――事の発端は、今日の朝方だった。
『クルーたちが、地下の倉庫で異臭がする、と言ってな。後で様子を見てきてくれ』
「……なぁ、トゥルース」
「何です、ラッシュ?」
「俺たちは、雑用か?」
「一応、戦竜隊のナイトのはずですが……それが何か?」
「だったら」
と。
固く閉ざされた錆びた鉄製の扉を前にして、ラッシュが唸り声を上げる。
「何で雑用係がやるような仕事が、俺たちに回って来るんだ?」
「さぁ……」
生返事を返すトゥルースだが、答えは予想ついていた。同じ問いを、あの、二歳しか歳が違わないはずなのにずっと歳上のように思える彼らの上官にすれば、きっと、いや確実に、こう返ってくる。
『お前らなら人件費が掛からないから』
あの人のあの吝嗇家(りんしょくか)ぶりは一体どこで醸成されたのだろう――長年持ち続けてきた疑問を改めて反芻してみるが、そんな事で答えが出るはずもない。
ともあれ。
「……まずは、開けてみます?」
「……そうだな」
どことなく嫌そうな様子で、しかしラッシュは頷いた。それからトゥルースと顔を見合わせ、一つ頷くと、扉の把手に手を掛ける。
開ける。
ギギギギィ……――――
そして二人は見た。
部屋の中、暗闇が支配するその空間。暗がりにうっすらと浮かび上がる、床と言わず壁と言わず、部屋全体に群生した謎の極彩色キノコの山を。
その中で屈み込んで何やら作業していた手を止めてラッシュたちを見る、彼らの兄弟にも等しい友、ビッケバッケの姿を。
――――……バタン。
ラッシュは問答無用に扉を閉めた。
極彩色キノコは資本主義の夢を見るか
しかし、閉めたはずの扉は、間髪入れずにまた開いた。
「――――っ!」
トゥルースは声なき悲鳴を上げた。隙間から伸びた手が、ラッシュとトゥルースの胸倉を掴み、倉庫内へと有無を言わせずに引っ張り込む。
バタン、と背後で自然に扉が閉まる音を戦慄と共に聞きながら、トゥルースは、ラッシュと並んで震えていた。部屋が寒い――わけではない。むしろ生ぬるい。だが、それが余計に寒気を招いた。
生ぬるい空気と、かび臭さにも似た異臭。それらに吐き気すら覚えながら、それでもトゥルースは思考をめぐらせる。ここは、一体――
「……見たね」
ひっ――隣から息を飲む音。悲鳴にも聞こえるそれは、言うまでもなく、ラッシュが上げたものだった。闇に慣れ始めた目が、引きつり青ざめた親友を捉えている。
しかし、表情についてはトゥルースも同様だった。背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。寒くもないのに鳥肌が立っている。
その全てが、二人の眼前に立つ、ビッケバッケによるのだ。
「見たね……見ちゃったね、僕の、秘密」
「ビ、ビ、ビケ、ビケ、ビッケ、バッケ?」
「必死で隠してたのに……アニキにも、二人にも、ばれないようにしてたのに……――」
ビッケバッケの声は、あくまで静かだ。
表情も、平静そのもの。眉間にしわを寄せているわけでも、眦(まなじり)を吊り上げているわけでも、もちろん肩をいからせ歯をむいて唸り声を上げているわけでもない。
だというのに、何故こんなにも戦慄を覚える?
その理由は一つだった――声にも顔にも、感情が一切欠けているのだ。
無表情。淡々とした声。
――これがビッケバッケ?
