「――えーっ!? フレデリカって、そうなの!?」
「あれ、知らなかった? おっかしいなぁ……。よく見ればバレバレじゃない」
「んー……確かに、言われてみればそうかも……。
 でも、それならフレデリカも大変だよね。だって、ビュウって――」
「ビュウが、どうかしたの?」

 と、尋ねた途端。

「ヨ、ヨヨ様っ!?」
「い、いえ、何でもないんです!」
「そ、そうです、そうなんです! 別に、ヨヨ様がお気に掛けるような事は何もございませんっ!」

 ……などと強く言われてしまっては、こちらとしても、引き下がらざるを得ないのだ。









彼女の決意












 窓から見える空の色は、既に暗い青、あるいは濃紺へと変じつつある。
 宵の口と言うには遅く、深夜と言うには早く。そんな中途半端な時間帯だ。夕食も終わり、一番気が緩む時。
 何もなければ、このまま眠ってしまいたい。ただでさえ、体を包む倦怠感は日に日に酷くなっていくのだ。実を言えば、目が半分閉じかけている。

「なのに何で貴方は、そんなに元気に報告してくれるのかしらねー」
「要らないんだったら、俺も部屋に戻るけどな」

 愛想の欠片もなく呟くと、やはり相手も、愛想の欠片もなく答えてきた。
 トレードマークたる青いバンダナをこんな時間になっても外す事なく、ビュウは、ベッドの傍に置かれた椅子に座っていた。腕を組み足を組み、呆れたような半眼でこちらを見下ろすその姿は、はっきり言って、カーナの誉れたる戦竜隊隊長とは思えないほどガラが悪い。

 こんな時間にビュウがヨヨの部屋を訪れているのは、名目上は見舞い、実質的には内外情勢の詳細な報告、である。
 通常、報告はマテライトがしているのだが、彼はこちらの容態を慮(おもんぱか)って、反乱軍やヨヨにとって余り益にならない情報は意図的に伏せてしまう。だが、指導者である自分が、そういった情報に疎いわけにはいかない。
 だから、そういう情報はビュウから聞き出すしかないのである。

「で、話を戻すが。
 一昨日のマハール・ゴドランド国境線の戦闘で、ゴドランド自治政府から正式に抗議があってな。ゴドランドの自治権を侵害するのであれば、相応の手段に訴える、というのが主な趣旨だ。今まで通りにはいかない」
「……つまり、下手に動けば、ゴドランドとの外交関係を危うくする、と?」
「そういう事だ。
 ただでさえゴドランドって国は、外交交渉に無駄に特化している。グランベロスから自治権を勝ち取ったのも、当時の閣僚が揃ってグランベロスの特使を口車に乗せた、って話だ。下手な事をしたら、ひたすら抗議されて押し負かされ、賠償責任を取らされた挙句、ゴドランドを敵に回す」
「貴方も相当口が上手いと思ったけど?」
「相手が下っ端役人なら自信はあるが、百戦錬磨の外相や国防相なんかに出てこられたら、まず負けるな」
「ふぅん……」
 ベッドに横たわったまま、ヨヨは唸った。
 本当ならば、上体を起こしたいところだ。寝たまま会話、など行儀が悪い。しかし体を起こすだけで目眩がし、時には息切れする。無茶をしてはいけない、とゾラから言われてしまっては仕方ない。
「だけど」
 しかし、体の倦怠感とは打って変わって、頭は冴え渡っていた。
「貴方の事だから、何かしら手は打ってあるんじゃなくて?」
「まぁな」
 ビュウはあっさりと頷いた。やはり、とヨヨは笑う。
「なら、私が気に掛ける事は何もないわ。――他には?」
「今日はこんなところだ。
 じゃ、俺は戻るぞ」
「なら、私から一つ」
 椅子から立ち上がり掛けたビュウを、ヨヨはそう言って引き止めた。腰を浮かせた彼は怪訝そうにこちらを見下ろして、
「何だよ」
 ヨヨは笑って、
「貴方今、誰か好きな人がいる?」
「……………………はい?」
「だから、好きな人」
「……あのー、殿下?」
 額を手で押さえ、何か激情を堪えながら、ビュウはかなり困惑した様子で問いかけてきた。何故口調が「よそ行き」になるかは知らないが、この程度の質問で取り乱すなど、未熟者め。
「一体、どういう論理過程を経ればそんな質問が……?」
「論理過程も何も、単純に、思いついただけの事よ。
 それで? いるの? いないの?」
「……聞いてどうするんだ、そんな事」
「私の娯楽になるわ」
「…………………………」
 間髪入れずに返したら、ビュウは絶句した。そんなに変な事を言ったか?
 ビュウと見つめあいながら、ヨヨはしばらく、そんな疑問に捕らわれていた。


