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 嫌な目をしたクソガキ。

 それが、トリス=エルコーニがビュウ=アソルに対して抱いた、第一印象である。



「子連れ傭兵」といえば、この業界では「稀なもの」、「大馬鹿野郎」、そして「早死にする者」の代名詞だ。
 何故か? 簡単だ。そんな暴挙に出る傭兵は滅多にいない。そして、親のくせして戦場で子供を連れ回すような稀なる大馬鹿野郎が、長生きできるはずもない。だから、そんな事をしている奴は憐れみと蔑みを以って物笑いの種になり、行く先々で嘲笑の的になる。
 そこに、その傭兵が子供の連れてこざるを得なかった事情に対する配慮は一切ない。
 そこに、望まぬまま足手まといとならざるを得なかった子供に対する気遣いは一切ない。
 子連れ傭兵、すなわち足手まとい。そんな偏見がはびこる――そして大抵の場合、それは事実だ。我が子の安全もろくに確保できないため、自分と子供を守るのに精一杯で雇い主の役に立たない実力不足の傭兵の、何と多い事か――この業界で、子供を連れている事は即、白眼視の対象である。
 だから、

「……おいおいあんた、来るとこ、間違えてんじゃねぇか? ここは菓子屋じゃねぇぜ?」

 このくらいの皮肉は可愛い方。酷い時は、出会い頭にいきなり唾を吐きかけられるとか、いきなり酒をぶっかけられるとか、いきなり剣で斬りかかられるとか、いきなり「帰れ屑」「ぬかるみにでも転がってろ、その方がまだ役に立つ」「子供は後でたっぷり可愛がってやるからてめえはさっさと死ね」とか。
 それに比べれば、何と優しい言葉か。
 娘と共に通された大商会の広い応接室。その入り口で出くわしたひげ面の同業者の嫌味と、周りに佇む何人もの荒くれ者たちのにやついた笑いを、トリスは平然と無視した。
 長身で、がっしりとした体つきをした男である。歳の頃は二十代の後半か。その歳に見合う精悍さと、その歳にそぐわない子供のような愛嬌は、相反する要素だのに不思議なほどに調和して、面差しに良い男ぶりとして表われていた。短くしているだけのボサボサの茶髪も、呆れたように細められて鋭さを増した紺色の目も、そんな印象をより強めている。
 分厚い冬用の旅装の上に身につけた革鎧のくたびれ具合と、その上に羽織る深い紫色のマントに染みついた黒っぽいシミ――返り血の跡――と、左肩から突き出した大剣の柄の変形具合が、トリスの傭兵歴を端的に物語っていた。
 六年。
 より正確には、五年と九ヶ月。
 子連れで傭兵稼業を営むようになって、かれこれそれだけの年月が流れている。初めの頃こそ同業者の揶揄や嘲笑にいちいち顔色を変え、いちいち食ってかかっていたが、今はもう慣れたものである。
 だが、
「それとも、間違えたのはもしかして宿か? あぁそうか、その可愛い嬢ちゃんはあんたの娘じゃなくて女か。そりゃ悪かったなぁ。いやぁそれにしても、あんたも大した趣味してんな――」
「その下品な物言い、やめてくださいます? 耳が汚れるわ」
 瞬間、トリスは思わず天井を仰いだ。脳裏をよぎるこの子の母親の面影。すんません、俺の育て方が悪かったみたいです。謝罪したところで死者から応えは返らない。
 そして、実際問題、死者に謝罪している場合ではない。彼は娘の、白く端整な顔を見下ろして、
「おい、やめろ」
「黙ってて。
 まったく、これだからこういう稼業の男の人って嫌だわ。下品で下劣なんだもの。男の人と女の人が一緒にいれば、そういう事しか想像できないのかしら。発想も想像力も語彙も貧困、一緒にいるとこっちの程度まで低く見られそう」
 トリスの口から、嘆息が漏れていく――
 娘のアルネ。ただ今十一歳、今年の冬で十二歳。子供らしからぬ冷ややかさと知性で以って、くだらない揶揄に敢然と立ち向かう、上品さとタチの悪さを兼ね備えた少女である。
 トリスと全く同じの、茶色の髪と紺碧の瞳。父親と違って綺麗に肩口で切り揃えられ、整えられた髪型。旅をしているとは思えないほどに清潔感の漂う臙脂のマントと、その下の生成りの服。旅から旅、戦場から戦場へと渡り歩く傭兵の娘ではなく、どこか良家のお嬢様を思わせる姿だ。大人びた顔立ちがまた、その印象を深めていた。
