彼こそが、この一連の物語の主人公だった。
 しかし彼に主人公らしい活躍を期待してはいけない。彼は大切な女性を奪われた負け犬であり、その悔しさと悲しさから酒に逃げてしまうような駄目男なのだから。
 かくして、駄目男の駄目な視点が展開される。
 主人公の称号を汚してしまうほどの駄目っぷりで。










嫉妬と嘆きの間抜けなワルツ

3.ビュウの焦点






 二杯も飲めば顔を真っ赤にしてしまうビュウだから勘違いされがちだが、実は彼はそんなに酒に弱くはない。
 事実、何杯飲んでも意識ははっきりしているし、人格もテンションも変わらないし、口調も足取りもシャンとしたものである。一度、ホーネットにしこたま飲まされた後に会計帳簿をつけた事がある。計算ミスは皆無だった。さすが俺、と自画自賛したのは――まあ、さておき。
 要するに、腹の中では何を考えているか判らないと評判のビュウも、アルコールはすぐに顔に出してしまう、とそういうわけである。

 なので。

「………………………………………………………………」
 チラリと顔を上げた先、大広間の中央でヨヨをリードして踊るパルパレオスを見た瞬間、
(――よし、殺そう)
 と暗殺の算段を練り始めたのはもちろん酒によるものではなく、極めて真面目で冷静な思考に由来するものだ。
 が、そんな事をすれば大切な主君がどれほど嘆き悲しむか。
 それを解っているからこそビュウは即座に計画を放棄する。途端にやるせなさと物悲しさと喪失感に襲われ、テーブルクロスに突っ伏した。滲む涙をこらえる。
(……全部、あの生え際危ういカボチャパンツ野郎のせいだ)
 パルパレオスが亡命の意志を明らかにした時、何もかもが変わった。
 いや――ゴドランドに着く前、タイチョーをスパイに送り出した時か。
 あの時、タイチョーがあんな言葉を託されてこなければ、こんな事態にはならなかったのだ。多分。いや絶対。

『反乱軍のヨヨという女性に――私は、お前を忘れる、と』

 じゃあ永遠に忘れてろよバカヤロー。
 皇帝の命令だか何だか知らねぇが、何しれっと亡命してきてやがんだこのカボチャパンツが。

 ああ――チクショー――でもヨヨは、ビュウのこの世でただ一人の主は。
 パルパレオスが来た事に涙を見せるほど喜び、これ以上ない幸福な笑みを見せていた。
 それは、ビュウでは与えてやれないもので、

 ――ヨヨ。

 ――ああヨヨ、俺の大切な姫。

(何で)

 ――どうして、

(よりにもよって兄ちゃんの嫌いなパル公に走るかな!? 兄ちゃんそこのところを小一時間ばかり問い詰めたいよ!?)

 ――ビュウとヨヨの付き合いは長い。
 同い年の二人ではあるが、甘ったれでワガママなヨヨはビュウにとって妹のようなもので、面倒見が良くて苦労人のビュウはヨヨにとって兄のような存在だった。
 つまるところ、ビュウが今味わっている喪失感というのは、

(ああチクショーあのカボパン野郎、俺の可愛い可愛いヨヨに手ぇ出しやがって! やっぱ殺す、絶対殺す、具体的には何かこう、エキセントリックな感じで殺す)

 妹離れできない馬鹿兄貴、もしくは花嫁の父のそれなのである。

 ああでも下手にやればヨヨが泣く。それは駄目駄目。ならやっぱり八方丸く収めるには……やっぱり浮気ですかそうですか。よし、誰かにあの野郎を落としてもらって……――いや、あんな野郎の相手をさせるなんてその女性に失礼だし可哀相だ。なら……――閃いた。俺だ! 女装だ! 女装してパル公に迫って押し倒したところをヨヨに見せりゃ幻滅するはず! よしそれで行くか――

「……っと」

 いやでも待て、最善はやはり奴に押し倒させるパターンか。難しいな。でも、やるしかない。さて、それにはどうすれば。

「ひょっと」
「――――――――は?」
 掛かる声にようやく気付いて、ビュウは顔を上げた。
 自身のちょうど左側、少し離れた所の椅子に、真っ赤な顔で据わった目つきの女が一人。

「ひょこのぐらひゅ、取ってくらひゃる?」

(……フレ、デリカ?)