そして次の瞬間。
「お願い、ラッシュ、トゥルース!」
ガバッ、と。
ビッケバッケは突然、大小様々なキノコに覆われた床にひざまずき、二人に向かって土下座した。
「お願いだよ! お願いだから……アニキには、アニキには言わないで! お願い!」
「……へ?」
「……えーと、あれ、ちょっと、ビッケバッケ?」
「お願いだよ……僕の、一生のお願いだよ! 今回だけは見逃してくれよぉぉっ!」
言葉の最後の方が涙混じりなのに気付いて、トゥルースはラッシュと顔を見合わせる。
先程までの戦慄はどこへやら。すっかり毒気の抜かれた二人は、ポカンとした表情で互いに見つめあい、
「あー……とにかく、な。土下座なんて、やめろよ、ビッケバッケ。な?」
「そうですよ。ほら、起きて。一体どういう事なのか、私たちに教えてください」
とりあえず、二人揃ってビッケバッケの傍にしゃがみ込み、彼をどうにかこうにか宥めて起こしたのだった。
お金が欲しいんだ。出来るだけ、たくさん。
「欲しいって、どれくらいですか? 一万ピローですか? 十万ピローですか? もっとですか?」
「出来るだけ……」
「まさかお前……このキノコで、そんな金額稼ぐつもりなのか?」
「……キャンベルの森で見つけて、売れるかなー、って……」
「売れるかな、って……――」
トゥルースは言葉を失い、部屋を再び見回した。
そもそも艦齢が百年を越えるファーレンハイト。どこに何があるか、艦長のセンダックですら把握しきれていない節がある。
だから、この部屋のように、船倉の片隅ですっかりと忘れ去られた部屋があるのは、まぁ、この際納得しておこう。
そして、おそらくヨヨをサウザーの手から取り戻す時に訪れたあのキャンベルの森林地帯で見つけたらしいキノコをビッケバッケがここで栽培に成功したその動機と経緯についても、友人のよしみで黙認しよう。
――だが。
「……ここにあるのは、どう見ても毒キノコだと思うんですが」
「そうかな。僕は食べられると思うんだけど……」
「いや、いくら食えるキノコでも、俺、これは食いたくねぇなー……」
言葉を濁しながらも指摘するトゥルース。未だグスグスと鼻をすすり上げているビッケバッケ。何だかんだとキノコをじっくりと観察して吟味しているラッシュ。
ともあれ話をまとめると――金策のために商売を始めようとしたビッケバッケが、商品にこれらのキノコを選び、隠れるようにしてその栽培に日々を費やしていた……らしいのだが。
「それで、ビッケバッケ?」
「何、トゥルース?」
「隊長にも秘密で、これをやっているんですか?」
「……うん」
「たった一人で」
「そうだよ」
「何でまた」
「何で、って……」
ビッケバッケが言いよどむ。それに首を傾げるトゥルースの横で、ラッシュがあぁそうだ、と今更思いついたように、
「そうだそうだ。お前、金なんて何に使うんだ?」
「それは……――」
床の上に直に正座したビッケバッケは、そう言ったきり押し黙ってしまった。顔を伏せ、折った膝の上で拳をギュッと握っている。まるで自分たちが苛めているみたいだ。
それを自覚して何となしに口ごもるトゥルースとは対照的に、ラッシュはイライラと、
「おい、どうしたんだよ」
「…………」
「おい」
「……………………」
「ビッケバッケ、てめぇ――」
「ラッシュ」
苛立ちが怒りに変わるその瞬間。
すんでのところで、トゥルースが割って入った。身を乗り出してビッケバッケに詰め寄ろうとしたラッシュの肩に手を掛け、引き戻し、
「そう、無理に聞くものじゃないですよ」
「だけどよ、トゥルース」
「とにかく」
尚も言い募ろうとする彼の言葉を強い語気で遮る。目を白黒させるラッシュを尻目に、トゥルースは改めてビッケバッケと向き合った。
「大金が、必要なんですね?」
頷くビッケバッケ。
「そのために、このキノコを栽培してるんですね?」
再びコクリと無言で頷く。
「で、大金が必要な理由は、私たちには話せないんですね?」
ビッケバッケは一度トゥルースに目を向け、潤んだ目に迷いの感情を浮かべていたが、しばしして、
「……うん」
「解りました」
トゥルースは吐息混じりにそう言った。その言葉にラッシュがギョッとした様子でこちらを見て、
