目抜き通りと並行して走る大通りに面した場所に立つ、サナリエ劇場。 その外面は豪華だが、しかし場所柄から入場客を中流階級に定めて集めている。よって、演目も上地区の王立劇場で上演されるような何時間も掛かる本格的な歌劇は少なく、どちらかといえば、それよりも上演時間の圧倒的に短い喜歌劇やエンターテイメント性を重視した演劇の方が多い。 つまり、大衆向けの劇場。それが、サナリエ劇場だ。 入り口からロビーに入り、通路の奥へと進む。劇場内へと続く分厚い扉の近くのカウンターに立つ係の人間に二人分のチケットを見せ、半券を切ってもらう。 「そういえば、ビュウ、場所はどこなの?」 傍らのフレデリカに問われて、ビュウはニヤリ、と少しだけ得意げに笑った。 「一階真正面」 サナリエ劇場の外観を見て、それから思わず、ラッシュは自分の服装を見下ろした。 「怪しんでください」と言わんばかりの、黒コートに黒マフラーに黒マスクに黒眼鏡。こんな格好で、この劇場に入れ、と? 「――安心しなさいな、隊員C坊や」 「誰が坊やだっ!」 こちらの懸念を読み取ったか、軽口を叩いてきたのはディアナ。「坊や」に反応して怒鳴り返すが、しかし彼女はあっさりと無視して、 「サナリエ劇場は、ドレスコードを要求するような劇場じゃないから。……まぁ、こんな劇場でドレスコードを要求されても困るけどねー」 「……でもよぉ、ディアナ」 「だからあたしは隊員A」 「――隊員A。いくら何でも、この格好じゃ追い出されんじゃねぇか?」 「お客を追い出すような劇場は潰れてしまうがいいわ」 物騒な事を言う。 ともあれ、ラッシュの不安などお構いなしに、ヨヨを先頭にして女たちはさっさと劇場に入っていく。仕方なく、ラッシュたちもそれについてゆき、 「……そういえば」 と、トゥルース。不意に気付いた、と言わんばかりの口調で、 「もし、観劇中の隊長――あ、ビュウ隊長の方ですよ? ビュウ隊長と、フレデリカさんの観察を行うとして……」 「――そうか」 トゥルースの意を汲んで、パルパレオスが先を続ける。 「チケットか」 「そうです。我々は、場内への入場券を持っていません。ヨヨさ――隊長は、一体どうするつもりなんでしょうか……」 三人は先を歩くヨヨに視線を送る。敷かれた緋色の絨毯を踏み荒らすような乱暴な足取りでロビーを突っ切り――やはりジロジロ見られるが、もうこの際無視だ無視――、不意に、その進路を僅かに変えた。 場内へと続く厚い扉への直線から、僅かに逸れ、その近くにあるカウンターに立っている劇場の人間の元へ。 立ち止まり、ヨヨは開口一番にこう言い放つ。 「当日券はあるかしら?」 「はい、ございます。――六名様でよろしいでしょうか?」 「えぇ」 当日券と来たか。 「どちらのお席にいたしましょうか。本日は、一階席、二階席共に立見以外は満席となっておりますが」 「……なら、一階立見席で」 立見席と来たか。 「六人分、おいくら?」 「九十ピローお支払いいただきます」 何と破格のお値段。 ……いや、こんな如何にも怪しげな一団を前にしてもまるで怯まずに応対するこの係の者の胆力の方が凄いかもしれない。 係の言葉を受け、ディアナが懐から財布を出し、代金を支払う。係はカウンターの中から六枚のチケットを取り出し、半券を切り、それをこちらに手渡した。 「では、あちらからお入りくださいませ」 その言葉に従い、厚い扉をくぐる。そこから先はもう暗い。上演直前なのだろうか。ざわめきがまだ残る中、彼らは席と席の間の通路を縫うように歩いて一階席の一番奥、立見席に向かう。 立見席にも客はいた。が、ヨヨ、ディアナ、ミストの三人はその客たちを押し退け――そして、後詰めを任されている形になる自分たちが押し退けられた彼らに頭を下げ――、場所を確保、それから懐に手を突っ込み、何かを取り出す。 オペラグラスだった。 「……準備いいなぁ」 「何が」 「結局それで、舞台を見るんだろ?」 「馬鹿な事言ってんじゃないわよ隊員C坊や」 「だから誰が坊や――」 「隊長、目標を確認!」 ラッシュの抗議を遮るディアナの報告に、ヨヨとミストはそれぞれ身を乗り出して食い入るようにオペラグラスを覗く。 一階席を。 「どこ?」 「前から十列目の真ん中――舞台の真正面です」 「さすがは目標A。