1.奈落の星


 砕かれた。

 額への一撃は、痛みよりもそんな実感の伴う衝撃を戴宗に与えた。
 皮膚が弾け、頭蓋がかち割れ、ただの肉片と成り果てた脳味噌が血飛沫や脳漿と一緒にグロテスクに撒き散らされる――という錯覚を抱かせる衝撃に、戴宗の体はあっさりと吹っ飛んだ。灌木を蹴散らし、枝葉を薙ぎ払い、虚空で弧を描いてから派手に水飛沫と水音を立て、どことも知れない水中へと叩き込まれる。
 沈む。
 沈む、沈む、沈む、沈む、沈む。
 体が、心が、魂さえ砕かれ、バラバラにボロボロに散っていってしまう。指一本動かす事も出来ず、水面の向こうで揺らめく太陽の光はどんどんと遠ざかっていく。
 拡散する戴宗の心に、「死」の一文字が浮かぶ。

 こんな所で、死ぬのか。

 星の力を使いすぎて体を動かす事も出来ない。ここで死ぬのか。戴宗はただ思う。ここで、死ぬ。
 憎い敵に返り討ちにされて。
 養父の仇を討つ事も出来ず。
 死ぬ。
 負けた。
 届かなかった。
 星の力。天速星。何もかも焼き尽くすほどの力だった。届かなかった。負けた。返り討ちにされた。届かなかった。星の力。返り討ちに。砕かれた。あは。おぞましい、笑い声。
 届かなかった。
 砕かれた。
 あの男に。

 高俅。

(どうすれば――)
 まだ残った心で、戴宗は思考する。
(どうすれば……届く……――?)
 簡単だ。強くなればいい。強くなって、自分と奴との間にある絶望的な隔たりを埋めるのだ。
 強くなれば、この刃は必ず届く。
 この炎は、必ず届く。
 この憎しみは、怒りは、嘆きは、悲しみは、寂しさは、必ず届く。

 強くなるには、どうすればいいか?

 どうすれば……――――――――


 その思考を最後に、戴宗の心は完全に砕けて、

 

 

 

 


「おはよう」
 というくわえ煙草の男の声で、意識を取り戻す。
 その男を筆頭に、何人かの男が戴宗を取り囲んでいた。
 いつの間にか太陽は中天近くに上っている。戴宗はその真下、温かな地面に寝かされていた。仰向けになっているから、彼からは男たちの顔が逆光で黒く塗り潰されているようにしか見えない。
 呉用俺ぁ決めたぜこいつも仲間に引き込もうこれでまた北斗七星が揃ったなはっはっは! ちょっ晁蓋そんなの僕が許さな、俺が許す! ……やかましい声が耳を素通りする傍で、いつの間にか袋から出てきていた師匠が体を震わせる気配がする。


「――あれお前、ひょっとして戴宗じゃん!?」


 名を、呼ばれた。


「知り合いか、小五?」
「懐かしいなぁー! 覚えてっか戴宗!?」


 けれど戴宗は何も聞いていなかった。砕けた心を掻き集め、まとまりのある思考を取り戻しつつある今の彼には、周囲の声は全て意味を成さない騒音に過ぎない。
「……っせーな」
 周りの連中が何をはしゃいでいるのか、まるで判らない。戴宗は小さく毒づく。
「笑えねぇ」

 仇に返り討ちにされた自分の体たらくも、
 強くなるにはどうすればいいか、まるで分からないのも、

 何より、誰かが傍にいるという現状それ自体が、

 

 全てが全て、戴宗の神経を逆撫でするのだ。

 

 

ファントムペイン

 

 

 

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