「ビュウ、少しいいだろうか?」
 カーナ王宮の渡り廊下で、パルパレオスはビュウを呼び止めた。

 元グランベロス将軍のパルパレオス。公的な立場は、ただの亡命者――というか、脱走兵である。
 しかし、カーナ解放戦で反乱軍を指揮したその手腕は、不安定なカーナの国情に一応歓迎された。カーナ軍の再建が進まず、カーナ国内の治安維持がまだ難しい今、カーナ王国中枢は猫の手も借りたいくらいに人手不足だった。つまりは、例え亡命したとはいえ敵国の将軍であっても、指揮官としての実績があれば、おまけに腕が立てば、もうこの際何だって良いほど切羽詰まっていたわけである。

 というわけで、パルパレオスがビュウを呼び止めた用事も、カーナの治安維持に関する懸案事項だった。
 これまでカーナの治安維持は、グランベロス軍が支えてきた。
 帝国の支配に対し、カーナの民は潜在的に顕在的に反抗してきた。暴動も幾度か起こった。揺らぐ治安を、帝国軍は無理矢理にでも維持しようとしてきた。武力制圧も、珍しくはない。
 その「重石」を、反乱軍は先日取り除いてしまった。
 上からの圧力がなくなった今、まるでたがが外れたように、カーナの治安は悪化しつつある。カーナ軍再編成が成るまでは、反乱軍が治安維持の代行をする、という事が決まり、ビュウとパルパレオスが主導となって、それらを進めているのだった。
 だから今は、ビュウとパルパレオスは互いに協力して、踏ん張ってこの難局を乗り切らなければいけない。それなのに。

 ビュウは。
 パルパレオスを見た途端。
 それこそ「うげぇ」とでも言いたげに、嫌そうに顔をしかめ頬を引きつらせ。
 それから「あぁん、何だよコルァ」とでも言いたげに、眉根を寄せて藪睨みになって。
 パルパレオスの言葉も聞かず、スタスタと足早にその場を去った。

「……え?」

 残されたパルパレオスは、唖然とした表情で、間の抜けた声を漏らした。










なべて世は事もなく











 ビュウのそんな態度はそれから何日も続いた。

 軍議の席ではパルパレオスに意見を求めず。
 女王の執務室ではパルパレオスなどいないものとして話を進め。
 廊下ですれ違おうものなら、半径三メートル以内に入られるのを拒むように、壁際にまで寄って距離を取る。

(……確かに俺も、好かれるとは思ってもいないが)
 ふと、考え込む。
(ここまであからさまだと、どうしていいものか……)
「パルパレオス、どうしたの?」
「――え?」
 声を掛けられ、パルパレオスは我に返った。眼前、白いテーブルクロスとティーセットの向こうには、軽く頬杖を突いて小首を傾げたヨヨ。緑翠の双眸を輝かせ、こちらの顔を覗き込んでいる。
「せっかく執務を早めに切り上げて一緒にお茶してるのに、私を無視して考え事、ってちょっと酷いんじゃない?」
 言葉とは裏腹に、ヨヨの表情は明るい。彼は慌てて弁明する。
「ああ、いや、すまない。その……少し、気になる事があって」
「気になる事? 何かあるの?」
「あぁ。実は……」
 すっかりぬるくなった紅茶を一口。口を湿らせてから、告げてみる。
「最近、ビュウの態度がな……」
「あぁ、貴方に対して随分酷い態度を取ってるわよねぇ、彼」
 世間話のように、軽い口調で、ヨヨ。ニコニコ笑いながら、お茶請けの焼き菓子を皿からつまみ、口に放り込む。
 まるで他人事。彼女は咀嚼した焼き菓子を飲み下し、紅茶を口に運んでから、あっさりとこう言った。
「仕方ないわよ。だって彼、あなたの事嫌いだもの」