 精悍さと愛嬌を同居させるトリスと、ともすれば十四、五歳にも見えるアルネは、それほど似ていない。死んだ母親によく似ているからだ。
 しかし、切れ長の双眸は全く同じで、そこだけ切り取って見れば、二人は似ていた。
 その、アルネのそれと同じ鋭く冷たい両眼で、トリスは眼前の同業者を見据える。
 印象を一言で言ってしまえば、
(筋肉馬鹿、だな)
 ひげに覆われた厳つい顔を怒りで真っ赤にした、厳つい体つきをした男。背丈はトリスと同じほどだが、筋肉量は明らかに向こうの方が上。しかも怒って全身を強張らせているせいか、体が一回り膨らんで見える。
(俺より歳上のくせして、小娘にやり込められてんじゃねぇよ)
 と、吐息する。だがそれは深刻な重みをはらんだものではなく、どちらかといえば呆れたような、相手を軽く笑い飛ばすような、そんな調子のものだった。
 自分の娘が、自分の胸の位置にも届かない娘が、自分より体格の良い傭兵に言葉だけを武器に立ち回る――
 これもまた、いつもの事。
「こ……このクソガキ、生意気な口叩きやがって――」
「口を、閉じていただけます?」
 憤怒に表情を歪め、やっと言葉をひねり出したひげ面に向けて、アルネは皆まで言わせず更にえぐるような言葉を叩きつける。おもむろにマントから出した手で口と鼻を押さえ、不快ここに極まれりとばかりに盛大に顔をしかめると、
「臭いんです。貴方の口臭で、鼻が曲がってしまいそう」
 辛辣で、硬質の、侮蔑にもほどがある言葉。
 ああ、言っちまった。再び嘆息するトリス。
 ――だが実のところ、それほど困っているわけではなく、
「な……何だと、この、メスガキが!」
 ひげ面は、怒声を発してアルネに手を伸ばす――
 その手が娘に届くより速く、トリスは行動を開始した。
 アルネを自分の背後に隠す。
 伸ばされたひげ面の手を弾く。
 ガツッ! トリスがつける手甲と、ひげ面の腕を守る革の腕輪の鋲とがぶつかり合い、鈍く物騒な音を広い応接室全体に響かせる。
「――てめえ……」
 唖然とした後、睨んでくるひげ面。
「悪ぃな、あんた」
 トリスは笑う。――剣呑に。
「うちのガキが色々生意気言って悪かったな。いや、ホントすまねぇ。こいつにゃ後でちゃんと言い聞かせておくよ」
 怪訝そうに顔をしかめる相手に向かって、笑みを深めて告げる。
 あっけらかんと、とどめの言葉を。
「ホントの事でも、言って良い事と悪い事がある、ってな」
「こ……の、クソ野郎っ!」
 と、ひげ面はすぐ側の壁に立てかけてあった長い棒を手に取る。戦斧の柄。大きい。普通の物よりずっと。
 それに少しだけ目を瞠って、しかし笑みを形作るトリス。
 悪戯をする子供のような。
 それでいて、獰猛な肉食獣のような。
 さすがによく稼いでいる大商人の応接室、ソファやテーブルは一級品、戸棚、柱時計、タペストリー――良い具合に障害となりそうな物が揃っている。
 トリスは計算する。相手の得物は、当たっただけで頭が簡単に吹っ飛びそうな大戦斧。広い戦場でなら強力な武器になるだろう。だがここは狭い室内。しかも雇い主の財産である高価な家財道具がそこかしこに置かれている。
 さて、これから雇い主がやってきて仕事の話をする、という時に、そんなものを本気で振り回せるか?
 否。
 少しこの業界で生きてきた傭兵なら、そんな大商人の不興を買えばどうなるか、身にしみて知っている。まず、仕事の仲介をした斡旋屋に苦情が行く。斡旋屋はヘコヘコ頭を下げて謝る。「いやすんません、まさかそんな奴だとは思ってもみなくて」――そして斡旋屋同士の情報網にその話が駆け巡る。
 駆け巡ったが最後、どこの国のどの斡旋屋に行っても良い仕事は回してもらえなくなる。
 だから、ひげ面は本気で斧を振り回さない。ただの脅しだ。なら話は早い。簡単に避けられるのだから、一撃目をかわし、すぐに懐に入り込んで、顎に一撃喰らわせる。
(それで終わり――楽勝だぜ)
 目に宿る光が、凶悪なまでにぎらつく。
 いつもの事なのだ。仕事の顔合わせで、子連れだからと同業者に侮られるのも。
 アルネが少女らしい潔癖さと少女らしからぬ鋭さで以って、それをやり込めるのも。
 そして、最終的にトリスが相手を叩きのめして実力を知らしめるのも。
 全て、いつもの事。