いい席買ったわね」 「あの席だと……四百ピローはするはずですわ、隊長」 「二人で八百ピロー、か。彼にしちゃ奮発したわね」 「それだけ、このデートに気合を入れている、という事なのでは?」 「でしょうね」 つまりオペラグラスも、出歯亀の小道具らしい。ラッシュは肩を落として、それから根本的な事を思い出してトゥルースに小声で尋ねた。 「……で、これからやる劇って何だよ」 「確か、喜歌劇ですよ。タイトルは――」 次の瞬間、劇場内に高らかにファンファーレが鳴り響いた。 それが開演の合図だ、と気付く頃には場内は静まり返り、少し間を置いてから、オーケストラによる序曲が演奏される。 そして、閉められたままだった緞帳がゆっくりと上がっていき―― 舞台上に明かりが灯り、喜歌劇が、始まる。 喜歌劇。あるいはオペレッタ。 歌劇、もしくはオペラとの明確な区別は、あるようでない。オーケストラによる演奏と役者たちによる独唱・合唱という点では両者に違いはない。 もしあえてそこに差異を見出すならば、テーマだろうか。歌劇には悲劇が多く、喜歌劇は文字通り、喜劇である。 現に、今目の前で上演されているのは、それこそ喜劇だった。ある貴族の奥方は夫の浮気に、その貴族の友人は悪戯にそれぞれ腹を立て、結託して仕返しを計画する。その仕返しの顛末の物語である。 第二幕、夜会の場面。変装した奥方に、貴族は自分の妻と気付かず口説こうとする。 その口説き文句の独唱を聞きながら、ビュウはふと思った。 俺もいつか、浮気なんてしたくなるのだろうか。 今はただフレデリカが愛しくて、傍にいられるだけで十分幸せを感じていられるのだけれど、いつかそれに慣れてしまった時、刺激を求めて浮気したくなるのだろうか。 隣のフレデリカを見やる。貴族の口説き文句と、それに対する奥方の素っ気ない態度に笑うフレデリカの横顔は、舞台からの灯りに照らし出されて、妙に浮き出て見えた。 こちらの視線気付いたまま、彼女はその笑顔のまま、ビュウの方を向く。どうしたの? そう尋ねているかのように。 何でもない、と軽くかぶりを振って、ビュウは再び舞台に顔を向ける。 この笑顔の他に、何が要ると言うのだろう。 これまでの人生を思えば、この笑顔だけで十分なのに。 「……見つめ合ったわね」 「見つめ合いましたね」 「見つめ合いましたわね」 「時間は?」 「ほぼきっかり五秒」 「隊長、目標Aにしては長すぎるのではないかと」 「……愛ね」 「愛ですね」 「愛ですわ」 と女たちがブツブツ言っているのをを隣に聞いていると、そんなラッシュの肩をツンツンと叩く者がいる。 見やれば、先程ヨヨたちが押し退けた客の一人だった。その客が、口を動かす。 『上演中は静かに』 (俺は静かにしてたじゃねぇかよ……) と言いたいが、しかしそう言う事すら騒音になってしまい。 仕方なく、ラッシュは六人を代表して謝罪の意を込め目礼した。 夜も更けてきて、街にはもう人通りは少ない。 舞台を見終わった観客たちはその余韻を残してそれぞれの家路に着き、それはビュウとフレデリカもそうだった。 「あのラストシーンの合唱、素敵だったわね」 「そうだな。あれだけのキャストが一斉に歌うと、やっぱりこう、圧倒されるよな」 「それにしても、あんな形で浮気を認めるなんてね。男の人って、あそこまでやられないと認めないものなの?」 と笑顔で問われても、 「……浮気はした事ないから、何とも言えないけど」 「本当?」 「本当だって。それに、これからもするつもりはない」 答えた途端、フレデリカの顔に朱が浮かび、そして自分もまた、一拍遅れて顔を赤らめる。 劇場の外は相変わらず冷え込んでいて、吐く息は相変わらず真っ白だというのに、頬が火照って熱い。 真っ赤な顔のまま、互いに見つめ合って、しばし。 「……ねぇ、ビュウ?」 フレデリカが、その沈黙を破る。 「あのね、えっと、その……う、腕」 「え?」 「腕……組んで、いい?」 腕を組む。 ビュウは僅かに目を見開いて、それからやっぱり顔を赤くしたまま、 「……あぁ」 そして右腕を差し出すと、フレデリカはそれに己の両腕を絡め、ほとんど抱きついてくる。 そうして感じる重さと、すぐ傍にある彼女の本当に嬉しそうな笑顔。 