 ………………………………

「……どうしたの、パルパレオス? 頭なんか抱えて」
「い、いや、別に……何でも」
 脱力し、眩暈すら感じた彼は、何とかそれだけを返す。だが胸中はそれどころではない。
 それは確かに、ビュウに好かれている、とは思っていない。それだけの事をしたのだし、いきなり好意なんて向けられた日には、むしろこちらが逆に気色悪い。
 だが。
 だがしかし。
(……ヨヨの口から聞くと、何故こんなにショックなのだ?)
 そんな彼の思いを露知らず、ヨヨは気楽に笑っている。
 ニコニコニコニコ。さも楽しそうに。
「それでビュウ、最近はどうなの?」
「最近? ……俺への態度か?」
 頷くヨヨに、パルパレオスは溜め息一つと共に話す。こめかみを押さえ、うつむきがちに、
「以前よりもエスカレートしている、ように思える。声は掛けない、目も合わせない、廊下で俺を見れば方向転換して遠回りする始末だ」
「あらあら。それはまた、随分、ねぇ」
 ポットから自ら茶を注ぎ、ヨヨは呟く。
「でもおかしいわね。彼だって、いくら貴方の事が嫌いでクソと思っていて実は言葉を交わす事も半径五メートル以内に近付いてくる事も顔を合わせる事すら吐き気がするほど嫌だと思っていても、仕事に必要ならそういう私情は全部とりあえずその時だけ棚上げするはずなのに」
「……今、何か随分酷い事を言わなかったか、ヨヨ?」
「あら貴方、幻聴まで聞こえるようになった? それは大変! 侍医に診てもらった方がいいわね! ――誰か! 侍医をここに!」
「ちょっと待てヨヨ! それはいくら何でも話を飛躍させすぎだ! ――ああすまない何でもない今の忘れてくれ頼むから!」



 ……そんな女王の茶会は、彼女の私室のテラスで行なわれている。
 王宮の中庭に面したそのテラスは、見晴らしが良く、花々の咲き乱れる中庭を一望できる。
 ――そして同時に。
 中庭を囲む棟から、テラスの様子が簡単に眺められるのだ。

