「ビュウ、命令よ」
「……いきなり何だ、藪から棒に。俺はこれから買い出し班の監視を――」
「プレゼントを買いなさい。――誰のためのか、は言わなくても解るわね?」
「――って何で急にそんな」
「私の騎士なら文句を言わずに復唱」
「――……承知いたしました、王太子殿下」










空色の行く先











 隣を歩く彼女の視線が、不意に左へと逸れた。
 同時に止まる足。それに気付き、ビュウは遅れて足を止め、振り返る。
「フレデリカ?」
「あ――ごめんなさい」
 呼ばれ、フレデリカは顔を左手の露店からビュウへと戻した。揺れる三つ編みの向こう、決まりの悪そうな微笑みが淡く浮かぶ。そしてまだ、チラリチラリとそちらを気にする様子。その様に、彼はフレデリカの目を引いた露店を見やり、その誘引力に納得した。

 宝石商。

 落ち着いた紫の敷布の上に、色とりどりの宝石をあしらった装飾品が並べられている。
 金鎖の紅玉の首飾り。
 銀の台座の緑玉の髪飾り。
 青玉や藍玉、翡翠の指輪。瑠璃が埋め込まれた金の腕輪。水晶の耳環。紫水晶、黄水晶、紅水晶の物も見える。
 そしてまるで王のように威風堂々と鎮座する、大粒の金剛石の首飾り。

(……余り質が良くなさそうだな)
 あっさりと見極める。
(研磨の技術が悪い。翡翠と瑠璃に傷が付いてる。金剛石はカットの仕方が甘いし、水晶は磨きが足りない。台座の細工もいまいちだな。それにこいつ、ちゃんと扱ってるのか? 金属が曇ってる。上手い事隠してるみたいだが、銀なんかあからさまに光ってない。それでこの値段って、ぼったくりか)
 もっとも、こういった街の大通りに軒を連ねる露天商に質の良さを求めるのも無茶な話だ。悪質な宝石商は、偽物を平気で本物と同じ価格で売りつける。あるいは、その何倍かの値段で。
 遠目から判断する商品の状態と値段とを考慮して、そこまで悪質ではなさそうだが――
(貴金属類を買うなら信用できる専門店で。それが鉄則だな)
 判断終了。肩を竦めるビュウ。
 そして隣に目をやれば、未だ宝石に目を奪われているフレデリカ。
 彼女はこちらの視線に気付き、照れ臭そうに笑う。
「ごめんなさい。ちょっと、綺麗だな、って。さ、行きましょ」
 何でもない風を装って――取り繕って。
 再び歩き出そうとしたフレデリカに、ビュウは、やはり何でもない風に切り出した。

「――少し、見てくか?」

 驚いたようにビュウを見上げるフレデリカ。
 見開かれた彼女の瞳と視線を合わせ、
「ま、冷やかすくらいの時間なら、あるし」
「え……と……じゃあ――」
 ビュウと、露店と。二つを交互に見比べて、しばらく迷ったフレデリカは、
「――ちょっとだけ」
 と、はにかむような、そして少し嬉しそうな笑みを見せた。



 古今東西を問わず、女は光り物が大好き。
 よって、手っ取り早く喜ばせたいなら貴金属類を送るのが最適。

 そんな風に自慢げに語っていた父を思い出し、そういえばあのクソ親父は一体どんな面をして結婚指輪を買ったのだろうか、というそこはかとない疑問に、ビュウは至る。
 というのも――

「お嬢さんみたいな色白の美人さんは、こういった髪飾りがよく似合うと思うよ」
「そうですか? 私はもうちょっとシンプルなのが好きなんですけど……」
「駄目駄目、お嬢さん。こう言っちゃ悪いけど、シンプルなのばっかりじゃどんどん地味になっちゃうよ? やっぱりここは、少し冒険しないと」
「冒険……かぁ」
「そうそう、冒険だよ、お嬢さん。華やかなアクセサリーをつけて、雰囲気をガラッと変えてごらんよ」

 色々な宝石を雑多に散りばめた、派手なだけでお世辞にも上品とは言えない髪飾り――お値段、やたらとお高め――を熱心に勧めながら、宝石商はフレデリカの背後で突っ立っているだけのビュウに視線を向ける。

