……誓おう。生涯……大切にすると……
……なら、その証を立ててみせろ……――
夢の中でそんな声を聞いた気がして、ビュウは目を覚ました。
気分が悪い。最悪だ。うつぶせ寝の姿勢から這いずるように起き上がる、その動作だけで頭が内側から爆ぜるように痛んだ。同時に、腹の底から何とも言えない不快感がせり上がってくる。
口元を押さえ、吐き気をこらえ、ビュウは痛む頭に顔をしかめた。ひどい痛みだ。何でこんなに痛むのか? 帳簿つけと書類作成のコンボによる眼精疲労でも、これほど痛くなった事はない。
(何だ……? 何で、こんな)
痛みのせいで思考まで鈍る。何で、という根本的で根源的で漠然とした問いから先へと進まない。もやがかった、という言葉が可愛く聞こえるほどのとんでもない頭の中の濁り。手探りどころか顔を突っ込んでも先が見えそうにない。
腕を立て、身を起こす事で背中のかけ布団をのける。布団の上で正座をし、胡坐をかき、そしてようやく自分が戦闘服のまま寝ていた事を知る。いい感じのしわくちゃ加減だ。あとで伸ばすのが大変だなぁ、と半ば他人事のように胸中で一人ごちて――
やっと、気付く。
ベッドの横、ビュウから見てちょうど右側。
天井から吊るされているパルパレオスの白目を剥いて真っ赤な顔が、あった。
吊るされたアイツと二日酔いの俺
発見から、きっかり三秒。
「……何だ、夢か」
「ちょっと待てビュウううううううううううぅぅぅぅぅっ」
無感動に呟いて再び布団に潜り込んだビュウに、どうやら気絶していたわけではなかったらしいパルパレオスが地を這いずるような低い声で呼びかけてくる。
あ、こいつの声って意外にウゼぇ。どうでもいい発見と共にビュウは再び起き上がり、
「夢が俺に突っ込むんじゃねぇよカボチャパンツ」
「誰がカボチャパンツだ! そもそも俺は何故吊るされている!? 下ろせ!」
「ってかあんた何で俺の部屋にいんの? 何? 問答無用に殺されたいの? それともじっくりねっちりなぶり殺しにされたいの?」
「何その二択!? とりあえず下ろして事情聴取という選択肢はないのか!?」
「『何故吊るされている?』とか聞いてくる奴に事情聴取しても無駄だろ。つまり、死ね」
「外道にもほどがあるなビュウ=アソル!」
「いやぁ、そんな褒められても」
「褒めてない!」
「まあそれは冗談として」
今度こそ本当に布団をはねのけ、ベッドに腰かける形に座り直し、足を組んでビュウは吊るされたままのパルパレオスを見やった。
「ところでパルパレオス、あんた、頭に血は上ってねぇのか?」
「ああいい加減上っていてガンガンするし鼻血が出そうだ! だから下ろせ!」
「ここで鼻血なんて汚いもん出されたくないが、あんたを素直に下ろすのも癪だ。腹筋使って体を起こせ」
「お前何様のつもりだ!?」
「この部屋の主様」
間髪入れずにそう言い返した、その瞬間。
パルパレオスは、ギュッと硬く瞑目した。
それは苦痛に耐えている姿にも、屈辱に身を浸す姿にも見えた。
そして、ややあってから、
「――……ふんっ!」
気合い一声。
さすがはグランベロスの元親衛隊隊長、鍛え抜かれた腹筋は伊達ではない。パルパレオスは上体をほぼ百八十度起こすと、拘束されていない両腕で自分の両足首をガッチリ縛っている縄を掴んだ。
ゼェハァと、息が荒い。
しかしそこはさすがグラン(以下略)、呼吸の乱れはすぐに収まり、何か病気を疑いたくなるほどの顔の紅潮も一緒に静まっていく。
上った血は下がったようだった。
「はい、お疲れ」
「……ああ」
「しかしあんた、まさか一晩中逆さ吊りになってたのか? よく頭の血管切れなかったな」
「そこが分からんのだ」
と、縄を掴んだまま姿勢を直しつつ、パルパレオス。
「そもそも、俺は何故お前の部屋にいる? 何故吊るされている? 昨日の夜、お前と何か話した記憶は漠然とあるのだが、それがどうしてこうなっているのか……」
そう首を傾げる彼の言葉に、ビュウもまた首を傾げた。
ふと思い出したのは、目覚める前に見た夢の声。
誓おう。生涯大切にすると――これは、パルパレオスの。
なら、その証を立てろ――これは、自分、の。
次の瞬間ビュウがやったのは、自分の尻に手を当てる事だった。
「――……ケツは、……痛く、ねぇか」
