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その頃のビュウといえば、世界中を放浪していた。
一家総出の傭兵家業。前線で剣を揮う両親のために小賢しい知恵をめぐらしていたその頃の経験が、今にも通用している策士ぶりの原点である。
子供ながらに傭兵家業の裏方――仕事の受注、報酬の交渉、他の傭兵との打ち合わせ、戦術の考案、時には逃走経路の確保――を一手に引き受けていたビュウは、報酬の高さと難易度の低さから、二つ返事でその仕事を引き受けた。楽な仕事だ、と思って。
仕事の内容は、こうだった。
依頼主はある町の町長。場所はその町のあるラグーンの、細い道と川の交差地点。その数年前にあった内乱でそこに掛かっていた橋が落ち、現在復旧作業中。野盗や魔物から、工事を担当する大工たちを護衛する――
楽な仕事だった。工事現場は見通しが余りに良すぎて、野盗や魔物が接近して来ればすぐにでも判ってしまう。それにさえ気を付けていれば、それは一日五千ピローの破格の仕事だった。
――ただ一つ、大工たちも彼らを指揮する棟梁たちも時折視察に来る施主たちさえ、やたらとこちらに敵意を向けていた事を除けば。
両親もビュウも、気にしなかった。よくある話である。旅から旅へ、戦場から戦場へと渡り歩く傭兵ほど、胡散臭く危険なものはない。忌み嫌われるのは慣れっこだった。極端な話、金さえ貰えれば罵倒されようと石を投げつけられようと平気だったのだ。
だが、実際そんな事になるのは嫌だったので。
両親は工事現場を遠巻きにする形で周囲を警戒していた。大工たちから距離を取り、時折歩き回りながら敵の接近に注意する。知恵はあるが力はまだなかったビュウは、そんな両親と大工たちの中間で、ボンヤリと双方の動きを見ていた。
「おい、坊主」
そんな彼に大工の一人が声を掛けてきたのは、その日の作業も終わろうとする夕暮れの事。
道端の岩くれに腰掛けていたビュウは、訝しげに、物憂げに、大工を見上げた。夕日を背にしたその姿は黒く塗り潰されていたが、シルエットだけでも体格は分かる。大柄で、筋骨隆々とたくましく、下手したらその辺で警備に当たるビュウの父よりも強そうに見えた。
「お前も、傭兵なのか?」
低い声。淡々としたその物言いは、ちょっと聞けばこれといった感情の動きがないように思える。単なる事務的な確認事項のような尋ね方だった。善意も悪意も、敵意も感じられない。
「一応」
だからビュウは、とりあえずそう答えた。相手の動きに警戒しながら。
すると大工は、フゥ、と溜め息を吐いた。呆れたような、嘆いたような、憐れむような、それはそんな吐息だった。
「お前みたいなガキが、なぁ……」
大工は続けて呟く。世も末だな。ビュウは大工から視線を僅かに外す。
自分みたいな子供が。世も末。――傭兵である事を誇りに思っていたなら、その言葉はそのまま侮辱のそれだった。
しかしビュウにそんな職業意識はなかった。理由は一つ。
「……しょうがないじゃん」
「何?」
「傭兵でもないと、俺たち、食ってけないし」
大工が唖然としたのが、気配で分かった。一体何にそんなに唖然としたのか、よく解らなかったが。
「……故郷(くに)は?」
「カーナ」
「カーナだったら別に、傭兵をやらんでも食ってけるだろ。体力があるならどっかの小作農やりゃいいし、剣の腕ぇ生かすなら自警団だって――」
「今は帰れないんだってさ。よく知らないけど」
吐き捨てるように、言う。大工は顔をめぐらせた。その視線の先には、父がいる。見なくても分かった。
「……何かやらかして、いられなくなったのか?」
「そういうわけじゃないらしいけど」
――ビュウたちが故郷を出、傭兵にならざるを得なくなった事情というのは複雑だった。それは子供には到底理解し得ないものだったが、しかしそこはそれ、食べていくためだけにやたらと世事に長けてしまったビュウである。両親から説明されなくても、何となくは理解していた。そして、それは他人にやたらと話すべき事ではない、という事も。
言葉を濁したこちらに、大工はそこはかとない事情を嗅ぎつけたようだった。その事にはそれ以上追及せず、
「……だがまぁ、ガキが傭兵なんてやってるのは感心しねぇなぁ」
「らしいね」
投げやり気味に同意する。しかも推量。彼は再びビュウを見下ろした。
「子連れだからさ。行く先々で言われるんだ。子供まで傭兵なんて、それはいけない、真っ当な仕事に就け、とか何とか」
大きなお世話だ、と口の中で呟くビュウ。もちろん大工にそれが聞こえるはずもなく、彼はうんうんと頷いた。
「そりゃそうだ。その方が良いに決まってる」
「それが出来ないから傭兵やってるんだけどね」
「――……解んねぇなぁ」
大工は頭を掻いた。心底解らない、とばかりに。ふと見上げれば、彼はまた父の方を見ている。
「親ってモンは、子供がそういう事してるのを嫌がるモンなんだがなぁ……」
「……嫌がられてるけどね」