 ポカンと開いた口が塞がらない。
 何でフレデリカがいるのだろう。いやそれよりも、何でこんなあからさまに泥酔しているのだろう。そして彼女は何を言っているのだろう――様々な疑問に言葉を一つも紡げないビュウへ、
「だぁら、ぐらひゅ」
「ぐらひゅ……?」
 首を傾げた様に業を煮やしたか、フレデリカは口を尖らせると、やけに大きい動作でこちらの側にあるワインのグラスを指差した。
「取れ」
(命令形!?)
 一体どうしてしまったのか。
 思いはするけれど逆らえない圧力のようなものを感じ、彼はグラスをフレデリカに差し出した。危機感と共に。
 グラスは奪い取られ、
「ち、ちょっ……!」
 グイッ、と一気に飲んでしまった。不機嫌そうな仏頂面が更に赤くなった気がして、ビュウは言葉なく彼女がグラスをテーブルにダンッ! と叩きつけるのを見守る。
(フレデリカって……)
 ふと浮かんでくる疑問。
(酒、強かったっけ……?)

 カーナでワインと言えば、水と同じか、所によってはそれ以上日常的に飲まれる代物だ。
 しかしそうやって飲まれるワインというのはアルコールがきつくなかったり水などで薄められたものだったり、あるいはシナモンや砂糖を混ぜて温めてアルコールを飛ばしたものである。
 こういった物なら一息にあおっても平気だが、仮にも王宮の宴で供されるワインが、そんな安物であるはずもない。ここにあるワインは全て、カーナ滅亡の年に作られた――グランベロスの侵攻によって各地のブドウ畑は壊滅的な打撃を受けたが、その後の安定した気候によって近年稀に見る良質な出来となったブドウによって作られた――最高品質のカーナ・ワインなのだ。
 女王やマテライト、センダックのたっての頼みで死に物狂いで掻き集めた、戦死者たちが流した血のような真っ赤なワイン。弔いのために、それらは粛々と飲まれなければならない物のはずだった。
(――いやまあ、俺もガバガバ飲んだけど)

「――……はれ?」
 と。
 唖然としていればいいのか頭を抱えていればいいのか判らず固まるばかりだったビュウへ、
「ビュウひゃんらないれすかぁ〜」
 呂律が更におかしいフレデリカの声が、据わりきって半分閉じられた酔眼と、口元に浮かぶ、締まりがなくてこちらを挑発するような嘲笑するような笑みに合わせて、放たれた。
 硬直から脱し、ビュウは取り繕いの笑みを見せた。
「や、やあ、フレデリカ」
 自分でも笑いたくなるほど、震えてわざとらしい声を出す。対する彼女は酔眼半眼のままフフと笑う。
「ろーも、こんばんは〜……――って、はれぇ? ビュウひゃん、何れ私の隣にいるんれすかぁ?」
「何れ、って……君が、俺の隣に座ったから――」
「あーっ! ビュウひゃんもしかして……」
 と言葉を溜め、真っ赤な顔でにんまり笑いながらこちらへとにじり寄ってくる姿は――こう例えてしまうのはとても悪いのだが――、
(酔っ払ったエロ親父みたいだ……)
「ビュウひゃん、私の隣に座りたかったんらぁ〜。やらぁ、エッチぃ〜。ビュウひゃんエッチぃ〜」
「誰がエッチか!?」
 反射的に怒鳴るが、フレデリカは上機嫌にキャラキャラ笑うばかり。神妙にするどころか聞こえてさえいない様子だ。
「んもぉ〜ビュウさんってば。ひょーならひょーと早く言ってくらはいよぉ〜。ひょーすれば私らって、ビュウさんにあ〜んな事やこ〜んな事してあげるのにぃ」
「何『あんな事』って!?」
「それなのに、ビュウひゃんってばいぃっつもヨヨ様の事ばーっか。何かあったらヨヨ様ヨヨ様。何もなくてもヨヨ様ヨヨ様。いっつもヨヨ様ヨヨ様ヨヨ様ヨヨ様ヨヨ様ヨヨ様――――」
 ゾッ……と、背筋を這い登った寒気に身震いする。
 フレデリカの口調はいつしか内へ内へとこもっていく陰気なそれと化し、陽気なエロ親父のようだった笑みは消え、どこを見ているのか分からない虚ろな目はみるみる内に剣呑さを増大させる。
 戦場で味わうものとはまた違う種類の戦慄に内心で慄く時、彼女の手が不意に伸びた。その指先が捉えたのは――

