―2―
何がどう具体的に「一筋縄では行かない」のか、といえば、その要因は現在のゴドランドの統治形態にある。
――その前置きだけで、ラッシュは頭が痛くなりそうだった。
「ゴドランドがグランベロスに降伏したのが九十四年の六月――だから、もう五年になるのか。
ゴドランド軍とグランベロス軍が衝突したのは六月初め頃の会戦ただ一度で、それだけでゴドランド側は多くの戦力を失い、グランベロス側にそれに見合うほどの痛手を与えられたわけでもなかった。これ以上の戦闘は無意味と感じたゴドランド共和国首脳陣は、早期降伏を選んだ、という事だな」
戦闘服ではない、どこにでもある黒っぽい旅装。それに身を包んだビュウは、ビッケバッケの手を借りつつ適当にそれらしい荷物をサラマンダーの背にくくりつけながら、淡々と説明を続ける。
「ゴドランドの魔道戦力がもう少しグランベロスに打撃を与える事を望んでいた他の国――平たく言えば、俺たちカーナやマハールだな――は、ゴドランドのその姿勢を弱腰だと非難した。でも、冷静に考えればあれは英断だった」
「……そうなのでしょうか?」
問い返す声は、同じく、甲板でビュウの作業を見守るトゥルース。ラッシュの隣に立つ彼は、いささか納得の行かなさそうな苦い仏頂面で、
「聞くところによれば、ゴドランド共和国の総戦力そのものは、グランベロスに匹敵するものだった、といいます。潜在戦力も含めて、全て戦闘に投入すれば、おそらく帝国を撃退できた――」
「だが、そうするとゴドランドの国力は一気に低下、グランベロス以下になる」
それを、ビュウは切り捨てる。チラリと肩越しにこちらを振り返り、
「確かに、ゴドランドの総戦力――研究者、学生も含めたウィザード、プリーストを全て動員すれば、勝てない戦いでもなかったろう。けれど、それでは将来有望な人材を全てドブに捨てる事になる。
ゴドランドは、共和制になって以来、武よりも文――外交や魔法研究・産業の振興に力を注いできた。その将来を担う学生を死地に送り込むよりは、適当な落としどころで相手を和睦交渉のテーブルに着けて、被害と損害を最小限にする。――それがゴドランドが取り得た、あの時点での最善策だった」
「ですが、それではゴドランドは国家としての独立を保てません」
「だから」
ビュウは、そこで大袈裟に吐息してみせた。
「そこからが、ゴドランドの政治家の腹黒いところなんだよ」
え、とトゥルースが間の抜けた声を出す。見やればきょとんと目を丸くしていた。
そんな彼に、ビュウはやや呆れた調子で、
「連中には、自信があったんだそうだ。和睦交渉で、自分たちの要求を全て相手に飲ませられる自信が、な」
振り返る姿勢が辛くなったか、ようやくこちらに向き直るビュウ。
そうして改めて向き合うその表情は、呆れ果てた中に渋さがあり、いつにも増して饒舌なくせしてこの話題そのものには余り気乗りしていなさそうに見える。
「そして実際、連中の思惑はその通りになった。グランベロスはゴドランドに大幅な自治権を与え、属州でありながら、共和国を名乗る事を許した。帝国がゴドランドを侵略する事で手に入れられたのは、名目上の属州と、それなりの賠償金と、僅かばかりの税金と、多少の魔法技術。実のところ、これだけしかない」
と、肩をヒョイと竦めてみせる。
「ゴドランド共和国の政治家は、揃いも揃って口が上手い。王政を打倒し、共和制が広まる事を恐れた他国との国交を維持するためには、口車で相手を乗せるしかなかったからな。交渉事で、戦争ばかりやってたグランベロスの連中が勝てるはずもなかったんだ」
