――……何で。

「じゃあ、ビュウ、頼んだよ」
「…………」
「どうしたんだい、ビュウ? そんな変な顔して」

 ……何で。

「まぁとにかく、ただの荷物持ちだから。買い物そのものは、フレデリカに任せて」
「……………………」
「頼んだよ?」

 何で、こうなる?

「分かったのかい? ビュウ」
「……おぅ」
 ゾラに散々言われ、ようやくビュウは頷く。
 微妙な渋面の彼の隣には、やはり微妙に気まずそうな顔をしたフレデリカが立っている。










坂の途中











 反乱軍の移動拠点ファーレンハイトは、現在、ゴドランド領の片隅にポツンと浮かぶ、ある小ラグーンの港町に寄航している。
 大きくも小さくもない、そんな中途半端な大きさの町である。けれど、ゴドランド全体でその町はそこそこ重要な位置を占めている。ダフィラ航路の途中にあり、ダフィラに向かう商船にとっては補給基地としてありがたい存在なのである。
 反乱軍の状況としては、指導者であるヨヨがベッドからろくに起き上がれないため、そう大きな動きは出来ない。
 それこそ、せいぜいが補給程度である。


 と、いうわけで――



「あー……じゃ、行こう、か。――フレデリカ」
「え、えぇ……ビュウ」

 補給物資(医薬品)を求めて、フレデリカはビュウと共にファーレンハイトを降りた。
 自分でも、そのぎこちなさをこれでもかと自覚しながら。



 ――あの、夜。
 ビュウのたくましい腕に抱き締められた、あの当直の夜。
 あれからまだ、二日しか経っていない。
 そして、その二日間――
 二人はろくに、言葉を交わしていなかった。



(……何でこんな事になったのかしら?)

 会計を終え、店員から品物の詰まった紙袋をいくつか受け取るビュウを見ながら、ふと、溜め息が漏れていく。
 物資補給に立ち寄る、という事で、医療品類の管理を一手に引き受けているフレデリカも、消耗品の補給を経理の方に申し出ていた。経理担当(つまりビュウだ)が医療品類の保有数を確認し、補給申請に許可を出したから、こうして彼女自身が町に降りて医療品を取り扱う問屋を回っている。

 それにどうして、ビュウがついてくるのか。

 気まずさ絶好調。思わず頭を抱えそうになったその時、
「フレデリカ?」
「ぅひゃっ!?」
 奇妙な悲鳴を上げて、フレデリカは思わず飛び退く。
 見やれば、そこには驚いた――そして、どことなく傷ついた――顔のビュウ。
「――……あ、ビュウ」
「あー、その……買い物、終わったんだが……」
 はっきりしない物言いは、彼にしてみれば珍しい。
「で、その――これで、全部……か?」
 と、両手に抱える荷物をこちらに示してくる。
 紙袋は計六つ。内四つは、店側が用意してくれたらしい手提げ袋に入れられて、ビュウの腕に左右二つずつ提げられている。サービスのいい事だ、と漠然と思いつつ、そのどれもが――フレデリカにとって――一抱えもある事に、今更のように気付く。
「あ、あの、ビュウ?」
「うん?」
「あの……私も、持つわ」
 と提案するが、
「いや、いい」
 何故かそこだけ、彼は妙に決然と言い切った。生真面目にすら見える動作できっぱりとかぶりを振る。
「俺は単なる荷物持ち。荷物持ちが荷物を持たせたら、本末転倒だろう」
「だけど」
 フレデリカを食い下がらせたのは、その圧倒的な質量だった。
 包帯、ガーゼ、三角巾。
 消毒液、膏薬、内服用薬草各種。
 それだけで、パンパンに膨れ上がった紙袋が計六つ。
 そして、買い物はこれで終わりではないのだ。
「それじゃ、歩きにくいでしょう?」
 両手は動かず、足に四つの袋がまとわりつく。
 いくらビュウでも、それで町を歩き回るのは、かなり難しいはずだ。
 そして彼自身それを悟ったか、しばらく自分の抱える荷物を見下ろしていたが、
「――……なら」
 と、決心したように言ってきた。
「こっちの袋を――あ、ちょっとすいません。これを持っててください」
 ちょうど傍にいた店員に抱えていた方の袋を二つ押し付けて、ビュウは、腕に吊るしていた手提げ袋の一つをフレデリカへと差し出したのだった。
 それを受け取り、そしてそのまま無言で、フレデリカはもう一つの手提げ袋をビュウの腕から引き抜く。
「って、フレデリカ」
「大丈夫」
 少し胸を張ってみせる。
「これくらい、私にだって持てるわ」
「……………………」
「……あのー、お客様?」
「――あ、すいません」
 困り顔の店員から荷物を返してもらっても尚、ビュウは不安げな表情をしていた。










 歩きながら思うのは、一つの誤算。

(――……手が足りない……)

