時々、思うのだ。
この人の未来に、私はいるのだろうか――と。
未来予想図
この戦いが終わったら、どうする?
「……何でいきなりそんな?」
「部屋でディアナたちが話してたの。この戦いが終わったら、皆どうするの、って」
「まだそんな事考え出す情勢下でもない気がするんだが」
「いいじゃない。ちょっとしたお喋りだし」
「……確かに、女性陣の会話の話題にまで俺が口出す事はないんだけどな」
天気の良い日だった。
真っ青な空に白い雲がまばらに流れ、穏やかな陽光が降り注いで大気を柔らかく温ませていく。ポカポカとした陽気は何となく生きるもの全ての心を弾ませ、空を行く鳥も、甲板に鎮座する竜も、そして何かと動き回る人間たちも、全てが全て、ただそこにいるだけで何故か妙にウキウキとするような。
戦竜たちの世話をしているビュウに、別の用事があって彼を探していたフレデリカがそんな話題を持ち出したのは、要するに、そういう戦時下とは思えないほどのんびりとした日の事だった。
「それで、どうなの?」
「――え?」
「だから……戦いが、終わったら」
ビュウはフレデリカから視線を外すと、すぐ傍にいたサラマンダーのルビーのような鱗を撫で、
「……この前の傷は、もう大分良くなったみたいだな。悪かったな、サラ。もう無茶はさせないからなー」
口を開いたかと思えば、案の定、愛竜の事だった。思わず溜め息を吐く。
フレデリカとて、解っている。ビュウという男はこういう男だ。三度の飯より竜が好き。――いや、作戦行動中の場合、実際のところ三度では済まないのだが。
そういうところも含めて、好きなのだが……――と、そうではなくて。
「……で、ビュウ?」
「ん? ――あぁ、そういえば、サラの手当て、手伝ってくれてありがとな。あの時は大騒ぎで、礼を言うどころじゃなかったしな」
「嫌だわ、ビュウ。そんな事気にしないで――って、ちょっと?」
「え? あー、そうだった」
やっと思い出したか。
「君の方から提出されてた、新薬の購入申請。……思うんだが、あれはちょっと高くないか? せめてもう少し安い薬を……」
「って違うわよ!」
つい怒鳴って突っ込み。次の瞬間、急に血が昇って下がったせいで頭がクラリと揺れる。立ち眩みにも似た眩暈。
「大丈夫か?」
傾いだ体は、ビュウの片手であっさりと受け止められた。右肩を優しく掴み、こちらが我に返ったのを見ると少し引っ張って簡単に元の姿勢に戻す。
「あ……ありがとう……」
「どういたしまして。
で、例の購入申請なんだけど――」
「ねぇ、ビュウ」
再び始まりそうな経理の話を何とか遮って、フレデリカは、話題の修正を試みる。
「もしかして、わざと話を逸らしてる?」
「何が?」
「だから……」
何だか堂々巡りになってきた気がするのは、自分の気のせいだろうか?
だが、この徒労感は決して気のせいではない。
そしてその徒労感を圧して、フレデリカは、辛抱強く問うた。
「この戦いが終わったら、って話」
「…………」
ビュウはフイッとそっぽを向いた。
つまり、肯定なのか。
何となく肩を落とすフレデリカ。するとビュウは、
「――フレデリカは?」
「……え?」
予期していなかった振りに、思わずきょとんとする。対する彼はいつの間にか顔をこちらに戻して、
「この戦いが終わったら、フレデリカはどうするんだ?」
「私?」
ビュウは一つ頷く。
「私は……」
――夢想なら、山ほどある。
健康になりたい。
綺麗になりたい。
勉強したい。
白魔法だけでなく、薬学も。
出来れば、自分で新しい薬が作れるくらいになりたい。
この胸を侵す病を簡単に治せる特効薬を作りたい。
でも、その中で一番強い願望は、と言えば。
「……薬屋を、開きたいの」
「薬屋?」
「そう。自分のお店。世界中の薬を取り扱って、どんな病気の人にも対応できるように。患者さんの話を聞いて、その人の症状に合った薬を処方して……」
薬と付き合うような人生だった。
親しい友が常備薬というこれまでだった。
ならば、その関係をより良く維持していきたい。
頼るだけでなく、もっと、違う形で。
それから、ふとフレデリカは笑った。
「……その前に、勉強しなきゃいけない事がたくさんあるけど」
薬学だけではない。
店を開くためには何が必要か。経営はどうするか。薬の仕入れはどうするか。店の用地は。購入か賃貸か。そのための資金は。
考えなければならない事、学ばなければいけない事は山ほどある。それこそ、数え上げ始めればうんざりするくらいに。
でも、何故だろう?
