朝起きたら、どうにも熱っぽかった。
連日の疲れが出たせいで風邪を引いたか、と思い、薬棚を開けてみた。
空っぽ。
そして彼は、叫んだ。
「フレデリカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
バタバタバタッ、と足音がした。
「貴方っ、どうしたの――」
背後から声。振り返る。
慌てた様子の妻は、しかし、薬棚を開けた姿勢のまま見つめる夫の姿を見て、一気に顔を青ざめさせる。
その様子で、ビュウは、自分の直感が正しかった事を知る。
「……フレデリカ」
「は、はい?」
呼びつけた時とは打って変わって静かな呼び掛けに、フレデリカの応答は何故か上擦る。が、ビュウは気にしなかった。
「……俺はな、風邪薬をな、飲もうと思ったんだ」
「え、えぇ」
「でな、確か薬棚にあったはず、と思って開けてみたんだ」
「え……えぇ」
「でもな、なかったんだ」
「え……え、え」
「フレデリカ」
相槌を打つ度に顔を明後日の方向に向けていくフレデリカ。ビュウは、直裁に問うた。
「また、飲んだな?」
「…………」
「飲んだんだな?」
「……………………」
フゥ、と吐息を一つ。
そして、絶叫。
「ちょっと体調が悪いからっていちいち風邪薬を飲むなと何度言わすんだお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
しかしフレデリカも負けじと言い返してくる。
「だってしょうがないじゃないっ! 飲まないと治らないんだものっ!」
「飲んで治すな寝て治せと俺は何度言ってきた!?」
「寝て治るような体だったらとっくの昔に私は健康になってるわよ! 私がどれだけベッドに臥せってたと思ってるのよ貴方は!」
「だったら動け! 体動かして鍛えて治せっ!」
「無茶言わないで! それが出来ていたらそれこそとっくの昔に治ってるわよ!」
「やったのか!? 本当にやったのか!? やってないだけだろお前の場合!」
「昔は戦闘中にでも倒れてたの忘れたの貴方って人は!」
「戦闘と運動は別だろうが!」
「同じよ!」
「違う!」
かくして――
夫婦喧嘩は、冷戦を迎える。
犬も喰わない
「……とまぁ、そういうわけなんだ」
と。
眼前に立つ彼女の騎士は、くはぁっ、と大きく溜め息を吐いた。
背中を丸め、肩を落とし、暗い表情で深々と嘆息するその姿は、とても救国の英雄、カーナが誇る大将軍の姿とは思えない。
そんなビュウに、執務卓に着くヨヨは、同じように深々と嘆息する。
「……つまり」
パッと顔を上げるビュウ。こちらの言葉に一筋の光明を見出そうとしているその顔を半眼で見据えながら、告げる。
「クビになりたいのね」
「誰がそんな事言った」
すかさず突っ込んでくる。それに対しヨヨは言った。
「だってビュウ、貴方、夫婦喧嘩が長引いて仲直りのきっかけが掴めなくて仕事に身が入らなくてミス連続?」
と、肩を竦めてかぶりを振る。それから、今度ははっきりと睨みつけて、
「馬鹿言ってんじゃないわよ、この給料泥棒」
「誰が給料泥棒――」
「給料分もろくに仕事もしない武官なんて給料泥棒以外の何者でもないでしょうが」
すると、ビュウはうっと呻く。
そこを、ヨヨは更に言い募った。
「大体ね、貴方、何ですって? 夫婦喧嘩? 原因はフレデリカの服薬量? 貴方ね、仕事中に惚気るのもいい加減にしなさいよ。こっちはそんな話聞きたくて貴方を呼んだんじゃないのよ?」
「誰がいつ惚気て――」
ベシッ。
執務卓に手を突いて身を乗り出しかけたビュウの額を、ヨヨは無言のまま、彼が提出した書類(ミス多数)で叩いた。
「それは確かにね」
叩かれ、咄嗟に顔を手で庇った彼に、淡々と言うヨヨ。
「とっととフレデリカと結婚しろ、と貴方に発破を掛けたのは私よ? でもね――」
睨む。
ようやく手をどけたビュウの視線とかち合って、彼は少したじろいだようだった。
「腑抜けろ、なんて一言も言った覚えはないわよ」
ビュウは、渋い顔をした。
そもそもこの男は、殊自分に関する事には煮え切らない性質がある。
フレデリカと付き合いだし、結婚まで秒読み段階、となってからも、それは変わらなかった。
いつまで経っても結婚に踏み切れないビュウの尻を蹴ったのは、ヨヨ自身。
――ヨヨは、結婚しないと決めた。
夫を作らず、一生を独身で過ごすと決めた。
だったらせめて、結婚して子供を作って家庭を築いて、という普通の、ごくごく平凡な幸せをこの右腕が手に入れるのを、見届けてもいいではないか?
