「フレデリカ、今日ラッシュの奴が……」
「フレデリカ、出入りの商人からこんなの買ったんだけど……」
「フレデリカ、偵察飛行に出た時にさ……」
「フレデリカ、ほら」
「今日も、いい天気だぞ」
そうして私の世界は、貴方を通して広がっていくのです。
貴方の向こうの私の空
そもそもフレデリカは病弱で、何かあるとベッドに臥せる事が間々あった。まして現在戦争中、いくら彼女がプリーストで主な役目は後方支援、前線に出る事は決してなくとも、戦場に出る負担というのはやはり大きい。だから最近は日中でもベッドにいる事が多い。
最初の内は同情して頻繁に見舞っていた仲間たちも、ここ最近はすっかりご無沙汰だ。フレデリカはそれを薄情となじるつもりはない。仕方がないのだ。今は戦争中で、ベッドでウンウン唸るのは何も病人(フレデリカ)だけではなくて、むしろいつファーレンハイトが野戦病院と化してもおかしくはないのである。非常に平たく、そしてフレデリカの心情を少しも斟酌しない言い方をすれば、誰もが彼女にいちいち構っていられなくなった、そういう事だ。
仕方がない。
フレデリカは淡々とそう思う。本当は少し寂しい、とか、もう少し構ってくれてもいいのに、とか、そんな僻みのような気持ちを欠片も抱く事なく、本心からそう思う。
実際問題、仕方がないのだ。
戦争という状況は、身体的にも精神的にも、人間に大きな負担を強いる。その負担とは怪我だとか心の傷だとかであり、軍隊という組織においてそれは大きなマイナスである。それが元で戦場を離れざるを得ない兵士はザラだ。そして、まともな規模の――後方がしっかりしている軍なら、傷病兵を前線から後方に送り戻し、交代要員を送り込む事が出来るけれど、反乱軍はそうはいかない。何せ「後方」が存在しないのだ。戦場から離脱させなければいけないほどの傷病を抱える兵士が出たらどうするか、幹部たちは未だ来ないその恐るべき状況をとりあえず考えない事にしている。
つまり、思考停止したくなるほど恐ろしいという事だ。
そうした一方で、フレデリカが臥せっている理由というのは元々体力がないとか持病とかである。だから、フレデリカにとっては元々これが「普通」だ。「普通」だから、自分の面倒は自分で見られる。
極端な話、構われない理由というのが、いつか出るかもしれない「厄介な傷病兵」よりも手が掛からないからなのだ。あるいは、その「厄介な傷病兵」が出て誰もがそっちの面倒で掛かりっきりになった時のために、今から自分の面倒は自分で見られるよう慣れておいてくれ、と。
人材不足、ここに極まれり。いやむしろ、そんな傷病兵が出たら、臥せっていようが何していようが、フレデリカも手当てに動員される事だろう。それが反乱軍。それがプリースト。四人しかいないというのは、こういう時に大変だ。
だからまあ、仕方がない。
半ば諦めの境地で軽く溜め息を吐いた時、ベッドの傍にいた娘が少し顔をしかめた。
「なぁによ、人が話してる最中に溜め息なんて」
「あ……ごめんなさい、ディアナ」
謝ると、ディアナはわざとらしい拗ねた表情を作ってみせる。
「あたしが相手じゃ不満なのー? うわー、酷いなフレデリカー。ディアナさんちょっとショックー」
などと棒読みで言うものだから、フレデリカは苦笑を深めるしかない。するとディアナもケロリと表情を明るくして、
「で、何溜め息吐いてんのよ。……何? ビュウが来てくれなくて寂しい?」
「そんなのじゃないわ」
あっさりと、動揺の欠片もなく否定すると、ディアナはつまらなさそうに唇を尖らせ、
「あのさー、そこはさ、『え、あ、あの、べ、別に、ビュウの事なんて……』とか何とか言って顔を真っ赤にするものじゃない?」
「……そう?」
「そうよ」
力強く頷くディアナ。けれどフレデリカはいまいちピンと来ない。
「でも別に、忙しい時まで来てほしいとまでは私も思わないし」
今のところ、臥せるフレデリカの元をよく訪れるのがディアナとビュウである。
ディアナは同郷のよしみで、だ。艦内でやり取りされる噂話を、ベッドに臥せってばかりいる事でその辺りから切り離されているフレデリカに話して、楽しんでいる節もある。
ビュウは、おそらく、人員管理。反乱軍幹部の中で最も地味で最も忙しい仕事を請け負っている彼は、仲間たちの健康状態にまで目を配っている。フレデリカの元を訪れるのも、その一環だ。