「い……如何いたしましたか?」

 巡回中の給仕。手に捧げ持つ盆には、当然のごとくワインがある。しまった! ビュウは声を上げ――

「そのお酒、お盆ごと置いてってくらさる?」

 るより先に、フレデリカが言ってしまった!
 愕然とするビュウ。それが視界に入っているらしく、チラチラとこちらを気にする給仕は戸惑い混じりの慎重な口調で、
「ぜ、全部、ですか? ですがそれは……」
「そ、そうそう! いくら何でも全部はないな! ――ああ君、ここはいいからそのワインを是非他の者にも飲ませてあげてくれ!」
 ビュウは無理矢理声を割り込ませる。そこに救いを見出したか、「助かった!」とばかりに顔を輝かせる給仕。それでは失礼します、と彼は頭を下げようとし、
「いいから、置いてきなさい」
 地を這うようなフレデリカの声にピクリと硬直し、恐る恐る彼女を見る。
 そしてビュウも見る。
 見てしまった。
「さもないと」
 フレデリカの口元だけに浮かぶ、

「もぎ取るわよ」
「何を!?」

 獰猛で凄惨な笑みを!

 目は据わったまま口元だけで笑う彼女の姿は、さながら死神のようで、

「いっ……嫌だ……」
 総毛立ったビュウの傍で、給仕はそれこそ熱病にでも罹ったかのごとくガタガタブルブル震え始める。
「嫌だ……もぎ取られるのは……『アレ』をリンゴみたいにもぎ取られるのだけは……絶対に、絶対に嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「って何のトラウマ!?」
 ビュウの突っ込みも空しく、給仕は酒を全部置いて逃げ出してしまう。しまった。これではフレデリカが飲み放題――ハッと気付いた時には既に遅く、彼女は一杯目をさながら喉の渇ききった巡礼者が民家で貰った一杯の水を飲むかのごとく、ゴクゴクと喉を鳴らせて飲み干してしまった。
「フレデリカー!? お酒はほどほどがいいデスヨー!?」
「ほろほろぉ〜? なぁに言ってんれすかビュウひゃん、あぁたにそんな事言われたくないれすぅ」
「……へ?」

 俺に。
 言われたくない?

 それは何故か。何かしたか。首を傾げるビュウへ、フレデリカは聞かせているかどうかも定かではない言葉を淡々と、一方的に紡ぐ。
「らいたい、ぜぇんぶビュウひゃんが悪いんらないれすかぁ。人に気ぃ持たしといて、何かっちゃあヨヨ様ヨヨ様――」
「あ……あの……?」
「れもいいれすぅ〜。ビュウひゃん隣に来てくれたから、許してあげるれすぅ。らからビュウひゃんも……――飲め」
「また命令形! 大体飲みすぎですよフレデリカさん!」
 と、言った時。
 フレデリカは、
 ギランッ! と据わりきった双眸を鋭く光らせてビュウを睨むと、

「――あぁん?」

 低くドスを利かせた声を絞り出し、

「そんな事言って……私のお酒が飲めない、ってんれすかぁ!?」

「――いや、そういう意味じゃないし!」
「らったら――」
 ヒュッ――
 その瞬間、フレデリカの手が閃いた。
 まさに電光石火。給仕を捕まえた時よりもずっと速い。動体視力には自信があるビュウが追えないほど。彼の目に映ったのは結果だけ。すなわち、彼女の右手にはグラスが握られていた。給仕が置いていったワインのグラス。それを何のためもなく口元に運び、グビグビと飲み始め――
 ――いや、違う。
 全て飲み干し、グラスを置いた彼女の顔、いや頬は、はちきれんばかりに膨らんでいる。
(――まさか)
 これから何が起こるか。
 本能で察したビュウは椅子から腰を浮かす。
 が、それよりももっと速くフレデリカの手は伸びてきて、ビュウの顔の両脇をガシリと掴んで。

 噛みつくような勢いで。


 キス、
 された。


(――――――――っ!)
 いや違う。これはただのキスではない。彼女の口からこちらの口へ、流れ込んでくるこれはワインだ。口移し。んんっと呻いて抵抗を試みるが、酔っ払いプリーストの力は驚くほど強く、突き放せない。それ以上に、フレデリカの唇の柔らかさと鼻をかすめる微かな香水の甘い香りに陶然として――いる場合ではない! どうにかしようともがくが、口の中は為す術なくワインで満たされ、為す術なく飲み下す事となり、そうしている内にだんだんクラクラしてきて、何だか苦しくて、目の前が暗く……――――