おぼろげに。
おぼろげに、ではあるが。
ラッシュにも、ビュウの言いたい事が見えてきた。
「って事はビュウ、その時のゴドランドの狙いってのは――」
適当な落としどころで、相手を和睦交渉のテーブルに着ける。
それはつまり。
「そうだ」
ラッシュの言わんとする事を察し、ビュウは頷く。
「ゴドランドの狙いは、会戦でグランベロスを撃退する事ではなく、降伏後の和睦交渉で実質的な独立を維持できるようにする事。この一点だ」
「じゃあ、最初の戦闘で死んだゴドランドの兵士は」
問う声は、自分でも驚くほどに感情がなかった。
震えてもいなかった。
ビュウから返ってくるであろう答えを予測すると、ともすれば体中が震えだしてしまいそうなのに。
そして、彼は答える。
「捨て駒だ」
捨て駒。
「ゴドランドとしては、何としても自国の独立を守りたかった。名実ともに、だ。しかしグランベロスと同盟を結んでしまうと、ダフィラのように内政干渉をされてしまう。だから同盟は結ばなかった。それでしばらくは睨み合いを続けて、もっとマシな、軍門に下るのではない、ごく普通の友好条約、あるいは不戦条約を結ぶ気でいたらしい。
ところが、同盟を断って僅か半月で、グランベロスが宣戦布告をしてきた。これはゴドランドにとって不測の事態だった。戦争は回避できなくなり、連中はその状況の中で、最も国益になる道を模索した」
「……それが、相手を和睦交渉のテーブルに着ける事、ですか」
やはり感情の感じられないトゥルースの声。気の遠くなりそうな政治の世界の駆け引きは、自分たちとは掛け離れた世界のはずなのに、こちらの命を平気で左右する。
それを自覚すると、背筋が薄ら寒くなる。
その事を、一体ビュウは、この上官は、どう思っているのだろうか――無言で頷く表情には、白けた印象があるだけで、これといった嫌悪感は見られない。
「ですがそれだけなら、戦端が開かれる前に降伏する事も出来たはずです。何故ゴドランドは、わざわざ戦端を開いて、兵士を犠牲にしたのですか?」
「戦端を開く前に無条件降伏をしたら、相手に対し脅しになるほどの打撃を与えられないし、相手の同情を引くほどの打撃を受けられない」
「脅しと……同情?」
これまで黙って話を聞いていたビッケバッケが、ここに来て初めて問いを発した。ビュウはそうだ、と頷く。
「脅しっていうのは、相手は侮れない、とグランベロスに実感させる事。同情ってのは、魔法文化の一画の担い手だった兵士を大量に失わせてしまった、と思わせる事」
「……つまり、どういう事?」
「つまりな」
と、ビュウは一旦言葉を切り、語りだす。
「まず、戦端が開かれる。ゴドランド軍は最初の会戦で、それなりに犠牲を出しながら、グランベロスにそれなりに打撃を与える。そうすると、グランベロス側は思う。――この会戦は引き分けでも、もしゴドランド側が国民の全てを戦線に投入させてきたら、自分たちはひとたまりもない、とな」
それが、脅し。
「で、ゴドランド側はここで降伏する。兵士を失いすぎた、これ以上は戦えない、学生や研究者を動員してしまったら魔法国家ゴドランドはお終いだ。魔法文化は衰退してしまう」
芝居がかった口調。しかも三文芝居。
一旦言葉を切った彼は、鼻で笑った。
「元々これといった産業を持たないグランベロスは、これに同情してしまう。産業がない事が国家としてどれほど致命的か、一番解っているのはグランベロスだ。和睦を結び、ゴドランドが属州になれば、ゴドランドの産業を守らなければならない。だから、魔法文化を衰退させるわけにはいかない」