「――それで、君は結局のところどう思っているのだね?」
「何が、です?」
 そんなとある暗い一室で、密談は繰り広げられていた。
「決まっているだろう。女王陛下と、あの恥知らずの売国奴だよ」
「……お役目の手前、『亡命者』とおっしゃった方がよろしいのでは?」
 暗い部屋に響くのは、粘着質な年寄りの声と、淡々とした青年の声。
 年寄りの方が、ふん、と鼻を鳴らした。続く声に嘲弄が混じる。
「亡命者、か。それだけを聞けば、祖国に迫害された者のように思えてしまうなぁ」
「……確かに、耳当たりは良いですね」
「君もそう思うかね?」
 中庭を臨める窓辺に立つ老人が、入り口近くの壁に背を預ける青年に振り返った。同意を求めるその声には、興奮が隠しきれていない。
「亡命者。亡命者。亡命者! ふん! 亡命してくれば何でもかんでも帳消しになる、とでも思ったか、あの破廉恥めが! あの野蛮な皇帝と共にこの聖国カーナを蹂躙したくせに、陛下の情夫となってこの宮廷でデカい顔をしおって! 所詮は卑賤な傭兵、皇帝への忠義の欠片もないか!」
 はははっ、と哄笑を立てる老人。それを冷ややかな眼差しで見つめていた青年は、彼の笑いが収まるのを待って、ボソリと告げる。
「……余り大声を出されると、余人に聞かれますよ。それでもよろしいので?」
「……そうだったな。すまなかった。気を付けよう」
 青年の言葉に我に返った老人は、咳払い一つの後に、続けた。
「君も、苦々しく思っているのではないのかね?」
「何の事で?」
「とぼけるのはやめたまえ。あの恥知らずだよ」
 と、立てた親指で窓の外を指す老人。
「君という陛下の腹心を差し置いて我が物顔で歩き回るあの恥知らずを、内心では邪魔だと思っているのではないのかね?」
「それは違いますよ」
 青年の否定に、怪訝そうに顔色を変える老人。
 次に発したその声は、暗い――余りにも暗い情念に彩られていた。
「そんなものじゃない」
「…………っ!」
 ボソボソと、抑揚に欠き、淡々とした物言い。老人はゾッとした様子で口を噤む。
「そんなものじゃないですよ、俺があの男に抱いている思いは。解りますか? 文官として、どうにかあの戦いを生き延びられた貴方に。俺はあの男に、大切な部下を、仲間を、ことごとく殺されたんですよ? 皆俺を慕ってくれた連中でした。俺を友としてくれた奴らでした。そんな俺の友を、部下を、あの男とあの皇帝が、くだらない戦争で全部奪っていったんですよ?」
「…………」
「解りますか? 俺自身死に掛けました。同期の仲間で生き残ったのは一人かそこらですよ。そいつも死に掛けて、神経症一歩手前まで行ったんですよ。解りますか? 俺たちはあの男に滅茶苦茶にされたんですよ。解りますか?」
「…………」
「苦々しく思う? 邪魔? 違いますよ。そんな優しいもんじゃない。そんな、簡単なもんじゃない」
 青年の瞳が鋭く細められる。常は蒼穹の色の明るく輝くその双眸が、今は、どす黒く澱んで鈍く濁った光を放つ。
「出来る事なら、この手で、あの男を殺したい」
「…………」
「ただ殺すだけじゃ足りない。叩きのめして、叩き潰して、どん底に追いやって、それでもまだ足りない。まだ、まだ、まだまだまだ――」
「――解った」
 老人は遮る。慄き、微かに震える声で。
「君の憎しみは、よく、解った。すまなかった。安っぽい言葉で片付けようとして」
「……いえ、失礼。俺の方も、興奮してしまって」
「構わんよ。それで――」
 今度は慎重に、言葉を選ぶ老人。
「そんな男を囲う陛下については、君は、どう思っているのだね?」
「それは……」
 青年が言いよどむ番だった。言いたくても言えない。その心情を敏感に察した老人は、ニィ、と口の端にネットリとした笑みを浮かべた。
「――あぁ、陛下についての発言が耳に入る事を恐れているのだね? 気にしなくて良い。ここだけの話だ。この部屋を出た途端、私も、君も忘れる。そういう仕組みになっているのだよ?」
 ニタニタ、ニタニタ。老人は甘くまとわりつくような言葉を吐く。
 その声に、しばし考え込み、青年は言った。
「――正直」
 言葉を切る。老人は、頷いて促す。
「……何故彼女に忠誠を誓ったのか……後悔していますよ」
「そうなのかね?」
「えぇ。あんな男を情夫に選ぶなんて……――確かに、彼女だって女だからそういう存在が必要なのは解ります。けれど、何もあんな男を選ばなくても良いでしょう。他にもマシなのがいるはずなのに」
「例えば、君とか?」
 好色げな光が老人の目をよぎる。青年は一瞬の躊躇を見せてから、
「……それについては、黙秘で」
「そうか。失礼したな。それで?」
「とにかく、あんな男を寵愛する彼女の神経が解りません。帝国の支配から解放されてまだ間もない。国民感情を考えれば、帝国の軍人だった男を宮廷に迎え入れようとは思わないはずでしょう、真っ当な君主ならば」
 我が意を得たり、と何度も何度も笑って頷く老人。
「そうとも、そうとも。陛下は為政者としては不適切、そう思わないかね?」
「思いますよ。彼女が先王のご息女でなければ、既に王座から引きずり下ろされているところだ。もしそんな状況になったら、俺も手伝いますよ」
「……本当かね?」
「えぇ」
「では――」
 薄暗がりの中、老人の笑みが、深くなる。
「手伝わないかね?」
「……何ですって?」
「女王を王座から引きずり下ろすのを、だよ」
「…………」
「なぁに、君の役目は簡単だ。ただ、女王の飲み物のグラスかカップに、これを入れてくれれば良い」
 老人は上着のポケットに手を入れ、青年に歩み寄りその前に立ってから、軽く握った手を出す。青年はその手と老人の顔とを見比べ、無言で右手を上向きに差し出した。老人はその手に己の手を重ね、
「――……これは?」
 相手の手がどいた後の自分の右手を見下ろして、青年は問う。
 そこには、一つの丸い錠剤。
「まぁ、俗に言うところの『愛の薬』だな」
「…………」
「飲めば四六時中男が欲しくなって仕方がなくなる――強力な、薬だよ」
「…………」
「執務の真っ最中にまで男が欲しくなるような見境のない君主ならば――諸侯も、女王の退位を望む……」
 と、そこで老人は、自分よりも背の高い青年の顔を、見上げた。
「そう、思わないかね?」
 さながら念を押すように、言う。いやらしいものを奥底に秘めた、笑い含みの声で。
 青年は答えない。それを了解の意に取ったのか、老人は彼の肩をポン、と叩き、
「では、頼んだよ――ビュウ君」
 老人は部屋を去る。扉が開き、閉まる音。その気配が去っていく。
 それからしばらく、彼は、そこから奥の窓の外を眺めていた。
 茶会の席に何故か侍医まで加わって、わけの分からない騒動になっている。