「そうすれば、そこの彼氏ももっとお嬢さんに夢中になる、ってなもんさ」
「やっ……やだ、彼とはそういうのじゃないんです!」

 頬を赤く染めて、フレデリカ。言葉とは裏腹に、声は弾んでいる。まんざらでもなさそうな。
 まんざらでもない。

(……まずいな)
 興味のない振りを装って、宝石商とフレデリカの会話をつぶさに聞き取り、分析しているビュウは、胸中で微かな焦りを吐き出した。
(このままじゃ、乗せられて買わされるな)
 ペースはすっかり宝石商のもの。
 おだててその気にさせて買わせる。販売員の常套手段。さすが露天商、中々の手際だ。
 しかも件の髪飾りの値段が、反乱軍構成員のポケットマネー平均額(推定――ビュウ調べ)のギリギリ範囲内となれば、「じゃあ……買っちゃおうかな」とフレデリカが言い出すのも時間の問題。
 宝石商が言うほどフレデリカに似合っているとは思えない髪飾りに、三千ピローもはたく?
 ナンセンスだ。
 となれば、
(俺がやる事は一つ)
「――俺は」
 言いながらビュウは、フレデリカの横から身を乗り出すようにして陳列台を覗き込む。
「こっちの方が、フレデリカに似合うと思うけど」
 フレデリカと宝石商がきょとんとしている中、ビュウはそれをつまみ上げる。実はずっと目をつけていたもの。
 小粒の藍玉をあしらった、指輪。

 ――一気にアドバンテージを奪い返すには、第三者の介入が一番早い。

「……お兄さん、そいつはちょっと地味すぎやしませんかね?」
 目論見を砕かれつつある宝石商の反論。
「そうかな。下手に飾るより無難じゃないか?」
 冷静なビュウの切り返し。
「いやいや、やっぱり女性は飾らないと。無難に走るのもいいけど、遊び心も必要ですよ」
 饒舌に食い下がる宝石商。
「そういう遊び心は、ある程度飾る事を覚えてから身に付けても間に合うさ。今は、どういうのが自分を引き立たせるのか、それを学ばないと」
 知った風な口を聞くビュウ(半分以上家族からの受け売り)。
「それだったら尚の事、最初の一歩を冒険するのも大事なんでは?」
「その第一歩の冒険で臆病になったらどうする? それに」
 ここいらでとどめを。ビュウは、片手に指輪を持ったまま、フレデリカの左手を取る。

「――ほら、ピッタリ」

 フレデリカは。
 薬指にはめられた指輪を、見開いた目で見下ろして。


 嬉しそうに、笑った。


「よし、決まり」
 それを見てビュウは晴れやかに言った。勝利宣言。口を挟めなかった宝石商に顔を向け、
「これを貰ってく。いくらだ?」
「え、ビュウ――」
「いいから」
 フレデリカの狼狽の声をやんわりと封じて、ビュウは、宝石商の答えを待つ。
「……二千ピローです」
 残念そうな、どこか渋々といった感じの答え。そうか、とビュウは頷く。
 続けてはっきりとこう言った。

「相場よりもちょっと高くないか?」

 宝石商が顔を引きつらせたのに対し、ニコニコと笑うビュウ。
 第二戦、値引き交渉。
 開始。



 ビュウ一家は、かつて傭兵としてあちこちをフラフラしていたわけだが、ある時期から買い出しの一切を当時十歳になるかならないかのビュウが一手に引き受けていた。その理由としては、両親揃って金銭感覚ゼロという嘆かわしい事実があるのだが――
 おかげで培われたシビアすぎる金銭感覚と、値引きを求める様々な文句と無数の切り返しパターン。かつて、ある人はビュウをこう呼んだ。『値引き神』。名誉なんだか不名誉なんだか。