それが、同情。
「――で、こういった思惑が絡んだ和睦交渉は、ほとんどゴドランドのペースで進められた。魔法文化を守るために自治権を、そのノウハウの維持のため政府の存続を、振興のために経済援助を、というかおたくらあんまり口出さないでくれ。
まぁ、ここまでぶっちゃけたかどうかは知らないが、グランベロスはすっかりゴドランドの口車に乗せられ、煙に巻かれた。グランベロスは属州駐留師団を置く事も出来ず、監視役として置けた特使とその護衛部隊に駐留師団の代わりをさせる事しか出来なかった。そして、その特使のゴドランド中央評議会に対する発言権は一切認められなかった。グランベロスは、ゴドランドへの内政干渉への手段を封じられた。
グランベロスとゴドランドの距離が絶望的に開いている事を考えれば、これはもう、ゴドランドの独立が実質的に守られた事と同じだ」
それは、気の遠くなるような政治の駆け引き。
最前線の兵士たちの事など慮外に置いて、机上の損得勘定だけで全ての事が運んだ、ゴドランド戦役の真相。
ビュウの言った「腹黒い」の意味が、良く解った。
――解りたくなかった。
「でもアニキ、これから僕たちゴドランドに行くんだよね?」
「おぉ。王太子殿下の治療のためにな」
「そうしたらやっぱり、ゴドランド解放のために戦うのかな」
「さぁ……」
初めて、ビュウが言いよどむ。
「そいつは、どうなるかな」
「? どういう事なんだな?」
「今言った通り、ゴドランドは属州だけど、状況はグランベロス侵略時と何も変わっていない」
ビュウの表情が動く。やりにくそうな渋い顔。ゴドランド戦役の話をしている時よりも、ずっと地に足がついているような、そんな身近さを感じさせる表情だ。
「だから、今のゴドランド内部には、キャンベルやマハールのような蜂起するほどの不満がない。反帝国組織もない」
「では、今までのように戦竜隊の誰かを派遣して反帝国組織に接触させて、そこでの行動の大義を得る、というのは……」
「やっていない」
トゥルースの言葉に、ビュウはあっさりとかぶりを振った。
「だから、ゴドランドは一筋縄じゃ行かない。解放しようにも向こうに解放されるだけの動機がなければ、こちらの行為は下手したら傍迷惑な侵略と一緒だ」
「じゃあ、どうやってヨヨ様をゴドランドの医者に診せるんだよ。ゴドランドのグランベロス軍を追い出さなかったら、俺たち追い回されるじゃねぇか」
いくらゴドランドがほとんど元のままとは言え、自分たちがノコノコ入国していけば、さすがに特使の部隊が動き出す。ゴドランドでの戦闘行為に大義がないというなら、それは避けるべきだ。
そんなラッシュの問いに、ビュウは、何やら煮え切らない様子で、
「まぁ、いくつか考えはあるが……向こう次第だ」
「向こう? 向こう、ってグランベロスの特使か?」
「ゴドランド政府に決まってるだろ」
そう言って、ビュウはサラマンダーに向き直った。鞍にくくりつけた荷物の具合を確かめる。
戦竜としてのドラゴンには、鞍や轡はつけない。戦闘に邪魔だからだ。戦竜隊員は、ドラゴンの鱗が剥き出しの背にそのまま乗り降りし、手綱ではなく声と指笛と首の付け根を叩く事とで指示を与える。
だが、今のサラマンダーには鞍と轡、手綱が装備されていた。戦竜ではなく、ただの乗用竜としての装いだ。
「そういう事だから、俺はこれから、旅行者のフリをしてこっそりゴドランドに不法入国をして、向こうの知り合いに話を聞いてくる。多分二、三日は帰ってこられないから、その間、お前ら、しっかり王太子殿下をお守りしろ。良いな?」