 カーナ出身者のみならず、ほとんどの反乱軍関係者が勘違いしているようなのだが。
 ビュウとヨヨは、別に、お互いを恋愛対象としては見ていない。
 確かに、ヨヨはビュウにカーナ時代から比較的一緒に時間を過ごしていたし、どちらも他の異性と過ごす時間を余り持たなかった。だから、勘違いされても仕方ないと思いはするが――

 ヨヨに言わせれば、傍迷惑な話である。

 ヨヨがビュウと一緒にいるのは、単純に、一番気心が知れているからだ。彼女にとっての一番の理解者は、今も昔もビュウなのだ。
 それは、かつて宮廷の侍女たちが噂し、今もディアナ辺りが面白半分に喧伝し回っているような、安っぽいロマンスではない。
 親愛や友愛、敬愛が高次のレベルで融合した、信頼関係。
 端的に言えば、ヨヨにとってのビュウは、腹心であり、親友であり、相棒であり、共犯者であり、何より、兄。
 そんな男と恋愛をするほど、こちらは男に飢えてはいない。
 まったくもって迷惑な話だ。


「……ふと疑問に思ったから、最後の望みを懸けて聞いてみるがな」
「何よ、その『最後の望み』って」
「その質問に、俺は、答える義務があるのか?」
「貴方は一体誰の臣下?」
「……殿下、貴女様の、でございます」
 応えるその声は、既に自棄気味であった。
 それが何だか面白くないので、ヨヨは、少しむくれてみせた。
「答えたくない、って言うの?」
「ああ、目一杯」
「何で」
 重ねて問うと、ビュウはげっそりとした様子で、
「気付けよ、お前も」
「え?」
「まぁ俺も、別にお前のせいにするつもりはないんだけどな」
 ひどく疲れを宿した口調で呻いたビュウに、ヨヨは、少し首を傾げた。

(私のせい……?)
 にするつもりはない。

 話題は、恋愛。
 それも、ビュウの。

 ふと脳裏に蘇ったのは、十四歳の時のある出来事だった。
 ヨヨとビュウの二人に襲い掛かった人生最悪の出来事。お互い、一時は自殺も考えた。あれに比べれば、国が滅ぼされた事も、三年間もグランベロスに幽閉されていた事も、サウザーに利用されかけた事も、日常的に起こるちょっとしたハプニング程度の衝撃でしかない。
 それを何とか乗り越えた二人が、互いに誓った事。

「……もしかして、ビュウ」
「何だよ」
「七年前の事、律儀に守ってる?」
「……………………」
 唇を真一文字に引き締めて、ビュウは、それこそ律儀に押し黙った。
 図星らしい。
 いつもはその半生で培った演技力を駆使してあらゆる追及を煙に巻く彼だが、こういう私的な場では、それは余りやらない。もっとも、やられたところで見破る自信は大いにあるが。
 だが。
 それとはまるで違う思いに、ヨヨは捕らわれた。表情が、幾分痛ましげに引き締められる。
「……貴方も、結構馬鹿ね」
 ビュウは視線をヨヨからそらした。
「状況は常に流動的で、過去の事実が今に当てはまるとは限らない。大切なのは、状況を見切って、臨機応変に対処する事。――これは、貴方が教えてくれた事じゃない」
 何も答えないビュウ。
「私は、決意したわ」
「……………………」
「貴方は、まだ、決めないの?」
「………………………………………」
「いつまで、囚われてるの?」
「………………………………………………」

