6.どれだけ時を経ても光り輝く恩寵を
水を打ったような静寂、とは、まさにこの事だろう。
翠蓮も含め、誰もがぽかんと間の抜けた呆け面をさらした。彼が今何を言ったのか、まったくもって理解できなかった。
「え……えっ、と……?」
風のそよぐ音さえしない、耳が痛くなるほどの静寂。余りのそれに慄いて、翠蓮は口の中でモゴモゴと呻く。
この梁山泊をいただく――そう言ったのか?
いただく?
奪う?
北斗七星、というのが、男が率いる彼ら――男や、眼鏡の青年や、小五らの事なら……――
「――……戴宗さん?」
戴宗は、替天行道から梁山泊を奪うような輩を引き込んだ事になる。
かすれた声で呼びかけながら見やれば、果たして戴宗は、……その仏頂面にげんなりした色を加えていた。
それは、替天を故意に裏切った者の顔でも、知らず内に裏切ってしまっていた者の顔でもない。どういう事だと翠蓮は首を傾げる。
更に北斗七星の方を見れば、眼鏡の青年やネズミ顔の男はハラハラしていて、ミイラ男とその肩に乗っている子供はどうでも良さそうに視線を外している。小五によく似た二人は真剣な、どこか期待のこもった眼差しでくわえ煙草の男の挙動を見守っていた。
そして、小五は。
笑っている。
楽しそうに、面白そうに、笑っている。
――まるでこれから面白い事が始まる、と分かっているかのように。
翠蓮はくわえ煙草の男に視線を戻した。彼が何をするつもりなのか、その一挙手一投足をつぶさに見るつもりで目を皿のようにする。
動きを見せたのは、彼ではなく――劉唐だった。
男の余りにも唐突な宣言に目を丸くしていた劉唐以下替天行道の同志(メンバー)だったが、一拍の間を置いて立ち直ると、すぐに男を睨みつけた。
「――何だとゴルァ! 梁山泊を貰う、だとぉ!? ふざけんじゃねぇぞゴラ! ここは、俺たち替天行道の拠点だ!」
「そーっス! 北斗だか南斗だか知らねーっスけど、とっとと出ていけっス! さもないと――」
劉唐の怒声に続いた王定六が、そこで言葉を切るや否や――
跳躍。
弓を目いっぱい引き絞って放った矢のごとく、一瞬にして男へと肉薄し、蹴脚を繰り出す!
「――――っ!」
息を飲む翠蓮。王定六の蹴りは鋭く速く、彼女の目には一瞬で過ぎ去る残像としてしか映らない。しかし次に起こらんとする光景は容易に想像がつく。彼の蹴りは男の頭を狙って一直線に――
――ガシッ。
……吸い込まれなかった。
男の無造作に掲げた左手に、王定六の蹴りは阻まれていた。呆気ないほど、簡単に。
王定六の顔に走る致命的なまでの動揺の色。それは他の同志の顔にもサッと走る。対照的に男はどこまでも余裕綽々といった風情だった。
その表情で、掴んだ王定六の足を横へいなす男。彼の小柄な体はあっさりと地面に転がった。
「――てんめぇっ!」
劉唐が怒声を上げる。と同時に地面を蹴って、一気に男へと肉薄する!
そして――その後ろから、張青が!
少し離れた所から傍観しているだけの翠蓮にもビリビリと伝わってくる痛いほどの殺気。余りに強くて鋭くて凄まじくて、今度こそ、と起こるだろう惨劇に翠蓮は身を固くし、手で顔を覆う。
その時、
「大丈夫だって、翠蓮」
小五が、笑みを滲ませた声で言った。
顔を上げる。彼の方を見る。つまらなさそうな戴宗の向こう、小五はニカリと明るい笑顔を見せた。
「晁の旦那は、大丈夫!」
そして彼は再び男らの方を見る。翠蓮も視線を戻す。
晁の旦那、小五がそう呼ぶくわえ煙草の男に、劉唐の振り上げた右拳が突き刺さろうとする。
「晁の旦那」はそれをパシリと左手で払うように受け止める。続く左拳を右手で同じように受け止める。その直後もう一回続いた右拳をやはり左手で受け止め、かと思ったら絡め取って劉唐の右手首を掴み、
「んなっ――」
劉唐が逃れようとする暇があればこそ。
絡め取った右手首をあっさり捻り上げた「晁の旦那」は、そうして捕まえた劉唐を――接近してきた張青に向かって、蹴りやる!