そんな思いでけしかけたわけだが――
(まさかここまで惚気られるなんて)
大誤算だ。
思わずヨヨは額に手を当てた。
別に、人の惚気を聞くのが嫌いなわけではない。ヨヨも一応は女、人並みにそういう浮いた話は好きだ。以前は同年代の娘とそういう話で盛り上がりたくて、その時傍にいたフレデリカに水を向けて、あぁそういえば彼女がこの朴念仁に惚れてるって知ったのその時だったわね――ではなくて。
ビュウという男の器を量り損ねた。付き合いの長さだけでこの男を過信しすぎてしまった。そんな、うっかり目を曇らせてしまった己の不甲斐なさに、溜め息ばかりが漏れていく。
そこで改めて、執務卓を挟んだ向こうにいるビュウに視線を向けた。居心地悪そうにしている腹心。
「……公私混同が大嫌いな貴方は一体どこへ行ったのかしらね」
「いや、今も大嫌いだけど」
答える声はばつが悪そう。尻すぼみになる語尾に、ヨヨは心がザワザワとするのを覚えた。
女王として執政に当たるようになってからはしょっちゅう覚えるその感覚。頬杖を突き、空いた方の手の人差し指でトントンとしきりに机を叩く。しかしそんな事でその心のザワザワが消えるはずもなく、ビュウのウジウジした表情で更に強くなっていく。
あぁ、まったく。
ビュウ相手に苛立つなんて、こいつが結婚を決意する直前以来ではないか?
トン!
一際高く机を弾くと、ヨヨはその眼を更に険しく鋭く細めて、低く、そして静かに言葉を紡いだ。
「ビュウ?」
「は、はっ」
こちらの声音からただならぬものを感じたか、彼はようやく背筋を伸ばした。頭のてっぺんから伸びた一本の糸で天井から吊り下げられているような、そんな直立不動ぶりだ。
よろしいよろしい。内心で満足感を得ると、それとは裏腹に表情には更に苛立ちを含めて、言い放つ。
「今から三十分だけ、公務を離れなさい」
「……は?」
「そして、その三十分間で、今から私が言う事を実行してきなさい」
「……あの、ヨヨ――女王陛下?」
「さもないと」
と。
戸惑いの表情のビュウを、それこそ長剣で一刀両断するつもりで(いや、やった事ないが)強く強く睨みつけ、
「懲戒免職、不名誉除隊、それだけでなく、貴方が持つ国債の全てを女王権限で失効させます」
その瞬間。
ビュウの表情は一気に強張り。
血の気が引き。
ガクンと顎が落ち。
椅子の背もたれに体重を掛け、腕を組み、胸を張って、顎を傲然と上げて、ヨヨは座りながらも、自分より高い位置にあるビュウの顔を、はっきりと見下ろした。
それからふん、と鼻息一つ。
「やってこい、というのは――」
その全てを聞き終えたビュウは、絶叫した。
フレデリカはその時、医務局に併設されている薬坊で薬棚のチェックをしていた。
棚から一つの瓶を取り出し、ためつすがめつ見る。暗い緑色のドロリとした液体が底の方に僅かにしか残っていないその瓶を手に取ったまま、フレデリカは溜め息を吐く。
薬のおかげで、熱っぽさと吐き気と節々の痛みはない。だが、倦怠感はまだ取れない。
(これは……ちゃんと休んだ方が良いわね)
要補充、と頭の中の薬品リストにチェックを入れて、彼女は一旦、薬棚をあさる手を止めた。
後悔や罪悪感は、体のだるさに突き動かされるようにして、フレデリカの心の中を駆け巡っては溜め息を吐かせる。
夫婦揃って激務である。
軍拡・軍縮論争の中、カーナ軍で五指に入る要職に就く者として己の職務に奔走するビュウ。
一方でフレデリカは、宮廷魔道士団に属しながらも、プリーストとして医務局に出向し、日々患者の治療に当たっている。しかも彼女は、その豊富な薬の知識を買われ、王宮の薬のほとんど全てを掌握する事となった。