 ……別に、腕があと二本ばかり欲しい、とかそういう不気味な話ではない。
 今ビュウの腕には、先程の薬問屋で買った消毒薬や膏薬が詰め込まれた袋の他に、今出てきた店で買ったメスやらはさみやら、外科処置に必要な道具が入れられた袋がある。
 そしてフレデリカの腕には、先程渡した(もぎ取られた?)包帯などの袋の他に、縫合用の針と糸が大量に入った袋。
「フレデリカ」
「…………え?」
「重くないか?」
「え……ううん、平気、よ?」

 なわけないだろ。

 彼女の歩く速度は、目に見えて遅くなっている。元々体力がない上に、両手に抱える荷物の重い事。しかも、――ハシゴした店の位置関係の問題で――長距離を歩いている。
 加えて、この町。
 山を切り開かれて建設された町だった、とビュウは記憶していた。おかげで坂が無駄に多い。

 ビュウはしばし立ち止まり、後ろをゆっくりと歩いてくるフレデリカを待った。すると、彼女はこちらのそんな様子に気付いて、申し訳なさそうに顔を伏せる。
「……ごめんなさい、ビュウ」
「? 何を謝ってるんだ?」
「それは……――」
 口ごもった彼女はビュウと並ぶ。
 彼はフレデリカの言葉を待つが、けれど何も言ってこない。
 そのまま、奇妙に気まずい沈黙が二人の間に流れる。
 顔を伏せたまま黙りこくってしまったフレデリカと、そんな彼女に何を言っていいのかまるで分からずに何となく空を仰ぐビュウ。

(……何で)

 日は傾き掛け、ファーレンハイトを出た時には青く澄んでいた空は、徐々に暖かな黄を帯び始めている。

(何で、こんな事に?)

 が。
 根本的な原因は、全て二日前の自分にある。
 それが解っているからこそ、何を言っていいのやらまるで分からない。

(――……違うだろ)

 自分の考えを否定すると、ビュウは軽く、単なる呼吸と区別が付かないほど軽く、溜め息を吐いた。
 何を言っていいのか。
 何を言うべきか。

 そんなもの、決まっているではないか。

「――フレデリカ」
 急に呼び掛けられ、彼女はきょとんと顔を上げた。
「まだ、大丈夫か?」
「……え?」
「ちょっと行きたい所があって……で、もう少し坂を上るけど、まだ、大丈夫か?」
 自分が両手に抱える荷物と、こちらの顔を見比べ、
「……まだ、大丈夫」
 と、少しはにかんだように笑う。
「そうか。なら」
 こちらも笑って、やはり荷物を抱える両手を動かし、フレデリカの手から荷物を奪う。手提げのそれは指先に引っ掛かっているだけで、中々の重量に両手の中指が悲鳴を上げる。慌てて手首に紐を通したその時に、
「ビ、ビュウ――」
「さ、行こう」
 フレデリカに皆まで言わせず、ビュウは笑んだまま促す。
「早くしないと、日が暮れる」

 まったく、本当に手が足りない。
 だがまぁ、これも一つの罰だ。
 諦めよう。









 結局ビュウは、その与えられた役目の通り、ほとんどの荷物を一手に引き受けてしまった。
 フレデリカの手に残ったのは、嵩張るが軽く、抱えていてもそれほど苦にならない包帯類の紙袋二つのみ。
 抱える大量の品物に埋もれるようにしながらも、彼の歩く速さはフレデリカよりも上だった。足取りはしっかりとしていて、まるでふらつく様子がない。あれだけの荷物を抱え、これだけの距離を歩いているのに――それが、不思議だ。
 対してこちらは。
 それほど重くない荷物を持ち、彼と同じ距離を歩いているのに、時折体がふらついた。足がもつれ、転びそうになる。その度にビュウは慌てて振り返り、
「大丈夫か、フレデリカ?」
 ――まるで足手まとい。
 それを自覚して、フレデリカは自分の気分が更に沈んでいくのを感じる。
 そう、足手まとい。荷物のほとんどを持ってもらって、自分は圧倒的に軽いのしか持たず、しかし彼よりもフラフラしている。そして、気遣われている。
(……情けない)
 胸の苦しさに呼吸も浅くなりながら、それでも彼女が思うのは、そんなままならない自分の体への呪詛だった。
(情けない……。ちょっと歩いただけで、こんなに疲れて。情けない)
 情けない。そして、惨め。
 ビュウはどんどん先へ行く。
 フレデリカは苦しくて、足が重くて、追いつけない。
 距離がどんどん開く。
 フレデリカの足はいつしか止まりだし――