その表情は、もう、いつもの毅然とした戦竜隊長のそれだった。
下される命令は、ヨヨを守る事。
ラッシュは、自然と背筋が伸びるのを感じた。
「任せろ、ビュウ!」
「承知しました、隊長!」
「頑張るよ!」
それぞれが了承を口にする。ビュウはそれに、満足げで、しかもどこか不敵な笑みを見せた。
「じゃあ、頼んだぞ」
「おぅ! ビュウこそしっかりやれよ!」
「そりゃこっちの台詞だ」
そう言って、彼はラッシュの額を軽く小突き。
それはまだ朝の事。
ビュウを乗せたサラマンダーが、ファーレンハイトの甲板を飛び立った。
目指すはゴドランド共和国の辺境、国境線の町。
ラッシュは青空に溶けていく赤い影を見送り、気を引き締めた。
それから、ビュウがファーレンハイトを離れる日々が続いた。
サラマンダーに乗って二、三日戻ってこないかと思いきや、ある時フラリと戻ってきて、挨拶もそこそこに自室にこもって何やら仕事し、またサラマンダーで出かけていく――
そんな日々が十日ほど続いた頃。
事件は、起きた。
§
八月十六日。
その日の夕方に、ビュウはファーレンハイトへと戻ってきた。
「……ん?」
サラマンダーを甲板に着陸させながら、ふとした違和感を覚えるビュウ。それが何なのか、すぐに分かった。
「ムニムニ……?」
反乱軍が率いる戦竜は、現在六頭。
ビュウの愛騎サラマンダーを筆頭に、青い鱗のアイスドラゴン、僅かに黄色みがかった灰色の羽毛のサンダーホーク、白と淡い緑の羽毛のモルテン、紫色の鱗も鮮やかな双頭のツインヘッド。
たった今、ビュウが降り立った甲板にいる戦竜は、この五頭だけ。
残り最後の一頭――キャンベルでゾラの息子と一緒に仲間になった戦竜、しずく型の一つ目ドラゴンの姿が、ない。
「おーい、ムニムニー?」
口に手を当て、呼んでみる。その声は、ムニムニの体色と同じ橙色の空に溶けて消え、応えるものは何もない。
嫌な予感がした。
ムニムニは、戦竜としての訓練をちゃんと受けているわけではない。そのため人間に対し馴れ馴れしい傾向がある。自分より下位に見る人間を侮り、上位に見る人間には甘えてくるのだ。それはそれで可愛いのだが、戦竜としては、純粋な一戦力としては使いにくい事この上ない。
そんなムニムニの中で、ビュウは上位に位置づけられている。だからよく甘えられる。この間、マハールでの作戦でのご褒美にと蜂蜜を少し与えたら、もっと寄越せと擦り寄られた。危うく潰されかけた。戦竜隊長としては赤っ恥だ。それはさておき。
だからムニムニは、ビュウに呼ばれたら文字通り一目散に飛んでくる。下手に呼ぼうものなら、犬がじゃれ付いてくるように懐へと飛び込んでくる。この間、うっかり呼んで危うく潰されかけた――は、もう良い。
だというのに、いつまで待ってもオレンジ色が閃光のごとくやってくる気配はない。
ビュウは、ちょうど傍にいたアイスドラゴンに向かって、
「アイス、ムニムニは?」
『オ出掛ケ』
「お出掛け? どこに」
『判ンナイ』
「誰と?」
『ヒゲノ人ト要ハあれあれあれノ人』
「ひげの人と、要はアレアレアレの人?」
キュゥン、と鳴くアイスドラゴン。答えてくれたお礼とばかりにその首筋を撫でながら、ビュウは考える。ひげの人。要はアレアレアレ……――
「あぁ、ドンファンか。ってぇと、ひげは? 誰だ?」
『ヒゲデ、ノロノロ』
「のろのろ……ヘビーアーマー? じゃあ、タイチョーか?」
ドンファンと、タイチョーが、ムニムニでお出掛け?
(そりゃ一体どういう事態だ?)
その時だった。
――バタンッ!