 茶会の席で、あれよあれよという間に侍医の診断を受けてしまってから、五日後。
 パルパレオスは、王宮の大書庫を訪れていた。
 人も疎らで、常駐する司書もうたた寝をしている。本と静寂だけがある。
 壁際には本棚がビッシリと置かれ、窓は天井近くにしかない。そこから差し込む光は、書庫全体を満たすには足らなかった。
 視界を圧する本棚の列。パルパレオスの背丈の二倍はあろうかというほどに高い本棚は、それだけで圧迫感があった。その本棚と本棚の隙間の通路を、彼は、足音を殺して歩く。
 そして、奥まった所で立ち止まり、ちょうど目の高さにあった本を一冊抜く。『艦船エンジン解剖白書』。開いて序文に目を通してみる。何が何やらさっぱりだ。
 もちろん、そんな本を読むのが目的ではない。
 パルパレオスは、別の本を探す振りをして、一冊抜いたその棚の隙間を押し広げた。
 どうもこの辺りに並ぶ本棚は簡単な造りの物ばかりなのか――向こう側が、見えるのだ。
 本棚を挟んで向こうの通路。

 そこには、ビュウがいた。
 パルパレオスと同じように、何冊か本を抜いて隙間を作り、適当に読む振りをして。

 大書庫。
 カーナ王宮の一つの歴史を作る場。
 密談には打ってつけ。

「……何を、企んでいる?」
 エンジンの構造図に目を落としながら、パルパレオスは、小声で尋ねた。
「何の事だ?」
 対するビュウは、顔色どころか眉一つ動かさず、淡々とページをめくっている。隙間から何とか見えるその本のタイトルは、『暗殺の史的解釈――毒殺から刺殺まで』。何を読んでいる、何を。
「決まっている。お前の最近の態度だ」
 パラリ。ビュウのページを繰る音だけが、書庫に響く。
「確かに俺はお前に好かれていないだろう。そんなものは百も承知だ。この王宮で、誰もが知っている。だが――いくら何でも、最近のあれは少々過剰だ。不自然なほどにな。
 だから聞こう。何を企んでいる?」
 と。
 ビュウが顔を伏せたまま、視線だけをこちらに向けた。
 感情の読めない目。ただ底知れない。
 睨み合いような視線の交錯。それが、しばらく続く。
 破ったのはビュウが先だった。
「パルパレオス、あんた、馬鹿だろう」
「……何?」
「そこまで察する頭はあるくせして、想像力がない。馬鹿も馬鹿、『超ド級』の称号をくれてやるよ」
「なっ……」
 余りの言い草に二の句を継げないこちらに、ビュウは握った右手を見せた。
 その親指が素早く動き、何かを弾く。

