少年は更に成長し、青年へと変わる。
 それでも彼はまだ座り込んでいる。膝を抱えて顔を伏せ、時折思い出したように鼻をすする。
 悲しみはまとわりつき、憎しみは凝り固まり、青年から立ち上がる力を奪い続ける。しっかりしろよ、そんなのに取り憑かれてんじゃねーって。友達の励ましの声はちゃんと届くけれど、全てを振り払う力には変わってくれない。

 そんな時、少しだけ距離を取って青年を取り囲むように立ち並ぶいくつかの人影が、不意に現われた。

 艶やかな黒髪を高く結い上げた青年が呆れている。
 髪を二つに結い分けた娘がイライラしている。
 長身痩躯の男が感情を読ませない笑みで佇んでいる。
 金剛像のごとき巨躯を誇る二人の男が思案げに見下ろす。
 髪を結い上げた青年が、取り囲む人々の向こうから呆れた言葉を突きつけた。

『君は、いつまでそうしているつもりですか?』


 早く立ち上がらないと、置いていきますよ。




3.仲間



「――……笑えねー」
 薄闇の中、崩れかかった城塞の、やはり崩れかかった石壁にもたれて、戴宗は不機嫌に呻いた。
「……笑えないのはこちらです、戴宗」
 蛇矛を片手に同じく石壁にもたれる林冲が、戴宗と同じくらい不機嫌な言葉をこぼす。
「そもそもこんな事になったのは、全て君が一人で突っ走ったからでしょう。私たちは待てと散々止めたと言うのに……」
「あぁ? それこそ笑えねーな前髪の坊ちゃん。止まるかどうかは俺が決める」
「誰が『前髪の坊ちゃん』ですか!」
「あんたたちうっさい!」
 戴宗を挟んで林冲の反対側でやはり石壁にもたれる扈三娘が苛立たしげに叫んだ。
「今の状況分かってんの!? ここ囲まれてんだから! 静かにしないと居場所がバレる、って言ったのあんたでしょ豹子頭!」
「やー扈三娘ちゃん、君も大概騒がしいのね」
 反対側の石壁の崩れかけた窓に取りつき、松明の火が無数に浮かぶ外を窺っていた朱貴がニハハといつものように笑って、
「そうだぜぃ、一丈青! 静かにしねぃと!」
「んん!」
 杜遷と宋万がこれまたいつもの調子で言ってくる。
 が――六人が六人、満身創痍の出で立ちだった。

 まあ、要するに。

 空城の計に引っかかったわけである。



 同時刻、梁山泊軍本陣。

「まったくさ、信じられないよ晁蓋! 空城の計だよ、空城の計! 自陣に人がいるように装って空にして周囲に兵を埋伏させて、それと知らずに攻め込んできた敵軍を自陣に引き込んで兵を起こして包囲する、っていう戦術の初歩! もうかなり使い古された手だね古典的ですらあるよ! それが目の前で披露されたばかりか戴宗君たちが引っかかるなんて! ねぇ晁蓋、僕は軍師としての自信を失くしてきたよ。だって僕は空城の計の可能性をあらかじめ主張してたんだから! なのに戴宗君たちはそれを聞かずに突っ走るもんだから困るよ! って言うか最近前線に出る皆があんまり僕の言う事を聞かなくなってきたんだけど、ねぇ晁蓋、僕、軍師辞めていいかな?」
「……とりあえず呉用、酒置け。お前、目が据わってるぞ」



「……やー、それにしても」
 と、再び外を窺いながら、朱貴。
「すごい包囲だね。切り抜けるのは厳しいよ、これは」
「はっ、笑えねー」
 吐き捨てる戴宗。
「切り抜けないかどうかは俺が決める。――ほれ、先陣を切れ坊ちゃん」
「誰が行きますか!」
「場合によっては誰かに行ってもらわないといけないかもね」
 本隊からの援軍がいつ来るか分からないし――続いた朱貴の、いつもの柔らかい調子でありながら置かれた危機的な状況を端的に表わした言葉に、戴宗も林冲も扈三娘も杜遷も宋万も、一様に口を噤んだ。

 呉用の制止も聞かずに六人で城塞に攻撃を仕掛けた。
 星の力は最初からフル活用。分厚い防壁をブチ壊して突撃してみれば、内部はもぬけの殻で外に埋伏されていた敵兵が一斉に攻撃をしてきた。
 敵にも宿星が何人かいて、おかげで星の力は更にフル稼動。六人揃ってガス欠になるまで、二時間ともたなかった。

 が、悲壮感に呑まれても始まらなかった。
 戴宗は天井を見上げる。六人の技の乱舞で天井に大穴が開き、そこから満天の星空が見えた。
 天の川。
 ああそうだ、と思い出す。今日は自分の誕生日だった。皮肉げな笑みが口の端に上った。
 敵の集中攻撃を受けてボロボロ。六人揃って星の力はガス欠御礼、おまけに敵の包囲網は分厚くて、それこそ万全の状態であっても切り抜ける事は難しい。しかも六人全員が、会話にかぶるほどグーグー腹の音を立てていると来た。
「――……笑えねー」

 何て誕生日だ。

「何か言いましたか、戴宗?」
「何でもねぇよ、坊ちゃん」
「……あんたたち、よく喋る気力残ってるわねぇ」
 くたびれた口調で戴宗と林冲と扈三娘が言い合った、その時だった。
「――しっ!」
 不意に朱貴が常にない鋭さを語気に乗せた。朱貴っちゃん……? 何事かと問う杜遷を手で制し、天井から差す星明りにぼんやりと照らし出された朱貴は、目を閉じて耳をすませていた。
 戴宗もつられて耳をすます。

 そして遠くから聞こえる、


 それは、交戦の喊声。


「……意外と早く動いたのね、呉用君」
 再び目を開いた朱貴は、ひどく楽しそうに笑っていた。
「では、そろそろ我々も動くべきですね」
 壁に預けていた背を起こす林冲の声には、獰猛な獣の調子が込められている。
「少し休めたから多少は回復したけど、そう長くはもたないわね」
 日月双刀を再び取り上げた扈三娘の声は、いつも通り凛としていた。
「星の力は、二割回復、ってところだよぃ」
 ガチャリと重い音を奏でる雷電金剛杵を肩に担いで、杜遷。
「一人一撃ずつ――それで、切り抜けるしかないな」
 冥利拳金剛杵を手に装着し直して、宋万。
「じゃあ」
 戴宗は伏魔之剣を右手に、ニヤリと笑った。
「奴らのどてっ腹に風穴を開けっぞ」
 その言葉を、合図にして――

 六人は、崩れかけた城塞を飛び出して喊声の方へと駆け出していく。
 先陣を切るのは、赤く燃え盛る地上の流星。


 何てどうしようもない誕生日。
 せっかくだ。どこまでも傷だらけ血まみれで過ごしてやる。

 

 

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