――この物語の主人公は、彼ではない。
彼は脇役である。物語の本筋はおろか背後事情にもろくすっぽ関わってこない、いわば背景に等しい群集(モブ)の一人だ。
しかし、この物語は彼の視点から幕を開ける。
絶対的に客観的な第三者として。
嫉妬と嘆きの間抜けなワルツ
1.バルクレイの視点
余ってしまった。
どうしよう。
着ている、ではなく着られているカーナ軍の略式盛装姿で、バルクレイは手を額にやって考え込んでいた。
カーナ解放を祝う宴の席はあっという間に舞踏会へと様変わりし、大広間の中央では既にワルツが始まっている。この時のために急ごしらえで再結成された宮廷楽団の奏でる音楽の下、反乱軍の戦士たちやカーナ貴族が稚拙に優雅に踊っている。
輪の中心には、
数時間前に女王に即位したヨヨと、
亡命してきた――パルパレオス将軍。
祖国から離反したとは言えグランベロスの軍人が、それもかつて先頭に立ってカーナを滅亡に追い込んだ張本人が、何故女王のパートナーを務めているのか――何故ビュウを差し置いてでしゃばっているのか。
詳細をまるで知らない貴族たちだけでなく反乱軍の仲間たちからもそういう疑問と不満の声が上がっている。バルクレイ自身も、二人の踊る姿を見ていると何だかげんなりしてくる。何ですかそれ、と言いたくなる。もちろん一介のヘビーアーマーごときに発言権はないので沈黙だ。
で、女王ヨヨに対し一、二を争う発言権と影響力を持っているビュウは、大広間の隅に設けられた立食コーナーにいる。彼と踊りたい貴族の姫たちは山ほどいて、チラチラと誘うような流し目を送っているのだが、彼は全く気付かない。そもそも広間の中央さえ見ようとしていない。
(……まあ、将軍とヨヨ様が踊っているし)
こっそり吐息。ビュウとヨヨの関係は恋愛感情の絡むようなものではないと、反乱軍の者ならば誰もが知っている。だが、それはもちろんビュウがヨヨを大切に思っていないという意味ではないし、パルパレオスの登場を苦々しく思っていないという意味でもない。
実はバルクレイは、ビュウがマテライトにパルパレオスの暗殺を持ち掛けた事を知っている。それも今日の朝の事だ――結果としては、老パレスアーマーの方が大人で分別がある、という良い証明材料になった。
たしなめられたビュウは、宴が始まってすぐにどこかへ姿を消していたはずだが……――
(――それにしても)
とりあえずビュウの事は放っておく事にして、改めて大広間を見回すバルクレイ。
(ウィザードたちの姿が全然見えないな……)
やはりこれも、宴が始まってすぐだろうか? ネルボ率いるウィザード隊は揃って姿を消して、行方不明だ。もちろん現在進行形である。
アナスタシアは、どこへ行ってしまったのか。
(――って違う、違うぞ私)
我に返ると同時に今の思考を振り払うべくかぶりを振る。
「い、今のは……あれだ、別に寂しいとかそういうのではなくて、その、何だ……――そ、そうだ。あいつにパートナーが見つからなければ一緒に踊ってやっても良かったのに、とか、そんな感じなわけで」
少し頬を紅潮させてうつむきがちにブツブツ呻く。周りにいた貴族たちが引きつった。怯えた顔でバルクレイから距離を取っていた。ドン引きされた。しまった。そう思った時、ドン引きの輪の中から女性が一人歩み出てきた。
「手持ち無沙汰みたいですね、バルクレイさん」
「…………………………フレデリカ?」
コツコツと靴を鳴らせてバルクレイの隣に立ったのは、いつも臥せってばかりの病弱プリースト。彼女は小首を傾げて控えめだが可憐な笑みを浮かべる。そして対する彼は、二の句が継げなくてポカンと間抜けに口を開ける。
当たり前だ。
「どうかしました?」
「いや……何て言うか」
フレデリカの、頭のてっぺんから足先までザッと眺めて、しみじみと呟く言葉は、
「フレデリカって……意外に綺麗だなー、って」
「意外に、は余計です」
返す彼女は微笑している。バルクレイは尚更に恐縮して頭を掻いた。あんたってホント失礼ね、とか、気が利かないんだから、とか、アナスタシアに言われている気がした。
とにかく、普段の地味な風情からは想像もつかないほど、フレデリカは華やかに様変わりしていた。
三つ編み以外に見た記憶のない長く淡い金髪は、高く結われてリボンや髪飾りでデコレートされている。
