燃え上がる炎。
赤々と輝き、天すら焦がすそれ。
人は皆その炎を心に抱き、時には燃え上がらせ、時には自らの身を焼いてしまう。
さて。
ここにも一人、その炎を心に抱く者がいる。
その火力。
未だ知られず、測られず――
フレイムゲイズLv1000
――事件の発端は、艦橋へと上がる階段で、静かに、そして誰に気付かれる事もなく進行した。
「この艦の名前?」
「そう、そうなの。わし……そういうの、昔っから苦手で……――だから、ビュウ」
そこで言葉を切り、センダックはやや上目遣いにビュウを見上げた。
「わしの代わりに、ヤングゴーゴーな名前をお願い!」
「ヤングゴーゴーって……いや、まぁ、別にそれはどうでもいいんだけど」
少し呆れたような声音でそう呻き、ビュウは考え始めた。
その姿を間近で見つめるセンダックは、ただホゥ、と息を吐き、
(うーん……考え込むビュウも、素敵……)
取り戻したかつてのカーナ軍の旗艦は、その名を失って久しかった。
通称は「空の要塞」。が、その正式名称は、旧カーナ軍における旗艦の重要性が薄れ始めた段階から、士官、兵卒、軍属全ての記憶から次第に掻き消えていってしまった。
そこに、新たに迎えられた航空士の一言。
「名前のない艦を操舵しろ? そんなのはゴメンだな。どうしても、というなら、早いところ名前を決めてくれ」
ところが旗艦の艦長であるセンダックにネーミング・センスというものは清々しいまでに皆無であり、そして当人もやはり清々しいほどにそれを自覚しており――
「――じゃあ」
ハッ――と。
我に返って、センダックはビュウの言葉に意識を戻した。
普段は大人びて、老獪とすら言える彼の顔に、明るい、ともすれば少年のようですらある笑顔が浮かんでいた。
「ファーレンハイト、っていうのはどうだ?」
「ファーレン……ハイト?」
「そう、ファーレンハイト。『高きを行く』って意味でな、この艦の役割から考えても、そう悪い名前じゃないと思うんだが」
語るその笑顔の、何とキラキラしている事か。
常に冷静で、戦術を思案している時はゾクリとするほど恐ろしく冷たい顔をするこの青年が、まるで不意打ちのように幼い表情を見せる。
そのギャップに、センダックは胸を衝かれた。
今のこの笑顔。例えるならば、長い冬の果てに訪れた春の日差しだ。暖かく、穏やかで、それでいてこちらの心をどこか浮かれさせる。
そんな彼が口にする『ファーレンハイト』。そしてその意味。
ファーレンハイト。どこか気高さを秘めた名前。そしてその意味するところの深さ。高きを行く――この空の高きを、どこまでも。
それは、ビュウが口にした事でその意味合いと印象を深め――
「ファーレンハイト……」
センダックは、その単語を繰り返した。熱に浮かされたような、どこか心ここにあらずといった口調だったが、当人に自覚はまるでない。
「う〜ん、ビュウ……」
そして、彼はビュウを見る。
――その瞬間、ザザッ、とビュウが表情を引きつらせて壁際まで一気に後退したのだが、センダックはまるで気付かない。
「ス・テ・キ……」
頬が紅潮していく。ポォッと熱い。ビュウの顔が恐怖とも警戒ともつかない色に歪んでいくのだが、やはりセンダックは気付いていない。
「あ、ああ……気に入ってくれて、良かった」
ダラダラと滝のように冷や汗を掻き、しかも答える声が徹底的に上ずっていたりするのだが、センダックはビュウが口にした「ファーレンハイト」というその声を頭の中で何度も繰り返しては浮かれているので、相変わらず気付く余地がない。
そしてその時、声が割って入った。
「ビュウ! センダック老師も!」
ビュウにとっては天の助け。センダックにとっては悪魔の悪戯。
「そんな所でいつまでも何やってるのよ! 早く上がってらっしゃいよ!」
「ディアナ! ああ、今行く!」
階段の上からこちらを覗き込んで手招きするのは、旗艦奪還作戦で先行潜入部隊として動いた一人、プリーストのディアナだった。カーナ出身で、当然ビュウとセンダックにとっては旧知の仲。ビュウは彼女の顔を見た途端顔をほころばせ、いそいそと階段を上がっていった。
その一方でセンダックは、
(ディアナ……よくも、よくもわしとビュウの甘い時間を……! わし、悲しい……!)
心に炎が燃え上がる。
が、いつまでもそうして静かに怒り狂っているわけにもいかなかった。何せ、自分は艦長なのだ。艦長が艦橋にも行かず、階段口でウダウダやっているのは決まりが悪い。
そうして我に返ったセンダックは、ちょこまかと階段を昇っていく。寄る年波には勝てず、悪くなった足では一段一段をちょっとずつ上がっていくのが精一杯だ。一方で、ビュウはそんなセンダックを振り返る事もなくとっとと駆け上がっていく。
そして。
上がった先で、もっととんでもない光景が繰り広げられていた。
「ビュウ、遅かったのね。心配したわ」
「別に特に問題はないけど……すまない、フレデリカ」
「表での戦闘、ご苦労様。怪我はない?」
「――いや、大丈夫だ。それより、君の方はどうなんだ?」
「私は……大丈夫、平気よ」
「本当か? 顔色悪いぞ?」
「ん……少し、疲れちゃっただけ」
「休んでなくて平気なのか? 辛いんじゃ?」
「大丈夫よ。あとちょっとくらいは」
「……なら、辛くなったらすぐに言ってくれ。休めるようにしてもらうから」
ビュウと話しているのは、やはりカーナ出身のプリースト、フレデリカ。
ビュウは、彼女を気遣い、その表情を不安げに曇らせている。
フレデリカは、そんな彼に優しく微笑みかけ、肩に置かれた手にソッと小さな白い手を重ねている。
艦橋の正面の窓から差し込む暖かな橙色の光に照らされ、その二人の姿は、まるで絵のように美しい。
まぁ、要するに。
(フレデリカ……――)
階段口でその二人の姿を呆然と見つめながらも、センダックは心の炎を更に激しいものにしていた。
(ビュウと、そんなに密着して、仲良くして……わしにだって、あんな風に心配してくれた事ないのに……!)
