きっと俺は。
どこかで、壊れてしまっているのだろう。
ふと我に返り、ビュウは辺りを見回した。
そして、置かれている状況に一言。
「――……またやっちまったか」
何の感慨もない、ただ事実だけを述べる、事務的ですらある口調である。
状況は、至極明確だった。
共に分隊を組んでいるラッシュたちとちょっと離れた隙に分断させられ、敵に囲まれ、仕方がないから総勢十五名を軽く殺した。
それだけの話である。
血まみれの剣と、手と、返り血がべっとりと付いた鎧、戦闘服、ブーツ、その他体の前面を、これといって感情の浮かんでいない、深い青の瞳で見下ろすビュウ。
頬に鮮血が飛び散っているその様は、いささか凄絶だった。
「……さて」
ヒュンッ、と両手の剣を交互に振った。血が飛沫となって地面に弧を描く。
「ラッシュたちと合流しないとな。……どこに行った? あいつら」
ぼやくようなその口調は、どこか現実から解離している。
それだけの話
「聞いたわよ」
小競り合いが終わって、事後処理が粗方済んで、さて休もうかと思ったらいきなり呼び出されて。
部屋に入った途端開口一番にそう言い放ってきた主君に、替えの服に着替えたビュウは、はっきりと眉をしかめてみせた。
「何が言いたいんだ?」
「貴方、また一人で十五人ばかり倒したそうね? これでまた記録更新、かしら」
カーナ王太子ヨヨは、さもおかしそうにクスクス笑う。が、その笑みは、どこか背筋を震わせる、ゾッとしたものを含んでいた。
戦闘が終わったら、とっとと引っ込んでとっとと寝巻きに着替えた王太子。それならば、
「……とっとと寝ちまえよな、お前も」
「暇なんだからしょうがないじゃない。竜に噛まれたと思って潔く諦めなさいよ私の忠実な騎士なら」
ちなみに竜に噛まれるのは大事だ。ましてやそれが戦竜隊長となれば、大失態にも程がある。
「で? ヨヨ」
「何?」
「俺はまだ、最初の質問に答えてもらってないぞ?」
言いつつベッドに歩み寄り、その辺にある背もたれのない椅子を足で引き寄せて――「行儀悪いわねぇ」とヨヨが口の中で呟いた――、それにドカリと座り込むビュウ。その態度は、王太子に忠誠を誓う上級騎士とは到底思えないほど、傲岸不遜だった。
その傲岸不遜な口調で、彼は、鋭く、敵に剣の切っ先を突きつけるかのように、ヨヨに再度質問した。
「何が言いたいんだ?」
「やりすぎよ」
ヨヨの答えは簡潔だった。簡潔すぎて、何が言いたいのかよく解らない。
一瞬眉根を寄せたビュウは、すぐに呆れ顔に戻った。睨むような半眼で、口を不機嫌に引き結び、足を組んでその膝に頬杖を突く。
「十五人なんて、大した数じゃないだろ」
「それは貴方の基準であって、一般常識とは違うの。解る? いくらクロスナイトでも、手練のグランベロス兵を十五人も瞬殺するなんて、人間技じゃないわ」
「そんな事が言いたくて呼び出したのか?」
言外に、はっきり用件を言え、と促して。
そして彼女は、予想通りかぶりを振った。軽く苦笑して。
「言いたい事は二つだけよ」
と、彼女はまっすぐにビュウを見た。
その緑の瞳に宿った感情の色は、普段、神竜を心に宿して苦しむ、か弱い王女のものではない。
これこそが、ビュウが「王太子殿下」と呼び敬う、苛烈で非情な彼女の本当の姿だ。
「一つ。仮にもカーナのクロスナイト、それも戦竜隊隊長ともあろう者が、無闇に人を斬るものではないわ。貴方は騎士であって、傭兵でも、ましてや殺人者でもないのよ。
で、もう一つ。ビュウ――貴方、戦いを楽しんでるでしょ」
言われ、彼は目をぱちくりとさせた。
「戦い、を?」
「そう。……いえ、違うわね。貴方はむしろ――」
と、考え込む。顔を軽く伏せ、口元に手をやり、ヨヨは何かを思い返す。
それが、先の戦闘だけでなく、ここ二、三ヶ月の戦闘全てであるのは、容易に想像が付いた。
「――……人を殺す事を、楽しんでるでしょ」
「………………」
ビュウは、答えなかった。
代わりに思い返す。ここ最近の戦闘を。
気が付けば、思ったより多くの敵を殺していた。それも、一撃必殺、急所を的確に刺し貫き斬り裂く、騎士らしからぬやり方で。その殺し方は、どちらかと言えば、かつて生業としていた傭兵のそれに近い。
ふと我に返ったところで、自分のした事に愕然とする事はない。人を殺す事への抵抗感なんて、そういえば覚えた試しもなかった。
だから――
「……楽しんでる覚えはないな」
気が付けば、というけれど、別に敵兵を殺す時の記憶が欠落しているのではない。ただ単純に、その動作にそれほど意識を払っていないだけで、別の事に注意を向けているせいだ。
つまりそれは、
「ま、俺にとって、殺しは習慣だし」
笑う。
敵は殺せ。
かつて得た教訓を、傭兵時代の悪しき習癖、とは思わない。
そうする必要があった。そうするよう心掛けなければならなかった。そうしなければ生きてこれなかった。自分も、母も。
敵を殺す事など、朝起きて顔を洗うのと同じくらいに日常的な事。
それだけの話だ。
その辺りの事情をよく知るヨヨは、彼の返答に顔をしかめる事もしなかった。
「別に、それを改めろ、とは言わないけれど」
と、肩をすくめる。
「これは、貴方の心がどう、とかじゃなくて、私たち反乱軍の外面の問題なのよ。困るでしょ? 反乱軍の提唱者ビュウ=アソルが、実は殺人嗜好者だった、なんて噂が立つの。
正直、あのサウザーにそんな情報工作をする、なんて気の利いた真似できるとは思えないけど、グドルフならやりかねないわ。そうなると、貴方の心配事が余計に悪化するわよ」
「……資金援助か」
「そう。キャンベルの叔母様とかから減額されるのは痛いわ」
「だな。
分かった、気を付ける」
「そうしてちょうだい。殺すな、とは言わないけど、もうちょっと自粛して。他の連中のためにならないわ」
「確かに」
と苦笑混じりの声で同意を示し、ビュウは椅子から立ち上がった。
「それだけなら、俺はもう行くぞ」
「ええ、そうして。もう寝るし」
対するヨヨは、ヒラヒラと手を振って彼を追い返そうとする。
「それでは――これにて失礼いたします、王太子殿下」
「ええ。ビュウ、ご苦労様でした」
お互い外面を取り繕って、ビュウは王太子の寝室を退出した。
「……まったく」
バタン、と閉じられる扉に声を投げるヨヨ。
「殺しが習慣化した騎士と、それを咎めない王太子……――マテ辺りが聞いたら、卒倒するかしら?」
言いながら、モソモソと布団に潜り込む。
「でも、仕方ないわよね。……やっぱり私たち、少しどこかが壊れてるんだもの」
殺す事に抵抗感を覚えないビュウも。
それを容認し、むしろ奨励し、自分は滅多に手を汚さないヨヨも。
これはきっと、一生治りそうにもない。
けれどそれも、それだけの話。
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