―4―
王都、下地区。王宮から最も離れた、あらゆる意味で日当たりの悪い場所だ。
そこの細い路地を、ビュウはナルスとラッシュたちを引き連れて、素早く歩いていた。
陽は大分傾き、道の両脇にそそり立つ家々の影を濃く落としている。薄暗い中を、ビュウは、特に迷う事もなく進んでいた。
背後を行くナルスたちには、目的はちゃんと伝えてはいない。ただ、極秘に進めなければならない作戦だ、と、言ったのはそれだけだ。それだけで尋常でない事を悟ったか、四人は下地区に入ってから一度も口を開いていない。黙々と、ビュウの後について歩いている。
と――
その道の先に、一人の男が座り込んでいた。
パッと見には物乞いだが、そうではない事をビュウは知っている。彼はその物乞い風の初老の男の元に歩み寄ると、懐から出した硬貨を一枚投げやって、
「……連中は?」
「この先の竜の遠吠え亭っていう酒場さね」
「ありがとう」
と、今度は紙幣を投げやる。男はそれを受け取ると、嬉しそうに、
「毎度ありぃ」
「場所は分かった。行くぞ」
後ろの応答も聞かないまま、ビュウは再び歩き出す。マントの下に佩いている剣帯が微かな金属音を立てた。座り込む男が更に楽しそうに笑った気がしたが、確認はしなかった。
竜の遠吠え亭なるふざけた名前の店は、すぐに見つかった。情報を売ってくれた男のいた通りから、角を一つ曲がってすぐの所にある。彼はその店の入り口の前に立つと、左右に目配せをした。
ナルスは冷静な顔で。
ラッシュは興奮を抑えた顔で。
トゥルースは緊張の顔で。
ビッケバッケは少し怯えた顔で。
それぞれ一度頷くのを見て、ビュウは、マントの下の剣の柄に手を掛けて、店に入る。
店の中は狭い上に暗い。
先日、ビュウと情報屋が取引をしていた店よりも、ずっと質は悪いようだ。喧騒もなく、所々に反吐を撒き散らした酔っ払いが突っ伏している。
そのすえた臭いの中、一番奥のカウンターに、ビュウは彼らを見つけた。
こんな店には余りにもそぐわない、仕立ての良い服を着た男。それが三人、仲良く並んで座っている。それは、最早違和感と言うのも憚られるほどの不自然さだった。
この暗がりの中、額を寄せ合って何か熱心に話し合っている男たちは、まだこちらに気付いてはいない。三人の中、一番右端に座っている暗い茶色っぽい髪の男が、二度、三度と頭を動かした。頷いたようだった。
その拍子に、カウンターの近くの天上に吊り下げられたランプの明かりが、彼の髪を照らし出した。暗い茶色ではなく、その色は、鉄錆にも似た赤茶色。
ビュウはそれを、苦い思いで見つめた。その男――いや、その少年の髪の色を。
そして、それに真っ先に気付いたビッケバッケが、愕然と声を上げた。
「ウィル……!?」
他の二人――グランベロスの在外武官二人と接触していたのは。
ウィル=リッターだった。
その瞬間。
弾かれたようにこちらを見たウィルは、驚愕に表情を凍りつかせ、ガタンッ、と音を立てて椅子から立ち上がった。
その唇が、わなないて開く。
「ビッケバッケ、バートランド先輩、ソルベリー尉士、副隊長……隊長――!? な、何で――」
こちらを呼ぶウィルの声は震えていた。恐怖すら感じられた。その声に他の二人がハッとビュウたちの方を振り返る。薄闇の中、二人の表情が致命的なまでに歪んだのが判った。
「隊長……――戦竜隊か!?」
「くそっ!」
在外武官二人は席から立ち上がると、迷う事なくこちらに向き直った。そしてそれぞれ腰の剣を抜き払い、
「――君は行け!」
内一方が、ウィルの胸倉を掴むと、そのまま背負い投げるようにカウンターの中へと押し込んだ。
「我らが祖国のために、君は逃げろ!」
「は――はい!」
いきなりの事に硬直していた店主を押し退けて、ウィルが奥へと走っていく。ビュウは叫んだ。
「エシュロン、グランベロスのスパイだ! 取り押さえろ!」
「お任せを!」
四人が一斉に剣を抜く。そしてそのまま、鬨の喚声と共に在外武官に斬り掛かる。
