6.再起の道
「小五!」
「ちい兄!」
「小五君、戴宗君、大丈夫!?」
戴宗の隣でニコニコ笑っていた小五は、呼び声に目を転じた。さっきの位置から動いていなかった小二と小七が駆け寄ってきて、更に事態の収集を察したらしい呉用が村の方から走ってやってくる。
呉用の後ろには、やたらと悠然とした足取りの晁蓋。
小五は彼らに手を振る。
「おーい! 兄ィ、小七、呉用さん、晁の旦――」
「Idiot!」
ゴンッ!
小五の言葉が終わらない内に、小二の拳骨が頭頂部に炸裂した。脳天から頭蓋骨に衝撃を走らせて背骨へと突き抜ける痛み。声すら出せないそれに小五は頭を押さえる。
「っ……――な、何すんだよ兄ィ!」
「それはこっちの台詞だ小五! 人が止めるのも聞かないで炎に突っ込みやがって、この大馬鹿野郎が!」
いつもは余り感情を露にしない兄の、そのなりふり構わない怒声に小五は驚愕し、身を縮こまらせた。
「お前が一人で突っ込むのを見ているしかなかった、俺と小七の身にもなれ……!」
その驚きは、すぐに申し訳なさに変わる。小五は痛みを忘れ、肩を落とし、
「……ごめん、兄ィ、小七」
「――もう二度とやるんじゃないぞ」
と、小二はプイとそっぽを向き、
「そうだよちい兄。さっきは偶然雨が降ったから良かったけど、あんな偶然そう何度もあるもんじゃないんだから」
小七も叱る表情で言い募る。小五は苦笑気味にごめん、ともう一度言って、
「――……偶然、かな?」
不意の声に、視線を小二たちの背後に送る。
心配顔の呉用の隣に並んだ晁蓋が、濡れて火の消えたタバコをまだくわえて、ニヤリと笑っていた。
「……晁蓋? 何を言って――」
「あの雨、お前の仕業じゃねぇのか、小五?」
呉用の声を無視しての晁蓋の言葉に――
小五は、ただ首を傾げる。
「俺の……?」
晁蓋が何を言っているのか、解らない。
自分が何かした、なんて自覚は小五にない。
ただ、
――父ちゃんと洪信さんが、力を貸してくれた。
そんな確信だけは、ある。
ふと視線を感じて横を見ると、戴宗が奇妙な表情で小五を見つめていた。それは何か「分からねぇのか?」と言っているような顔だった。
戴宗は、何か知っているのか。
そういえば、戴宗が起こしたあの炎も結局何だったのか。
「晁蓋……君は、何か知っているのか?」
「ん? いいや、ただの勘だぜ呉用。
でも、面白くなってきたと思わねぇ?」
「は? 何が――」
「炎を起こせる噂の義賊に、雨を降らせられる石碣村の好漢! その二人が俺たち北斗七星の仲間なんだぜ? ワクワクしてくるだろうよ」
「あのね晁蓋――」
と、呉用が呆れた突っ込みを入れるより早く、
「ってちょっと待て!? 誰がおたくらの仲間になる、っつった!?」
戴宗が目を瞠って怒声を上げた。晁蓋は何故か意外そうな顔をし、
「何だよ戴宗、いいじゃねぇか。俺たちと一緒に生辰綱奪おうぜ?」
「っざけんな! 俺にゃやらなきゃならねぇ事があるんだ! おたくらのお遊びに付き合ってる暇は――」
「ははーん、そうかそうか、戴宗」
と。
戴宗の怒鳴り声を遮って、晁蓋がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「そんな事言って、要するにお前……出来ないんだな?」
「なっ――」
「あー、分かった分かった。怖くて出来ないんなら仕方ねぇな。よし呉用、他の奴を当たるぜ」
「え、ちょっ、晁蓋?」
困惑する呉用をよそに晁蓋はクルリと踵を返して背を向けて――
「――笑えねー」
低く抑えた呻き。
へ、と間の抜けた声を上げたのは、自分か、呉用か、それとも兄か弟か。
呻きの主・戴宗は、ギラリと晁蓋の背中を睨みつけると、
「出来ねぇかどうかは俺が決めるっ! やってやろうじゃねーか!」
自ら、そう宣言する。
小五はギョッとした。
戴宗がそう言った事に、ではない。
天邪鬼な戴宗にそう言わせた晁蓋に、だ。
その晁蓋は肩越しにこちらを振り返って不敵な笑みを見せ、
「……出来るか、お前に?」
「おおやってやるよ! その目ん玉ひん剥いてよぉく見とけ! この俺の活躍で生辰綱ってのを奪うところをよ!」
「――そうかい」
小五は見た。
晁蓋の口元に、してやったり、という笑みが浮かぶのを。
「そりゃあ楽しみだ」
彼はこちらを向き直り、呉用の背中をバンッと叩く。
「よっし、これでまた北斗七星が揃ったぜ呉用!」
「今日会ったばかりの戴宗君を仲間に引き込むなんて反対――って言っても無駄だよね、晁蓋」
「解ってんじゃねぇか大親友! よし、そうと決まりゃ――」
そう言って。
晁蓋はあっという間にやってくると、無造作に、座り込んだままの戴宗を肩に担いだ。軽々と、まるで土嚢でも担ぐような少々乱暴な動作で。
「なっ――何しやがる!?」
「あん? 決まってんだろ、安道全医師のとこに連れてくんだよ」
「は――」
「お前も小五も火傷だらけじゃねぇか。本番で『火傷で本気が出せませんでした』じゃ困るわけよ、俺も」
「笑えねー、俺が火傷くらいで」
「だったらおとなしく担がれとけ。こう見えても頼りにしてんだぜ?」
そんな会話の最中、小五もまた小二と小七に支えられてようやく立ち上がる。体が言う事を聞かなかった。力が入らないのだ。自分でも驚くほどの倦怠感に、結局小七におんぶされる始末となり、
「――なぁ、流星?」
(――……あれ?)