「どぅわ――――!?」
「――っとぉっ!」
突然張青の前に放り出されてうろたえる劉唐と、慌てて受け止める張青。勢いがありすぎたか、劉唐を受け止めたまま張青は地面に尻餅を突く。
そこに、声。
「んもう、邪魔よ、二人とも」
トンッ――
声に続いた軽い踏み切りの音。それは張青の巨躯の後ろから聞こえ、
――宙に、影。
視界の片隅に入ったそれに視線を上げて焦点を合わせれば、果たして、巨大な人斬包丁を右手に保持して構えた孫二娘が、張青の巨体を跳び越えんとしていた。
人斬包丁で突きを繰り出す孫二娘が、「晁の旦那」に迫る。速い。息を飲むほど速い。そして巨大な刃物だ。翠蓮なら硬直し、立ち竦んで、呆気なく餌食になる事だろう。
「晁の旦那」は、しかし、そうはならなかった。
自分の頭目がけて斜め上から繰り出される人斬包丁へと向けて、不意に手を伸ばし――
ガシリ。
切っ先に近い峰の部分を、無造作に掴んだ。
高速の突きを、掴んで、止める。そのとんでもなく無茶苦茶な行為に、翠蓮はぽかんとし、孫二娘は表情を引きつらせ、
更に次の瞬間、
「晁の旦那」は峰を掴んだまま、人斬包丁をグイと引き寄せた。
やはり無造作な仕草。しかしその無造作さにどれだけの力が込められていたのか。巨大な人斬包丁を扱うために柄にしつらえられた腕を通して掴むための輪、戦闘中なら決して離さないであろうそれを孫二娘は手放し、更に輪から手が抜けていくのを信じられない面持ちで見守る。
己の武器がもぎ取られるのを見つめながら、着地する孫二娘。
一方の「晁の旦那」は左手でもぎ取った人斬包丁をクルリと左方向に半回転させて――
「――お嬢!」
抱き留めた劉唐を放り捨てて体勢を立て直した張青の、悲鳴じみた声。
「晁の旦那」は人斬包丁の切っ先を、眼前に着地した孫二娘へと突きつけていた。
険しく張り詰めた表情で「晁の旦那」を睨む孫二娘と、どこ吹く風といった様子で受け流している「晁の旦那」。その余裕溢れる笑みのまま、彼は鉄算盤を振り上げかけた姿勢で固まる蔣敬を見やった。
「あんたも、まだやるかい?」
「――……いえ……」
表情を気弱げに崩して、算盤を下ろして胸に抱え直す蔣敬。表情を見ても動作を見ても、もう抵抗の意志がないのは一目瞭然だった。
「晁の旦那」はそれを見て満足げに頷くと、人斬包丁の切っ先を少し下ろし、金沙灘を遠巻きに見つめる手下たちを、梁山泊を、グルリと見回した。
そして大きく息を吸い――
「全部見ていたな、梁山泊、替天行道!」
鋭く、大きく、張りのある声を出した。
暗雲を吹き払う突風のような声だった。
「俺は托塔天王晁蓋! ここにいる仲間、北斗七星と共に、北京の梁中書が蔡京に送ろうとした生辰綱を奪った者だ!」
梁中書の?
生辰綱を?
そんなざわめきが波紋のように広がっていく。梁中書、生辰綱。その二つの単語が意味するところを翠蓮は正確に掴みきれない。きょとんとした顔で、驚きに目を瞠る杜遷や宋万、興味深そうに笑っている朱貴を見つめるばかりだ。
「替天行道は、今! この俺に敗北した! よって今からこの俺が替天の新たな頭領(ボス)となる!
すなわち――梁山泊の新頭領は、この俺だ!」
え、と無感動な声が翠蓮の口から滑り落ちた。
それほどまでに呆然としてしまった。せざるを得なかった。
確かに「晁の旦那」――晁蓋は、今、王定六や劉唐、張青、孫二娘、蔣敬に勝った。
だが、替天にはまだ公孫勝や花和尚がいるし、そもそも、頭領は宋江だ。
それなのに、どうして晁蓋が頭領に?
何でこんな展開に?