その動きを見届けて、ビュウは踵を返すと店の外に飛び出した。暮れなずむ朱色の闇の中、先程情報を買った男のいた通りまで出ると、店の裏手へと回り込むべく走り出す。
そして、一つ先の角を曲がり――
生ゴミの散乱する小道に飛び出てきた人影に向けて、ビュウは双剣を抜いた。交差させるように構えると、そのまま左右で横薙ぎするように剣を振るい、
「フレイムヒット!」
放たれた炎の刃が、ウィルの足元を焼いた。
「――うぁっ!」
その熱と衝撃に押されて、転ぶウィル。構えを解くと、抜き身の剣を左右にダラリとぶら下げるように持ったまま、ビュウは一歩、二歩と彼に歩み寄る。コツ、コツという足音に、ウィルはハッとして両腕で体を支え、持ち上げ、身を捻ってこちらを見上げた。
焦燥に満ちた表情を見下ろして、しかしビュウは内心で舌打ちする。
(くそっ……やっぱりサラを連れてくるべきだったな。戦竜の影響下に入っちまえば、今ので片付いたのに)
戦竜隊が駆使する技は、行動を共にする戦竜の魔力の支援を受けて、その威力を増幅させる。言い方を変えれば、一撃で敵部隊を薙ぎ払えるクロスナイトの『ヒット』も、戦竜がいなければただの牽制にしかならないのだ。
もっとも、やっているのはスパイ狩りだ。隠密行動に、戦竜という身元を喧伝するような存在を引き連れるわけにはいかない。
そんな事を考えている間、ビュウはただ押し黙って、ウィルを見下ろしているだけだった。そしてウィル自身、まるで蛇に睨まれた蛙のように、動こうとしない。
それに気付き、ビュウは一つ、大きく吐息して、
「……とりあえず、立ったらどうだ?」
「…………」
答えはなかった。
しかし、言われてそうする気になったようだった。彼はこちらから決して目を逸らさずに、立ち上がり、向き直った。
敵意剥き出しの表情に、ビュウはふと、奇妙な空しさを覚えた。
――ほんの数時間前まで、上官としてそれなりに接する事が出来ていたはずなのに。
しかしそんな感情は決して表には出さず、彼は口を開いた。
「……何でこんな事を、なんて聞くつもりはない」
「…………」
「ただ聞きたいのは、一体いつからだ――その一点だけだ」
鋭く吊り上がり睨んでくるウィルの目には、いつもの好奇心の輝きはなかった。それが、何だか悲しかった。
ともあれ、ウィルは、答える。
「――……ほんの四、五ヶ月前から、ですよ」
マハール陥落と、時期が重なる。
つまりグランベロスは、マハール陥落直後――いや、それ以前から、カーナを敵国として認識し、情報収集を始めていた、という事になる。
「でも……準備は入隊した時からしていましたよ」
「…………」
「僕は、このために軍に入ったんだから」
となると、二、三年前から、という事になるのか。
ビュウは鼻でフン、と息を吐くと、
「そりゃまた、ご苦労な事だな」
その言葉に、ウィルはムッとした。嫌悪感を露にして、それこそこちらを嘲笑うように、
「でもそれは、貴方だって同じでしょう?」
「…………」
「貴方だって、祖国のために、祖国に尽くそうと、カーナ軍に入った。違いますか?」
「…………」
「だったら僕と同じだ。僕も、祖国のために、カーナ軍に入った。――僕の祖国、グランベロスのために!」
そう叫んで。
ウィルは、腰の剣を抜き払う。
「だから僕は祖国に帰る! 祖国に帰り、皇帝陛下のために戦うんだ! だから――そこを退けぇぇぇぇぇぇっ!」
絶叫と共に、剣を振り上げ、掛かってくるウィル。
ビュウはそれを、その熱狂を、冷めた思いで見つめていた。
ヒュンッ――
剣が奏でる風切り音。
――退けと言うなら、退いてやろう。
ビュウは、その太刀筋から横に半歩、身を退かせた。
ウィルの剣は、空を切る。
そしてその場に残っていた右足が、ウィルの足を引っ掛けた。
「――――っ!?」
突然の事にわけが解らず、息を飲んで為す術もなく体勢を崩すウィル。
そうして倒れていく、彼の体を――
――ザンッ!