「って何を心配している貴様は!」
「一応万が一に備えて念のために聞いておくが、あんた、ケツが痛かったりしねぇか?」
「痛くなどあるか! と言うか逆さ吊りで尻が痛くなる、とはどんなプレイだ!」
「いえ、その辺は経験豊富なパルパレオス殿の方がお分かりかと」
「いきなり慇懃になるな――――っ!」
まったくどうでもいい話だが、ここまでの会話、一応それなりに声をひそめている。
カーテンも閉めていない窓から差し込む光はまだ淡い。おそらく夜明け前、ファーレンハイトの各所が起き出す寸前といったところだ。さすがにこの時間に声量を気にせず騒ぎまくるのは良くない。主に隣の部屋で寝るマテライトの機嫌を鑑みて。
この時間にお互い目を覚ませたのは、幸運と言えた。
とりあえずこの場で起こった出来事は何もかもなかった事にし、さっさとパルパレオスを下ろして部屋から追い出して忘れてしまえば、何の問題もない。ノープロブレムだ。モウマンタイだ。
――が。
本能が、告げている。
いやいやいやここでうやむやにしちゃマズいでしょ、何かこう、アレ的に。
(――「アレ」って何!?)
よく分からないが、まあ、それはさておいて。
ビュウも戦場で長く暮らす男である。生きてきた年数に対する戦場暮らしの年数の割合で言えば、パルパレオスを上回る。幼少期から極限下で生きてきた経験が、「困った時は本能に従っとけ」という頼りになるんだかならないんだかよく分からない訓辞を寄越してきていた。
そしてそれが外れた事は、二十数年の短い人生の中で、一度もない。
「――状況を、整理しよう」
眉間に手を当て、ビュウはそう宣言する。
「まず、昨日の夜だ。――あんた、最後の記憶は?」
「……酒を、ヨヨに随分飲まされた……気が、する」
――新年は、艦上で迎えた。
年賀の宴は、ひっそりと、こじんまりと開催された。何せファーレンハイトは今、敵地に向かってまっすぐに航行中である。軍事行動中の無礼講はご法度だ。
が、そこはそれ、色々鬱憤も溜まる軍事行動。多少は目を外しても大目に見よう、とは、マテライトやセンダックのような他の幹部連中と決めていた。
料理が供され、酒が供され。
パルパレオスの亡命以来色々鬱憤の溜まる事も多いビュウもまた、いつもより多めに飲んでしまった。
食堂で開かれた宴は午後九時くらいには閉幕となり、見張りの当直がある者はさっさと持ち場へ、寝たい者はとっとと部屋へ、まだダラダラ溜まっていたい者は食堂に居残り、飲み足りない者は女性陣の部屋の隣にあるバーでひっそりと、という流れになった。
ビュウは、バーに流れた口だ。
そこでまた結構飲んで……――
「「で、何でこうなっている?」」
全く同時に呻いても、答えは出ない。
となれば話は一つだった。
ビュウは上着を脱ぐ。壁のハンガーにかけていたタオルを手に取る。
「ビュウ?」
「聞き込みに行ってくる」
「聞き込み?」
ああ、と頷いて、
「俺とあんたでウダウダ言い合ってても埒が開かないだろ。誰か事情を知ってそうな第三者を探して話を聞いた方が早い」
「……それも、そうだな。では俺も――」
「だが俺はあんたが俺の部屋から出てくるところなんて万が一にも億が一にも目撃されたくないので、あんたはそのまま吊るされてろ。じゃ」
「待て、ビュウ――――」
待つわけあるか。
顔を洗いに行く素振りで、ビュウは部屋を出た。
(にしても……)
冷たい水で顔をザバザバと洗う。ついでに口もゆすぐ。口の隅々、歯と歯の隙間にまで浸透したアルコール分がそれでいくらか流れた気がしたが、その冷たさは頭の仲間で澄み渡らせてくれない。
タオルで顔を拭いながら、ビュウは、鏡の中の自分の顔を見つめる。
酷い顔をしていた。
多少ひげが伸びているのは仕方ないとして、肌の色はくすみ、目は充血し、普段ならないはずのしわ、と言うかたるみが見える。薄らとした隈まであった。
頭の痛みはまだ取れないし、吐き気も思い出したように襲ってきている。吐いちまった方が早いかと思うが、生来の貧乏性がその行為に対しどうにも拒否反応を示していた。どうせ胃の中に詰まっているものなど中途半端に消化された酒のつまみとアルコール臭い胃液だけなのに。
(何で、パルパレオスの野郎が俺の部屋にいる?)