つまり、それが幸せなのだ。 パルパレオスは、これまでずっと違和感を抱いていた。 「……腕を組んだわね」 「組みましたね」 「もうしっかりと」 「間違いないわね?」 「間違いありません」 「間違えようがございませんわ」 息を吸って。 吐いて。 ヨヨは喚いた。 「よくやったわビュウ! それでこそデート! それでこそ恋人! それでこそバカップル! さぁ、そのまま街を練り歩いてこっちが見ているのも恥ずかしくなるようなラブラブ光線を発射しながらもういっその事最後まで行っちゃいなさい!」 「ヨヨ様……『最後』って」 「嫌ね、ラッシュ、皆まで言わせるつもり?」 腕を組んだだけで上機嫌なヨヨは、ラッシュが己を名で呼ぶ事にも、また自分がラッシュをその名で呼んだ事にも気付かず――意に介さず――、ディアナとミストと共にキャアキャアとはしゃぎまくる。 何がそんなに楽しいのだろうか、と首を傾げるのだが、しかしその姿を見ていて、パルパレオスは己の中の違和感を強くする。 ビュウ。 純粋な剣技で彼の上を行く者は山ほどいるが、しかし、オレルス屈指の剣の使い手である事には変わりない。そして何より、その実戦経験においてはパルパレオスすら引けを取るかもしれない。 それはつまり不審な、敵とおぼしき気配には敏感である事を暗に示している。実際、彼は人の気配には鋭敏だった。幼少期の戦場暮らしがそうさせたのだという。 だが――だとしたら、説明がつかない。 パルパレオスたちは今、お世辞にも上手い尾行をしているとは言えない。六人で固まって行動し、今のように騒いでみたり。気配なぞろくに消していない。ビュウのような男が、そんな下手な尾行に気付かないはずがない。 ところが、今彼は現実に気付いていない。そんな素振りをまるで見せない。 (どういう事だ?) 「ヨヨ」 「何? パルパレオス」 「ビュウは、本当に我々に気付いていないのか?」 「気付いてないでしょ」 あっさりと断定したヨヨに、彼は不審の目を向け、 「何故、そう言い切れるのだ?」 「ビュウだって浮かれる時もある、って事よ」 「…………?」 「貴方だって、私とデートしていたら、周りの気配に鈍感になるでしょ?」 「それは――」 パルパレオスが口ごもっている内に、ビュウたちを追う一団はどんどんと進んでいく。 気が付けば、このデート(ないし追跡撃)の出発地点であるあの噴水の広場に戻ってきていた。 噴水の前まで来て、ビュウは一旦立ち止まった。 フレデリカの顔を覗き込む。やはり、疲れが見てとれた。 「疲れた?」 「……うん、少し。でも、今日は本当に楽しかったから、平気よ」 そう言って、彼女は笑う。 「ありがとう、ビュウ」 ――その笑顔はこちらへの気遣いに満ちていて、それが何だか逆に痛ましくて。 「――ビュウ?」 ビュウは、フレデリカの肩に手を置き、そしてそのまま抱き寄せ―― 「――ちょっと! 押さないでよ!」 「し、しかし、これでは我々が見えないではないですか――」 「おい、ディアナ、トゥルース、ちょっと黙れ――うわぁぁぁぁっ!」 ドサドサドサッ。 一体誰がそんなに強く押したのか、六人はまるで雪崩を起こしたかのように石畳の上に崩れ落ちた。 衝突の衝撃は六人分の体重で更に増し、ラッシュは声にならない呻きを上げる。 (お、重い……!) と言いたいのに声が出ない。誰かに押し潰されて、ジタバタともがく。 窒息しそうな加重の中、その拘束がやっと解けた。彼はバッと起き上がり、手近にいたディアナに、 「重いんだよ!」 「なっ――誰が重い、ですって!?」 「お前だよ、お・ま・え!」 「馬鹿言ってんじゃないわよ! あたしがそんなに重いわけないでしょ! って言うか、そんな事レディに面と向かって言うなんてどういう神経してるのよ! ちょっとはビュウを見習いなさ――」 と、ディアナが押し黙る。 もちろんラッシュも硬直していた。いや、ラッシュだけではなく、トゥルースも、パルパレオスも、ミストも。 「……おい」 地の底から響いてくるような唸り声。 「てめぇら……何のつもりだ?」 そして。 怒りの余り肩を震わせ、とんでもない形相で睨んでくるビュウに、ただ一人それに怯えず硬直しなかったヨヨがきっぱりと、一言。 「覗きよ」 ピキッ。 そんな硬質な音が、聞こえた気がした。