その言葉は、余りにも唐突だった。
「ねぇ、ビュウ?」
「何、ルキア?」
「私と噂になってみない?」
――そのどうでも良い騒動は、その一言から始まった。
鈍さ全開
ところで、場所は女性陣の部屋に隣接されたバーである。
ちょっとした用事でここを訪れたビュウは、たまたまいたルキアに挨拶した。
そうしたらこれ。
だがビュウは、別に特に表情を変える事なく、こう答えた。
「ごめんなさい」
ついでに頭を下げる。
その姿に、ルキアは一瞬の間を置いてから、不意にケラケラと笑った。
「あー、うん、そうだよね。私とじゃそういうのは嫌だよね」
その言葉にビュウはハッと顔を上げる。自分が何を言ったのか、改めて自覚した彼は決まり悪そうに頬を掻いて、
「あ、いや、別にルキアが嫌い、ってわけじゃなくて」
と、常らしくなく言葉を濁す。そして、つっかえながら、言葉を選んで、続けた。
「えーと、その……何て言うかな。ルキアは、普通に見て十分魅力的だと思うよ。でも、その、俺はルキアをそういう風には見られないんだ」
ルキアは、これと言って表情を曇らせる事なく、むしろ面白がるようにニコニコしながら聞いている。
「戦友だし……実は、俺の姉さんに少し似てるし」
「ビュウのお姉さん?」
彼女はそこで表情を変えた。きょとんと、意外な様子に。
「そう、俺の姉さん」
「私と?」
「そう、ルキアと」
「どの辺りが?」
「おおらかなところとかよく笑うところとか無駄に素早いところとか」
「……無駄に素早い、っていうのの意味がよく解らないけど」
本気で理解しがたいように呻く彼女。しかしその曇りはすぐに消え、成程、と納得顔で頷いた。
「それじゃあ仕方ないわねー。うん、ちょっと残念」
ルキアは何の屈託もなく言い放つ。一方のビュウは少し目を見開いて、
「残念、って」
「私の目から見てもね、貴方はとても素敵に見えるのよ。……ちょっとお金に細かいところとか節約にシビアなところとかはさておいて、しっかりしてるところとか、責任感の強いところとか、優しいところとか」
言葉の途中から、彼女から目を逸らしたビュウは、後ろ頭を軽く掻いている。
手放しで、と言うわけでもないが、そこまで誉められると、やはり照れる。
「でもやっぱりね、私も貴方の事、戦友としてしか見られないのよ。貴方みたいな素敵な人を男性としてではなくてそういう風にしか見られない、っていうのは、やっぱりちょっとだけ残念よね」
今度はこちらが成程、と納得顔で頷く番だった。
戦友。
性の別を越え、戦場という極限状況を共に走り抜けた者に与えられるその呼び名は、泥臭くはあるけれど、それでも誇らしい事には変わりない。
ビュウとルキアは、いくつもの戦場を共に駆け抜けてきた。時には互いに知恵を出し合い、時には互いに助け合い、ここまでやってきた。そこに男女の感情が入る余地は余りに乏しい。
加えてビュウの中で、その感情を捧げる対象というのは存在し、しかもそれが彼の中で確固たる地位を獲得してしまっているから、尚更にそんな余地はないのだが。
「……まぁ、そういう事なら、俺もちょっと残念、かな?」
「あ、そう思ってくれるの? それは嬉しいなぁ」
と、ルキアが同意した。
その瞬間だった。
「ちょっと待ったルキアぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
絶叫。
悲鳴。
怒号。
喚声。
おおよそそういった類の声が、唐突にバーに飛び込んで壁に反響してこだました。
続いて駆け込んでくる影が一つ。長身赤毛の垂れ目な優男。彼は困惑顔で、いきなりの事に目を丸くして声も出ないルキアを見つめた。
「ル、ルキ、ルキア、要はアレアレアレ……ビ、ビュウと、噂になり、なりた、なりたいって?」
紡ぐ声が震えてしかもどもり気味。唖然としたまま、ビュウはその男の名を舌に乗せた。
「……ドンファン?」
「気安く呼ばないでくれたまえ、ビュウ!」
いつもの彼からは想像もつかないほどの激昂ぶりで、ドンファンは一気に顔を紅潮させると、こちらに目を向けビシィッ、と人差し指を突きつけてきた。
「要はアレアレアレ……ビュウ、この純情硬派なナイスガイ、ドンファ〜ンのマイ・スウィート・ラヴァー、ルキアに手を出すとは見上げた度胸だ! そんな君に、僕は容赦しない……つもりだ!」
強気なんだか弱気なんだか。
時が一秒、一秒と経つにつれ、自我は驚愕から立ち直る。つまりビュウはいい加減うんざりし始めていた。
「いや別に、俺が手ぇ出したつもりはないんだが」
「見苦しいぞビュウ! 栄えあるカーナの騎士が言い訳など! 要はアレアレアレ……騎士なら騎士らしく、自分のした不埒な行為を認めたまえ!」
「ちょ、ちょっとドンファン!」
さすがにこちらに掴みかかりかねない彼の剣幕にただならぬものを感じたか、ルキアが慌てた様子で割って入った。
「違うのよこれは! ちょっと私がビュウに冗談半分で言ってみただけで――」
「あぁルキア! 良いんだよ、君まで言い訳しなくたって!」