医師たちの診断に沿って薬を調合し、処方し、時には自ら王宮内の薬草園に出て栽培状況を確かめ、薬の在庫に気を使う。中には匙一杯分で人を死に至らしめる劇薬もあるので、管理には神経をすり減らす。
つまり――
(体調を崩したのは、貴方だけじゃないのよ……ビュウ)
仕事量ではビュウの方が圧倒的に上回っているが、体の弱さを考えると、日々の仕事の負担は、フレデリカの方が上回る。
ましてビュウは軍人で、戦竜隊の長。事務仕事ばかりと言うが、練兵場での訓練には可能な限り参加している。体力は、衰えるどころか最盛期を維持と言うか増強するばかりと言うか。
一方でフレデリカは、元々体が弱いせいで、体力がない。出仕する前よりかはあるが、大した違いはない。
同じように風邪を引いても、そこから先はまるで違うのだ。
とはいえ、
(でも今回は……私が、悪いのかしら)
先日の朝の事を思い出し、陰鬱に溜め息を吐く。
まさかビュウまで風邪を引いているなんて、思いも寄らなかったのだ。もし気付いていれば、薬を全部飲む、なんて事はしなかった。
「……駄目ね、私――」
「何あんた、まさかそれ飲もうとか思ったの?」
「違うわよっ!」
と、反射的に突っ込んで。
突然興奮した事で頭がクラクラした。いつの間にか隣にいた声の主はあららと無感動に言って、
「なぁに、また調子悪いの? それでその薬はちょっとマズいんじゃない? だってそれ」
横手から伸びた手がフレデリカの手から粉末の入った瓶を奪って、ラベルをこちらに見せる。
「劇薬だし」
「だから飲まないわよ!」
再び怒鳴って、顔を向ける。
そこにいたのは、フレデリカよりも二つほど年長のプリースト。彼女はつまらなさそうにフレデリカに突きつけた瓶を棚に戻して、
「なぁんだ」
「何が『なぁんだ』よ、ディアナ!」
するとディアナは、決まってるじゃない、と前置きする。
――フレデリカの胸中に、嫌な予感がかすめていった。
「あんたが暗い顔するところにネタあり、ってね。――で」
棚からこちらに戻ったディアナの顔には、何か企んでいるような、含みのある笑顔があった。
「一体どうしたの? ん? お姉さんに全部話してごらん。何が『駄目ね、私』なのよ」
「ん……実は――」
言い掛けて、はたと気付くフレデリカ。
ニコニコと、それは嬉しそうに、ディアナはこちらの言葉を待っている。
その笑顔を半眼で見やりながら、フレデリカはコホン、と咳払いして、
「って、貴女に話すと途端に王宮中に広まるから話さないわよ」
ディアナとは、出仕した頃からの付き合いである。いい加減学習もする。
「大体こんな話、ヨヨ様に伝わったら――」
「そこでフレデリカの口からヨヨ様の名前が出てくる、って事は、大体がビュウがらみなのよねー」
「なぁっ!?」
ビクッ、と身を震わせて、ディアナに向き直るフレデリカ。
対する彼女はしたり顔の微笑。
「って言うかぁ、あんたが落ち込むネタのほとんど全てが、ビュウ?」
「いいいいいいいやああああああのそそそれそれそれはははは……――」
などと、ちょっとどもり気味で――ちょっと、いや少し、いや、かなり? ――弁解しようとするものの。
過去を思い返せば、答えはすぐに出る。
思いを寄せ始めた頃も。
思いを告げようか思い悩んだ頃も。
恋人になってすぐの頃も。
結婚する前も。
――あぁ、確かに私はビュウの事で悩んでばっかり! 他にも悩んでいた気もするのに、何でそれが思い出せないの自分!?