意味が分からず唖然呆然とするしかない翠蓮を尻目に、事態はどんどんと進んでいく。
「俺たちが目指すものはただ一つ、世直しだ!
世直しの志を持つ者は皆この俺と共に来い! この俺が!」
晁蓋が、言葉を切る。
一拍置く。
水を打ったように静まり返った手下たちをザッと一瞥するだけの、間。
「――お前ら全員に、新しい世を見せてやる」
不敵な言葉と、不敵な笑み。
次の瞬間、場が沸騰した。
手下たちの上げる雄叫びが、歓喜と歓呼の声が、梁山泊を震わせる。
それは数日前、替天行道が初めて乗り込んできた時に手下たちが爆発させようとしていた負の熱の、正しい正への昇華だった。王倫に裏切られた時から、いや、もしかしたらそれよりずっと以前からくすぶっていた不満という熾き火が、今、晁蓋の言葉によって燃え上がった。
王倫の死以来どうしていいか分からず、分裂し、水面下で抗争を繰り広げていた手下たちが今、一つにまとまる。新たな志を得て生まれ変わる。翠蓮はそれを、驚きと、ある種の感動と共に知る。
梁山泊は、新たな頭領を手に入れたのだ。
――が、そんな翠蓮の感動は、戴宗の低く小さな声によって水差された。
「……くっだらねぇ茶番」
「……はい?」
茶番。その言葉の意味をにわかに掴みかね、そして戴宗のつまらなさそうな不機嫌声に反応して、翠蓮は彼を見る。
あの退屈そうなやる気のない表情のまま、戴宗は答えた。
「何、おたく気付いてないの? こんなの見え見えの出来レースじゃん」
……何ですと?
「さっき、あのヒゲ煙草が劉唐のヤローに手紙を読ませただろ。あれ、頭領(ボス)からの指示」
そうして戴宗が語り出す、事の裏に潜んでいた真相。それは――こういう事らしい。
晁蓋と宋江は元々旧知の仲だという。
晁蓋は替天の同志ではないが、その度量や人の上に立つ力に、宋江はかねてから注目していた。また晁蓋の方も、宋江が替天の頭領である事に気付き、何らかの形で関わりたいと思っていた。
晁蓋は「自分たちでも何かをしよう」と生辰綱の強奪計画を練り、実行に移そうとしていた。
戴宗が晁蓋らの元に行き着いたのはまさにそんな時。晁蓋はすぐに彼が「替天行道の流星」と気付き、宋江に知らせた。
宋江は戴宗に「晁蓋らの計画を手伝う」という任務を与える事で晁蓋らを支援し、それを以って北斗七星と替天とを繋ぐ「糸」にしようとした。
――宋江はまだ、梁山泊には入れない。
詳細は不明だが、宋江にはまだやるべき事がある。それが済むまで彼は同志たちに合流できない。
それは言い方を変えれば、梁山泊が迎えるべき王倫に代わる「新頭領」が当分不在のまま、という事。
だから、晁蓋だった。
宋江が昔からよく知っていて、宋江と同等か、もしかしたらそれ以上の「頭領の器」を持つ男。宋江と同じくこの国の今を憂い、変えるためにはどうすればいいかを真剣に考え、実行に移せる者。
彼ならば、自分の代わりに梁山泊をまとめられる――
いや、もしかしたら、自分以上に相応しい頭領になるかもしれない――
つまり宋江は、晁蓋に、梁山泊の頭領になるよう頼んだのだ。
劉唐が読んだ手紙というのは、宋江からのそれにまつわる指示であり、
「――要するに、見え見えの茶番でも何でもいいから、とにかくあのヒゲ煙草に替天が屈するのを手下どもに見せつけなきゃいけなかった、ってわけ」
それは、手下たちが晁蓋を新たな頭と認識するためのパフォーマンス。
見え見えだが、しかし、必要不可欠な茶番劇。
「でなきゃあのヒゲ煙草ごときに劉唐のヤローや牛乳女や他の連中が負けるかっつの。ぜーんぶ演技だよ、え・ん・ぎ」
と、鼻で荒く息を吐いた戴宗へ、小五がワハハッと笑いかけた。
「けどそんなんなくたって、晁の旦那なら梁山泊を乗っ取るくらい簡単に出来たって。何たってこっちには呉用さんがいるんだし」
「はっ、どーだかな」
「何だよ戴宗、呉用さんの頭の良さはお前も見ただろー?」
「頭でっかちすぎて足元すくわれなきゃいいけど」
翠蓮なら思わず顔色を変えてしまう挑発的な憎まれ口を、
「んな事なんねぇって! お前は相っ変わらず疑り深いなぁ!」