「おいトゥルース、解ったって――」
「ビッケバッケがそこまで言うのなら、私たちは見なかった事にしましょう。ねぇ、ラッシュ?」
目を向けた先のラッシュは、トゥルースとビッケバッケと周囲のキノコの森を幾度も見比べていたが、
「同じカーナの下町で野良犬のように育った仲じゃないですか。一度くらい、目を瞑りましょう」
「……解ったよ」
とどめの一言に、ついにラッシュも折れたのだった。
「で、ビッケバッケ、これをどう売るつもりだ?」
「え……どう、って?」
「だから、色々だよ。誰に売るか、とか、どんな形で売るか、とか」
「うーん……」
「……おい、考えてねぇのか?」
無言のまま、しかし先程よりかはずっと軽く頷いたビッケバッケに、対するラッシュは呆れたようにガクリとうなだれた。
「マジかよ、おい……」
「売るなら、まずは値段を決めないといけませんね……。それはどうなんです?」
「百ピローくらいで売ろうかな、って……」
「百ピローですか……」
「そいつは相場より少し値が張ってないか?」
「なら、もう少し値段を下げた方がいいのかな?」
「というか、そもそも、毒キノコでどういうニーズに応えていくのか、の方が俺としてはすごく気になるんだが」
「確かに、それはありますね……」
「商売というものは需要があって成り立つものだからな。それを見極めない事には大損するぞ」
「じゃあ駄目じゃねぇか。毒キノコなんて誰も欲しがらねぇ――」
その時、全てが止まった。
思索に唸るビッケバッケの声も、販売戦略を練りだしたトゥルースの頭も、商品の全否定をしかけたラッシュの言葉も、何もかもが。
気付いたからだ。
三人の会話に加わった、新たな声を。
場当たり的なビッケバッケの商売の構想に、余りにも的確な問いを投げ掛け、明確な形へと導いていった、淡々とした声を。
それが闖入者のものだとはまるで気付かないくらい、三人の耳に余りにも慣れすぎてしまった声を。
ビッケバッケが勢いよく顔を上げ、ラッシュとトゥルースはバッと肩越しに背後を見やる。
キノコ栽培場と化したこの部屋の、入り口。
「ビ、ビビ、ビュウっ!?」
「た、隊長!」
「あああああアニキぃぃぃぃぃぃっ!」
「よぉ」
彼らの上官、兄貴分たるビュウが、まるで廊下ですれ違った時のような何気なさで、ヒョイと手を上げた。
「それにしても、すっかりキノコまみれになったな。どうしたもんか……」
「な、な、何でここに!?」
「私たちに任せてくれたんじゃなかったんですか!?」
「あぁ、いやな」
狼狽するラッシュとトゥルースの問いに、やはりビュウは少しも動じず、明日の天気は何だろうか、とか、そんなどうでもいい質問に答えるような気のない口調で、説明した。
「さっきクルーから聞いたんだが、ビッケバッケ、お前がここに入っていくのを見たらしくてな。で、もしお前がこの倉庫の異臭と関係している場合、ラッシュとトゥルースじゃ情に流される可能性が高いから、俺が直接来た、と」
情に流される。
(耳が痛い……)
まさにそうだった。トゥルースはうなだれる。
「で、見たところ案の定、といった感じだが……」
再びビュウが周囲に目を転じた、その時だった。
「ビュウ、見逃してくれ!」
ガバァッ、とラッシュがビュウの足元で土下座した。
「ラッシュ!?」
「頼む! そりゃ、確かにビッケバッケがやったのは規則違反だ! そいつは分かってる! でも……でもよぉ、こいつ、金が必要なんだよ! それも大金が! 今、俺たちはグランベロスと戦ってて、給料なんか入ってこねぇ……。だったら、自分で稼ぐしかねぇだろ!?」
彼は早口で、ビッケバッケの弁護を始めた。
ふとトゥルースがビュウを見上げれば、彼は目を丸くして足元のラッシュを見下ろしている。
「ビュウにも内緒で、なんてマズいのは、ビッケバッケだって解ってる。でもこいつの気持ちだって考えてくれよ。こんな時に金が欲しい、なんてお門違いもいいところだ。だから誰にも相談できなかったんだ。俺たちにも。なぁ、そうだろビッケバッケ?」
僅かに顔を上げたラッシュがビッケバッケを振り返る。彼の突然の行動に驚いたビッケバッケは、オロオロとしていながらも、それでも何とか頷いた。
