弟について。
 弟とは血が繋がっていない。継母の連れ子だからだ。
 珍しくも何ともない、ありがちな話である。両親が再婚した時には自分は十二歳、弟は六歳で、お互いしっかり物心がついていた。そのせいで姉弟仲や家族仲が微妙に険悪というか馴染んでいないというか冷めているのも、やはりよくある話だ。
 ただよそ様のお宅と違うのは、ほんの七ヶ月前まで一家総出で傭兵をやっていて、家族揃ってその筋では色々と名が知られてしまっている、という事。
 そんな経験を幼少期から積んできたものだから、自分も弟も、同じ歳頃の少年少女に比べればやたら滅多に冷めている。
 良く言えば、大人びている。
 悪く言えば、子供らしくない。
 もっともそんな事、弟に言わせれば「『子供らしさ』? 何それ、食べられるの?」である。その点については自分も同意見だ。戦場という所は、良くも悪くも「子供」の存在を許さない。

 そんなこんなで――

「ただいま、姉さん」
 今まで友達と遊んできたというのに、この淡々とした声。
 背後からのビュウの声に、台所に立つアルネは同じくらい淡々とした声で、
「お帰り、ビュウ」
 と事務的に返す。振り返る事もなく、アルネの視線は下味をつけた鶏肉を軽くソテーする、その手元にずっと注がれている。
 別に、仲が悪い、というわけではないのだ。
 その証――というより、むしろ戦場での習い性によるのだが――に、アルネは料理の手を休めないまま、同時に意識を背後に向けている。床を軋ませ歩くその足音はアルネの方に向かってきている。居間のテーブルだ。ギィ、と椅子を床にこすらせて引いて、座る。と同時に、予想外の音が聞こえた。
 ガサリ。
 紙がこすれる音だ。何だろう? だが、ここでもアルネは振り返らない。
「母さんと、親父さんは?」
「二人ともまだ仕事よ。途中寄る所があるから、少し遅くなると言っていたわ」
 ふぅん、という生返事の後は、ビュウは無言を通した。
 普通の姉と弟なら、ここで色々な会話が弾むのだろう。「姉ちゃん、今日の夕飯、何?」「今日はあんたの好きな鳥のクリームソース煮よ」「やった! ……なあなあ姉ちゃん、俺の鶏肉、大きいのくれよ」「駄目よ、一番大きいのは父さんの」「いいじゃん父ちゃんのはちょっと小さいのでもさー。だって今日、俺の誕生日だよ?」――
 ……冷めた姉弟仲だと、自分でも思う。
 カーナに住み始めてから出来た友人にはやはり弟がいる。話を聞けば、そちらの姉弟仲はもっと暖かいというか、もっと馴染んでいるというか、もっと愛ある暴力に満ちているというか、そんな感じらしい。
『弟君と、喧嘩とかしないの?』
『ええ。私も弟も、お互いの領分を侵さないように気を付けているもの』
『領分? よく解んないけどさ、何かそれって――』
(――……確かに、よそよそしいわね)
 表面が狐色になったところで、フライパンの鶏肉を鍋で煮込んでいるクリームソースの中に移す。火を弱くして、これでしばらく煮込めばメインディッシュの完成だ。
 一息吐く。
 よそよそしいのは、アルネとビュウ、その二人の仲に限った事ではない。
 むしろ、血の繋がらない姉と弟の関係は、よそよそしく冷めてはいても良好の部類に入る。そう、弟と父の関係に比べれば。
 結論から言ってしまえば、ビュウにしてみれば最愛の母親を横からかっさらっていった男が今もまだ気に入らない、とそういう事になるのだろう。
 再婚から四年、弟は未だに父トリスの事をよそよそしく「親父さん」呼ばわりする。
 弟の理屈で言えば、「父さん」と呼べるのは彼の死んだ実の父だけ。だから「父さん」呼びはなし、というのは、心情としては理解できる。その点についてはアルネも似たようなものだから。
 だが、四年も一緒に過ごしておいて、いつまでも「親父」にさん付けなんて、
(……そんなに、父さんを受け入れるのが嫌なのかしら)
 ビュウが物心つく前に再婚していたなら、父と子の仲は、そして姉と弟の仲はどうなっていたのか――その益体のない想像を、アルネは軽くかぶりを振って振り払った。
 考えても意味はない。
 意味がないから、アルネは料理に専念する。
 付け合わせの野菜を切る。朝に買ってきたパンをオーブンで軽く焼き直す。ああそうだ、デザートのパイも焼かなければ――今時間はどれくらいかしら、といつもの癖で日の高さを見ようと、玄関側の窓を振り返って。
 そこでようやく、彼女はテーブルの上に見慣れない箱があるのに気付いた。
 綺麗に包装された、本を横に二つ並べたくらいの大きさの箱だ。それほど厚みはない。それこそ小説一冊分ほどだ。ビュウはそれを前にして、何やらメッセージカードに目を通している。
「ビュウ、その箱は?」
「ヨヨから」
「……お姫様から?」
 まったくもって不思議だが、どういうわけか弟の交友関係は無駄に広い。身近なところではお向かいの息子さん、遠いところではマハール在住のオレルス経済界の化け物。その遠いところにカーナ王国第一王女が加わったのは、去年の秋、家族でこの国に移り住んでからだった。
 と、アルネは気付く。
 ビュウが、少し嬉しそうな顔をしていた。
 不思議なものを見た気がした。表情の変化に乏しい弟ではないけれど、自分と二人だけの時に嬉しそうな顔をするなんて、少し珍しい。
「王宮にも出入りしてる菓子職人が作った、高級お菓子の詰め合わせ、だってさ」
 しかも、いつもは冷めた口調さえどことなくウキウキしている。
 そういうところはまだ十歳――いや、今日で十一歳だった――ね、と苦笑して、ふと思う。
「高級菓子の箱詰めなんて……そんな物いただいてしまって、いいのかしら?」
「ヨヨがくれるって言ったからいいんじゃん?」
「そういうわけにはいかないわ」
 三歳の頃から世界の戦場で暮らしていたビュウにはピンと来ないかもしれないだろうが、宮廷と関わりを持つというのは、実に厄介で面倒で危険なのだ。
 あの世界は、虚飾と虚栄に満ちている。
 何かの折に良い物をいただいたら、それに勝る物をお返しする。それが宮廷における贈答のルール。
 伊達にマハールで六歳まで貴族をやっていたわけではない。そういう苦労をしていたのは主に父母だったが、その苦労を幼かったアルネは折に触れて目の当たりにしていた。
 弟の交友関係にまで口を出す気はないが、個人的な感情で言わせてもらえば、
(そんな物、受け取ってくるんじゃないわよ)
 宮廷人の好意を鵜呑みにしてはいけないのだ。
 だがビュウは嬉しそうにしている。薄い笑みの浮かぶ顔は確かに十一歳の子供のそれで、だからこそアルネは何も言えなかった。
 冷めた姉だが、弟の喜びに水を差すような事は、したくない。
(……どう対処するかは、どんなお菓子なのかを見てからでも遅くはないわね)
 その際には、是非とも父に相談しよう。その席に弟を引っ張り込もう。もちろん母にも同席してもらう。
 そうすれば……この変に冷めた家族も、多少は普通になるかもしれない。
 算段を抱いて、アルネはテーブルに歩み寄った。ビュウは、逸る手付きで包装を剥ぎ取り、箱を取り出す。
 蓋に手を掛ける。
 と――その時、彼女の聴覚が妙な物音を捉えた。

