「あの、隊長」
「ん、どうした?」
振り返ると、トゥルースは練兵場のすぐ横を通る渡り廊下を指差し、
「バルクレイ殿が、相談がある、と」
大理石の屋根の下で、軍服姿のバルクレイがビュウに向かって手を振っていた。
まるで、この空が落ちるような
「悪い、新人の訓練の真っ最中に」
渡り廊下に上がったビュウに、バルクレイはまず頭を軽く下げた。手拭いで汗を拭きながら、
「まぁ、いいけどな」
と答えて、ビュウは視線をバルクレイから練兵場の中央に向ける。
「どうだよ、戦竜隊の新人は」
「例年通りだ。嘆く気力もない」
「相変わらず手厳しいなぁ、君は」
肩を竦めたこちらに、しようのない、とでも言わんばかりに笑うバルクレイ。その彼に、
「お前のところは?」
「……戦前の君の気持ちが少しは解る。あれじゃ、確かに有事には役に立たない」
ビュウの問いに答えた彼の顔は、この一年近くの戦いの中で戦士として成長できたためか、随分と精悍な厳しさが増した。
あの、カーナ防衛戦当時からは考えられない変化に、ビュウは微妙なニュアンスの笑みを浮かべた。
ビュウとバルクレイは、同期入隊の間柄である。
カーナ軍の慣例では、新入隊員はまだ各部隊ごとに別れず、起居を共にして訓練する。それは半年間続くのだが、その半年の内に適性が見極められ、騎士団なら騎士団へ、戦竜隊なら戦竜隊へ、それぞれ配属が決まる。適性なしと判断された場合は、何かしらのコネを使わない限り、強制的に除隊させられてしまう。
二人は、この半年間――適性期間の訓練でよく組まされ、それが縁で付き合いを始めたのだった。
入隊から半年後、ビュウは戦竜隊へ、バルクレイは騎士団へそれぞれ配属されたが、付き合いはずっと続く事になった。あのカーナ防衛戦を経て、反乱軍として蜂起し、ついに祖国解放を成し遂げ、それから一ヶ月近く経った今でも。
「……で、バルクレイ?」
「何?」
「俺に相談、って何だ?」
ようやく本題に入って単刀直入に聞いてみれば。
「――あのですね、ビュウさん」
「って、何でいきなり口調が丁寧になってるんだよ」
「いや、まぁ、癖なもんで」
と、後ろ頭を掻くバルクレイ。
いわゆるところの青春時代とやらを軍で過ごし、かつ、ビュウが同期のバルクレイを追い越してどんどん昇進していってしまったためか、バルクレイには上官であるこちらに対する遠慮がある。改まるとそれが表に出てきて、つまりはこうやって友人に対するものとは思えない口調に変化するのだ。
そしてビュウは、経験則から知っている。
バルクレイがこうやって改まる時は――
「例えば、の話なんですけど……」
「おぉ」
「例えば、ビュウさんに、気になる女の子がいたとしますね?」
「……おぉ」
頭に浮かんだのがとある病弱プリースト嬢だったりするが、それはさておき。
「まぁ、人の人生なんて色々ありますからね、その子には当然、その……む、昔、付き合っていた、お……男、が、いたとしますね?」
「……おぉ」
続く空想の中で、件の病弱プリースト嬢の腰を抱いて「ハッハッハ」と朗らかに笑う男のシルエットが浮かんで何だかそこはかとなくムカついたりするのだが、それはさておき。
「それで、その子はもしかしたら……その男と、まだ付き合っているかもしれない」
「……おぉ」
空想は更に展開し、男(シルエット)と彼に抱き寄せられた病弱プリースト嬢はこちらにさっさと背を向け去っていき気分ははらわたが煮えくり返る感じなのだが、それはさておき。
「ビュウさんなら、そういう時……どうします?」
とりあえず、今の感情だけで即座に行動するなら、その男をまずぶん殴りたい――ではない。
「あー、バルクレイ?」
「はい?」
「今の話を聞いていて、ちょっと思ったんだけどな」
「何でしょう?」
「……ところで、いい加減その丁寧語やめろ。俺たち何年の付き合いだ」
「入隊してからですが、癖なもんで、勘弁してください。
それで、思った事とは?」
「あぁ、そうだ。
お前の話じゃ、その男とはまだ付き合っているかもしれない?」
「はい」
「何で推量なんだ?」
「いや、それは……――」
と。
言葉を濁し、ついには顔を伏せて黙りこくったバルクレイを見て、ビュウはその理由を察した。
「要するに」
顔を更にしかめ、片目を閉じ、中途半端に開けた目でバルクレイを見つつ、右手の人差し指で苛立たしげに額をコツコツと叩きながら、今のやりとりから得られる結論をズバッと口にする。
「確認してないんだな?」