傭兵なんていう――悪い言い方をすれば――人非人の生業をしている割に、ビュウの両親はそういうところでは良識的だった。戦場、あるいはそれに非常に近い所にビュウが出るのを嫌がった。死ぬ危険性が高いから、以上に、そこで繰り広げられる凄惨な情景を、その一部と化す自分たちを、子供に見せたくなかったのだろう。
しかしその両親に生活力というか甲斐性がなければ仕方がないのである。報酬の相場に疎くて足元を見られていた母に思わず涙した三歳の頃。商隊一つを丸々助けておきながら報酬が僅か千ピローなんて、足元を見られるにもほどがある。
そんな思いを込めて呟いた言葉は、しかし小さくて、大工の耳には届かなかったらしい。
「あん? 何か言ったか?」
「別に」
ちょうど良いタイミングだった。話を打ち切り、代わりに別の話題を持ち掛けて――こちらの事情から相手の目を逸らすには。
「でさ、俺も解んないんだけど」
「ん?」
「あの橋」
と、ビュウは架けられている途中の橋を指差した。
宵の帳も降りつつある今、今日の作業はそろそろ終わりに近付いている。組まれた足場からは大工たちが徐々に引き上げ、残っている者たちも、早く切り上げて帰ろう、とばかりに盛んに動いている。
「何でわざわざ架け直す必要があるの」
言って、彼は違う方向を指す。
「向こうの街道にも、橋が架かってるじゃん」
「…………」
「ここから少し離れてるけど、でも、不便を感じるほど離れてるわけじゃない。なのに、何でわざわざ架け直すんだ? この道の先には」
指を下ろす。
「小さな町が一つあるだけだろ」
言って、思いだす。施主は確か、この道が繋ぐもう一方の町の町長だった。つまり川向こうの町と自分の町を結ぶ橋を架けようとしているのだ。
少し行けば街道の橋がある。そこを使えば、多少回り道になるが、川向こうの町に行く事が出来る。不便というほどの不便ではない。それでも尚、巨費を投じてこの橋を架ける事に意味はあるのか――言外に問うビュウに、大工はただ視線を橋に据えて、押し黙っていた。
沈黙は続いた。それでビュウは思う。この大工も、もしかしたらこの工事に疑問を持っているのかも――
「――……お前みたいな坊主にゃ解らんかもしれんが」
そう思った矢先に、彼は沈黙を破った。侮るような前置きは、しかし別にそんな意味を込めたものではないと、すぐに知れた。
「ここにいる奴ぁ皆、この橋に思い入れがある」
「……この橋に?」
今架けようとしている、この橋か? そう問うビュウに、大工は違う、とかぶりを振った。
「前にここに架かってた、橋さ」
「…………」
「俺たちゃ皆、こっちか向こうかの町の出でな。ガキの頃ぁ、この橋通って行き来したもんさ。夏にゃぁ町対抗の飛び込み合戦もやってな。そりゃあ楽しかったもんさ」
大工の目が遠くを見る。懐かしむような口調で語られるのは過ぎし日の思い出。ビュウには決して知り得ない彼らの過去。
「俺たちはな、この橋で繋がってたのさ。俺たちだけじゃねぇ、俺の親父たちも、祖父さんたちも、そのまた祖父さんたちも、ずっとずっと、この橋で繋がってきたのさ」
でも、と言葉を切る大工。
「作戦だか何だか知らねぇが……橋は落とされちまった」
作戦。
数年前にあったという内乱の事か。ビュウはそう当たりをつけ、
「まったく、どうして戦争屋って奴ぁああなんだろうなぁ。戦えるってだけで、自分たちが偉ぇと思ってやがる。冗談じゃねぇ。人んトコに土足で入ってきて、大事なモン勝手に壊しやがって」
吐き捨てられた言葉。そこに混じる憎悪に、微かに目を瞠った。
瞬間、理解する。だからか、と。ここの大工たちの、ビュウたちを見る目のあの冷たさと憎々しさ。その所以。
彼らは、だから、ビュウたち傭兵に敵意を向けていたのだ。
「おかげで俺たちもぶった切られちまった。この橋で繋がってたのによぉ……」
彼は吐息する。言葉に憎悪はもうなくて、空しさと哀しさと切なさに取って代わられている。朱に染まった空のせいで、それらはいや増してビュウの耳を打った。
嘆息は長かった。まるで深呼吸のようだった。もしかしたら、ただの深呼吸をビュウがそう勘違いしたのかもしれない――どちらにせよ、息を吐ききって、それから再び吸って、大工はだから、と言葉を続ける。
「だから、必要なんだ。この橋が。俺たちや、俺たちの子供がずっと繋がっていくために」
そこで言葉を切ると、大工は再びこちらを見下ろした。ビュウもまた、彼を見上げる。
日焼けした無骨な顔。そこに埋もれた小さな目は、険のある光を宿してこちらを射るように据えられている。
「解るか、坊主? お前にゃお前の事情があって戦争屋をやってるんだろうが、結局戦争屋ってのはな、その程度なんだよ」
「…………」
「お前らは、物を壊す。でも俺らは作る。……俺らの方が、偉ぇじゃねぇか」
ビュウは視線を逸らした。
彷徨った目の行き着いた先は、やはり作りかけの橋だった。落とされる前と同じだと言うその純白の橋は、山の稜線へと隠れゆく夕日の光を受けて、赤く染まり、輝いている。
それは美しい光景だった。だからこそ、ビュウは思い知った。
自分たちは――これを、壊すだけの存在なのだ、と。
それは、十年以上も昔の話。
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