「ビュウ!」
艦内への出入り口が勢いよく開く。
「よぅラッシュ、どうした息なんか切らせて」
「どうした、じゃねぇよっ! 帰ってくるの遅ぇよ! もっと早く帰ってこいよ!」
「お前も無茶言うなぁ。しょうがないだろ、こっちも色々と話し合いが長引いたんだから」
「知るかよ! とにかくあんたが中々帰ってこないから、マテライトが――」
その名に、ビュウは片方の眉をピクリと跳ね上げさせる。
「オッサンが、どうした?」
「おいオッサン聞いたぞコラァァァァッ! 人のいない間に何て事してくれてやがんだっ!?」
「帰って早々やかましいわビュウ! わしのする事にいちいち口出すでないわ!」
「人んとこのドラゴンを勝手に使っておいて『いちいち口出すでないわ』だと!? どの口がそんな事言いやがる!」
「ぃやかましいっ! お前がコソコソウダウダやっとるから、わしはわしで反乱軍のこれからに役立つ事をしようとしたまでの事! 非難される謂れはない!」
「馬鹿野郎! あんたな、自分が何したか解ってんのか!? ド素人を敵地に送る奴があるか!」
「馬鹿はお前だビュウ! あ奴らはド素人ではない! れっきとしたマハール軍人じゃ!」
「同じ軍人でもその本分が戦闘と諜報とじゃまるで別物だ! あんた、あの二人にまともな諜報活動が出来ると本気で思ってんのか!? ってか何を基準に選んだんだ!?」
「インスピレーションに決まっておろう!」
「そんな命懸けの任務に送る奴を適当に選んでんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「あんたたちいい加減にしな姫様のお体に障ったらどうするんだい!」
いつかと同じように、ビュウとマテライトの唾を飛ばすほどの口論は、ゾラの怒声によって遮られる。
こんな経緯で、帝国の内情を独自に探るべく(マテライト談)、ビュウの知らない間にタイチョーとドンファンがスパイとして送り込まれたのだった。
§
夜の帳が下り、太陽に代わって月が光を降らせる頃。
サウザーは、従卒も連れずに一人トラファルガーの最奥へと向かっていた。
たった二ヶ月。
キャンベルでヨヨの操る神竜ヴァリトラに倒され、動けなくなってから、たったの二ヶ月だった。
その二ヶ月の間に、キャンベル駐留師団は壊滅し、マハール総督府は失われた。
たった二ヶ月。
サウザーが昏睡状態に陥り、目覚め、ヴァリトラに負わされた痛手から立ち直るまで、二ヶ月も費やした。そんなにも掛かってしまった。
その間に、反乱軍はキャンベル両王国の『草原の民』と『森林の民』との間を取り持ち、マハール司法院の復権に大きな役を担った。
たった、二ヶ月。
何という体たらく。
その間に反乱軍に好き勝手され、版図の三分の一も奪われるとは!
それはつまり、グランベロス帝国の脆弱さの表われでもあった。
たった一人の天才によって保たれている、というその脆さ。その事実を突きつけられ、サウザーは寝台で何度歯噛みした事か。
その脆さを、揺らぎだした威信を、支えなければいけない。
何によって支えるか――
答えは、ここにある。
サウザーは立ち止まる。強い意志を宿した青灰色の両の眼が、鋭さを持って壁のごとく立ちはだかる大扉を見据える。
自分は何者だ?
(グランベロス帝国皇帝サウザー――それが私だ)
この命は何のためにある?
(我が祖国のために)
死ぬ覚悟は?
(そんなもの、とうの昔に出来ている)
この国を建てたその時から、皇帝として死んでいく覚悟は出来ていた。
そしてサウザーは、今、その覚悟を持って扉を押し開ける。
外見に反し、意外なほどに軽い力で開いていく扉。その向こうには、どこまでも続く、そのくせどこか息苦しさを感じさせる、重苦しいほどに圧倒的な闇。
その闇の中に。
一歩。
「来たぞ、神竜ヒューベリオン……――そなたの呼び声に応えに」
『来たか、脆弱なる人の皇帝よ』
闇の中に音もなく浮かび上がる、二つの暗い赤色の光。
明かりもないのに浮かび上がる、何物かの影。
翼を持つ異形の質量。
ヌラリと光る、暗い紫の鱗。
誰からも忘れられた神竜、ヒューベリオン。
「――――っ!?」
その赤い瞳に射抜かれて、サウザーは目を見開き、息を詰める。
闇が迫る。
押し潰される。
手足が動かなくなり、息が出来なくなる。
顔も逸らせない。
暗い赤の光。
闇に浮かぶ、赤色。
まるで血の色。
それは確かに血の色。
血の色に彩られたそれは、
(これが――)
押し潰す闇。
ちらつく血の色。
それは幻視。
「これが、神竜の……――」
そしてサウザーは気付く。
血の色。
それは、自らの口から迸(ほとばし)り出た色だった。
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