うんざりするはずなのに、同時に、何故か心が躍るのだ。
ふと、ビュウを見た。
彼は笑っていた。
楽しむようで、面白がるようで、しかしこちらを見守ってもいるようで。
この笑顔が、ずっと隣にあれば。
そう――ずっと、傍にいてくれれば。薬屋は小さくていい。凄く繁盛、というところまでいかなくてもいい。こじんまりとした薬屋で、彼と、ずっと、ずっと。
「……ねぇ、ビュウ?」
そう考えるだけで、先程以上に心が躍るのは、どうしてだろう。
「もし、この戦いが終わったら……」
終わるかどうかも分からないこの戦争の、その先の話。仮定の上に成り立つ仮定はまるで砂上の楼閣のように脆くて、だからこそ心惹かれる。
「私と一緒に、薬屋、やらない?」
と言ってしまってから。
「ああああああっ! あのね、別にね、そういうわけじゃないのよっ!」
我に返ったフレデリカは、自分でもはっきりと分かるほど真っ赤になって大慌てで弁解を始めた。
「えっとね、ただちょっと思っただけなの! ビュウと一緒なら、例えばお店を立てるにもその場所を探すにも、色々便利かなー、って! ――あ、ごめんね何か道具みたいな言い方しちゃって! でもビュウってそういう事詳しいでしょ!? だから、色々教えてくれたらなー、って、ただそれだけなのお願いだからそういう事にしておいて!」
と、息が続くまで懸命に弁解を早口でまくし立てたのは、思わず誘ってしまった瞬間のビュウの顔が、余りにも呆けていたから、なのだが――
「――……あー、そうか」
「え?」
「そういう未来も、あっていいのか……。あー……考えた事もなかった」
「え、あの……ビュウ?」
「――あ、悪い。いや、ちょっと」
丸くしていた碧眼を元に戻したビュウは、再び笑顔を見せた。今度は、取り繕うような、少しぎこちない笑みだが。
「いや、何て言うかな……俺って、あんまり先の事を考えなくてな」
「……?」
「あぁ、いや、先の事って言っても、こういう戦略を取ったら後でどうなるか、とか、そういうのじゃなくてさ。要するに、自分の将来の事とか、そういうの」
言いつつ後ろ頭を掻くビュウ。こちらが何とも言えないでいると、彼はすぐ傍でおとなしくしているサラマンダーの鱗を撫で、
「昔から、切羽詰まった状況で生活してたせいかな。自分が将来どうしたいのか、ってのは考えた経験がなくて……だから」
と、言葉を切って。
彼は、再びフレデリカに視線を戻す。
「フレデリカに言われた事が、新鮮でさ。何て言えばいいかな……」
照れたように、ビュウは言う。
「少し、嬉しかったんだ」
こちらの顔がポッと火照ったのを知ってか知らずか、彼は続ける。
「そうだな……。そういうのも、いいのかもしれないな」
「……え?」
「だから、薬屋。
フレデリカ、経理とかそういう事務仕事は解らないだろ? まぁ、店をやるならある程度は覚えなくちゃいけないけど、もし一緒に、という事になるなら、俺がそっちを担当できるかな、って。
――……でも」
と。
不意に、彼は表情を曇らせる。
「……多分、実現は相当遅くなるだろうな」
「え――何で?」
それまでのウキウキした気分から一転、まるで申し出を拒絶されたかのような衝撃を受け、フレデリカは勢い込んで尋ねた。それを察したらしいビュウは微苦笑でこちらを制し、
「いや、あのな……要するに、その前に、俺の方に片付けなきゃいけない問題が山積みだ、ってそれだけの話さ」
「……ビュウの方に?」
ああ、と彼は頷いて、先を続けた。
「『この戦いが終わったら』って事は、まず戦後処理が俺に降り掛かってくるわけだ。やれ和平条約が何だの、国交関係の正常化がどうだの、外交問題がああだの、ってな。我らが王太子殿下の性格上その手の厄介事の根回しは全て俺に回されて、結果として、俺はその辺りのややこしい事が全て解決するまでは退役する事もままならない――って、どうした?」
「……何だか、一気に現実に引き戻された気分だわ」
「そりゃしょうがない。夢の最後の障害は目の前の現実だ。
まぁとにかく、そんな戦後処理がいつまで長引くか判らないから、俺としては守れるかどうかも判らない約束は出来ない」
「…………」
フレデリカは、顔を伏せる。
結局は、拒絶されるのか――
「……でも」
続いた優しい声に、ふと顔を上げる。
「そうなったらな、っていう事くらいは……頭のどっかにあっても、いいだろ?」
ビュウは、笑っていた。
フレデリカを見守るような、包み込むような、優しく温かな笑顔。
あぁ、と吐息する。
この笑顔。
フレデリカを魅了してやまない、この笑顔。
「――……うん」
彼女も、それに負けないくらいの笑顔で応えた。
時々、ふと思う事がある。
俺の未来に、彼女はいるのだろうか、と。
いてほしい、と思う心がある。
今のように、いつまでも笑っていてほしい、と思う心がある。
そんな願いを持ちたくなる、そんな、とある平和な日の話。
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