食堂での一次会は、食事を中心に過ごした。酒も、酔っ払うというほどではないが結構飲んだ。
バーでの二次会から、記憶があやふやだ。
そもそも同じくバーに流れた面子が思い出せない。誰と一緒に何を話しながら何を飲んでいたのかも、だ。
(……いくら何でも記憶が吹っ飛びすぎじゃねぇか、俺?)
ビュウは元々それほど酒に強くない。
多分これは、遺伝的なものなのだろう。母もそれほど強くないし、とっくの昔に死んだ実の父も弱い方だったらしい。「父親」と言ってまず最初に思い出す血の繋がらない継父は結構強い方で、こういう時痛切に、切実に、何であっちの息子に生まれなかったかなーと自分の生まれにガックリしてしまう。
とにかく、誰かに昨夜の自分の様子を聞かなければならない。だが、
(問題は、誰にどう聞くか、なんだよな……)
下手な奴に下手な聞き方をするわけにはいかない。
例えば、そう、ディアナだ。すごく極端な例だが、ディアナに「昨日、俺とパルパレオスに何かあったか知ってる?」なんて聞いたらどんな事になるか。
今日の昼までに、ファーレンハイトはビュウとパルパレオスのホモ疑惑で持ちきりになるだろう。
それを思ってゾッと背筋に怖気が走った。マズい。それはマズい。ディアナは艦内の事情通で、人間関係把握に実にありがたい存在なのだが、今回ばかりは頼れない。と言うか、頼ったら終わりだ。主にビュウの男としての人生が。
となると――と、ビュウは思いを巡らせながら洗面所を出、
「――きゃっ」
「おっと、悪……」
謝りかけた声が、途切れる。
というのも、ぶつかりかけた相手が、
フレデリカだった。
瞬間、ビュウは身が退けるのを感じた。真っ白な布の上に垂らした黒インクのごとく胸の内に後ろめたさが脈絡なく生まれ、ジワジワと良心のようなものを侵食する。
それは、まるで、そう――浮気がバレかけている亭主のような。
(いや!? いやいやいや!? 浮気してないし!? 亭主じゃないし!? って言うかあんなカボチャパンツと浮気なんてしないし!?)
「……ビュウ? どうか、した?」
「浮気なんてしてませんヨ!?」
「……浮気?」
「――あ、いや、えっと……忘れてくれ」
何か色々錯乱していたらしい。我に返り、呼吸を整え、落ち着いて表情やら何やらを取り繕い、改めてフレデリカと向き合った。
「……随分早いな、フレデリカ」
「ヨヨ様の朝の診察、当番なの」
「――あ、そうか」
そうだ。確かフレデリカはそれがあるから、と一次会が終わった段階で部屋に戻ったのだ。
彼女がもう休んでいたから、バーではビュウたちも静かに飲む事にして――
「そういえば、ビュウ、大丈夫?」
「は?」
「昨日、大分飲んでいたみたいだったけど」
フレデリカに悟られないように、心の中で喜ぶ。
事情を知っていそうな奴、一人見ーっけ!
「……少し二日酔い気味、かな。大分飲まされたし」
と、苦笑するビュウ。フレデリカも仕方なさそうにフフッと笑って、
「でも、結構楽しそうだったわよ?」
「そう?」
楽しそうだった――誰と?
その答えは、こちらから水を差し向けるまでもなく、フレデリカの方から提示してくれた。
「センダック老師と、一体何をそんなに熱心に話してたの?」
(センダックだとおおおおおおおおおおっ!?)
