彼女はこの物語のヒロインである。
そしてこの物語は、彼女のために存在する――彼女の恋の物語であり、それが成就する物語なのだから。
けれど、あえて言おう。
「その時」の彼女は、余りに――ヒロインらしくなかった。
嫉妬と嘆きの間抜けなワルツ
2.フレデリカの観点
コルセットが苦しい。
ヒールの高い靴を履いた爪先が痛い。
ああまったく、何て堅苦しくて体に悪い格好だろう! ――多少踊れはするもののそれほど得意でもないワルツ。それも終わりまであと少し、というところでフレデリカはバルクレイに聞かれないようひそやかに嘆息した。
普段はゆったりしたローブに踵の低いブーツを履いている身で、このドレス姿は正直辛い。
くびれを演出して胸を強調するためのコルセットは肋骨が軋むほどに締められたし、細くすぼまった靴は先端に全体重が掛かるから爪先や甲の横が痛くて痛くて仕方がない。それにこの髪型! 髪を無理矢理引っ張られて、まとめられて、整髪料でベタベタにされて、挙げ句コテで巻かれて! 痛いわ熱いわ怖いわで、何度泣き言を言ったか。
『そんな事言わないのフレデリカ。――ほら、美人に仕上がった! その寄せて上げた胸でビュウを落として、ついでに押し倒してきちゃいなさい!』
と背中を叩いてくれたディアナやミストの手並みに感謝すべきか、それとも野次馬根性の彼女らを恨むべきか、少し困りものだった。だってあちこち痛いし、それに――
(ビュウさん……)
ワインを水のように飲んでいるビュウは。
こちらを見向きもしない。
踊っている間中、何度彼に視線を送ったか。パートナーを引き受けてくれたバルクレイに悪いと思っているが、それでも見ずにはいられない。
何故なら、
(……ビュウさん)
そもそもバルクレイと踊ろうと思ったのは、
(ビュウさん)
二人で踊る姿を彼に見てほしかったからで、
(ビュウさん……)
それで嫉妬してくれないかな、とか、どぎまぎしてくれないかな、とか思ったのは確かで、
(ビュウさん――!)
だと言うのに彼はやきもちを焼いてくれるどころかこちらを見もしない。
(――……やっぱりこんな方法じゃ駄目よね)
再びこっそり嘆息。今更のように浅はかさを思い知らされて、素直に反省する事も嘆く事も出来ない。
代わりに、だって、と反駁する心の声が大きくなる。
――だって、喋ってるだけじゃどう思ってくれてるかなんて解らないんだもの。
ファーレンハイトでは大抵ベッドから離れられないフレデリカを、ビュウはよく見舞い、何くれとなく構ってくれる。以前から抱いていた恋心はこれまでの行軍であっという間に膨らみ、今にも破裂してしまいそうだ。
となれば、気になるのは相手の本心。ビュウが来てくれるのは、反乱軍幹部として貴重なプリーストの体調が気になるのか、それとも少しは憎からず思っていてくれるからなのか。それをどうしてもはっきりさせたかった。
だから、慣れない格好をして。
慣れない踊りを踊って。
いくら他に紛れるからと言っても人前で下手なワルツを披露しなきゃならないなんて恥ずかしくて、でも顔には出さないように気を付けて、我慢して。
(……やめとけば良かった)
そして最初から素直にビュウを踊りに誘って、着飾った自分をちゃんと見てもらうのだった。彼が、あんな風に酔って顔を真っ赤にしてしまう前に――
そんな後悔が、フレデリカの心に音もなく忍び寄った、その次の瞬間だった。
「――――っ!」
彼女は、口から心臓が飛び出すくらいに驚いて息を飲んだ。
ビュウが。
真っ赤な顔をしたビュウが。
(――私、を、見て……?)
トロンとした眼差しをフレデリカに向け、ジッと見つめてきてくれて――
(ビュウ、さん……――)
陶然とした気持ちが胸いっぱいに広がり、
それからビュウは何故か泣きそうな表情をすると、バタン、とテーブルに突っ伏してしまった。
微かに肩が震えているのは……本当に泣いているから、か。
(どう、して――?)