 ああ、楽しい。

 それはまるで、素晴らしい悪戯を思いついた悪ガキのような高揚感。
 子供みたいな、無邪気とさえ言えるドキドキが胸を支配する。血が沸き立つ。居ても立ってもいられなくなる。すぐに跳びかかり、殴り、蹴り、足腰が立たなくなるまで徹底的にぶちのめしてしまいたくなる。その衝動を必死で抑える。駄目だ、まだ駄目だ。先手は向こうに取らせろ。後の先を取れ。何故? 決まってんだろ、その方が楽しいからだ。初撃をかわされ、懐に入られ、間抜け面をさらす野郎の顎に一撃を叩き込む。どんなに鍛えた野郎でも、いきなり顎に喰らえば一発だ。このひげ面が白目剥いてぶっ倒れる、そうした時に他の連中――くだらねぇやり取りをニヤニヤ笑いながら見ていた他の傭兵どもは、どんなアホ面を見せてくれる?
 ああ、楽しい、すげぇ楽しい!
 そして今、目の前で、ひげ面の傭兵が戦斧を振り上げる。トリスの笑みが深くなる。獲物を狙う獣の目。ギラギラとした光は輝きを増し、窓から差し込む午前の日差しを戦斧の刃が反射し、トリスは身構え、ひげ面は戦斧を担ぐようにして振り上げ――


「ごめんなさい、通してもらってもよろしいかしら?」


 場違いな声が、乱入した。
 穏やかで、落ち着いて、そしてどこかおっとりした、品が漂う女の声。
 それは、入り口の方――つまりトリスの背後から聞こえた。
 刹那、全ての動きが停止する。
 戦斧をトリス目がけて振り下ろそうとしたひげ面。
 初撃をかわそうと身構えていたトリス。
 無表情で、あるいは卑しく笑いながら見守り、トリスがどうなるか賭けていた他の傭兵たち。
 トリスの勝利を信じて焦りの色さえ見せていなかったアルネ。
 全員が、ピタリと、揃って動きを止めた。
 トリスもひげ面も、毒気を抜かれた表情で声のした方向を見る。トリスは振り返る形で、ひげ面はその肩越しに覗き込む感じで。
 そして、二人揃ってポカンとした間抜け面をさらした。

 そこにいたのは。
 一言で言えば、美女。

 命を吹き込まれた女神像か、はたまた絵画から抜け出た聖女の肖像か。
 長く伸ばして一つに束ねた蜜色の髪、空色の瞳、淡い紅の唇。白磁のような肌が、室内ゆえのほの暗さの中で輝いて見えた。
 童女のようにあどけなく、聖母のように穏やかで温かな微笑みに、トリスの目は釘づけになった。逸らす事が出来ない。女は彼の視線に、少し笑みを深めて小首を傾げた。真っ向から受け止め、細い顎を心持ち上げて、こちらを見上げる。
 それでようやく、トリスは自分と彼女の身長差を自覚した。おそらく女性としては高い身長だろう。しかしこちらが大柄だから、一回りほども小さい。華奢だ。色あせた青のマントや革鎧、服の上からでも判る女性らしい丸みが、余計にそう思わせる。
 抱き締めたら、折れてしまいそうだ。

「どうかなさって?」

 改めて声をかけられ――トリスは我に返った。
 一体、どれくらい見つめていたのだろうか? まるで永遠にも思える時間、しかし数秒にも満たない僅かな間。その間でどんな無様な表情をしていたのか、トリスは頭を抱えたくなった。何やら妙に気恥ずかしい。そうしてようやく視線を外す。
 ドクンドクンと、早鐘を打つ心臓。顔が熱い。鏡を見なくても、赤くなっていると判った。取り繕うように不機嫌な顔を装う。そんな父親を、アルネは怪訝そうな様子で見上げていた。
「それで、通していただいても?」
「あ、ああ――わ、悪い」
 返す言葉が震える。ガキじゃあるまいに、何てザマだ。アルネを後ろに庇ったまま、女のために道を空ける。
 と、その時、彼女から金属のこすれる音がした。剣帯。剣。柄に巻かれた滑り止めの革が変色し、柄自体もまた手の形に合わせてすり減り、変形している。そんな、明らかに使い込まれた剣が――二振り。まさか、
(クロスナイト……? こんな細い腕で?)
 しかしそんな疑問も、すれ違いざまに漂った花の香りに掻き消される。甘くて爽やかな香り。トリスは陶然とした思いを抱き、

 その直後、色んな疑問だとか思いだとかが一遍に吹っ飛んだ。

 女は、手を繋いでいた。
 小さな、男の子と。
 アルネよりもずっと下――まだ五歳か六歳か、それくらいだろうか。
 女と同じ、金髪碧眼。少し長い前髪の下はそれなりに整った造作だが、どこかボンヤリした表情の男の子だ。清潔な空色のマントから突き出した手はまだ短く柔らかそうで、女の手を握っているのも精一杯なのではないかと、トリスは妙な心配をする。
 と、言うか、

(((((子連れ!?)))))