心の炎、火力増大中。
(フレデリカ……わし、悔しい、妬ましい……!)
「遅かったな」
と。
センダックがどす黒いオーラを四方八方に撒き散らす中、第三者の声が艦橋に響き渡った。我に返って正面を見れば、操舵輪の前に銀髪の男が立ってこちらを睨むように見据えている。
航空士のホーネット。センダックはその男の名を思い出す。
「センダック艦長、例の件、決めておいてくれたか?」
例の件。
それはつまり――
「あぁ、うん。決めてきたよ。じゃあ、発表を――」
「どうでもいいから、早く教えてくれ」
性急な物言いに、センダックは苦笑した。ぶっきらぼうにも聞こえるが、これはこれで、この艦に愛着を持ち始めてくれている事の証明なのだろう。長年艦長を務めてきたセンダックにとって、それはそれで嬉しかった。
いざ発表を、と足を踏み出しかけ、センダックはふと気付く。
正面奥には窓。
その前には操舵輪。
更にその前にはホーネット。
そして、ホーネットとセンダックとを結ぶ直線上、ちょうどほぼ真ん中に。
成り行きを見守るビュウと、彼に寄り添ったままのフレデリカがいた。
心の炎。
火力、最大。
とすれば、すべき事は一つ――
センダックは足を改めて踏み出す。
ビュウと、フレデリカに向けて。
ズカズカと、先程階段をちょこまかと昇っていた時からは考えられないほどの歩幅と速度で一直線に進み――
「それでは――」
ズィッ。
二人の間にわざわざ割って入る。
当然、ビュウとフレデリカはセンダックの突撃で離れざるを得ず。
「新しい艦の名前を、発表します」
いきなり間を割って入られた事に目を丸くするフレデリカを尻目に、センダックはやや強気に宣言。それから、オホン、と咳払いし――
「……ゲホッ……」
「……センダック艦長?」
「ゲホッ……ゲフッ、ゴホゴホッ! ゴハァッ、グェ、ゲヒィ、ガフッ、ガハガハガハ――」
咳が。
咳が、止まらない!
(あぁ、そういえば――)
ふと思い出すのは最近の体調。
(わし、この頃ちょっと調子悪かったっけ……)
病名、風邪。
センダックの咳が尚も続く中、唖然と事態を見守っていたビュウが声を上げた。
「センダック? ちょっと、大丈夫か?」
その優しい声音に、咳をしながらもセンダックは喜んでいた。
(あぁ、ビュウ……やっぱり、ビュウは優しいね――)
「そうだ、フレデリカ――」
「咳止めね? はい、これを」
「まだ何も言ってないのに……」
「嫌だわ、ビュウ。それくらい分かるわよ」
「……悪いな。
ほらセンダック、薬だ。これ飲んで――って、水がなかったか」
「ちょっと待ってて。すぐコップに汲んでくるから」
「いや、俺が言ってくる。君はセンダックを診ててくれ。
――センダック、もうちょっと堪えてろよ」
(何でこんなに息がピッタリ!?)
気分は、天国から一気に地獄。
寄ってきたフレデリカに背中をさすってもらいつつ、階下に下りていくビュウの背中を見つめながら、センダックの気分は徹底的に落ち込んでいた。
そして同時に、心の炎はこれまでの人生でなかったほど燃え盛り猛り狂い――
心の炎。
人はそれを、「嫉妬」と呼ぶ。
数日後、心の炎の猛るままに、センダックは艦長として反乱軍最初の規則を作った。
『艦内恋愛禁止』。
しかし、この規則はその更に数日後に、施行時と同様何の脈絡もなく撤廃される。
ある情報筋によれば、
「あのねあのね、ちょっとおかしな事になってるのよ! ほら、センダック老師の恋愛禁止令、あれ、いきなりなくなっちゃったでしょ? 何か、ヨヨ様が老師に何か言ったらしいのよ! 何を言ったのか、っていうのはよく分からないけど、とにかく、ヨヨ様も恋愛禁止令には不満だったみたい! それってつまり、ヨヨ様も誰かに恋してる、って事かしら? となると、やっぱり相手は……――」
そして、件の王女殿下の証言。
「だって、恋愛禁止令なんていうふざけた規則があると、私の娯楽が減るじゃない」
王女殿下の言う「娯楽」の詳細については判っていない。が――
最終的に、情報筋である噂好きの某プリーストと裏で結託して、某クロスナイトと某病弱プリーストとの関係を影で見守りつつ何かと画策したという事実が厳然と存在する限り、その内容も推し測れるというものである。
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