もちろんそんな絶叫は決して声には出さず、ビュウは艦橋に上がった。
ホーネットはまだ上がってきていない。それは幸運な事だった。これから起こるかもしれない事――最悪、騒動――を考えれば。人気のない艦橋を壁沿いに進み、館長室に続く奥の扉の前に立った。
脈が嫌な感じに激しくなっている。
逃げ出したい、という欲求が激しくなる。
それを、昨日の事を把握しておかねばという(無理矢理な)義務感で全てねじ伏せる。
深呼吸。
生唾を飲み下す。
そして――
――コンコン。
…………………………
返事は、ない。
そうかまだ寝ているのか朝早いしなそれじゃ仕方ないよなよしやめとくか無理矢理起こすのも悪いし、と頭の中に一気に流れ出す逃げたがりの思考。それらの前に、「いや、昨日の事把握しとけよ! パル公の事じゃなくて、センダックと二人で話していた件について!」という極めて真っ当な意見は、マテライトの濁声の前のフレデリカの控えめな声のごとく呆気なく掻き消されてしまう。
そんな思考の濁流に体が従った。左足を引いて、回れ右、
「――はいはい、ちょっと待ってね、今出るから……」
しようとしたその時、扉の向こうから聞こえてくる控えめで優しげな声。
ああ俺の馬鹿何で早く逃げなかった!? 本能が上げる悲鳴に言い訳をするより先に、扉がガチャリと開いてしまった。
「――ああ、ビュウ、おはよう。こんなに早くにどうしたの? わし、ちょっとびっくりしちゃった。何か、あった?」
その時ビュウもびっくりしていた。
いや、これはビュウならずと誰もがびっくりするだろう。
だって、さ。
扉を開けて出てきたセンダックが、
(……………………フリルの寝間着!?)
デザインが可愛らしい上に、それが妙に似合っている。
さてこうした時、目下の者としては何を言うべきか?
一、「おはようセンダック、その寝巻き、似合ってるな」。
二、「おはようジジイ! その寝間着、気色悪いな!」。
考えた末、ビュウは第三の選択肢を選ぶ。
「おはようセンダック。悪いな、こんな朝早くに」
第三の選択肢=スルー。
付き合ったら負けだ。突っ込んだらもっと負けだ。
「ううん、わし、ちょうど起きて着替えるところだったから」
ならもっと遅くにノックしとけば良かった俺の馬鹿!
「でも、どうしたの?」
「あ、ああ、実は昨夜の事なんだけど……」
センダックと向き合って湧き起こる様々な感情を義務感で封じ、ビュウは用意してきた言葉を口にした。
「随分迷惑をかけたみたいで、悪かったな、センダック」
「迷惑?」
と、怪訝そうに首を傾げるセンダック。
しまった、読み違えたか。一瞬そんな懸念がビュウの脳裏をよぎる。
しかしビュウは自分の酒癖を知っている。落ち込み上戸で愚痴上戸。そんな自分が記憶を失くすほど酒を飲んだらどうなるか。
果たして、センダックが続けた言葉は、
「――ああ、別にいいのに、そんな事」
ビュウの予想を是とするものだった。
「確かに、将軍が来てくれて姫の調子が心身共に良くなってきた事は喜ばしいけど、だからこそビュウも色々鬱憤とかあるよね。ちょっとの愚痴くらい、わしで良ければいくらでも聞くよ」
やっぱり愚痴か。
しかもネタはパルパレオスか。
余りにもベッタベタで逆に落ち込む。
「そんな事、わざわざ謝りに来てくれなくても良かったのに」
「いや、センダックだって色々あるだろ? それなのに俺の愚痴を一方的に聞いてもらったから、悪かったなって」
「最初に愚痴を言い始めたのはわしだよ。神竜の事とか、姫……じゃない、女王の事とかで、色々。わしの方こそ、付き合わせてごめんね?」
付き合ったのか。
となると、その延長線上で「俺こそ……」とか何とか口を言い始めた流れか。
酒を飲むと口が軽くなるのかも。ヤバいヤバい。ビュウは密かに自重を心に決める。
「――でも、そのあとどうなった?」
「……は?」
不意のセンダックの言葉に、首を傾げるビュウ。
センダックはほら、と続けた。
「将軍がさ、わしらの所に来たじゃない。ビュウは将軍と一緒にバーを出ていったけど、大丈夫だった? 喧嘩とか、してない?」
「いや、喧嘩は……」
