フワリと体が浮かび上がる、そんな心地良い浮遊感。
意識が遠くなるほどに魅惑的なそれに、私はこの身を委ねる……――
女のロマン
何と、言うか。
財布の紐に我が身を左右される、というのも、何か情けない話な気がしないでもないのだが。
「……とは言っても」
老獪さを感じさせるほどに疲れを宿した声で、ビュウは、ボソリと呟く。
「『トーテストーア』、なんて、一体誰が使うんだ?」
某所から購入願いが出された。
『トーテストーア』を買ってくれ。
所定の用紙に、そんなような意の事を流麗な字で書いたのは、薬保有度ナンバー1にして薬依存度ナンバー1のプリースト、フレデリカ嬢である。
病弱な体を押して反乱軍に身を捧げている彼女だ。そんな彼女の負担が減らせるように、と、ビュウは彼女から出された購入願いは、可能な限り実現させてきた。
……それを「ひいきだ」と口を尖らせる者(ラッシュとかラッシュとかラッシュとか)もいるけれど、それはさておき。
しかし、今回はさすがに首を捻った。
いくらフレデリカの心臓が生まれつき弱くて、常備薬で発作などの諸症状を抑えなければならない、と言っても、『トーテストーア』を必要とするとは思えない。
「……いや、確か、ごくごく微量なら『トーテストーア』も何かの薬になるんだったか? けどそれって、確か気付け薬だったような……」
もっとも、彼女に気付け薬が必要ではない、とは言えないのだが。
「――ま、いいか」
気楽に呟いて、ビュウはファーレンハイトの階段を下りた。女性用大部屋にいたディアナの話だと、フレデリカは倉庫に向かったという。こちらから出向き、何故こんな物が要るのか、という事を聞かなければ……――
それにしても、場合によっては彼女の願いを退けなければならない。
財政難が恨めしい。
――と、ビュウが悲観的に溜め息を吐いたその時。
「……ん?」
何か、ロープのような物を踏んだ感触に、ビュウは首を傾げて足を止めた。いや、ロープよりかは柔らかいが。
場所は、階段を下りた先、倉庫の手前。
(何でこんな所にロープ? そういうモンは全部ラッシュたちに言って片付けさせて……――あ、もしかしたらあいつら、片付けサボったか? だったら、後で制裁を――)
などと思いながら、視線を足元にやり。
そして、絶句。
一瞬後、絶叫。
「フフフフフ、フ、フレデリカっ!?」
何故かそこに倒れているフレデリカ(おそらく、いや十中八九、原因は貧血だろうが)。
そして踏んでいるのは、彼女のキッチリ編まれた淡い金色の髪。
慌てて足を退け、しかし意識を完全に失っているらしい彼女に、ビュウはさてどうしたものか、と思案したのだった。
フワフワとした、心地良い浮遊感。
ヒンヤリ冷たかったのに、何故かいきなり暖かさが体を包み込む。
冷えた体をジンワリと温めていく、包容力のある温もり。
そのくすぐったいような感覚に、フレデリカは嬉しくなった。
その内に、どこか遠いところから何か聞こえてきた。
水の中で聞く音のような。
あるいは、壁を一枚隔てて伝わる声のような。
……うわ、ビュウ、どうしたの?
……いや、何か倒れてて、放っておくわけにもいかないから。
……ふぅ〜ん、それはご苦労様。あ、ちょっと待って、ベッド直すから。
……あ、悪い。
どこかで聞いた事のある声。
でもどこで聞いたのか、一体誰の声なのか、すぐに思い出せない。
まるで、頭の中に靄が掛かったような――
……あ、ビュウだ!
……あら、お帰り。
……ねぇねぇビュウ、どうしてフレデリカを――してるの?
……そりゃ、倒れてたから。俺一人だけだから、こうする方が楽だし。
……ズルイ〜。ビュウ、メロディアもぉ〜。
……何がズルイ〜、よメロディア。あんたは倒れるほどヤワじゃないでしょ。
……さすがにメロディアは、――じゃなくておんぶだろ。
……メロディアだってやってほしいのにぃ〜。ビュウのケチケチ!