改めて自覚するその事実に思わず頭を抱える。
そんな彼女の耳に、ディアナの声が転がった。
「そんなあんたに、あたしは割りと前から言ってるけどね……素直になった方が、人生得よ?」
しみじみと放たれた言葉。何でこんなに含蓄があるのだろうか。場違いにも首を傾げる。
そんな疑問をよそに、ディアナはだから、と続けた。
「せっかくだし、これからいつもより三割増くらいで素直になんなさいな」
フレデリカは、改めてディアナを見て――
その向こう。
廊下の方から医務局のこの薬坊に、ビュウが飛び込んできた。
息を切らせた彼は、ちょうど立ち塞がるような形で立っているディアナを見て、少し具合の悪そうな表情をする。それを見た彼女はケラケラと笑って、
「はいはい、気にしなくてもお邪魔虫は退散するわよ」
と言ってから、不意にフレデリカの耳に唇を寄せた。
「……後で、聞くから」
一方的に宣言して、答えを待たずにそそくさと薬坊を出る。一歩引いて入り口を譲ったビュウは、走り去る彼女の背を目で追い掛け、
「……今、何言われた?」
「……後で聞く、って」
「……適当に、流しとけよ」
「……もちろん」
答えてから、フレデリカははたと気付く。
そういえば、自分たちは今、喧嘩の真っ最中だった。
思い出し、表情を渋く、居心地悪そうに歪ませる。視線を彷徨わせてはみるが、視界の端にはビュウをしっかりと捉えていて。
ビュウも似たような顔で似たように視線を彷徨わせている。
あぁ、そういえば夫婦って似るのよね、とほのぼのとした事を場違いに考えながら、フレデリカは、彷徨わせていた視線を、ディアナに代わって眼前に立つ形となったビュウに向けた。
というのも。
ビュウは渋くそして嫌そうな顔で何やら腕を組み。
ウンウン唸った挙げ句に首を傾げて身を反らせる事数度。
最終的にバッ、と床に顔を向けたかと思ったら、何やら何度も何度も大きく深呼吸。
そんな奇行に出られたら、相手が夫であってもなくても、思わずギョッと注視してしまう、というものだ。
「あ……貴方?」
大きく上下するビュウの背中。フレデリカの目の前に突き出された彼の後頭部に、彼女は恐る恐る手を伸ばして。
ガバッ。
「ぃよし覚悟は決まったぁぁぁぁっ!」
「ぅひゃあっ!?」
わけの分からない言葉と共に上体を唐突に起こしたビュウと、突然の事に驚いて伸ばし掛けた手を悲鳴と共に引っ込めるフレデリカ。
そして二人はしばし見つめ合い――ビュウは緊張しながらもきょとんとして、フレデリカは警戒心丸出しで、だが――、
「……どうしたんだ、フレデリカ?」
「そ……それは、こっちの台詞よ、貴方。って言うか、『覚悟』って何よ、『覚悟』って」
「いや、それはこっちの話」
ブンブンと己の鼻先で手を振るビュウ。しかしそれでもフレデリカは警戒を解かず、
「……それで、一体何の用なの。まだ公務の時間でしょ?」
問う声に棘がある。それを自覚して、顔には出さずに自分を責める彼女。まったく、何て可愛くない言い方だろう? 何の用かは知らないが、公務の真っ最中にも関わらず来てくれた夫に向かって、「一体何の用なの」だなんて。まるで彼の来訪を迷惑がっているように聞こえてしまうではないか――……まぁ実際、お互い仕事中だし、それほど歓迎したい事でもないが。だが言い方というものがある。こんな言い方では、いずれ愛想を尽かされて他の女になびかれて捨てられて自分は一人寂しく以前のように薬を友とした余生を……――
「そんなの……そんなの嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「フ、フレデリカ!? 一体何がお前の脳内で起こった!? とりあえず脳内で物事を完結させるのはエカテリーナの特権だから侵害するのはやめておけ!」
ひぃぃぃぃ、と身をよじった彼女を慌てて押さえるビュウ。その言葉の途中でおかしな事を言っているが、まぁ、追究すべき事ではない。
ジタバタしていたところを、肩を押さえられる。フレデリカはゼェハァと肩で息し、とりあえず自分を落ち着かせてから、改めてビュウを見やる。
視線が合う。こちらの肩に手を置いたまま、彼はえーと、と言葉を濁して口ごもり、視線をツイと逸らす。
「……いや、その、な? まぁ……何だ、ヨヨの奴が、気を利かせたんだか面白がったんだか」
「え?」
何でそこでヨヨが出てくるのだ?