小五は気にした様子もなく笑い飛ばす。戴宗は調子が狂ったような苦い表情をし、しかし翠蓮が予想するような攻撃的な切り返しはしなかった。
それが翠蓮の胸をざわつかせる。
晁蓋を迎えた梁山泊の熱狂は、まだ、やむ気配を見せなかった。
北斗七星は、すぐに梁山泊に馴染んでいった。
それは第一に、今の梁山泊に――そして替天行道に――足りないものを彼らが持っていたからである。
王倫を平気で上回ってかすませるカリスマの持ち主、托塔天王晁蓋。
彼を支え、示される指針に具体的な建策をする軍師、智多星呉用。
王倫と宿星軍の暴虐によって傷付いた者たちに的確な治療を施していく医療のスペシャリスト、神医安道全と薬師の病大虫薛永。
湖に親しみ、湖を熟知し、手下たちが足元にも及ばないほどの操船技術と水練の腕を持つ漁師、阮三兄弟――凶星阮小二、短命二郎阮小五、活閻羅阮小七。
そして北斗七星、替天行道、梁山泊の仲立ちとなり、情報のやり取りや意志の疎通をスムーズにして三者の溝を埋めていく調整役、白日鼠白勝。
全員が全員、今の梁山泊が欲していた人材だった。
晁蓋が頂点に立ち、呉用が支える。晁蓋の支持を得た呉用が、「官軍の襲来に備えてすべき事」をリストアップし、手下たちや替天に指示を出す。その指示を伝えたり、現場の意見を呉用らに報告したりしながら、三者の意見の食い違いや主張の違いを明らかにしてすり合わせて解消する白勝は、梁山泊、替天行道、北斗七星と三勢力が入り乱れて融和していない状態の今の梁山泊には一番必要な人材かもしれない。
そして、阮三兄弟。
官軍に対する防備を整える現場で、一番活躍しているのが彼らだ。舟を漕げて、泳げて、おまけにこの梁山泊の事も熟知している。
すなわち――官軍に暴かれた水路の迷路の改良と改造に、これほどうってつけの人物はいない。手下たちの陣頭指揮を立つ長兄の阮小二――まさか一番背の低い彼が長男とは思っていなかった――は長男らしい面倒見の良さと湖や水流、水路に関する豊富な知識、そして手下たちへの的確な指示の出し方で、あっという間に彼らから支持されるようになった。歳下の小二を「兄貴!」と呼び慕う手下まで出るほどだ。
小五は物怖じのしなさと見事な泳ぎで、小七は朴訥で温和な人柄と巧みな櫓さばきで、それぞれ手下たちから受け入れられ、慕われるようになっている。
新参・古参の垣根を、早々になくしてしまっている。
――翠蓮はそれを、金沙灘の浜辺から見つめていた。
隣には戴宗がいて、二人の前に劉唐がいる。
「――ってわけで、いいか! 星の力っつーのは気合いだ! 根性だ!」
「んな中途半端な説明で分かるかっつの」
「何だとこのクソガキャア!」
……一応、「魔星の力」に関する講義らしい。が、これって明らかに人選ミスですよね?
やはりと言うか何と言うか、劉唐は、そして替天行道は、ほぼ皆宿星だった。劉唐は天異星の宿主であるという。星の力に目覚めたのはもう随分前で、とっくの昔に制御できるようになっている。だからこそ力がまだ不安定な戴宗と翠蓮の指導を買って出てくれたのだが……説明が抽象的すぎて、いまいち理解に苦しむ。
「――っておいゴラどうした翠蓮よそ見して!?」
「あっ……ご、ごめんなさい――」
「疲れたのかゴルァ!? ちょっと休憩入れるかぁ!?」
凄みながらの気遣いに苦笑しながら、同時に翠蓮はこのやり取りにホッとしている自分に気付く。
以前に十字坡の酒店でやったようなやり取り。それがひどく懐かしくて、気が楽で、安心する。
――ずっと、こうならいいのに。
――私と、戴宗さんと、林冲さんと、扈三娘さんと、朱貴さんと、杜遷さんと、宋万さんと、替天行道の皆と……。
――ずっと、そうなら、いいのに。
――そうなら、良かったのに。
「――笑えねー」
翠蓮の思考を中断させたのは、つまらなさそうに吐き捨てられた戴宗の声だった。
まるで翠蓮の考えを否定するかのようなタイミングと言葉。内心を読み取られたのかとヒヤリとする。が、
「講義が必要かどうかは俺が決める」
視線と表情を心持ち鋭くし、
翠蓮と劉唐から歩いて距離を取って、
背中の伏魔之剣を、抜いて、
「――ちょっと待て戴宗ぉっ!」
劉唐の切羽詰まった声も聞かず、
――バキンッ!