ビュウは無造作に、剣で薙ぎ払った。
血飛沫を上げ、剥き出しの地面に倒れ伏すウィル。
ドサリッ、という音を立てたまま、動かないのを確認すると、ビュウは剣を一つ振った。ヒュンッ、という甲高い音と共に、刀身に付いていた血が地面とすぐ脇の壁にピピピッ、と飛び散る。
詰め所に戻ったら、ちゃんと手入れしなければ。そんな事を思いながら剣を鞘に収めると、
――パチ、パチ、パチ。
やる気のない拍手が、すぐ後ろから聞こえた。
「いや、お見事、アソル佐長」
感情の聞き取れないバリトンボイス。ビュウは、肩越しに振り返る。
果たして、そこにいたのはフォスだった。
こうして顔を合わせるのは、三日ぶりか四日ぶりになるか。
相手の顔に先日見たような敵意もなければ、こちらの心にも先日のような疑念はない。
だからビュウは、淡々と、
「どうも、フォス佐長」
と、応じる。
「部下の不始末でお手数を掛けて、申し訳ない」
「こちらこそ、帝国のスパイ捕縛に協力していただき、感謝する。エシュロン佐士以下四名が、先程、二名の内一名の捕縛の成功した」
「二人いたはずだが、もう一人は?」
問いに、フォスは肩を竦めてみせた。
「抵抗激しく、ラッシュ=バートランド曹士に斬られた。――確保した身柄は、こちらで預かってもよろしいか?」
「もちろん」
そこでビュウは、フォス自身に尋ねたかった事をようやく口にした。
「ところでフォス佐長、一つお聞きしてもよろしいか?」
「私に答えられる事なら」
「貴方は――」
と、息絶えたウィルを見下ろすビュウ。
「いつから、ウィル=リッターの利敵行為に気付いていたんだ?」
問いに、フォスは特に表情を変える事なく、
「二、三ヶ月前からだ」
話はつまり、こういう事である。
二、三ヶ月ほど前から、諜報局は、軍内部でおかしな動きをする者の存在に気付いていた。
折りしもマハール陥落間もない頃。いくら平和ボケしているとはいえ、グランベロスからのアプローチが何もないはずがない、と彼らは踏んでいた。しかし、当初はその動きを帝国と結び付ける事はしていなかったという。
何せ、ただ士官や下士官に、執拗に色々な質問を浴びせ掛けているだけである。その姿は、むしろ「勉強熱心だな」という程度の認識しか与えない。
その質問攻めが所属部隊――戦竜隊だ――以外の部隊に移っても、まだ、諜報局は「少し派手に勉強している兵卒がいる」程度にしか考えていなかった。
彼が、軍事資料室に出入りしているという話を聞くまでは。
軍事資料室は、士官以上しか立ち入りが出来ない。士官以外の者、しかも一兵卒が一人で出入りするなど、あってはならない事だ。
ここに至ってようやく、諜報局はこの兵卒、ウィル=リッターについて調べ始めた。
フォスは告白する。
「実を言えばな、アソル佐長――最初は、君の差し金ではないか、と疑ったのだよ」
「…………」
「リッターも、君も、カーナ人とベロス人のハーフだ。王女殿下と懇意にしている君だが、母親の祖国に忠誠を誓っていてもおかしくはない――と、考えてね」
だからフォス自身が、わざわざ戦竜隊を見て回っていたのである。竜舎に近付いてきたのも、ナルスやトゥルースと軍事資料室で鉢合わせたのも、つまりはその辺りを自ら調べるためだったのだ。
「だから、君のスパイ容疑が晴れたのは、実はほんのつい先程なのだよ。何せそれまで私は、君からグランベロスの在外武官の情報がもたらされた事を聞かされていなかったのでな」
と、首を傾げるフォス。
「それで、君自身はいつからリッターがスパイだと気付いたのだね?」
「二、三時間前だ」
ウィルに疑いを向ける原因となった、あの報告書。
何故、あれだけ熱心に調査したのに、あんな粗雑な物を提出してきたか。
ビュウの推理は、こうだ。
ウィルは、キァノン要塞の情報も、グランベロスに提供するつもりでいた。
しかし逆に調査しすぎて、一体どの情報を伝えれば良いのか判らなくなった。
膨大な調査結果の取捨選択をしている内に、ビュウに出す報告書の期限が迫ってきた。
そうして、ラッシュの分も含めて慌ててでっち上げたのが、あの適当な報告書。
そうなると疑問になるのが、熱心に調べたというキァノン要塞の調査結果の残りの行き先はどこか、である。ビュウはまずそれを考えた。
折りしもグランベロスのスパイが入国し、何やら諜報局が動いている。もしかしたら、と踏んで、ビュウはあの時、諜報局に行ったのだ。
「そういえば、あんた、あの時いなかったけど、どこに行ってたんだ?」
「例のごとく、リッターの尾行だ」