「…………」
「だったら話は早い。まずは確認しに行けよ。告白してモノにするか、それとも諦めるか、あるいは分かっていて玉砕してみるか――男がいるかどうかを確認してから決めても、遅くはねぇよ。
さぁ、分かったらとっとと行け。アナスタシアならさっき、エカテリーナと一緒に図書館に行ったぞ」
そう言った瞬間、バルクレイが伏せていた顔をバッと上げた。
案の定、その顔は茹でダコのように真っ赤っ赤。
「だっ、だだだだだ誰が、あ、あ、あ、あんな、チビウィザードを!?」
「何だ、違うのか? お前がそういう話をする時は、大抵アナスタシアの事だと思ったんだが」
「ちちちち、ちが、違う! それは断じて違うっ! ぼ、僕は、あんなチビウィザードの事なんて何とも思っちゃいない!」
「じゃあ、今の話は一体何だったんだよ」
「そ……それは、ただ、その――
ビュウ! 君はどうなんだ!」
まるで天啓を得た、とでも言いたげに、顔を輝かせてこちらに人差し指を突きつけては問いただしてくるバルクレイ。ビュウは、呆れ混じりの溜め息と共に突きつけられた人差し指をどけて、
「お前と違って順調だ。
大体、アナスタシアに昔の男? 誰だ、そんな事言ったの」
「君の彼女に決まってるじゃないかぁぁぁぁぁぁっ!」
「何でそんなのが決まってんだ……って、フレデリカが?」
「そうだ! ヨヨ様の戴冠式の夜に行なわれた夜会で、ウィザード連中がいなかっただろう! その時に――」
曰く。
夜会当日、警備もかねて大広間に詰めていたバルクレイは、アナスタシアを初めとするウィザードたちの姿がまるで見えない事に気が付いた。
エカテリーナやネルボはともかくとして、メロディアやアナスタシアなんかは張り切っていそうなものである。予想とは違う現実に疑問を抱いた彼は、ちょうどすぐ近くにいたディアナとフレデリカに尋ねてみた。
すると、
「さぁ? あたしは何にも知らないけど?」
「私も。……あ、でも」
「何? フレデリカ、心当たりあんの?」
「夕方頃にアナスタシアと会って、夜会に出るかどうか、って聞いたけど……何か、先約があるから、って」
「先約ぅ? アナスタシアが?」
「そう」
「カーナに戻ってきて早々、ねぇ……。一体いつの間に先約なんて作っといたのかしら」
「ここのところ忙しかったから、そんな暇なかったわよね? だから、もしかしたら……戦前に付き合っていた人との約束、とか」
「おぉ〜、だったらアナスタシアってばやるぅ〜っ!」
盛り上がるディアナの横で、バルクレイは凍りついていた。
ちなみにその「先約」の答えは、「マテライトの依頼による魔法花火」だったのだが――
「そりゃ単に彼女の当てずっぽうだろ」
「そうだけど……でも、もしかしたら、って考えられるじゃないか!」
「……空が落ちる事を心配してどうする」
「はぁ? 何だよ、それ」
「ことわざだ。それくらい知っとけ。
――で?」
と問うと、バルクレイは急に勢いを失い、呆けた顔で、
「……へ?」
「だったらどうするんだ?」
「……どうする?」
「だから、もしアナスタシアに昔の男がいて、今も付き合いが続いていたとして。だったらお前はどうするんだよ」
「だ、だから、別にあのチビウィザードの話じゃ――」
この期に及んでまだそんな世迷言を言うか。
が、いい加減付き合うのも疲れたので、ビュウはとっとと話題を打ち切る事にした。
「なら、それこそ『例えば』の話でいい。
例えば、お前に好きな女がいて、その女にはもしかしたら昔の男がいて……――で、お前は結局どうしたいんだ?」
「……………………」
バルクレイは不意に押し黙る。
「一番重要なのはそこだろ。解ったら――」
「――解った、ビュウ」
顔を上げるバルクレイ。
その表情は、何かしらの決意で引き締まっていた。
「色々聞いてくれてありがとう。じゃあ」
と。
片手を上げて挨拶に代えた彼は、クルリと踵を返し、いつもからは考えられないほどの速さ――と言っても、ちょっと早歩きした程度だが――で去っていく。
その背中を見送って、ビュウは深々と溜め息を吐いた。
よく言えば慎重、悪く言えば臆病。
それが、バルクレイという男の性情だ。
しかし同時に、決断してしまえばためらう事なく突撃していく。ヘビーアーマーという兵種に相応しい気質ではあると思う。
(とはいえ……)
渡り廊下の手すりにもたれかかったビュウは、そのまま背中を大きく逸らして屋根の向こうの空を覗き込んだ。
遠く高く、青く澄んだ冬の空だ。