 突然の口づけに鼻呼吸を忘れ、酸欠で気を失いつつあったビュウの耳に、酔っ払いプリーストのやけに嬉しそうな含み笑いが聞こえた……。





「――……というのが、俺が覚えてるところまで。ここから先は記憶にない」
「うぅ……」
「もちろんいつ部屋に戻ったかなんて判らないし、その際君を連れ込んだ覚えもない」
「うぅ〜……」
「というわけで、むしろ俺の方が聞きたいんだが」
 そう、言葉を切って。

 パンツ一丁でベッドの上に胡坐を掻いているビュウは、上掛け布団を肩から羽織って前で合わせて体を隠している――その下が下着姿というのは、目を覚ました時にもう見てしまった――フレデリカに、痛みをこらえる時と同じ沈痛な表情でこう問うた。

「何で、こうなっている?」

 どうなっているのか、と言えば。
 ビュウが仮に与えられている士官用の狭い個室には、彼が着ていたはずの略式盛装と、フレデリカが来ていたはずのドレスが諸々の装飾品込みで脱ぎ散らかされていた。
 ビュウとフレデリカ自身は、下着姿で朝まで眠っていた。
 が、フレデリカは枕側、ビュウはその反対側にそれぞれ頭を置き、しかも彼はフレデリカの足に下敷きになっている始末。
 ベッドは見るも無残に無茶苦茶で、これは果たして情事の結果なのかそれとも雑魚寝の成果なのか、最早判断がつかない。
 ともあれ、こんな状況で朝を迎えて愕然とするビュウに、少し遅れて目覚めたフレデリカは自分の姿から何か早とちりをしたらしく――

 結果として、ビュウの左頬は今、人の手の形に赤く腫れ上がっている。

「……ご、ごめんなさいビュウさん……私にも、何が何だか……」
 考えてみればフレデリカもあれだけ飲んでいたのだから、記憶を飛ばしていても仕方ないだろう。それ以上に、まさか自分まで記憶を失くすとは――深々と溜め息を吐けば、ビクッとフレデリカが震えた。布団をしっかりと合わせてガタガタしているその姿は、捕食者の前の小動物にも似て、
(……取って喰やしねぇよ)
 それとも既に喰ってしまったのか。
 あるいは、――喰われてしまったのか。
 どちらにしろ、
(まあ……悪い気は、しないな)
 むしろ役得という気さえしてくる。フレデリカの事は、どちらかと言えば好きだから。
 それはただの好意で、恋ではなかった。
 そう思っていた。
 過去形である。
 ――今は、少し違うかもしれない。

「――……で結局、俺たちヤったのかな」
「ヤ、ヤったって……!」

 直截な表現にフレデリカは顔を赤らめ、ビュウは痛む頬をさすってニヤリと意地悪く笑う。
 頭の中は、目の前の女の事で一杯だった。あれだけこだわっていたヨヨとカボチャパンツの件が頭の片隅の更に辺縁に追いやられている事にさえ気付いていなかった。

 

 

 

 


 ど暗いシリアスを書いた後はコメディを書きたくなります。
 そのためだけに書いた話でした。


 ビュウフレスキーにとって避けては通れないイベントと言えば、カーナ解放直後の宴会におけるバルクレイ・フレデリカのダンス。「フレデリカさんどういう事デスカー!?」と叫びたくなるビュウフレスキーも多い事でしょう(まああれは、その後のバルクレイ×アナスタシアを演出するためのものなのでしょうが)。
 というわけで、簾屋的解釈(という名の妄想捏造)がこの話。ビュウの気を引きたいフレデリカによる一種の狂言でした。
 ……前に考えていた話は、もう少し穏やかでほのぼのした話だったんだけどなぁ……。
 酔ったフレデリカは書いていて楽しかったです。
 酔っていないようで実はやっぱり酔っていたビュウも書いていて楽しかったです。
 ところで「エキセントリックな感じで殺す」って自分で書いていてよく解らなかったです。何でしょうねこれ。
 ビュウとフレデリカの二人きりの夜に何があったか? その答えは、読んだ貴方の心の中にだけありますよ。

 尚この話は、『心〜』とは特に関係ありません。だからここに書いたビュウとヨヨの関係も『心〜』とは関係ありません。だから『心〜』本編じゃビュウはパルの事を「カボチャパンツ」呼ばわりはしないんですよ。あ、「カボチャパンツ」の略が「カボパン」なのは某Tろろ様(某じゃねぇ)によります。その節はありがとうございました、Tろろ様。

 

 

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