壇上で、教師の説教が延々と続いている。
ビュウはこっそり欠伸を噛み殺した。カーナ再興からかれこれ二年、文武を問わず王宮の上層部はどいつもこいつも超過勤務が常態である。
それはもちろん、戦竜隊隊長として将軍職を務めるビュウも例外ではない。
昨今の任務は軍の再建である。カーナ軍は専守防衛をその第一の任務とし、だからこそかつてのグランベロス帝国のような大がかりな軍隊組織は必要ないのだが、とは言え最低限度というものがある。
カーナと各国の国境付近を守る辺境守備軍、カーナ本土の各地を守る地方守備軍、そして王都に置かれる騎士団や戦竜隊を初めとした中央軍。
三軍合わせて、兵力十五万。
五年後までに、その数を揃えておきたい、というのがマテライトと共に参加するカーナ軍統合参謀本部での会議における結論だ。
――だが。
募兵、訓練、指揮官の育成、兵站の構築と維持、軍費の調達、その他諸々。
人材不足にもほどがある。何が悲しくて、それら全ての雑務をビュウが監督しなければならないのか。
(……仕方ないんだけどな)
寝不足の頭で、愚痴のような思いを転がす。
(グランベロスの馬鹿どものせいで辺境も地方も中央もズタボロ。各軍を取りまとめてた将軍なんて誰も生き残ってやしない。ほとんど一から組織しなきゃならないんだ、雑務に長けた俺にお鉢が回ってくるのも当然と言えば当然だ)
……自分で考えていて、悲しくなってきた。
あー、俺って、相変わらず貧乏くじ引きっぱなし。思わず盛大に溜め息を吐いて、
「あなた、静かに」
「……はい、すんません」
今年――いや、もう去年? ――結婚したばかりの妻フレデリカに小声で注意されて、答える声がとても情けない調子なのは、決まりが悪いからとかではなくて寝不足のせいだ。そうに決まっている。決まってるったら決まってる。
ピースブリンガー
「新年の説法で溜め息なんて、非常識な人ね」
厳しい言葉を紡ぎながらも、フレデリカの声は苦笑めいていた。
日付変更線をまたいで行なわれる元日の説法は、大多数のカーナ人にとっては新年最初の行事として当たり前に参加するものである。
が、ビュウにとって余り馴染みはない。両親の影響だった。神竜への信仰心など、他のカーナ人と比べるまでもなく皆無である。
それがゼロからマイナスに下がったのは、先年の戦争のせいだ。ビュウがただ一人忠誠を誓った主君ヨヨは、神竜どもに散々苦しめられた。畏敬とか畏怖の念とかまず最初に持っておくべき感情の過程全て吹っ飛ばし、気付けば嫌悪の対象である。竜でさえなかったら俺がぶっ殺すのに。しばしば呟いた騎士に女王は苦笑いしたものだった。
ともあれ、神竜信仰の盛んなカーナではあちこちに竜を祀る教会がある。かつてヨヨと赴き、何やかやで結局入らなかった俗称思い出の教会も竜の神像が祀られている。
ビュウが新妻に連れられて新年早々胡散臭い教師の説法を聞きに行ったのは、王都の一角にある、そんな教会の一つだった。
「しょうがないだろ。俺、ああいうの苦手だし」
「統合参謀本部での、専門用語や数字の入り乱れた会議は欠伸一つしないで乗り切るくせに? あなた、周りの人たちに笑われてたわよ」
言葉そのものは夫の行動に対する不満だが、フレデリカは笑っている。軽口だ。だからビュウも苦笑いを口元に浮かべる。
「次からは気を付けます」
「よろしい」
結婚してから、お互いの力関係が変わった。
それでいい。夫婦は女房が強い方が上手く行くのだ――母の尻に敷かれっぱなしの父の、強気なのだか弱気なのだか非常に判断に困る忠告を、真摯に実践しようと思ったのは入籍三時間後の事である。
何があったか、あえて語るまいが……恋女房の不機嫌な半眼に睨まれるというのは、正直、あのパルパレオスと兵力一万の軍を率いて対峙している方がマシだと思えるほど、恐ろしい体験だった。胃に穴が開くかと本気で思った。
そうしてお互い苦笑しながら、年明け一時間後の雑踏を自宅に向かって歩く。曇った夜空に魔法花火が打ち上がり、そこかしこから新年を祝う言葉が交わされていた。
吐く息は白くて、吹きつける風は身を切るように冷たいのに、浮かれはしゃいで道という道に溢れ返る王都の住民たちのおかげで、むしろ少し暑苦しい。
誰も彼も、新年の説法を聞いて帰宅する人々だった。
ビュウはその光景を、半ば新鮮な驚きと共に見つめる。気分はとてつもなく珍しい竜の群れに遭遇した時と同じだ。
「どうしたの?」
「いや」
田舎者もかくやとばかりに辺りをキョロキョロ見回していたビュウの様子を、フレデリカは不思議に思ったらしい。彼は再び苦笑を見せる。
「俺、昔から新年の説法なんて聞かなかったからさ。こんなに人出があるんだな、って」
「そうよ。知らなかったの?」
「この時間はもう寝てたし」
軍に入る前も、入った後も。
軍に入って、数年したところでグランベロスが世界中を攻め始めて、戦火はカーナにまで飛び火して、――そしてあの戦争が始まった。
敗戦と、敗走と、雌伏と。その数年間、新年をどうやって過ごしていたかなんてはっきりと思い出せない。
「――平和だな」
そんな事が急に実感できて、ビュウはポツリと呟いた。
隣を歩くフレデリカは、突然の夫の言葉にきょとんと目を見開いていたが、
「……そうよ。知らなかったの?」
さっきと同じ言葉を、優しく穏やかな笑顔で繰り返した。
「知ってたけど、知らなかった」
ビュウも笑顔を返した。雑踏の中、お互いの顔を見合って、二人は少しの間笑い合う。
カーナ解放。
カーナ再興。
荒廃した街や国土の復興。治安維持。宮廷を中心とした施政組織の再建。軍の再建。
それにオレルスの存亡の危機やら神竜たちの内輪揉めやらが加わって、何もかもが目まぐるしく過ぎていき、変わっていった。
平和になったのだと、実感する暇さえなかった。
「ねぇ、あなた」
「ん?」
「手、繋いでいい?」
フレデリカの不意の言葉に、ビュウはやけに新鮮なものを感じた。
何故か。少し考えて、答えを見出す。
付き合っていた頃も結婚してからも、手を繋いだ事なんて、なかった。
「ああ」
ビュウは手を差し出す。
フレデリカはそれに手を重ねる。
彼女の手は冷えている。ビュウの手はそう簡単には冷えない。この手の熱が彼女の手に伝わればいい、そんな風に思いながらしっかりと手を繋いで、雑踏を行く。
「改めまして、今年もよろしく、あなた」
「こちらこそ、今年もよろしく」
何発めかの魔法花火が曇り空に咲いた頃、ヒラヒラと雪が降り始めた。
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