遠ざかる苦笑。離れる温もり。名残惜しさ。待って、行かないで――
「――あ、気が付いた?」
はたと目を覚ませば、すぐに聞き慣れた声が掛かった。
「……ディアナ?」
「そ。おはよ」
フレデリカと同郷で二歳年上の彼女は、少し離れた所に置かれたテーブルに着いたまま、気さくにフレデリカへとヒラヒラと手を振ってみせた。
その正面に座るメロディア。何故かむくれた顔。
「え……と――私、どうなって……?」
「あれ、覚えてないの? あんた、倉庫の前で倒れてたって」
倉庫?
(あー……そうだ)
倉庫に、薬の在庫を確認しに行ったのだ。
薬に頼る半生だったために薬学の知識は人一倍豊富なフレデリカは、薬の管理を任されているのだった。
そうだ。それで、階段を下りたところで急に頭がクラッと来て、体がフワフワしてそれが気持ち良くって……――
「あれ?」
そこまでは思い出したとして、それでは説明がつかない。
「どうして私、ベッドに……?」
倒れたのは二階下の倉庫のはずなのに、何故か、今寝ている場所は女性用大部屋の自分のベッドの上だ。
するとディアナはきょとんとして、
「あー、そっか……覚えてない、か。それも」
「え?」
「もったいない事したねー。それじゃ今度から、倒れたフリしてなさいな。それで上手くいけば、また同じ事になるから」
「え、ちょっとディアナ、それって?」
「じゃあさじゃあさ」
そこで急に、それまでむくれて黙っていたはずのメロディアが、ディアナに声を掛けた。
「メロディアも倒れたフリしてれば、ビュウがお姫様抱っこしてくれるの?」
…………………………………………
オヒメサマダッコ?
「だから、あんたじゃせいぜいおんぶだって」
「ブ〜! それじゃつまんないぃ〜!」
「諦めなさいな。おんぶだけでも満足でしょ」
「ヤダヤダ〜! メロディアもフレデリカみたいにビュウにお姫様抱っこされたいぃ〜!」
お姫様、抱っこ?
誰が、誰を?
「――ま、とにかくフレデリカ」
喚くメロディアを完全に無視し、ディアナがどこか意地悪そうな笑顔を見せる。
「今日はちょっと惜しかったわね〜。あとちょっとで役得だったのに。でもま、あたしはいいモン見せてもらったからいいけど。
とにかく今度は、気絶したフリをするのよ? ちゃんと覚えてたけりゃ。もちろん、ビュウに気付かれないように」
お姫様、抱っこ。
ビュウが、私を。
(ビュウが……私、を……――)
そう思いながらも、急に気恥ずかしさが湧き上がってくる。心臓の鼓動が速い。ビュウに横抱きされた、あぁでもその記憶がこれっぽっちもない、ロマンが実現しておきながら現実ってこんなもの?
「――ちょっと、フレデリカっ!?」
つまりあの温もりは、ビュウの腕の温かさだったのだな、と。
それだけ結論して、フレデリカはディアナの慌てた声を最後に意識をなくした。
「――……っていう話をディアナから聞いたんだけど、ホント?」
「――どうして彼女は、こう人の噂話が好きかなー……」
「あら、彼女は目撃者よ? 目撃談なんだから、噂話とはまるで違うわ」
「…………」
「どうなの? 女の子をお姫様抱っこしてみて」
「………………」
「麗しき乙女を窮地から助け出し、横抱きにして凱旋する騎士――貴方の理想じゃなかったかしら?」
「……そりゃ、お前のだろ」
「あら、フレデリカの抱き心地、良くなかった?」
「そういう言い方するなっ!」
「だって、何か照れてるし」
「照れてないっ!」
「嘘おっしゃいな」
「本当だっ!」
「ホントに?」
「もちろん!」
「嘘言わない?」
「当たり前だ!」
「じゃあ、『トーテストーア』買って」
「もちろ――じゃないっ!
あんな毒草リクエストしたのお前かヨヨっ!」
そんな、王女殿下と腹心の騎士との会話が、繰り広げられたとか繰り広げられなかったとか……。
〜おしまい〜
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