――ただ、それだけにしては随分頻繁に来ているし、フレデリカもそこのところの不自然さには気付いているが、あえて指摘しない。ビュウがフレデリカの所に来て、色々話をして。その時のビュウの表情は明るくて、ビュウも話す事で気分転換しているのだな、と判る。
ならばフレデリカは、それに可能な限り付き合うだけだ。
今のフレデリカが反乱軍のために――ビュウのために出来る事は、それくらいだから。
「あ〜、もう、そういうところが奥手って言うか控えめって言うかさ〜」
その語尾のだらしない伸ばし方は何? 突っ込もうかと思ったが、その前にズイとディアナの顔が迫ってきたので、フレデリカは言葉を飲み込んで反射的に身を退かせた。
「もうちょっと図々しくなってもいいんじゃない?」
「……図々しく?」
「そうよ。もっと来てほしいー、とか、もっと構ってー、とか、キスしてー、とか、押し倒してー、とか」
……後半の発言がおかしかったのは、無視するとして。
曖昧に笑うフレデリカに、ディアナは呆れたようにやれやれとかぶりを振る。
「ビュウの事、好きなんでしょ? それくらいしたって罰当たらないわよ」
フレデリカは――
その言葉に、肯定も否定も返さなかった。ただ、曖昧な笑みを崩さないだけ。ディアナははぁ、と大袈裟に溜め息を吐いた。それからボソリと、
「……そんなんじゃ、ヨヨ様に取られちゃうわよ?」
けれどその言葉にも、フレデリカは動揺の欠片も見せなかった。
ビュウの事が好きか、と問われれば、多分、とフレデリカは曖昧に答えるだろう。
何くれと世話を焼いてくれるし、それでいて相手の前では決してそういう素振りを見せない。男にしては相手に対する自然な優しさと気遣いを身に付けている。一緒にいて楽しいし、そんなに肩肘を張る必要がない。
だから、多分、好き。
で、問題なのが、その「好き」が親愛なのか恋愛なのかいまいち判っていない事。
何せ寝たり起きたりの半生、男と付き合った事はおろか、今の今までまともに接した事自体が他の娘――例えばディアナ――に比べて少なめだ。錯覚なのかそうでないのかも判らない。判らないから結論は「多分」で保留だ。
でも、今のディアナの言葉に動揺しなかった理由は、それではない。
実のところ、内心は少しだけドキリとした。
ビュウとヨヨの仲の良さ――いや、いっそ仲睦まじさ、と言った方が良いか――はよく知っている。何せフレデリカはプリースト、臥せっていない時はヨヨの看病の当番に入らなければいけないのだ。何かにつけてしょっちゅう病床を訪れ、主君と談笑するビュウの姿は、最早日常茶飯事だ。
そのやり取りに恋人特有の甘やかさがなくて、むしろ家族のじゃれ合いのように見えても。
二人が一緒にいるのは余りにも自然すぎて、いっそ嫉妬すら湧かなくても。
『取られちゃうわよ』
……胸に湧き上がった感情は、妬ましさとも寂しさともつかない、それこそ曖昧な感情。
そんな感情を抱く自分は、やはりビュウの事が好きなのだろうか。それもまた曖昧で、フレデリカには判らない。
だから本当は、大雑把なくくりをしてしまえば、フレデリカは今、確かに動揺したのだ。だが、それを顔に出さなかった。出せなかった、と言えば良いか。
そんな事、言われなくても解っているのだ。
あの二人の様子を一度でも目の当たりにすれば、思い知る。例えあの二人の関係が恋愛であってもなくても、間に割って入るなんて事、出来はしないと。
隣に立つなんて。
まして、ヨヨ様からビュウを奪うなんて。
――「取られちゃう」なんて、ビュウが元々誰のものでもない事を前提にしなければいけない。その前提そのものが間違っているのだ。ビュウは、フレデリカが恋愛か親愛かも定かでない淡い想いを抱く前から、ヨヨのもの。「取る」のはヨヨではない、フレデリカの方なのだ。
でも多分、それは無理。
分かっているから、解ってしまっているから、動揺しない。しても顔にまで出てこない。
取られちゃう、なんて。
当たり前じゃない。
笑みをちっとも崩さない彼女に、ディアナは面白くなさそうに吐息した。
「少しは動揺しなさいよ、あんたも」
「ごめんなさい、無理」
間髪入れずに笑顔で返す。ディアナはガクリと肩を落とした。つまらなさそうに呆れたように、「あーそうですか」とぼやく。
「まったく、これだからあんたって子は……――っと、今何時?」
「えーと……もう三時」