 ――……カサッ……カサカサ……カサカサ……

(――? これは……)
 箱から?
 瞬間、アルネの頭が日常仕様から戦場仕様に切り替わった。危険、とまでは言わなくとも、不審な気配を察知する。
 待ちなさい、ビュウ。しかしアルネがそう叫ぶより早く、ビュウは――箱を、開ける。

 そして弟は絶句した。

 箱の中身を見て、アルネも絶句した。

 小説本二冊を横に並べた大きさの箱。
 その中に詰められていたのは、
 黒々と、ゾワゾワと蠢く、
 大量の、うにう――

「「っぎゃああああああああああっ!?」」

 絶叫は、二人の口から同時にほとばしり出た。
 アルネは真っ青な顔で愕然と立ち竦み、ビュウは本能的な嫌悪感で蓋を閉じる。電光石火という言葉がよく似合うほどの素早さだった。
「ね、ねねねねねね、姉さん、ど、どうしよう!?」
 真っ青な顔で、目をカッと見開いて、頬をブルブルと震わせて、『魔人』と恐れられた弟が本気で怯えている。
 一方、『閃姫』の名で畏怖を集めた自分もまた、同じような状態だった。ガクガクブルブルと震えながら、即座に言い捨てる。
「捨ててらっしゃい、今すぐに!」
「で、でも、これ貰い物だし――」
「そんな物貰ってどうするというの!?」
「何言ってんだよ姉さん、うにうじはうにうじで戦術的に利用価値が――」
「そんな物まで戦術利用するんじゃありません! 大体、あんたはもう傭兵じゃないでしょう!」
「……あ、そうだった。じ、じゃあどうしよう!?」
「さっさと捨ててきなさい! それが出来ないなら、返してらっしゃい!」
「それは駄目! 返品も廃棄も、やったら五倍返しだってヨヨの奴が――」
「だったらお姫様の誕生日に、その五倍のうにうじを詰めて贈ってあげなさい!」
「姉さん、それやったら宮廷と戦争になるから! 母さんがいるから何とかなるかもしれないけど、俺、負け戦はもうしないから!」
「あんたの主義主張なんて知りません! いいから貰った者の責任として、しっかり処理しなさい!」
「そんなぁっ!」
 カサカサ、ゾワゾワ――箱いっぱいに詰められた小さく黒い「何か」が蠢きもがく音が、二人の悲鳴の間の所々に挿入される。
 それが余りにもおぞましくて、アルネもビュウも身動きが取れない。二人揃ってガタガタと震える事となる。
(父さん)
(母さん)
((お願い、早く帰ってきて――!))
 カーナという、戦場から遠い国に来てから初めて、二人は両親の帰還を真剣に祈った。



 そして皮肉な事に、この一件が、よそよそしかった義理の姉弟の関係に少し変化をもたらしたのだが――
 自分も弟も、それをあの愉快犯的プリンセスのおかげと思うのが何だか異様に悔しかったので、忘れる事にした。

 

 


 簾屋が過去編を書くと大抵ダークなシリアスになり、もしかしたらお読みの方の中にはそれを求めていらっしゃる方もおられるかもしれませんが――
 残念、所詮は簾屋の書くものですから! 根底がシリアスでも、コメディが混じりますから!

 そんなわけで、メインで書くのは初めて、ビュウさんの義理の姉君アルネ=アソル嬢でした。
 この話は、リクエスト小説の項にあります『
君に捧ぐ』に登場させた、ビュウさんの誕生日にまつわるエピソードを基にしております。ビュウさんは昔から、家族ぐるみでヨヨ様に苦しめられていた、とそういう話です(違う)。
 再婚後のアソル家は色々不協和音が生じていたけれど、時が経つにつれて家族らしくなっていく、これはそのエピソードの一つでした。ちなみにアルネも懸案のビュウとトリスパパンの関係改善については過去編丸々一つ費やしてじっくりねっちり語ります。ええ、語りますとも!

 

 

 

目次へ