と、今度はその激情の捌け口をルキアに向けるドンファン。
「安心したまえ、ルキア。この純情硬派なナイスガイ、ドンファ〜ンは全てお見通し……の、つもりだ。そう、あたかも顕微鏡のように、君の心の全てをくまなく見抜いている! 君はただ、ちょっとした冗談のつもりで言ってみただけ、そうだろう!?」
「だからそう言ってるじゃない!」
「あぁルキア、我が愛しのルキア! ただの冗談とはいえ、他の男にそんな台詞を言わせてしまうなんて……ごめんよ、ルキア! いくら他のレイディたちの心を救うためとはいえ、君に寂しい思いをさせてしまった僕の責任だ! 許してくれ!」
「誰がいつそんな事言ったのよ!」
「だがしかし!」
と。
そっちで適当に話を完結させられそうだったのに、何故か矛先がこちらに向く。
「そんなルキアの寂しさに付け込むなんて、ビュウ、君はそれでも騎士の端くれか!?」
「だからどういう風に話を聞けばそんな方向に持っていけるんだ?」
「いい加減認めたまえ! 要はアレアレアレ……君はルキアが寂しがっているのを見抜いて、弄ぶ気でいたんだろう!? そんな卑劣漢を、この僕は許さない……つもりだ!」
「だから強気なのか弱気なのかはっきりしろ――」
と。
嫌気を感じつつ呻いたその瞬間、ビュウは、背後に視線を感じて振り返った。
背後。
バーの入り口。
そこに、一人の娘が唖然とした様子で立ち尽くしている。
フレデリカ。
「――ちょっと待てフレデリカっ!?」
呼び止める暇があればこそ。
フレデリカは表情をクシャリと歪め、目に涙すら浮かべ、その身を翻すと手で顔を覆って走り去っていく。
「待ってくれ、違うんだ! これは、その、ルキアの悪ふざけとドンファンの勘違いで――」
「聞き捨てならないな、ビュウ! ルキアが悪ふざけ、だって!? マイ・スウィート・ラヴァー、ルキアを貶めるのはやめたまえ!」
「あああもうっ、違うでしょドンファン! 全部私が悪いのよ!」
「ルキア、君が罪悪感を覚える必要はないんだ! 全てはこのビュウの――」
「って離せドンファン! 俺は行かなきゃいけないんだっ!」
「そうやって全てをうやむやにするつもりだろう! 行かせるものかっ!」
「――てめぇいい加減にしろ!? この程度にしとかねぇとさすがに温厚な俺もキレるぞこら!」
「フッ、とうとう本性を現わしたな、ビュウ! 要はアレアレアレ……貴様のような男に負けはしない、つもりだ!」
「言ったなこの女ったらし! 良い度胸だ、表に出ろ! 一秒で返り討ちにしてくれる! んでもって三秒後には俺と一緒にフレデリカの所に行って事情説明させてやるからな!」
「ふん、君こそ覚悟すると良い! ルキアとフレデリカ、この二人の素敵なレイディを弄んだ罪、この純情硬派なナイスガイ、ドンファ〜ンが思い知らせてやろう!」
「だから二人とも、何でそういう話になるのよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
この五分後。
三人は、騒ぎを聞きつけたマテライトからお説教とありがたい訓話を五時間掛けて聞かされる事となる。
そして夜。
やはりバーの片隅で、ルキアはテーブルに突っ伏している。
「何やってんの、ルキア?」
「ジャンヌ……」
乱れた金髪の間から、ルキアは顔を上げた。やってきたジャンヌが、彼女の真正面の椅子を乱暴に引いて座るところだった。
頬杖を突いてこちらを見下ろす友人に、ルキアはしみじみと、疲労を溜め息と一緒に吐き出して、
「……疲れた」
「うん、話は大体ディアナから聞いた。何か、まぁ、お疲れ」
返すジャンヌの声には、友を案ずる調子よりも、呆れたそれの方が圧倒的に強かった。けれどルキアはそれを無視して、再び突っ伏す。
「しかし、ドンファンもビュウもまだまだ子供だね。言った言わないで真剣を持ち出すほどの大喧嘩なんて。さっきヨヨ様の部屋に行ったんだけど、ヨヨ様、腹抱えて大爆笑してたよ」
カーナのお姫様って、確か深窓の姫君だったはずだよね、とか何とか呻くのを聞きながら、ルキアは、ふと胸に浮かんだ疑問を彼女にぶつけてみた。
「ねぇ、ジャンヌ?」
「何?」
「ドンファン、何であんなに怒ったのかしら」
ルキアはジャンヌを見つめた。
ジャンヌもルキアを見つめていた。
……どうして、こんなに愕然とした顔をしているのだろうか、彼女は?
「ジャンヌ?」
「――……ねぇ、ルキア、あんたってさぁ……」
開いた口をしばらくパクパクさせていたジャンヌは、ようやくといった態で声を絞り出す。
「変なところで、鈍感だよね」
「? そう?」
「無自覚なところとか」
「そんなつもりないんだけど」
「……こりゃドンファンも大変だね」
ルキアはただきょとんとして首を傾げるばかり。
このようにして、そのどうでも良い騒動は一応の終幕を見た。
後日談として、翌日、とある姫君が腹筋の筋肉痛に苦しんだのを、最後に記しておく。
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