 ――カツンッ。

 パルパレオス側の本棚の隙間。その棚板に何かが当たり、バウンドしてパルパレオスの眼前に到達する。

 半月型の錠剤だった。

「……これは?」
 何か不穏なものを感じ、彼は触らずにただ問う。ビュウは淡々としたまま、
「俗に言う媚薬。ヨヨに飲ませてみろ。腰が抜けるまであんたをベッドから逃がしちゃくれなくなるぞ」
「なっ!?」
「でかい声出すな。と言うかガラにもなく顔を赤らめるな気色悪い。あんた今いくつだこの三十路」
 ポンポンと軽快な調子で罵るビュウ。陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉させていたパルパレオスは、一度息を飲み、呼吸を整え、それからやっと、次なる質問を放った。
「……こ、これを、どこで?」
「どこぞの親切なオッサンが無料で提供」
「も、元は丸型だな?」
「おぉ」
「は、半分になっているのは……お前が、もう?」
 そういえば、ビュウと懇意にしているかのプリーストを最近見ないような――
「いや、フレデリカに」
「飲ませたのか!?」
「だからでかい声出すな。この程度で動揺するんじゃない童貞のクソガキじゃあるまいし。と言うかその歳で童貞は色んな意味で悲しいぞこの三十路」
「いや、さすがにそれはあり得ない――と、そうではない!」
 うっかり相手のペースにはまり掛け、無理矢理その話題を打ち切る。再び呼吸を整え、話の筋を元に戻そうとしたその時、
「……この程度の猥談で鼻血まで吹き出すとは、グランベロスってよっぽど娯楽が少なかったんだな」
「なっ……!?」
 ビュウの呆れた眼差しに、思わず鼻に手をやって。
 乾いた感触。鼻から離した指には、何も付いていない。
「――……人をからかうなっ!」
「いやぁ、俺の方も最近娯楽が少なくて」
「俺は娯楽か!?」
「違うのか?」
「ふざけるな!」
「失敬な。俺はいつでも大真面目だぞ」
 パルパレオスの中に何かが湧き上がる。熱い血が全身を巡り、それと共に噴出しそうになる。
 人はそれを、怒りと呼ぶ。
「ビュウ、いい加減にしないと――」
「いい加減にしないと連中に勘付かれるから、本題に入ろう。その錠剤の半分は、フレデリカに頼んで成分を分析してもらった。結果は毒薬。しかもその半月型の十分の一で簡単にコロリと逝けるほどの、暗殺には非常にリーズナブルな代物だ」
 全身の血が、スッと引いた。背筋が凍るような感覚を味わう。
「……何だと?」

 毒薬。
 暗殺。
 ヨヨに飲ませてみろ――

「……まさかこれは――!」
「おぉ、少しは想像力が働いたか。『超ド級の馬鹿』返上だな」
 戦慄するこちらとは対照的に、ビュウは落ち着いていた。冷静すぎるほどに。
 改めて彼を見やれば、その冷ややかな青の双眸が、まるで剣の切っ先のようにこちらに鋭く突きつけられている。まるで、戦いの時のように。
 口の中がカラカラに干上がっていた。それでもパルパレオスは、ビュウに問うた。
「……一体、何がどうなっている?」
「ヨヨがな、釣りをしたがって」
「……はぁ?」
 それまでの戦慄に緊張した頭が、一転、わけの解らない言葉に混乱する。
 釣り? 釣りだと? ヨヨが、釣り? 彼女は釣りが出来るのか? いや、それは違うか。
「餌はあんた」
 淡々と告げるビュウ。
「俺は釣り針」
 餌が自分で、ビュウが釣り針?

 そしてパルパレオスは不意に閃いた。
 ヨヨの釣り。餌は自分、ビュウは釣り針。
 その意味は。

「……つまり、俺に対するお前の態度は、『魚』を油断させる囮、か」
「そうだな」
 ――パルパレオスも気付いていた。
 自分と、そして自分を迎え入れたヨヨを良く思わない高官の一派がいる、という事は。
「……何故だ?」
「何が」
「この機会を上手く利用すれば、お前は俺を上手く排除できるだろう。何故、それを活用しない?」
 残りの錠剤をヨヨのカップに入れ、パルパレオスが入れた、と叫べば、ビュウはヨヨを守り、かつ、パルパレオスをこの王宮から追い出せる。
 いや、場合によっては、抹殺できる。永遠に。
 しかしビュウは、今、ある意味で手の内を明かした。それは何故だ?
 問われた彼は、本を棚に戻しつつ手を伸ばし、こちらの棚板に置かれたままだった毒薬を取り上げる。それから、つまらなさそうに視線をあちこちに彷徨わせ、一言、
「心外だな」
「…………?」
「公私を分ける分別もない、なんて思われてるとはな」
 それから、彼はまっすぐにこちらを見据えてきた。
 パルパレオスはその視線にたじろいだ。