小七の背中の上で、小五はふと疑問に思う。
(晁の旦那)
視線の先、戴宗を軽々と担いだ晁蓋は人一人担いでいるとは思えないほどの軽い足取りで安道全の元へと向かう。呉用、小二、小五を背負った小七を引き連れて。
(何で、戴宗が『流星』だって知ってんだ?)
胸中の問いに答えが返るはずもなく、小五はただ揺られるばかり。
そしてその疑問も、安道全や小言や母の説教や強奪作戦の準備の日々にあっという間に埋没した。
時は流れる。
薛永の薬と安道全の治療で小五と戴宗の火傷はすぐに良くなり、万全の状態で作戦決行の日を迎える。
カンカン照りで暑くて仕方ない黄泥岡で行商人に化けた生辰綱輸送隊を待ち受け、騙してお宝を奪うはずが楊志とかいう奴に棗売りでない事がバレて結局戦いになって、まあ何だかんだで強奪に成功して。
しかしそんな大事になったから当然身元はバレるわけで大名府からも済州からも追っ手が差し向けられて、
「じゃあ、いっちょ梁山泊に行ってみるか!」
そんな晁蓋の鶴の一声で、皆揃って梁山に登る羽目になり――
金沙灘という所に上陸して、応対に下りてきた赤毛の気合いが入った男に、晁蓋が何か手紙のような物を渡した。
それを見た男は驚いた様子でカッと目を見開き、あとからやってきた算盤を抱えた書生風の青年、胸の大きな色っぽい女、彼女を守るように背後に従う巨体の男に手紙を見せる。三人もまた驚きの表情で晁蓋を見る。
その表情は、すぐに(とりあえず、といった様子ではあるが)歓迎の雰囲気へと変わり、
「――戴宗さん!」
真っ先に金沙灘を駆け下りてきた小柄の少年を投げ飛ばした戴宗を、呼ぶ声。
少女のもの。
ハッと顔を上げる戴宗。つられて視線を追う小五。大門の所に、声の主はいた。
小柄な、愛らしい少女だった。
頭の左右にお団子を一つずつ作り、余って垂らした髪が風に揺れている。
白のゆったりとした上着に、薄紫色の長いスカート。地味だが楚々とした装いの、その袖や裾から僅かに覗く手足はほっそりとしていた。
「戴宗さんっ!」
大きな目に涙を浮かべ、少女は戴宗の名を叫んで走り寄ってくる。
そして何故か動かなくなっている戴宗に、飛びつくように――抱きついた。
戴宗の体がその瞬間ビクリと震えたのを、小五は見た。
「戴宗さんっ……無事で良かった……! 何のっ……何の、連絡もっ、ないから……ずっと、ずっと、心配してたんですよ……!?」
嗚咽混じりの声。途中グシグシと鼻をすすり上げる音が混ざり、しかも彼女の顔は戴宗の服に押しつけられて声はくぐもって聞こえるのだが――
それでもそこから聞き取れる様々なものに、小五はただ瞠目する。
戴宗は、戸惑った様子で少女の上着の後ろ襟を掴む。それから猫掴みの要領でグイと引っ張って、ぶっきらぼうに乱暴に言う。
「……暑苦しい。離れろ、翠蓮」
「あっ……ご、ごめんなさい、戴宗さん」
しかし翠蓮という名らしい少女は気にした素振りも見せない。戴宗の体から離れ、まだ涙で濡れている顔を袖で拭うと、
「お帰りなさい、戴宗さん」
小五は、見た。
言われた瞬間、戴宗が殊更にぶっきらぼうな仏頂面をしたのを。
口を「へ」の字に曲げ、不機嫌そうな目つきでそっぽを向く――
小五は、知っている。
天邪鬼な戴宗の、そんな顔こそが嬉しかったり照れ臭かったりする時の表情である事を。
(なぁんだ、戴宗)
小五の口の端が持ち上がる。
笑う。
(お前、一人じゃなかったんだな)
ちゃんと、いたのだ。
戴宗にそんな顔をさせられる奴が。
この時感じたのは、確かな安堵と喜び、嬉しさ。
彼の顔に、頭上の晴れた夏空のような笑顔が自然と浮かんだ。
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