疑問に思う暇があればこそ。しかしビュウは、まぁとにかく、と口の中で小さく呟いて。
ギュッ、と。
肩に置いた両手を背中に回し、フレデリカを抱き締めた。
ビックリして体を強張らせるフレデリカ。
三日前の朝、風邪薬がないと言ってあれだけギャーギャー喚いたビュウ。その後彼は、フレデリカとろくに口も聞いていない。その立腹ぶりは、思い出すだけで腹立たしさと申し訳なさを胸に呼び起こす。
しかし、今はこれ。一体どういう心境の変化があったのだろうか。
「えーと、な?」
と。
ビュウは耳元に囁く。いつもとはまるで違う、歯切れの悪い話し方。まるで言い訳をしているみたいだ。
「この間の事は……俺が、悪かった。つい、イライラしちまって」
じんわりと、ビュウの腕から、胸から、その温もりが伝わってくる。固くなった体から余計な力を奪っていくその温かさに、フレデリカは心が静まっていくのを感じる。
「お前の体の弱さとか体力のなさとか、分かっていたはずだったのにな。あんな風に、怒鳴る事なかったな。本当に、俺が悪かった。ごめんな」
フレデリカは目を閉じる。ビュウの心音が聞こえた。
あぁ、と彼女は思い知る。どうしようもないほどに。
この腕。
この胸。
抱かれるだけで、こんなにも安らげるなんて。
怒りもわだかまりも簡単に捨てられるなんて。
やっぱり私はこの人が好きだ。
だから――
「……ううん、貴方」
彼の腕の中で、小さくかぶりを振る。ビュウがえ、と声を漏らした。
「私も、悪かったわ。貴方の体調の事も考えないで、自分の事しか考えないで……」
ビュウと結婚して、やっと一年かそこら。これまで大きな喧嘩もしてこなかったから、失念していたのだ。フレデリカも、多分、ビュウも。
結婚する、という事。
全くの赤の他人と家庭を築く、という事。
それは、相手を思いやらなければ成立しないのだ。
「ごめんなさい、貴方」
「俺も、ごめん」
ただ、とビュウは続けた。
「薬の飲みすぎは気を付けてくれ。あんまり体に良くないだろ、あれは」
と、言葉を切って。
少しの逡巡を見せてから、彼はフレデリカの額に唇を落とした。
体の頑強さとは裏腹に、その感触は驚くほど柔らかい。くすぐったいそれに思わず目を丸くする彼女の耳に、ビュウは再び囁いた。
「……やっぱり、お前の体が心配だよ」
フレデリカは、どうしようもなく嬉しくなった。
素っ気ない物言いだった。ぶっきらぼうにも聞こえた。
だが、その言葉と来たら!
決まりきった愛の言葉よりも、彼が本心から絞り出したその気遣いが、今は嬉しくて嬉しくて仕方がない。
クスクス、と彼女は笑った。
どうしたのか、とこちらの顔を覗き込もうとする夫の視線から逃れるように、その胸に顔を押し付ける。
彼は少し驚いたようだったが、すぐに妻の笑いが伝染した。
抱き合ったまま、二人は気が済むまで笑っていた。
こうして、夫婦の冷戦は終結を迎える。
――が。
後で聞く、という宣言を一方的に翻して一部始終を覗き見していた某噂好きのプリーストによって、その顛末が王宮中に知れ渡る事となる。
それを耳に入れた女王は、
「馬鹿ねぇ」
と笑いながら、自分の腹心の仕事量を著しく増やし、かつ、この一件を書記官に命じて年代記に記させた、とか。
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