その時には、ウィルはもう在外武官二人に接触すべく行動を開始していて、フォスとその部下何名かがそれを追っていたのであった。
そして一方のビュウは、諜報局に残っていた局員に、こう言った。
共同戦線を張ろう――
ビュウは事前に得ていた在外武官の情報を提供し、諜報局はウィルに関する情報をくれた。
それを元にビュウは出撃を決め、ナルスたちを連れてウィルと在外武官の接触場所であった竜の遠吠え亭へと踏み込んだのである。
もちろん踏み込んだ直後にフォス率いる諜報局の部隊が酒場を包囲していて、ナルスたちの戦闘を支援したはずだ。
その結果、在外武官を一人確保したフォスは、自らビュウの元へとやってきた――
「……あんたも、意外とマメなんだな」
思わず薄く笑うと、フォスも同じような微苦笑を見せ、
「でなければ、私みたいな者が諜報局で出世できるはずもあるまい。私も、君たち同様、ハーフなのだからな」
ビュウは口をつぐんだ。
その事を知らなかった――からではない。
そう言ったフォスの声音に、微かな嘲りと諦めが混じっていたからだった。
それはもしかしたら、彼の声から初めて聞き取った、感情の動きなのかもしれない。
「まったく、面白いものだよ。司令部のお歴々は私みたいな者に諜報局を任せるというのだから。どれだけ諜報活動というものを低く見ているか、よく解るというものだ」
笑い含みの声で吐き捨てると、彼はそれからポツリと一言、
「……本当は、戦竜隊に憧れていたのだがね」
「そうだったのか?」
「あぁ。だから竜舎にも近付ける。若い頃、いつ異動を命じられても良いように、と慣れておいたからな。――……だが結局、私はベロス人の血を引いている事を警戒されて諜報局に押し込まれてしまった」
「…………」
「カーナという国は、おかしなものだ。他国の民族同士の争いには眉をひそめるくせして、実際自分たちの中に異質な者がいると、やはり遠ざけたがる」
彼は一拍置いてから、まるで今思い付いた、とばかりにポツリと、
「……リッターがグランベロスを祖国と思うのも、当然なのかもしれないな」
言ってから、地面の上のウィルに視線を落とす。
「だから、もしかしたら、と思うのだよ。もしかしたら……リッターになっていたのは、私の方だったのかもしれない、とね」
「そうなのか?」
それが本心なのかどうか、ビュウはそう尋ねた。見る限り、とてもグランベロスに肩入れするようには思えない。
しかし案の定、フォスはかぶりを振った。
「もしかしたら、の話だ。その可能性は否めないが、今こうしてカーナのために動いているこの私が現実だ。仮定はあり得ない」
「冷遇されたのに?」
「ああ」
躊躇いもなく頷くフォス。
「リッターが自分をベロス人と思っていたのと同じように、私は自分をカーナ人と思っている。このカーナという国には時々嫌気が差すが、それでも……私の父を産み、私の母と出会わせてくれたこのカーナの大地を、私は愛している」
そう言うと、彼は視線をウィルからビュウに移した。
「君はどうだ、ビュウ=アソル?」
問いに、ビュウは答えない。
「君も君の母も、その容姿だ。おそらくこれまで、自分で言わなければ、カーナ人と思われてきただろう。だが実際、君は……カーナ人か? ベロス人か?」
「…………」
ビュウは、答えない。
確かに、フォスの言う通りではある。
ビュウはこれまで、ベロス人の息子だから、と差別された事はない。一つは、見事なまでの金髪碧眼で、ベロス人の血を引いているようには見えなかったからだ。ベロス・ラグーンは最も高い位置にあるせいか、そこに住む人たちの肌や髪の色は濃く、混血となると特に髪はくすんだような色合いになる――ウィルや、フォスのように。
しかし中には混血が進み、見事な金髪や銀髪を持つ者もいる。ビュウの母イズーや、グランベロス帝国皇帝サウザー、その右腕のパルパレオスなど。そういった者たちは、それと言わなければ、ベロス人だと気付かれにくい。
だから、容姿の面でビュウは差別された記憶はない。
だが、そうされた記憶がない一番の理由は、物心のつく以前から傭兵として世界中を渡り歩いていた、あの頃の生活の方が大きい。
傭兵の世界に民族の別はない。戦えるか、戦えないか。あるのはその差だけだ。剣においては最強を誇ったイズーと、小賢しい知略においては誰にも負けなかったビュウを差別する者など、いるはずもなかった。
けれど、もし、差別されていたとしても。
余り気にしなかったのでは、と思う。
何故なら――
「――俺は、多分、どっちでもない」