 このオレルスの空を切り取ったかのようなその双眸には、凪のように静かで、しかし嵐のように激しい光が宿っている。
 威圧感すら漂わせて、ビュウの意志は、ただそこにある。

 ふと、ヨヨがこの間語った言葉を思い出す。
 必要なら、私情は棚上げする。

「そんな風に俺を見くびってこっちの計画を邪魔するようじゃ、その内本気であんたを切り捨てるぞ。覚悟しとけ」
 圧倒され言葉を失くすパルパレオスに、そう冷徹に言い捨てて。
 ビュウは完全に本を戻して隙間を埋め戻した。
 コツコツコツ、と靴音が去っていく。気配が遠退き、徐々にパルパレオスには感じられなくなっていく。
 そうしてようやく、彼は安堵の息を漏らした。

 そう、安堵した。

 自分もまた本を戻し、そのまま、棚板に手を突いてうなだれる。
 切り捨てる。
 そう言ったビュウの目は本気だった。だからパルパレオスは悟った。悟らざるを得なかった。
 パルパレオスがカーナ王宮にいられる、本当の理由。それは決して、女王ヨヨの庇護を受けているから、ではない。
 利用価値があるからだ。今は、まだ。
 それを今更ながらに痛感する。そんな事にすら想像力が及ばない自分の、そう、文字通りの愚かさに、脱力しながらも自然と苦笑が浮かぶ。
 彼はきっと、パルパレオスに有用性を見出さなくなった瞬間、切り捨てるだろう。顔色一つ変えず。眉一つ動かさず。それこそ、溜まった埃を部屋の外に掃き出すのと同じくらいの何気なさで。
 利用価値。その、細くすり減っていく命綱で、パルパレオスは今、生かされている。
 その危うさと、まだ命が繋がっているというこの現状に――彼はただ、安堵の息を漏らしたのだった。


 この翌日、幾人かの高位文官が暗殺未遂と不敬罪の容疑で拘束された。
 更に翌日、後任人事が発表された。
 高官の拘束に動揺した王宮は、人事異動の渦に翻弄され、五日後には平静を取り戻した。
 ――拘束された高官がどこに行ったのか、を知る者は、少ない。

 それらの騒動を見納めたパルパレオスは、ふと、思い出す。
 釣り針は、ビュウ。
 餌は、パルパレオス。
 釣りをしたがったのは――ヨヨ。

「……ヨヨ」
「なぁに、パルパレオス?」
「もしかして――」

 全ては、お前の企みなのか?
『釣り針』のビュウではなく、釣りをしたがった――『釣り師』だったヨヨの。

 十日近く前のように、ヨヨは白いテーブルクロスとティーセットの向こうで無邪気に微笑んでいる。
 そう。ただ、微笑んでいる。

「――いや、何でもない……」
「変なパルパレオス」
 クスリと笑って、ヨヨは焼き菓子に手を伸ばす。
 燦々と日の光が降りしきる午後。春も間近なのどかな昼下がり。

 なべて世は事もなく。

 その危うさと、それを保つために払われる代償に、パルパレオスはただ戦慄した。

 

 


 以上、神無月香様からのリクエスト、「ビュウとパルパレオスをセットで」でした。
「毒舌を駆使してパル公をノしてやってくれ」との事でしたので、毒舌を駆使させました。

 ……ごめんなさい。一部下ネタ満載です。
 まったく、ビュウってば何て事口にしてんでしょうねっ!(お前が言わせたんだろ)

 で、蓋を開いてみれば簾屋大好き陰謀ネタ。
 しかも、案の定黒幕ヨヨ様。
 すみません。ビュウにパルと来たら、ヨヨ様で締めないと駄目みたいです、私。
 おまけに相変わらずパルさん不遇。ごめんねパルさん。私は貴方の事、いじくりやすいから好きだけど、うちのビュウってば本当に嫌いらしいんだ。


 神無月香様。
 リクエストをくださり、ありがとうございました!
 こんなSSになってしまいましたが、よろしければもらってやってくださいませ!

 

 

 

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