(空が落ちてくる事を心配してたら、身が持たねぇだろ)
まるで、この空が落ちるような。
そんな、根拠もなければ必要性もない、無駄な心配。
「隊長ー! そろそろ戻ってくださーい!」
「おーぅ」
練兵場からトゥルースが呼んでいる。それに手を振って答え、ビュウは渡り廊下から下りた。
今祈る事と言えば、あの友人が首尾良く行く事くらいだ。
図書館からお目当ての本を引っ張り出してきたら、帰る途中でバルクレイに遭遇した。
「……何よ」
「……いや、ちょっと」
「何?」
「あー……その、何て言うか――」
「ちょっと、何ゴチャゴチャ言ってんのよノロノロヘビーアーマー。相っ変わらずのろいわね」
「誰がのろいだとっ!?」
アナスタシアの軽口に、彼は簡単に反応した。
何やらモゾモゾ言っているからどうしたかと思ったが、うん、いつものバルクレイだ。何故かそんな事に妙に安心する。
と、
「……あ、ごめんね、アナスタシア」
少し後ろにいたエカテリーナが、何故か急に思いついたように声を上げた。
「私、大切な用事があったの。悪いんだけど、この本、持っていってくれるかしら?」
「――え!? ちょっと、エカテリーナ!?」
「ごめんねー」
抱えていた本(計、十冊)を、アナスタシアが抱える本の山(計、八冊)の上に遠慮なくドンッ、と置き、笑いながらエカテリーナは猛スピードで廊下の向こうに去っていく。残されたアナスタシアは、本の重みで体が傾ぎ――
「大丈夫か、チビウィザード」
そこを、バルクレイに支えられた。
「あ……ありがと」
「……ほれ、持ってやる」
と、彼はアナスタシアの手から本の山を奪った。こちらが抗議の声を上げる間もない。
「それで、どこに持っていけばいい?」
「……宮廷魔道士団の詰め所」
「なら、行くか」
そう言って、バルクレイは歩き出す。アナスタシアは出遅れてしまったが、それでもバルクレイの歩みはそう速くもないので、すぐに追いついた。
そのまま、二人揃ってノロノロと歩く。
アナスタシアは、ふと、窓の外に目をやった。
遠くに見える空には、雲が一つ。
ゆったりと、流れていた。
……何だか心が落ち着く。
いつも早足で歩き回っている時とは大違いだ。
「……ねぇ、バルクレイ」
「何だ?」
「ゆっくり歩く、っていうのも、いいもんね」
「……そうだろう」
バルクレイの答えは、何気ないようでいて、少しだけ誇らしげだった。それが気にならないでもなかったのだが、まぁ、今はいい。
そうやって、どれくらい無言で歩いたか――
「なぁ、アナスタシア」
「何?」
「実は、話があるんだけど……」
隣のバルクレイを見上げるアナスタシア。
こちらを見下ろす彼の顔は、いつもよりずっと真剣だった。
瞬間、胸の鼓動が速くなる。
「後で、いいか?」
「う……うん」
アナスタシアは、何とか一つ頷いた。
この三日後。
前回と同じ渡り廊下で、ビュウとバルクレイは再び話し合いの場を持っていた。
ただし前回とは違い、バルクレイは訓練用の戦闘服姿で、ビュウは軍服姿だが。
「それで、結局どうなった?」
「いやぁ、その……」
と、何故か照れながら後ろ頭を掻くバルクレイ。すると、急に彼は改まって、
「……例えば、ですよ、ビュウさん」
「またかコラ」
「例えば、ビュウさんが誰か女性と付き合って」
「おぉ」
「初デートの約束を取り付けたとするじゃないですか」
「おぉ」
「ビュウさんだったら、どこ行きます?」
「てめぇで考えろ」
「そんなぁっ! ビュウ、頼むっ! 一緒に考えてくれ! 友達じゃないかっ!」
「だったらその改まった喋り方をいい加減直せ! というか自分のデートぐらい自分で頭捻って考えろ! それが出来ないんなら女と付き合うのなんてやめちまえ!」
怒鳴って、ビュウはすがり付いてくるバルクレイを蹴り戻す。
ちなみに、この話の後日談としては。
街を初々しく寄り添って歩く某ノロノロヘビーアーマーと某チビウィザードの目撃情報が、ディアナよりもたらされた。
「……で、結局奴らはどこに行ったんだ?」
「あたしも大分追い掛けたんだけどさ、ただ待ち歩いてるだけなのよねー。あれでデートのつもりなんだから、バルクレイも気が利かないわ、ホント」
ビュウ、あんたはそんな風になっちゃ駄目よ――というディアナの忠告を、ビュウは微苦笑と共に受け取ったのだった。
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