砕ける音と共に破片ごとに分解されて展開する刀身。
宿る光。
炎が、新たな刀身を形作り、
拡散した。
「――――っ!」
「っぶねぇ!?」
神行旋龍のように走った炎は一気に渦となり、戴宗と翠蓮らを分断する。
膨らんで伸びてきた炎に飲み込まれかけた翠蓮は、間一髪のところで劉唐に助けられた。こちらの襟首を掴んで飛び退いて、彼は炎の向こうの戴宗にチッと舌打ちする。
「あのアホが……!」
翠蓮もまた、見やる。
戴宗は――明らかに、焦り戸惑った表情をしていた。
何でこんな事に、こんなはずじゃ、そういう表情だった。
その表情と、「放つ」というより「垂れ流す」と表現した方がいい炎の量で、
(――暴走……!?)
翠蓮は愕然とする。
どうして。
どうして、宿星軍の四人と戦った時は、暴走なんてしていなかったのに!?
――翠蓮は知らない。
高俅との遭遇と、過去を知る小五との再会。未だ戴宗の中で消化しきれていないこれらの出来事が天速星を暴走させやすくしているのを、彼女は知らない。まだ知る由もない。
しかし、知る者がいた。
金沙灘のこの状況を見、すぐさま行動に移した者が。
――――――――ザバァッ!
突然の、大きな水音。
炎の熱にあぶられていた翠蓮は、湖の方を見やった。
そして、見た。
巨大な水柱を。
天高く昇ったそれが緩やかに弧を描き、翠蓮たちの頭上に至ったのを。
それは、まるで、水の龍。
それまで何かの膜に包まれていたかのようだった水柱は、こちらの直上――いや、正しくは戴宗の頭上に至った途端に弾けて、
ザァァァァァァァッ!
夕立のごとき膨大な水の落下が起こる!
身を屈めて頭をかばう翠蓮。一瞬にして湖の中に落ちたかのごとくずぶ濡れになる。それは劉唐も同様だった。
そして――戴宗も。
星の暴走による炎の奔流は、消えていた。今の、唖然として言葉を失う唐突な瀑布が消し去っていた。
今のは、
「――――戴宗ー、お前何やってんだよー!」
湖からの声。視線をやる。
水路改造のために出ているいくつもの舟の一つで、小五が何故か釣り竿を片手に戴宗に叱る表情を向けていた。
釣り竿の先――釣り針に、光。
あれは、まさか、
「――天罪星……だと……?」
「小五ぉっ! おたく、いきなり何してくれてんの!?」
「何言ってんだよ戴宗! お前が炎出しすぎたら、俺が消すしかないじゃんかー!」
「笑えねー! おたくの力を借りるかどうかは、俺が決める!」
翠蓮は、
震えていた。
水に濡れた寒さからではなく、内から湧き上がる戦慄に、震えていた。
翠蓮は、宿星で。
星に選ばれて、特別で。
だから同じ宿星の戴宗と一緒にいる資格があって。
それなのに。
それなのに。
戴宗の昔馴染みの小五。
彼もまた――……宿星、だったなんて!
そんな衝撃に打ちのめされた数日後、翠蓮を新たな衝撃が襲う。
――いや。
その衝撃が襲ったのは、翠蓮一人ではない。
梁山泊全体、もっと言えば――替天行道と、晁蓋と、呉用だ。
「――何て事だ……!」
報せを受けた呉用が唸り、劉唐は難しい顔をし、蔣敬は青ざめ、晁蓋はただ押し黙っている。
報せに曰く――
――宋江が捕縛、流罪になる。
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