 子連れかよ!
 あんないい女なのにコブつきかよ!
 ってか何で子連れが二組もいんだよ!
 とりあえず何か言っとく!? いやいやでもそこの野郎ならともかくあんな美人に何か言えるかお前!? いや無理! 無理無理無理! 俺嫌われたくねぇし! むしろ役立たず大歓迎!
 へこんでいいのやら色めき立っていいのやら、トリスを含め応接室に集った傭兵たちが反応に困っていた、その時だった。
 トリスは、男の子と目が合う。
 向こうの表情が一変した。
 怪訝そうな、嫌そうな、汚らわしそうな。
 あえて言葉に直すなら、

「おいコラそこのオッサン、俺の母さんに何色目使ってんだよあぁん?」

 ブチッ――
 トリスの体のどこか、具体的には右のこめかみの辺りから、血管がブチ切れたような危険な音。
(この、クソガキ――!)


 何て嫌な目をしやがる!


 怒りに目を見開くトリスの視界のど真ん中で、子供は汚いものを見る目つきのまま、フンッ、と鼻で笑う。
 そして母親の方は、それに全く気付かずにソファに歩み寄る。その途中、先程とは全く違う理由で顔を赤くしていたひげ面が、斧を背中に隠し、慌てて道を明け、あまつさえ「ど、どどど、どうぞ!」なんてうわずった声を出す。女は、ごめんなさいね、と呑気に謝罪。ひげ面は照れ臭そう。わあ、何だその変貌。呆れ混じりの半眼で見やれば、奴はばつ悪そうにそっぽを向いた。
 ソファに向かったのは、子供のためのようだった。女は息子を座らせると、不意に振り返り、
「貴女も、座ったら?」
 俺? いや、違う。
 トリスの体の陰から顔を覗かせていた、アルネだ。
 アルネは驚いたように目を見開いた。女と、ソファとをしばらく見つめ、それからこちらを見上げた。良い? と問うている眼差し。トリスは目を伏せる。
 クソガキは、腹立たしい。今もはらわたが煮えくり返っている。出来る事ならぶん殴ってやりたい――この美女の前でなければ。
 が、それとこれとは話は別。ここまで歩きで来たからアルネも少し休みたいだろうし、何より、彼女の申し出を断るのも気が引ける。
「……行儀良くしろよ」
「分かってるわ」
 アルネは少し口を尖らせてそう答えると、トリスの手を離してソファの方へと歩いていく。ありがとうございます、と女に頭を下げ、男の子に断りを入れながらソファに腰かけた。
 一触即発だった雰囲気は、女の登場によってあっさり霧散。代わりに漂うのは消化不良の居心地悪さだ。だがそれを無視し、トリスは女の隣に歩み寄った。
「すまねぇな、俺の娘まで」
 声をかける。娘を気遣ってくれた人に対する父親としての礼儀――そんな風に装って。
 しかしその途端、ソファに座っていた男の子がグルンと顔をこちらに向けた。
 ――グルン、である。クルリとかクルッとか、そんな可愛らしいものではない。ぶっちゃけ、人外めいていた。虫とか爬虫類とかを思い出させる動きだ。肩から下は全然動いていないのに、子供特有のちょっと大きい頭だけが不自然なまでに滑らかに動き、顔が、目が、敵意満点で正確にこちらを射る。
(この、クソガキ――)
「あらビュウ、どうしたの?」
「何でもない、母さん」
 母親の声に、男の子はニカリと笑ってそう答え、再び前を向いた。何て良い根性をしたガキだ。トリスは自分の左頬が痙攣するのを感じる。苛立ちと怒りが限界間近になった時の癖だった。
 が、ここでそれを発散する事は出来ない。美女の前でそんな無様な真似をするなど、男としてあるまじき事だ。まして相手はその美女の息子、ここはグッと堪えないと。所詮はガキのする事だし。
 しかし直後、トリスはこちらを肩越しに視線だけを寄越してフンと鼻で笑うクソガキを目の当たりにし――

「遅くなって失礼した。全員お集まりかな? では、契約の話をしよう」

 今回の雇い主であるペアン商会の会頭オニール=ペアンがやってくるまで、トリスはイライラしっぱなしだった。
 イライラしていたせいで、聞きたかった美女の名前よりも先にクソガキの名前を知ってしまった事に、しばらく気付けなかった。

 

 

 

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