逆さ吊りは喧嘩の結果なのかどうなのか。
「……してないけど」
「そう? なら良かった。わし、とっても心配してたの」
「そりゃすまなかった」
「でも」
と。
センダックは、不意に眉を曇らせた。
「姫も、将軍をビュウの所に行かせる、なんて、何考えていたんだろうね?」
「やっぱりお前が黒幕かヨヨ――――――――――っ!」
絶叫と共にビュウはその部屋に踏み込んだ。
ファーレンハイト二階奥、ヨヨの居室である。
既に朝の診察の時間なのだろう、部屋に鍵はかかっておらず、ヨヨ以外に誰かいる気配があった。多分フレデリカだ。
だからビュウは遠慮なく踏み込んだのだが――
「……何の事?」
驚きで両肩を跳ね上げさせたフレデリカを左に侍らせて。
ビュウの主ヨヨは、ひどく不思議そうに首を傾げた。
その様に、ビュウもまた首を傾げ――
ガチャリ、と扉を開けて中に滑り込めば、天井近くの縄に捕まっていたパルパレスが安どの表情を見せた。
「戻ってきたか、ビュウ」
「ああ」
「それで、俺たちが何故こうなっているのか分かったのか?」
「まあ、一応」
「そうか。なら聞かせてくれるか。いや、その前に縄を切ってくれるか?」
しかし。
ビュウはその言葉に応じず、自分のベッドに再び腰かけた。
「おい、ビュウ?」
呼びかけてくるパルパレオスを半眼で見上げながら、溜め息を一つ。
「結論から言うとだな、パルパレオス」
「は?」
「これは一応、あんたのせい、になるな」
突然かけられた濡れ衣にパルパレオスは眉をひそめ――
ビュウは、呆れた思いで肩を竦めた。
数分前の記憶を、蘇らせる。
『……何の事?』
『何の事、って、お前がパルパレオスを俺のとこに寄越したんだろ? おかげで俺がどんな目に遭ったか――』
『パルパレオス、貴方の所に行ってたの?』
『は?』
『昨日の宴のあと、一緒にこの部屋でワインを飲んでいたの。その時に私、ビュウと仲良くやってる? って聞いたの。どうせ仲良くやってるわけないって思ったんだけど。そうしたらパルパレオスってばそれを気にしてるのか、貴方に受け入れられるにはどうすればいいのか、って言ったの。だから私』
『土下座でもしてみたら? って』
『……おい、お前は俺を何だと思ってる?』
『ドSの外道』
『お前に言われたくないぞドSの悪女』
『私はいいのよ、パルパレオスってドMだもの。だってそれを聞いて彼、こう言ったのよ? 土下座ごときで俺の誠意が伝わるのか、って』
『土下座「ごとき」って表現を俺は初めて聞いたぞ』
『私も。で、土下座が駄目ならあとは逆さ吊りとか? って言っちゃったわけ。そうしたら』
「『逆さ吊りか……それもいいな』とか言ったんだとさ、あんた」
呆れまみれの声に、天井近くのパルパレオスが絶句の余り何も返してこない。
そしてビュウの方はと言えば、フレデリカやセンダック、ヨヨから話を聞く内に、今こうして話す内に、失くしていた昨夜の記憶が概ね蘇った。
そう。バーでセンダックに愚痴っていたら、パルパレオスがフラリとやってきたのだ。
話がある。聞いてほしい。そう言った顔がやけに深刻そうだったから、これは茶化すのもどうかと、酒に酔った頭なりに冷静に判断したのだ。だからビュウは仕方なくパルパレオスをこの部屋に入れた。
話の内容がこれからの軍事行動に関わる事だったり、ヨヨの事だったりすると余人の聞かれるのはマズい、そう思ったから。
そうしたら、パルパレオスはビュウに向かってこう言ったのだ。
『俺は、どうすればお前に認めてもらえる?』
『知るか』
『答えてくれ。俺は、お前に認められ、受け入れてほしいのだ』
『いやだから、知るか』
『ヨヨが、心配しているのだ』
ヨヨの名を出されたら弱いのがビュウである。例え酔っていようと風邪を引いていようと錯乱していようと、ヨヨのために働き、ヨヨのために死に、ヨヨのために生き抜くのがビュウ=アソルという男だ。
その矜持があるから、ビュウも邪険に扱えなくなった。
『あんたは、ヨヨが大切か?』
『もちろんだ』
『俺も、大切だ。ヨヨは、俺の大切な主だ。俺にとってたった一人の、唯一の、女王だ。あんたは何の因果か俺の主に惚れた。彼女を愛した。だが俺は、恋愛感情ってモンを余り信用していない。あんたが何かのきっかけでそいつを失くして、ヨヨを悲しませる可能性は否定しきれない。