ビュウから。 その音の意味を悟り、ヨヨ以外の五人が逃げ腰になる。間近で聞こえたらしいフレデリカも、先程までの甘やかなムードとは一転、ビュウから身を退かせている。 彼からどす黒いオーラが放出されているというのに、ヨヨはペラペラと、 「まぁ要するに、臣下のプライベートをある程度把握するのも君主の務め、って奴ね、うん。でもあえて言わせてもらうなら、貴方そのバンダナだけは何とかしなさいよ。いくら貴方がお母様から貰った大切な物だからって」 ピキピキッ。 「せっかく出来た彼女とのデートだっていうのに、自分のお母様の気配を放つような物を身に付けておくなんて言語道断よ? そんなんじゃ、いつかフレデリカに逃げられちゃうわよ。大体、貴方は戦闘や戦争はともかく恋愛の経験はもう皆無に等しいんだから。フレデリカを逃しちゃったら、次いついい子が現われるか判らないでしょ。大体それまでに、貴方のマザコンが治ってるとも限らないんだし」 ピキピキピキッ。 「まぁ、駄目出しすべきところは山ほどあるわ。でも、今はまず――」 と。 ヨヨは、ニッコリと笑う。 「私たちの存在は意識の中からすっかりと消去して、ほら、続きを」 ビュウが動いた。 無言でスタスタと広場の端にある街路樹に歩み寄ると、すっかり葉を落としたそれからペキリ、ペキリと細い枝を二本折り、左右の手に持つ。 彼は、こちらに背を向けたまま、 「何が……――」 肩が、いや、体全体がガタガタと震えている。 ラッシュの脳裏に閃くものがあった。それは、危険信号。 「ヨヨ様、下がって――」 「何が悲しくててめぇなんかにプライベートを心配されなきゃならねぇんだフレイムヒットぉぉぉぉぉっ!」 「甘いっ!」 グイッ。 手を引っ張られた。 肩を掴まれた。 背中を押された。 次の瞬間、ラッシュはビュウが枝で放ったフレイムヒットの炎刃を顔から受けていた。 いや、ラッシュだけではない。トゥルースも、パルパレオスも。 (あぁ、そうか――) 焼かれながら、ラッシュは理解した。 (だから俺たち、呼ばれたんだ……) 「待てこらクソ娘ぇっ! てめぇこそ、自分の男を盾に使ってんじゃねぇっ! 一体どういう神経してやがるんだこらぁっ!」 「をほほほほほっ! 私のパルパレオスは貴方と違って寛大だからこの程度じゃ目くじら立てないのよぉっほほほほほほほっ!」 (もしもの時のための、盾に……) 意識が薄れゆく中、ラッシュは見た。 パルパレオスも、トゥルースも、涙を流しているのを。 そして、悟る。 自分もまた、そうだと。 「――ラッシュ、トゥルース、パルパレオス、揃って全治一ヶ月、ただし魔法治療による。想定医療費、一人約一万ピロー」 「それくらい、国庫から負担するわ。私に付き合って怪我をしたんだもの。いわば任務中の負傷、労災適応内よ」 「そりゃありがたいこった」 翌日、朝。 ヨヨの執務室を訪れて昨夜の被害報告を自らして、ビュウはヨヨを睨んだ。 執務卓に着いたヨヨは、侍女の淹れてくれた紅茶を飲みながら、適当な書類に適当に目を通している。 「……で?」 「何?」 「お前、一体何を企んでた?」 その問いに、ヨヨの当たり障りのない笑みは崩れない。 「あら、何の事?」 「俺が気付いてないとでも思ってたのか?」 「まさか」 真実を告げても、彼女の笑顔は変わらなかった。しかし、その色合いが若干変化したのを、ビュウは決して見逃さない。 笑顔はそのまま。しかし、先程までなかった感情の精彩が一気に浮かび上がり、今やその笑顔はキラキラと輝いている。 それはまるで、悪戯が成功した子供が見せる笑顔のような。 いくら何でも、気付かないわけがないのだ。 あれだけあからさまな待ち伏せと、尾行と、監視。確かにフレデリカとの初デートという点でビュウは浮かれていたが、それで周囲への警戒を怠るほど、腑抜けてはいない。 昨日の午後五時半、あの広場でフレデリカがやってくるのを待っていた段階で、ビュウはヨヨたちの存在に気付いていた。気付いていて、しかし特にまく事もしなかった。 その理由は、ヨヨの本当の思惑に、ビュウ自身それとなく気付いていたからだ。 「……で、お前の望むようなものは見れたか?」 「えぇ、もう十分に。今ディアナとミストが脚色付きで報告書を作成してくれてるけど、後で見る?」 