書類のデータを入れたメモリー・シートを携え、カインは艦隊司令執務室の扉をくぐる。
「司令、失礼します。部隊編成案について、報告書をお持ちしました――」
 そう切り出した言葉が不自然に途切れた。自分の立つ入り口と、艦隊司令の着く端末内蔵の執務卓と。その二つの間、というか執務卓の前に立つ先客を、見出したからだった。
 しかしこの部屋の主といえば、まるで気にしていないようだった。ニコリとそつなく笑ってみせ、
「あらウォン大尉、ご苦労様。――あぁ、例の件ね。今ちょっと手が離せないから、メモリー・シートだけそこに置いて――」
「あー、では閣下、私はもう失礼しますよ。こちらの話も終わりましたし……ねぇ?」
 司令の言葉を遮って、先客が妙に含みを持たせてそう言った。振り返るその顔は、言葉と同様何か含んだところのある薄笑い。中年男のその表情は中々どうして不気味だが、しかし切れ長の黒い瞳にはどこか人懐っこい光が宿っているから、総合すると、何となくからかわれている気分になる。
 そんな気分を抱く本当の原因は、この男の人となりを知っているからだが。
「あら、そう? ならヨシカタ大佐、席を外してくれる?」
「はいはい。じゃ、私はこれにて」
 そう言って、彼はタウンゼント司令におざなりに敬礼し、こちらの脇を通り過ぎて執務室を去った。プシュンッ、と気の抜けた自動ドアの駆動音を背後に聞き、残されたカインは頭を切り替える。
 眼前には、汎銀河帝国宇宙軍で敵に回してはいけない将校ベスト5に入る女傑。その名もユイ=サクラ=タウンゼント。階級は大将。艶やかな黒髪の、結い上げていない右側の一房で縁取る白い顔には、さも愉快そうな笑みが浮かんでいる。
 息を吸って、吐く。相手の淡いベージュ色の軍服の、その肩を飾る金モールに彼我の実力差を痛感しながらも、カインは対決しなければいけなかった。
 執務卓に歩み寄り、掌よりも尚小さい正方形のメモリー・シートを手渡す。受け取った彼女がそれを内蔵端末のスロットルに突っ込むより先に、カインは口を開いた。

「副隊長兼航法士には、機動雷撃艦隊のキリト=サクラ=タウンゼント中尉を迎えたいのですが」

 空中投影型のディスプレイに奪われていたタウンゼント司令――ユイの目が動き、僅かな鋭さを伴ってカインを射る。
 それは、慣れていない者ならばそれだけで退いてしまいそうな、そんな絶対零度の鋭利さを持っている。
 だが彼は退かない。当然だ。慣れているも何も、ユイはカインの叔母で、実質的な育ての親だ。
「ウォン大尉、貴方」
 赤い口紅で彩られた口唇が低い声音を紡ぐ。

「まさか、この私が息子を最前線に向かわせるのを拒むと思ったからそんな話を最初に切り出した――とは、言わないわよね?」

 やはり、この叔母はこの程度では揺るがない。いや、元々揺るがせるつもりはなかったのだが。
 組んだ手の甲に唇を当てて睨み上げるユイの視線を受け止め、カインは内心溜め息を吐いた。

 俺としては、あの頑固なキリトをこっちに引っ張るための根回しをしてほしいだけなんですけど。









And he said










 そんな要求は、順序立てて説明したら意外にもあっさりと承認された。
 ――が、目的を達したカインに残されたのは達成感ではなく、疲労感と、そして何故か敗北感であったりする。
(……やっぱり、サポートにロゥを連れてくりゃ良かった。彼女がいりゃ、叔母さん相手でもちったぁいい勝負になったかも……――)
 そこまで考えて、しかしかぶりを振る。いくら電子戦のプロフェッショナルでカインの率いる小隊の中では一番の切れ者であるクレア=ロゥ少尉でも、あの叔母と比べるとやはり見劣りする。年季が違うのだ、年季が。
 徒労感を抱えて、肩を落として、彼は国防総省を出た。短く切った黒髪と、険悪な鋭さを秘めた黒い目。黄色人種の平均から見て、その顔立ちは決して悪くないのに、件の報告データの作成のためにずっと基地のオフィスに詰めっぱなしだったせいか、どこかどんよりとしていて、端的に言えばただでさえガラが悪く見える顔がいつもの一・五倍はガラが悪い。そのガラの悪さには、左頬の半ばから顎に掛けて走る深い傷跡が一役買っているのだが――