幸せな気持ちから一転、唖然とするフレデリカの視界に。
朱のマントと純白のドレスのコントラストが飛び込んできた。
それはちょうどフレデリカとバルクレイの近くにいた――
ヨヨと、パルパレオス。
ああつまり彼は。
フレデリカを見てくれたのではなく。
この二人を――
最後まで思考する前に――フレデリカの中で、プツッと何かが音を立てて切れた。
そして曲が終わった。
「あーっ、あんた!」
広間中央から壁際へ戻ろうとしたフレデリカとバルクレイに、ザワザワとした穏やかな喧騒を突き破って甲高い声が突き刺さる。
薄紅色のドレスで着飾ったアナスタシアだった。目を逆三角に吊り上げた彼女は大股でやってくると、
「ちょっとノロノロアーマー! あ、あんた、何フレデリカと踊ってんのよ!」
「は……はぁ!? お、お前には別に関係ないだろう!」
「あるわよ! だってあたし……――あ、あたしは、フレデリカの友達だしぃ!? こんなノロノロに無理やり付き合わされるなんて可哀相だしぃ!?」
「……あのなチビウィザード、これはフレデリカから言ってきた事で――」
「何? あんたフレデリカのせいにするの!? 責任取らないなんてサイッテー! 信じらんない!」
「はっ!? 責任って何の話だ!? 大体、私がフレデリカと踊ったのはそもそもお前が――」
「――え……? あ……あた、あたし? あたしが、な、何だって言うのよ」
「いや、それは……――」
と、散々痴話喧嘩をやらかした挙げ句に赤い顔して黙り込んでしまった二人へ、
「バルクレイさん、アナスタシア」
フレデリカは微笑んだ。
しかし何故だろう、微笑みかけたまさにその時、二人はまるで示し合わせたみたいにビクッと体を震わせる。
「私、少し疲れてしまったみたいです。向こうで休んでますから、どうぞ二人で踊ってきてください」
「あ……あの、フレデリカ……?」
「ど、どうしてそんな怖い――」
怖い? アナスタシアは何を言っているのか。フレデリカは更に笑みを深める。
「ああ、私の事はどうか気にしないでください。二人でどうぞごゆっくり」
この時。
ウィザードたちがその魔力を結集させて仕掛けた、時限式魔法花火が発動した。
大広間に隣接する中庭から光が尾を引いて上がる。圧縮された魔力は紺碧の夜空に打ち上げられ、極彩色で繊細な華となっていくつもいくつも咲き乱れた。
赤。青。黄色。緑。橙。紫。他にも、他にも、無数の色彩が花びらとなって開いて散って空を舞う。
「――いやぁ、あの時花火に照らし出されたフレデリカ嬢の顔と来たら……なぁ」
「今まで怖い事はたくさんあったけど、あれくらい怖かったのはそうないかも……」
後にノロノロヘビーアーマーとチビウィザードはそう語るが、それはフレデリカの与り知らぬところである。
何もかもが馬鹿馬鹿しかった。
痛かったり窮屈だったり恥ずかしかったりする思いをして目一杯めかし込んで。
柄にもなく「押して駄目なら引いてみろ」を実践して。
結局、彼の眼中には入ってなくて。
(――馬鹿みたい)
談笑する者たちの間をスイスイと巡る給仕から飲み物のグラスを受け取り、口をつける。踊って喉が渇いていたせいもあるだろう、一気に飲んでしまった。見れば給仕はまだ近くにいたので、空のグラスを押しつけてもう一杯受け取り、また一気にあおって、――これを三回繰り返す。
(本当、馬っ鹿みたい)
考えるほどに顔が、体が熱くなる。ああ、何て馬鹿で間抜けな私だろう。情けなさと苛立たしさを流すように色々な飲み物を飲み、次なる飲み物を求めてテーブルからテーブルへと渡り歩く。
でもいくら飲んでも腹立ちは消えず、それどころか更に胃の腑の奥からカァッと熱くなるばかり。
ああ、腹立たしい。
ついに広間の隅に到着する。料理はたくさんあるのに何故か閑散としているそこには、テーブルに突っ伏した軍の略式盛装姿の男しかいない。
そして、飲み物はその男の傍にしかない。
そっちまで行って取れば良いのだが、フレデリカの足はもう限界である。足の裏が痛みでブワリと膨らんでいる気がして、正直少し休まないと歩けそうにない。仕方がないので休憩用の椅子を壁際から引き寄せ、男の傍に座ると、
「……ひょっと」
「…………………………」
「ひょっと」
「――――――――は?」
二度目に声を掛けてようやく、男は顔を上げる。
真っ赤な顔と、不思議そうに見開かれた碧眼にフレデリカは出会う。
「ひょこのぐらひゅ、取ってくらひゃる?」
男がビュウである事にはグラスの飲み物もとい酒を飲み干した後に気付いたが、自分の呂律が全然回っていない事にはついに気付かなかった。
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