長い沈黙の末、ビュウはようやく、ポツリと呟く。
フォスの訝しげな視線を感じながら、フッと、笑った。
それは、余りに暗い笑み。
「俺は、『異物』みたいなもんだから」
幼い頃から傭兵として生きてきた。
幼少期の記憶を探ると、戦場の光景しか出てこない。血の臭いと、悲鳴と、喚声と、剣戟と。
両親に連れられて世界中を渡り歩いたビュウは、実は、十歳も半ばを過ぎるまで故郷であるはずのカーナにほとんど寄り付いた事がなかった。むしろ、十歳の秋になって初めてカーナの地を踏んだ、とすら言える。――三歳くらいまでは住んでいたらしいのだが、その頃の記憶などあってないようなものだ。
だから。
ビュウには、自分がカーナ人である、という意識が薄い。
いや、自分がどこの国に属する者か、どの民族の一員であるか、という意識そのものがほぼ皆無なのだ。
だから自分は常に「異物」だった。
傭兵をしていて一般人に警戒されたせいもあるけれど、それ以上に、どこにも属さない者として、ビュウは常に自分が「異物」であると感じていた。
傭兵として、世界中を渡り歩いていた時も。
カーナに戻ってきてからも。
カーナ軍に入隊してからも。
戦竜隊長になった今でさえ。
「――俺は、どこにも属してねぇんだ。カーナにも、ベロスにも、どこにも。ただここにいて、職業として軍人を選んだ、それだけの事なんだ」
ただここに、家族が住んでいるから。
ただここに、ヨヨがいるから。
ビュウがカーナにいるのは、結局、そんな動機なのだ。
その動機は、余りにも単純で、しかし複雑だ。きっと、その本当のところは、誰にも理解されないだろう。それで良い、とビュウは思っている。
今は、家族とヨヨ以外に理解されたいとは思っていない。
だからビュウはそれ以上言わない。フォスが、理解できないという眼差しを送っていても、暗く笑って曖昧に誤魔化すだけ。
そうしている内に、店の表の方が騒がしくなってきた。諜報局員とラッシュたちが何やら話しているようだ。考えてみれば、今回の作戦についてろくに説明していない。多分、何がどうなっているのかと問答しているのだろう。ビュウは吐息一つと共に踵を返した。フォスの方へと向かって歩き、そして、彼の脇を通り過ぎる。
「じゃあ、俺はこれで。――今の話は、忘れてくれ。俺も忘れる」
すべき話ではなかった、と今更ながらに自覚する。それはフォスも同じ事だろう。誰かに聞かれて良い類のものではなく、何事もなかったように忘れてしまうのが一番だ。
「――最後に」
通り過ぎたビュウに、フォスは声を投げ掛けてきた。ビュウは、足を止める。
「私は、諜報局長のポストは私よりも君の方が相応しいと思ったのだが……ここに就いてみる気は、ないかね?」
「お断りだ」
にべもなく即答すると、背後のフォスはハハッ、と軽い笑い声を立てる。本当におかしそうな声だった。
彼のそんな笑い声を、ビュウは初めて聞いた。
「そうだろうな」
「ああ」
それで、会話は全て終わりだった。
ビュウは再び歩き出す。店の表にいる、部下たちの――仲間たちの、元へ。
通りを歩き、店の表の道に出ると、気付いたビッケバッケが声を上げた。それにつられて、ラッシュもトゥルースもハッとこちらを見、
「隊長!」
「おいビュウ! 一体何がどうなってんだよ!」
その向こうで、ナルスが、仕方なさそうに笑っている。そういえば、ナルスにもろくすっぽ説明していないのだ。早いところ説明しなければ、きっと、姉に告げ口される事だろう。それを思い、自然と、ビュウの口元にも笑みが浮かんできた。
だが、どう説明したものか。ウィルがカーナよりもグランベロスを選んだ、その本当の理由なんて、ビュウにも解らない。
それを、彼が引く事となった血のせいにはしたくなかった。
その答えを求めるように、ビュウは、空を見上げる。黄昏の朱色が、だんだんと宵闇の濃紺へと変じていく、大雑把で精緻なグラデーションの空。
ふと、思い出すのは、いつかヨヨがした話だった。チェスと、謀略の話。白と黒だけではなく、それ以外の多様な色の話。
あぁ、だがこの世界はそんなモノクロームであるものか。そんな無彩色で語れるほど易しい世界であるものか。
見ろ、この美しい世界を! 空だけでも、あんなに数え切れないほどの色があるのだ!
空から視線を剥がすと、彼は再び歩き出す。
どこにも属していないかもしれないけれど――
それでも、ここが今の居場所だ。
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