だから俺は、あんたを信用しきれない』
『…………』
『俺にとってあんたは、ヨヨを悲しませるかもしれない男だ。そんなあんたが、この俺に誓えるか? ヨヨを大切にし、泣かせないと誓えるか?』
『誓おう。生涯、ヨヨを大切にすると。この俺の命と誇りに懸けて』
『なら、その証を立ててみせろ。あんたは信用しても大丈夫だと俺に納得させろ』
『では――』
「……それで逆さ吊りってチョイスは普通ないよな」
「…………ないな」
淡々と語るビュウの言葉に、パルパレオスの記憶の方も蘇ったらしい。彼は、きっと両手が自由だったら頭を抱えていただろう、そんな途方に暮れた表情をしていた。
それが何だかどうしようもなく哀れで、ビュウは思わず一つ吐息する。部屋備えつけの机に近付くと工作用のナイフを引き出しから取り出し、それで天井から吊り下がるナイフを切った。
パルパレオスの両足が、天井から解放される。
縄に掴まったまま両足を床につけるパルパレオス。しゃがみ込み、両足首を拘束する縄の余りの部分を器用にほどいた。それから椅子を使って天井の縄も外し、
「……迷惑を、かけたな」
「まったくだ」
「すまなかった」
「一つ、忠告しといてやるよ」
話の途中からこちらと目を合わせないようにしていた彼は、その言葉で改めてビュウを見つめてきた。
ビュウは、少しだけ意地悪く笑ってやる。
「ヨヨと付き合っていくんなら、例え酔ってる時でも、軽口と本気の言葉の区別をつけられるようにしとけ」
すると。
パルパレオスは、口元に苦笑を上らせた。
「……ああ、そうする」
そう言って、二本になった縄を手にパルパレオスは部屋の戸口に向かう。その背にビュウは声をかけた。
「どこ行くんだ、あんた」
「……は?」
不思議そうに振り返ってくる。そして不思議そうな声で、
「自分の部屋に戻るに決まっているだろう」
「どこから」
「ここから」
そう、パルパレオスはビュウの部屋の扉を指差す。
ビュウは顔をしかめた。
そして一言、
「アホか」
「……はい?」
「もう皆起き始めてんだぞ? 聞こえるだろ、廊下を歩く足音だとか話し声だとかが。そんな中、お前が俺の部屋から出る? 本気でホモ疑惑の噂を立てられたいのか?」
「ホモ……!? いや、それは確かに困るが、ではどうしろと!?」
「決まってんだろ」
ビュウは窓に歩み寄った。
開ける。
――ピィィィィィィィッ!
高らかに、指笛を吹く。
するとさほど待たず、ワンッ、という鳴き声が聞こえた。
甲板の方から飛んでくる影は、雫型の一つ目ドラゴンのそれ。
一つ目ドラゴンことムニムニはビュウの部屋の窓の外でピタリと停止、滞空し始めた。おーよしよしよく来たなぁムニムニぃ、と手を伸ばして頭を、肌を撫でてやる。
そして、改めてパルパレオスの方を見て、
「乗れ」
「そこからか!?」
「当たり前」
「それでどうしろと!?」
「ムニムニにあんたの部屋まで連れてってもらえ。窓から中に入って、さも『今まで部屋で寝てましたよ』って顔をするんだよ。それが」
ビュウは、パルパレオスを睨む。
冷ややかな眼差しに、相手は僅かに後退りした。
「あんたが勝手に作り出したこのクソふざけた状況を打開する概ね唯一の方法だ」
「概ねという曖昧さ加減がいささか気になるぞ!?」
「いちいち興奮してんじゃねぇぞカボチャパンツ。ほれ選べ、窓から上手くムニムニに乗るか、失敗して落ちるか」
「その二択おかしいぞ!?」
「いや、極めて普通だぞ俺的に」
「お前外道だなビュウ!」
その言葉に。
ビュウは、笑みを見せた。
「ありがとう、パルパレオス」
笑みを、深める。
凄絶に。
獰猛に。
「だが、ヨヨに言わせると、俺はドSの外道らしいがな」
「――――――――っ!」
声にならない悲鳴を上げて――
パルパレオスは、観念する。
運命を、受け入れる。
あー成程確かにドMだわこいつ、と、ビュウは涙目で窓からムニムニに乗り移ろうとおっかなびっくりに試みるパルパレオスを見て、しみじみと実感したのだった。
|