1.朱貴は言っていないらしい



 そう言えば戴宗の奴今日いねーな、と思っていた早春のある日、その話が持ち上がった。
 朱貴と扈三娘主催による翠蓮の誕生パーティ。小五もそのお招きに与り――もとい、ほぼ強制的に動員され、ご馳走担当の朱貴から受けた指令は、「やー、それじゃ小五君にはお魚を取ってきてもらいましょーか、体長五メートルくらいのね」。
 五メートル!? 朱貴さんムチャクチャ言うなー! それでも石碣村の漁師(元)の名に賭けて、湖のど真ん中に出て粘る事三日、ようやく朱貴の眼鏡に適いそうな大物を獲る事に成功。
 それを、朱貴の酒店に納めに湖を渡り、桟橋を下りた時だった。

「――戴宗?」

 桟橋の側にある岩に腰かけた戴宗は、かったるそうな顔で小五を一瞥した。
 何かの任務で、梁山泊を離れていたらしい。詳細は小五にも知らされていないが、砂埃に汚れた姿といまいち覇気のない様子からして、あちこちを動き回る相当面倒な任務だったようだ。
 ともあれ、死んだ魚のような目でこちらを見た戴宗は、ボソリと一言、
「……何だ、小五かよ」
 プラス、舌打ち。苦笑いしたいような怒鳴りたいような中途半端な気持ちで小五は言い返した。
「何だ、って何だよ戴宗! 相変わらずひでぇなお前!」
「るっせーな。それよりこんなとこで何やってんだ」
「俺?」
 見て分かんねー? ずっと担いでいた魚を、軽く振って示してみせる。
「朱貴さんに魚、届けに来たんだよ」
「は? あいつんとこは豚マンだろーが。何で魚なんか」
「あれ、戴宗聞いてねーの?」
 戴宗の姿を見なくなったのと誕生パーティの話が出たのは、ほぼ同時だった。だから、朱貴か扈三娘は当然任務でいなくなる戴宗にもその話をしておいて、だからこそ戴宗は間に合うように帰ってきた――と小五は合点していたのだが、
「今日、翠蓮の誕生日だぜ?」

 その瞬間の戴宗の表情の変化は、ちょっと驚くべきものだった。
 いつもどこか皮肉げで、色んなものをひねくれて見ているような戴宗は、


 きょとんと、目を瞠った。


 子供が、不思議な事に純粋に驚いてみせる顔。
 それは、もしかしたら小五も初めて見るかもしれない、とんでもなく稀有な戴宗の毒気の抜かれた、無防備な表情だった。

「――……ふぅん」

 だが、戴宗が短い沈黙の後に発した声は、興味のなさそうな相槌だった。
 何だよそれ、翠蓮の誕生日だぞ――小五が言おうとするより早く、戴宗は岩から腰を上げた。小五の脇を通り過ぎて、桟橋に立つ。
 振り返った小五は、戴宗が待っていただろう梁山泊への小舟が葦の迷路をようやく抜けて桟橋に着くのを見た。
「おい、戴宗」
 呼び止める。だが、戴宗はスタスタと行ってしまう。聞いているのかいないのか、こちらを振り向きもせず、小舟に下りて、
「パーティ、日が暮れてからだからな!」
 少しだけ。
 少しだけ、戴宗は振り返る素振りを見せた。
 だが振り返らない。漕ぎ出していいものか迷っている船頭に、「オラ、ちゃっちゃと漕げ」と軽く蹴りを入れている。船頭は小五の方に申し訳なさそうな顔を向けて、断りのつもりか軽く頭を下げ、
「絶対来いよー!」
 葦の迷路の向こうに消えていく小舟に向かって、小五は叫んだ。

 

 で、結局、戴宗は姿を見せていない。
 何なのよあいつ、帰ってきてるくせに! 扈三娘はプリプリ怒りながら、朱貴特製ギガ豚マン(三個目)を片付けようとしている。聞けば、聚義庁に任務の首尾を報告して出てきた戴宗と遭遇した彼女は、小五と同じようにパーティに誘ったらしい。
「まったく、あいつこそパーティに出てくるべきじゃない!? だって、翠蓮ちゃんと付き合いが一番長いのって流星でしょ、ムカつくけど! それなのに何で来ないのよあいつはー!」
「ま、まあまあ、扈三娘さん」
 宥めに回るのは、本日の主役、翠蓮だ。小五が獲ってきた魚の丸焼きをつつきながら、苦笑を見せている。
「しょうがないですよ、戴宗さんってそういう人ですし。そうですよね、小五さん?」
「まー、そりゃそうだな」
 メガ揚げポテトをつまみながら、小五もまた苦笑して肯定する。
「あいつひねくれてるからよ、こういうの苦手なんじゃねーの?」
「だからってさー」
「いいんです、扈三娘さん」
 翠蓮は微笑む。
 その健気な笑みに、まだむくれていた扈三娘は押し黙り、
「それに、こっちに渡る前に戴宗さんからお祝いの言葉を貰いましたし」
「え、そうなの翠蓮ちゃん!?」
「へー、やるじゃん戴宗の奴!」
「義賊も、ここに来ないなら来ないなりの礼儀というものを心得ているんですか……意外ですね」
「え、え、ねえ翠蓮ちゃん、流星の奴、何て言ったの?」
 興味津々に尋ねる扈三娘へ――
 翠蓮は、答える。
 それは、とてもとてもいい笑顔で、


「『じゃあ、もっと食ってもっとでかくなるんだな』って」


 一瞬の、静寂。
 それから、
「って何それ――――っ!?」
「誕生日を迎えた女性に捧げる言葉ではないでしょうそれは――――っ!」
「わはははははっ、戴宗らしーぜそれ!」
「ニハハ、確かにねー」
 怒号と爆笑が朱貴の酒店を包み――

「じゃあ翠蓮、もっと魚食えよ魚! カルシウム取らねーと小七みてーにおっきくなれねーぞ?」
「た、食べてます、食べてますよ小五さん! でも、でもこれ私一人じゃ無理ですー!」
 それに小七さんみたいに大きくって、私女の子なんですけどー! 涙目の翠蓮に、小五はまたゲラゲラと笑った。

 

 

 

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