「よぉ」

 聞き覚えのある、やる気があるのだかないのだかよく判らない調子のバリトンボイス。それが耳に届くか否かというところで、ポン、と肩を叩かれた。振り返る。
「――ヨシカタ大佐」
「久しぶりだねぇ、カイン――いやいや、まだ勤務中だから、ウォン大尉、か?」
 向き直り、踵を揃えて敬礼したこちらに、彼は先程司令室で見せたのと同じような崩れた敬礼をし返した。それから、再びこちらの肩を叩いて、今度は歩くように促す。カインは背筋をまっすぐに伸ばして大股に、相手は背中を少し丸めてやや不恰好に。
「で、何年ぶりだ? こうして会うのは?」
「三年前、タウンゼント司令の勲章授与式典以来です」
「あぁ、もうそんなになったっけ?」
 と、彼――辺境第十艦隊戦略情報室室長タイキ=ヨシカタ大佐は適当に撫でつけただけの黒髪を掻いた。
「あれから、随分活躍しているそうじゃない。特にハイリェン・クライシス。報告書、読ませてもらったけど、いやぁ、見事なもんだ」
 その言い方はどこか白々しささえ感じられるほど軽かったが、相手の階級は自分よりも三つ上。カインは如才なく、
「恐れ入ります」
 と、頭を下げる。
 すると、その時、タイキの動きが僅かに止まった――気がした。カインは頭を上げ、
「……大佐?」
「あ、いや、悪い悪い。それにしても、その功績で一階級昇進、と。まだ二十四歳だっけ?」
 笑いながら無精ひげの生える顎を撫でるタイキ。その言葉に、カインもやはり笑ってみせ、
「三ヶ月前に二十五になりましたよ。それに、昇進もまだ内定段階ですし」
「どちらにせよ、士官学校をストレートで出てもそこまで昇進は速くはない。まぁ、大したものだよ」
「……俺の場合は運とか特例とかもありますし、それに、ハイリェン・クライシスについては俺よりもうちの隊員たちの方がいい働きをしてます。特にロゥとバルシモフ、あとサリントンがいなかったら、コア・ユニットの停止なんて出来ませんでしたし」
「……そうか?」
「ええ」
「そうか……」
 タイキはそうしてしばらく押し黙り、こちらを見つめる。
 懐かしむような、喜ぶような、そんな向けられるとこそばゆい、何とも言えない眼差しに、カインは身じろぎする。と、彼は視線を微かにこちらから逸らした。
「――……あれから」
 不意に、しみじみとした声がその唇から漏れた。
「あれから、もうどれくらい経ったか?」
「……『あれから』?」
「ほら、俺たちが最初に会った、あの日から」

 あの日。

「……もう、十五年近くになりますね」
「そうか……十五年、ねぇ」
 溜め息と共に呟くタイキ。その表情は、何故か一気に老け込んだように見える。いや、元々年齢よりもずっと老けて見えるのだが。
「早いもんだなぁ……。あの時は、まだこんなくらいの子供だった君が、いまや宇宙軍きってのエース・パイロットで、しかも来月には少佐、再来月には新造戦闘空母の艦長、か」
 彼の手が動いた。掌を地面と水平にして掲げる。タイキの胸元よりも僅かに低いその高さは、ちょうど十歳前後の子供の背丈と同じだった。
「よしてくださいよ、大佐」
 カインも笑う。すると、それを見たタイキが、
「君も、随分変わったな」
「…………」
「いや、さっきから思っていたんだけどさ。あの頃の君から考えると、随分と丸くなったなー、とね」
 丸くなった。
「さぁ、どうでしょう?」
 カインは肩を竦める。
「けどまぁ、大佐がそうおっしゃるなら、きっと俺は多少は変われたんでしょうね。……遅すぎた気もしますが」
 と、顔を僅かにしかめると、視界の端で、タイキが目を細めた。
「――……おっきくなったな、カイン」
 その言葉には何も答えず、カインはふと空を仰ぐ。
 空は真っ青だった。
 汎銀河帝国、帝都惑星テンゲン。その北半球にあるこの宮殿大陸の気候は物の見事な温暖湿潤気候で、一般的に言われるところの「秋」である現在、空気は澄み渡り、空はどこまでも高く抜けるように、青い。

 ――あの日も、こんな風に晴れていた。
 雲一つない快晴の空。嫌味なほどに青く高かった。

「……よしてくださいよ、叔父さん」
 ボソリと呟いた言葉は、先程のタイキの言葉への応答だった。返答を期待していなかったタイキの目が見開かれて、それから再び細められる。
「叔父さん、ねぇ。確かあの日の君は、目上の俺を『あんた』呼ばわりだったっけね」
「そりゃ、あの時の俺は正真正銘のガキだったからですよ」

 思い出す。十五年前の、あの日。
 故郷の惑星、シカ3=ヒノ。秋も深まり、冬の気配がヒシヒシと伝わってくる頃。



 カインの両親の葬式だった。

 

 

 

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