「こいつだって反省してる。だからビュウ!」
「……確かに、倉庫をこんな風にしてしまった事については、ビッケバッケは相応の罰を受けないといけません」
「トゥルース!」
続いて喋りだしたトゥルースを、ラッシュが鋭く咎める。しかしトゥルースは言葉を止めなかった。
「ですが、キノコはもうこんなに栽培されてますし、これをすぐにどうにかする、なんて無理です。だったら、この分を売り切ってしまうまでここをビッケバッケの商品の管理倉庫として用いた方が、余程合理的ではないですか?」
ビュウは何も言わない。ただ黙ってこちらの言葉に耳を傾けている。
「これだけの在庫を売りさばくのは、確かに困難です。そして、私たちは商売については素人同然です。ですが、毒なら毒で、需要はあるはずです。例えば薬屋に提供すれば、このキノコを研究して、この毒に対する解毒剤や、あるいは全く違う薬を開発するかもしれません。そういうところを開拓していければ、むしろ独占市場を築けるのではないか、と私は睨んでいます」
「トゥルース、お前……」
「うわぁ、さすがトゥルース! 言ってる事が難しいよ!」
「ばかやろ、俺たちゃ理解してる、っつー面してりゃいいんだ!」
後ろでゴチャゴチャと二人が喚いていたりするが、この際無視。
「ですから隊長、私たちに時間をください。私たちが責任を持って、これだけの在庫を売りさばいてみせます! それがなるまで、どうか見なかった事にしてください!」
そう言い終え、トゥルースもまた頭を下げた。それを見たラッシュとビッケバッケが、遅れて頭を下げる。
さぁ、ビュウは何と反応してくるか――
待ち構えていたら、ふぅ、というどことなく疲れた吐息が聞こえた。
「……俺はそんなに人の話を聞かない極悪人に見えるか?」
その言葉は余りにも小さく囁かれたので、三人は同時に顔を上げ、
「「「え?」」」
「いや、何でも」
聞き返したら、ビュウはあっさりととぼけた。それからしばらく周囲のキノコを見回して、
「……五パーセント」
「へ?」
「キノコ販売による利益の五パーセントを、反乱軍の会計に還元する事。この倉庫の賃貸料代わりと思えば、そう高くもないと思うが」
「え? え? あ、アニキ、それって――」
トゥルースもまた、信じられない思いでラッシュと顔を見合わせた。
それは、つまり――
「――見逃して、くれんのか?」
「マテライトのオッサンだって、おおっぴらに商売やってんだ。もし幹部会議で問題になっても、そいつを引き合いに出せばどうにかなるさ。
で、どうする?」
こちらと目線を合わせるためにしゃがみ込んだビュウの表情は、先程から全く動いていない。まるで世間話をしているかのような、平凡な無表情。
だが持ち出されているのは――
三人は、再び顔を見合わせ、
「アニキ、ありがとう!」
「恩に着るぜ、ビュウ!」
「寛大な処置、感謝します、ビュウ隊長!」
「じゃ、早速だが」
ひとしきり礼を受け取ったビュウは、やはり表情を一変させないで、
「その辺にあるキノコを一山、後で甲板に運んでくれ。代金は反乱軍の会計から。――あ、一応領収書は切れよ。反乱軍で買うんだからな。切り方は後で教えてやるから」
倉庫の壁際一帯を適当に指差して、彼は立て続けに告げる。
つまり、最初の客。ビッケバッケは感動してしきりに了解の意を伝えていたが、トゥルースはラッシュと疑問符を浮かべた顔を見合わせていた。
次の日。
甲板に出たら、戦竜六頭全てがうにうにになっていた。
しかも中途半端な変化で、増殖した顔がえらく不気味で皆怖がった。
その日の昼過ぎに起こったグランベロス軍との小競り合いで、ビュウはうにうに化した戦竜たちを適当に突っ込ませていた。戦竜の不気味な姿に、グランベロス軍は大して干戈(かんか)を交えもせずに撤退していった。
それが中途半端なうにうに化の狙いだった――かどうかはさておき。
これに気を良くしたビュウが、ビッケバッケの毒キノコの大口顧客となった事実は、最早言うまでもない。
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