバレラが、そのはしばみ色の目をこちらに向けた。
「どうした、パルパレオス」
「いや――」
 何かが引っ掛かる。
 破壊された階段。何かの力で、壁ごと。
 床に開いた穴が目に入る。
 その瞬間、パルパレオスの頭に、閃くものがあった。
「もしや――」
「申し上げます!」
 それを口にしようとしたその時、一階への階段を見に行っていたバーバレラ配下の兵士が、戻ってきて声を張り上げた――いや、叫んだ。
「一階への階段が、やはり破壊されています! あれでは、ロープか竜なしでは、下りる事もままなりません!」

 嫌な予感が、的中した。

 そう感じて、パルパレオスはサウザーをアーバインに任せると、床に開いた穴へと駆け寄る。
 そして、絶句。
 あの若い兵士たちが飛び降りた穴の更に下には、やはり穴が開いていた。
 それも、飛び降りれば到底無事では済まされないような高さ。少なくとも、サウザーには無理だ。
 グラリと、体が傾ぐのをパルパレオスは感じる。

 あの若いクロスナイトの嘲笑が、目の前にあるような気がした。

 

 

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