「結構だ」 「それと、ディアナの方から、結局抱き締めてキスしてついでに最後まで行った、っていうのを付け加えたい、って打診が来てるんだけど、貴方OK?」 「やめろ」 「あら、つまんない」 と、本当に残念そうに、ヨヨ。 「そうした方が、絶対に受けがいいのにぃ」 「んな受け狙いたくない」 吐き捨てるビュウ。ヨヨはあら、と首を傾げ、 「目的を達成するには手段を選ばない貴方らしくもない」 「…………」 「フレデリカと最後まで行っちゃった、って事にしておいた方が、私と貴方の仲を邪推して要らないちょっかいを掛けてくる一部諸侯に対しての、いい牽制になると思わない?」 ヨヨ主導によるデートの出歯亀の真相。 それは、ヨヨが即位してから一部諸侯の間で囁かれた噂による。 新女王の夫君候補はビュウか、パルパレオスか。 平民出身のビュウと、敵国出身のパルパレオス。どちらも、宮廷内での権益の拡大を目指す諸侯たちにとってはありがたくない。 場合によっては、どちらか一方、あるいは両方とも抹殺して、自分たちの陣営の者を女王の夫にしなければ―― もちろんビュウ自身、ヨヨの夫になるつもりは毛頭ない。考えただけでも吐き気がする。 そしてパルパレオスについては、ヨヨは十中八九、結婚はためらうだろう。もし彼を夫とするなら、諸侯のほとんど全てが反対し、場合によっては国内分裂の危機もあるから。 だからこそ、ビュウもヨヨも、ここではっきりさせておかなければならなかったのだ。 ビュウの妻の座に今一番近いのは、同じ平民出身の、プリーストのフレデリカだ、という事を。 「……まぁ、貴方がそれでいいのなら私は構わないのだけど」 ヨヨの顔から笑みが消えた。代わりに不満そうな仏頂面が上る。 「でもそうすると、すっごい中途半端な報告書になりそうなのよねー。侍女たちに受けるかしら」 「待てコラ」 思わず執務卓に詰め寄るビュウ。 「結局あれか? その報告書とやらを宮廷内にばら撒くつもりか?」 「嫌だわ、ビュウ」 ヨヨは上品に微笑む。 「侍女たちは、刺激と娯楽を求めてるのよ」 「そこで俺を供給しようとするな」 「だって、宮廷内じゃ今貴方が一番人気ですもの」 「嬉しくねぇよ」 「ちなみに、パルパレオスともう少し仲良くしておくと、一部侍女が更に喜ぶわよ」 「やめろ気色悪い」 「あ、でも安心して」 不意に、ヨヨは訳知り顔になる。 「貴方のバンダナに関する話は、全部削ってもらったから」 「…………」 「ごめんなさいね、茶化して」 あの時、ビュウが怒った本当の理由が、それだった。 「安心して。当分は様子を見ないといけないから、貴方たちの事は特に話題にしないわ。だから、今まで通り、普通に交際を続けてちょうだい」 「……そうするよ」 さすがにもう突っ込む気にはなれず、ビュウは頷くだけに留めておいた。 そして数日後。 ヨヨの予想した通り、宮廷内で、ディアナ作のおかしくやや過激な報告書が流布した。 が、しかし。 彼女の予想に反して、懇意の侍女から伝え聞いた貴族たちはおかしな予測を立てる。 「ビュウ将軍は、女王とフレデリカ嬢と、二股を掛けてるのか?」 「おいこらヨヨどうしてくれるんだっ! 何だか最近の俺はドンファンみたいに見られてるぞ!」 「仕方ないわね……出歯亀隊、再度出撃よ!」 「もうやめろんなしち面倒臭い事は!」 とりあえずヨヨとしては、当分の娯楽が出来て良かったらしいのだった。 |
サイト開設一周年記念企画、SSリクエストオールフリー第三弾。 キリ番リクエストで書いた『ドキッ、鎧だらけの水泳大会!』を読んでラブコメが見たい、とおっしゃってくださったkana様からのリクエスト。 リクエスト内容――ビュウフレでラブコメ。 完成内容――ラブするビュウフレを傍で見ている出歯亀連中によるコメディ。 作中登場のオペレッタの元ネタは、オーストリアが輩出したヨハン=シュトラウス二世作『こうもり』。 そして、リクエストSSでコッソリ長編の伏線を張るな、自分。 改めまして、kana様、リクエストありがとうございました。今後とも簾屋をよろしくお願いします。 参考文献 白石隆生『ウィンナ・オペレッタの世界』音楽之友社、1989 永竹由幸『オペレッタ名曲百科』音楽之友社、1999 |