空色と白とを貴重にしたドレスは、派手さこそないもののシンプルかつ上品で、清楚で繊細な雰囲気を醸し出している。
化粧、装飾品、全てが全てフレデリカという女性の隠された魅力を引き出し引き立て、総合して、一介のプリーストとはとても思えない貴婦人に変身させていた。
だが、何と言うのか……そう、清楚すぎて、逆に下心が湧かない。
だからバルクレイは「衣装と化粧でここまで変わるんだなー」と、ただただ感心するばかり。気分は、空に不意に現われた虹の美しさに感嘆している時のそれだ。
「ところで」
そういう風に最初から「高嶺の花」と諦め見上げるばかりだからだろうか、特に気負いもなく世間話を切り出すバルクレイ。
「ウィザードたちが見えないんだが、何か知ってるか?」
「ウィザードたち? ――ごめんなさい、見てないです」
同じ女同士、フレデリカなら何か知っていると思ったのだが――落胆の吐息を漏らす彼の横で、彼女はクスクスと笑う。
「どこにいるか、気になるんですか?」
「あ――いや、別にあんなチビウィザードの事なんか」
「アナスタシアの事なんて、私、一言も言ってませんよ?」
瞬間、顔がカァッと熱くなった。バルクレイは思わずうつむいて呻く。フレデリカは尚も笑っていて――
不意に、その声がやむ。
「?」
顔を上げると、彼女はある一点を見ていた。
広間の隅の立食コーナー。
「立食」だと言うのに椅子を持ち込み座り込んで居座っている、我らが戦竜隊隊長。
ビュウは、広間の中央をチラリと見て、それからこの世の終わりが来たと言わんばかりの大仰で悲愴な溜め息を吐くと、グラスのワインを一気にあおった。
「……珍しいなー」
実は酒に余り強くないと専らの評判のビュウが、あんな風に酒を飲むなんて。
自棄酒って怖い。他人事のように思うバルクレイに、フレデリカのこんな言葉が唐突に、何の脈絡も伏線もなく掛けられた。
「――次の曲、一緒に踊ってくれませんか?」
バルクレイも、一応は騎士である。
だから宮廷に仕える者の最低限の教養としてワルツくらい踊れるし、踊り慣れないパートナーをリードする事も出来る。
そしてフレデリカもまた、多少は踊れるらしい。全体として堅くなりがちだが、二人のワルツはまあまあ見ていられる出来だった。
(――でも)
彼女の、思った以上に華奢な手を取り腰を支え、ゆったりと流れる曲に身を任せながら、苦笑気味に思う。
(フレデリカをリードしてあげるのは、本当なら私じゃないんだよなぁ)
彼女はチラチラと視線を送っている。
広間の隅に送っている。
そこでいつまでも飲んだくれているクロスナイトに送っている。
そしてそいつは一向に気付かない。やさぐれた表情で何杯目かのワインを一気に飲み干す。
(馬鹿だなぁ、ビュウさんは)
こんなに可憐な人がずっと気にしていると言うのに。
フレデリカがビュウに恋し、かつビュウがまんざらでもない、という事実を反乱軍で知らないのは、新参者か、余程観察力と想像力に欠ける者かのどちらかだろう。プチデビでさえ知っているフレデリカの恋は、応援九割反対一割で、ほとんどの者が微笑ましく見守っている趨勢である。
だからバルクレイは、微笑ましくももどかしい。踊っているのでなければビュウに一言言ってやるだろう、「いつまでも自棄酒してないで、踊ってくればどうですか」とか何とか。いや、自分でなくてもいい。あのトリオはどうした。舎弟たちは。一言言ってやれ、フレデリカと踊ってあげろ、と。
しかしラッシュたちはラッシュたちで踊っていたりパートナーの足を踏んでいたり料理に夢中になっていたり、とてもそんなフォローを望める状況にない。
仕方ない、とバルクレイは密かに吐息する。
この曲が終わったら、フレデリカの背中を押す事にしよう。「ビュウさんと踊ってきなよ」とでも言って。
決心を固め、やさぐれクロスナイトの元に向かうだろうフレデリカの背中を想像し、それからアナスタシアが戻ってきたらダンスのパートナーを申し込もうとひどく素直に決心して、そうしていたら何だかやけにウキウキしてきて――
――とんでもなかった。
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