 答えないか――

 そう思った時、ビュウが、不意に動いた。ガタリ、と椅子を動かして、腰を浮かす。
「……ビュウ?」
「話がそれだけなら、俺は戻るぞ」
 感情を殺いだ素っ気ない言葉を残して、ビュウは、ヨヨに背を向けた。
 その背中に、彼女は言葉を叩きつける。自然、語気が強くなった。
「そうやって貴方は、自分の幸せを逃すつもり?」
 ビュウの足が、止まる。
「フレデリカの事が、好きなんじゃないの?」


 ――あの、十四歳の事件以来。
 ビュウは極力、ヨヨ以外の異性との付き合いを控えるようになった。
 もっと言えば、誰とも恋をしないよう、努めた。
 ビュウとヨヨの関係が噂になった背景には、そういう事もあるのだが――
 それが、今になって、ビュウとフレデリカの関係が取り沙汰され、ヨヨを交えた三角関係まで雑談のネタにされるようになった。
 それは何故か。ヨヨはすぐに分かった。
 ビュウが、ヨヨを除いては、フレデリカに最も心を傾けているからだ。
 彼がフレデリカに、他の女性と同じ程度の淡白な対応をしていれば、こんな状況には、ならない。
 火のない所に煙は立たない。彼は、自分でその下地を用意してしまったのだ。あの日の誓いと、矛盾してまで。
 その心がどんな想いに因るか。
 考えるまでもない。


「――……もし」
 こちらを振り返らないまま、ビュウは、ポツリと呟いた。
 その声は少し小さくて、ヨヨは耳をすませた。
「もしそうだったとしても……俺は何もしないし、出来ない」
 そう言う声は、ひどく切ない。
「彼女に……迷惑が、掛かる」
 言い残し、ビュウは、そのままいつもと変わらない速さで部屋を歩み去った。

 残されたのは、同じくらいの切なさを胸に宿したヨヨだけ。

 嘆息が、ゆるゆると唇から漏れていく。
 ビュウの想いが、痛いほどよく解った。
 彼は多分、自分の想いを自覚している。
 その上で、それを押し殺す決意をした。
 想いを告げる事。愛し合う事。いつかは結婚し、居を共にし、子を成していく、という可能性そのものを内包している事。

 それだけで、愛する女を危険に晒す。

 だから、何も告げない。
 何もしない。

「――……冗談じゃないわ」
 低く、ヨヨは呟いた。喉の奥から無理やり絞り出したような、それは少しかすれて不穏な調子を伴っていた。
「冗談じゃない……何のために、私が決意をしたと思ってるの?」
 女王になる事。
 カーナを再興する事。
 己の身を、あの吐き気のする汚らわしい場所に再び閉じ込める、という、断腸の思いで下した決意を、ビュウは、一体何だと思っているのだ?

 その決意の一端には、ビュウがいるというのに!

 苛立ち紛れに、ヨヨは、握った拳を布団に叩きつけた。ボフッ、という重い音がして、衝撃は全て吸収されてしまう。
「……見てなさい、ビュウ」
 若草色の瞳が、決意の光を宿し、鋭く輝いた。

「そんなくだらない決心は、私が必ず、くじいてあげる」

 愛する者と結ばれない。


 そんな不幸は、自分一人で十分だ。

 

 


 おかしいな、陰険漫才にしようと思ってたのに。
 うっかり暗いシリアスになってしまった。

 次回目標。
 陰険漫才リベンジ。

 

 

 

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