 顔を伏せがちにしていたせいで前がよく見えていなかった。
 だから、ゴツン、と額を何かにぶつけた。

 びっくりして改めて立ち止まると、額がぶつかったのはビュウの背中だった。衝撃に驚いたか、ビュウもまた目を見開いてこちらを振り返っている。
「フレデリカ?」
「あ、あ、ビュウ――……ごめんなさい、私、前見てなくて、それで」
「いや、急に止まった俺が悪いんだが……何でそんなしどろもどろに?」
 不思議そうに尋ねられ、フレデリカは改めて顔を伏せる。
「ん、えっと……その……」
「まぁ、別にいいけど」
 答えに窮している彼女に対し、ビュウはあっさりとそう話題を打ち切った。それから、視線をこちらから外し――気配で判った――、
「それより、ほら」
「……え?」
「見てみろよ」
 再び顔を上げると、明るく穏やかな笑顔の彼が、顎で左側――フレデリカから見て右側――を示す。つられて、彼女はほとんど無意識にそちらに顔を向けた。

 そしてそこに広がる景色に、絶句する。

「すっかり忘れてたけど、ガキの頃、この町に来た事があってさ」

 二人がいる場所。
 そこは、開けた坂道の途中だった。

「で、この時季のこの時間帯、ちょうどこの辺りで見た景色が、本当に綺麗で」

 見下ろせば、随分高い所まで来てしまったのだと分かる。
 切り開いた山の中腹辺りだろうか。なだらかな裾野に広がる白漆喰の町並みが一望できた。

「……無理させてごめん。でも、せっかくだったから、どうしても見せたくて」

 その白い町並みが、西日の穏やかで暖かな黄色に染まっていた。
 背後に広がる青く深い空とのコントラストが、美しい。

 金と、青の共演。

「綺麗……――」
 我知らず、フレデリカは感嘆の言葉を口にしていた。
「だろう?」
 少し得意げに聞いてくるビュウ。無言で頷く。すると彼は、視線をフレデリカと同じ方向に向け、しばらく押し黙った。
 どれくらいそうしていただろうか――

「――ごめん」

「え?」
 余りに唐突だったので、フレデリカはビュウが何を言ったのかが解らなかった。思わず彼の方を見やると、ビュウはこちらを見ないまま、淡々と唇を動かした。
「この前の事。あんな事、急にして……ごめん」
「ビュウ……」
「下心はあった。それは事実だ。だから、言い訳はしない。許してくれとも言わない」
 下心。
 その意味を悟り、頬がカッと熱くなる。
「ただ……謝りたかったんだ」
 けれど、その血を吐くように苦しそうな、しかし決然とした言葉は、もうフレデリカの耳に入っていない。

 下心。
 ビュウが、自分に、下心を抱いた。
 つまりあの時、例え理由は何であれ、ビュウは自分を、そういう風に見てくれた。

「ビュウ」
 静かに、彼女はその名を囁いた。彼はピクリと反応し、再びこちらを見る。
 その表情は、何と言うか、とんでもない悪戯をしでかして母親からの叱責を覚悟し怯える少年のそれを連想させる。
 微笑ましくて、実際、彼女はクスクスと笑う。
「フ、フレデリカ?」
 さすがにいきなり笑われるとは思わなかったか、ビュウの声に少し慌てたものが混じる。それもまたおかしかったのだが、とりあえず、
「もう十分」
「え?」
「もう十分。だから、そんなに気にしないで。ね?」

 もう十分。
 とりあえず自分にはまだ、チャンスがある。
 ビュウが最も気に掛けている女性――ヨヨに、勝ち得るチャンスが。

 それが解っただけで、もう十分。

「もう、日が暮れるわ。そろそろ帰らないと」
「あ、あぁ――そう、だな」
 いきなり話が切り替わった事に戸惑ったか、ビュウの応答ははっきりしない。
 常の彼からは想像できない姿が、今、フレデリカの眼前にある。
 それを知れたというだけで、ヨヨに張り合えている気がした。
 どこか納得のいかない顔をしながらも、それでもビュウは歩き出す。その歩調は緩く、こちらに合わされたものだとすぐに判る。
 それが妙に嬉しかった。少し、ほんの少し先を行く大きな背中を見つめて、フレデリカは更に微笑む。ほんの少しの憧憬も込めて。

 いつか、あの隣に並んで歩きたい。

 でも今は、これで十分。


 二人は無言で坂を下りていく。
 けれど、その沈黙は上っている時よりも暖かい。



 その色を黄から朱へと変じた陽光は、影へと隠れるその最後の時まで、二人を優しい色で包んでいた。



〜おしまい〜

 

 

 

 


 本当は、二人には腕を組んでもらうはずでした。
 ビュウフレ初デート、という事で、最後には腕を組んで坂を下りてもらう予定でした。

 荷物が大量でなければ(自業自得)。


 ビュウの子供時代については、『心〜』と絡ませて、徐々に明らかにしていきたいところ。
 そして、そろそろヨヨも本格的に登場させたいところ。

 

 

 

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