枕元の時計を見て告げると、ディアナは慌てた様子で席を立った。
「いっけない。もう当番の時間だ。――ごめん、フレデリカ。あたし行くわ」
「うん、早く言って」
「ごめん。じゃ、また」
バタバタと忙しく、ディアナはフレデリカのベッドから離れた。遠くから扉を開け閉めする音。そのまま彼女は、駆け足でヨヨの部屋へと向かうのだろう。いつも通りの様子を想像して思わず笑みが漏れる。
そして、感情が途切れた。
それまで浮かべていた表情が不意に消え、寝ぼけたような無表情でフレデリカは二、三度瞬きをした。目の前の現実を確かめるように。
頭のどこかが、一気にスゥッと冷えていった。
夢から覚めたような、熱狂から我に返ったような。
妙に冷静に自分と、自分の感情と、自分の置かれた状況を見つめる。まるで離れた所に自分がもう一人いて、ベッドで上体を起こしている方の自分を眺めているようだ。そんな、自分が二つに乖離する感覚。
あぁ、いつも通りだ。
フレデリカはグルリと部屋を見回す。女性部屋のベッドルームには、今はフレデリカ以外には誰もいない。やってくる気配もない。すぐ側の窓を見る。その向こうの空はよく晴れていて青い。だが、空の直中を航行するこの艦の中にあっても、病床から空は遠い。
ディアナがいた事で遠ざかっていた現実。それが不意に迫ってきて、けれど彼女は泣いたりしない。そんな事は幼い時にやり尽くした。今更これくらいで波立つような心ではない。
ただ、ボンヤリと、思う。
(……一人だわ)
世界から切り離された。
どうしようもないほどに、それは慣れ親しんだ孤独。涙も出ないほどの。
遠くで女性部屋の扉が開いた。誰かが入ってきたらしい。それでもフレデリカはベッドルームの出入り口を見はしない。どうせこちらには来ない。それはいつもの事だ。だから見ない。けれど足音は近付いてくる。こちらに向かってくる。一体誰だろう。この時間のベッドルームに用なんて。フレデリカはそんな事をボンヤリと考えて、入り口の方にチラリと視線をやった。
次の瞬間、パッと顔ごと向けた。
「ビュウ……?」
「やぁ、フレデリカ」
ビュウはいつもの気安い様子で、挨拶代わりか軽く片手を上げた。
「今、いいかな?」
「え、えぇ、もちろん」
フレデリカの頷きに、ビュウはいつもの力強い足取りでベッドルームの奥まで来ると、先程までディアナが座っていた椅子に腰掛けた。それから、フレデリカの顔を覗き込むように窺って、
「調子はどうだ?」
「……いつもより、少し気分がいい、かしら?」
「何で疑問形なんだよ」
と、笑う。そんなにおかしかったかしら、と内心首を傾げながら、つられてフレデリカも笑っていた。
「でも、ヨヨより顔色はいいな。安心した」
「……ヨヨ様、今日もお悪いの?」
「いつも程度にな」
「私の所に来てていいの? ヨヨ様の所にいた方が――」
「さっきまでいた。いても邪魔だから出てけ、って言われたし、夕方にはまた哨戒に出なきゃいけないからな。いても仕方ない」
「また哨戒? 何だか最近、少し回数が多くなったんじゃない?」
「――あ、そうか。まだ他の連中にはちゃんと報告してなかったな。まあ、確定していないから無駄に言い触らすなって幹部連中やラッシュたちには緘口令を強いておいたから、耳に入ってないのも当然だな」
「何かあったのね?」
「……三日前の哨戒で、グランベロスの哨戒部隊っぽいのとぶつかりかけた。向こうも気付いてなかったからやり過ごしたけど、もしかしたらこの辺に哨戒艇がいるかもしれない」
「見つけたら、戦闘?」
「いや、面倒だから避けて通る。向こうが見つけて追いかけてきたらまた別だけどな」
「……そうならないといいけど」
「ま、精一杯努力はするさ――と、悪いな、いきなりこんな話で」
「ううん、そんな事ないわ。ありがとう」
フレデリカは笑う。ニッコリと、花のように。ビュウは何故かしばしポカンとして、それから慌てたように顔を背け、そういえば、と別の話を始めた。
まるで、照れているみたいだ。それが少し嬉しい。
そうしてフレデリカはビュウの話に聞き入る。その向こうに広がる情景を思い描きながら。どうという事のない世間話や、まるで冒険譚のような昔話に心躍らせながら。
そしてフレデリカは思う。
あぁやっぱり、私この人の事が好きなんだ。
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