「ビュウって、凄いのね」

 眼前で繰り広げられた凄まじい舌鋒合戦に心底驚いたらしく、半ば感心、半ば複雑そうに、フレデリカはそう呟いた。左手の薬指にはめられたままの指輪を見つめながら。

「まさか、半額以下にしちゃうなんて……」

 あの後繰り広げられた怒涛の値引き交渉。周囲に観戦者の山を生み出すほどに激しいそれは始終ビュウに優勢で、一の位まで値切り始めた彼に宝石商はとうとう泣き出した。そしてそこからが勝負なので、ビュウは定価の六十五パーセントオフという驚異の買値を実現するために、誰もが目を剥くラストスパートを演じた。
 所要時間、優に一時間弱(値引き交渉のみ)。
 それにずっと付き合わされていれば、それはうんざりするだろうな、とビュウは苦笑いする。実際、隣を歩くフレデリカの顔には少しだけ疲労が見て取れた。
 この話を聞けば、ヨヨはこう言うだろう――プレゼントくらい相手の言い値で買いなさいよ、と。
 そして、ビュウはこう思う。幾分、暗澹たる思いで。

(まったくだ)

「でも、ビュウ?」
 その声にハッとするビュウ。まるで、暗闇から急に明るい所に引きずり出されたような。そんな戸惑いと狼狽。
「どうして……プレゼント、してくれたの?」
 フレデリカの視線。向けられる顔。ほんのりと頬を染めて。喜びと戸惑いと、僅かな期待。
「いや、それは――」
 ――言い訳をするなら、「うろたえていたから」。


「……ヨヨの奴が、な」


 その瞬間、フレデリカの顔はサッと曇り、ビュウはやっと我に返って自分の失言を悟った。
 阿呆か俺は。己を呪う。だが、取り繕う言葉が出てこない。最大級の失言は無意識に滑り出てくるのに、何故彼女を喜ばせる単語一つひねり出せないのだろう。
 そうして絶句している内に、彼女はポツリと、抑揚のない声で、
「そっか……ヨヨ様、が」
 一体誰が喜ぶというのだ。他人に――それも、日常的に好きな男を独占している女に言われてプレゼントを寄越した、など。
 フレデリカの顔に、先程までの輝くような喜びはない。それに水を差してしまったのは、彼女の希望を断ってしまったのは、他ならないこの自分。ビュウとフレデリカとヨヨ、この三者の距離感をはっきりと告げてしまった、この自分。
 だが同時に、ビュウは安堵していた。それを自覚した。場違いな安堵に戦慄し、同時に納得していた。それこそ暗澹たる思いで。……絶望するように。
 これで、彼女は――と。

「でも、嬉しい。ありがとう、ビュウ」

 再びフレデリカが見せた微笑みは、健気でどこか儚げで、ほんの数十秒前までの輝きはすっかり消え失せていた。
 胸を締め付けられるような思いに駆られながらも、ビュウは何も言い繕わなかった。これで彼女は、と思っていたから。

 これで、彼女は期待しないだろう、と。


 フレデリカが自分に向けてくれる想いは知っていた。
 そしてビュウは、それに応じようとしている自分にも気付いていた。
 しかし彼はそれを自制していた。止めていたのは一つの誓い。ヨヨに捧げた臣従礼。体も心も人生も、全てを主君のために用いると誓った。
 その誓いを果たすためには、……フレデリカへの想いは、邪魔になるのだ。
 どうして、主君を置いて一人ぬくぬくと幸せになれるか、と。
 どうして、個人としての幸福を捨てたあの姫を見捨てて騎士の自分が己の幸せを見出せるか、と。
 例えヨヨが、そんなビュウの姿勢を厭っていたとしても。

 ビュウは、これを曲げる事だけは出来ない。

 だから、フレデリカに期待させてはいけない。ビュウがいつか、ヨヨの元から自分の元にやってきてくれるのではないか、と、そんな希望を持たせてはいけない。
 そうする事で彼女を傷付けてしまっても、そんな希望を持たせるわけにはいかない。

(俺は多分、彼女を幸せに出来ない)

 恋人よりも主君を取る。そう断言できるからこそ、ビュウはその思いを抱え込む。
 希望を持たせるわけには、いかない。
 それなのに――


 もうフレデリカは指輪を見ていない。こちらを見てもいない。見ようともしない。
 ビュウの目には届かない、二つの空色。それが何だか妙に寂しい。大いなる矛盾。フレデリカを突き放したいのか突き放したくないのか、自分でも解らない。
 ビュウは途方に暮れる。空を見上げたくなったが、抱える矛盾と傷付けた事実が後ろめたさを呼んで、彼女の瞳と同じ色を見つめる事すら出来なかった。
 いい加減日も傾いて、その色を徐々に変えてきていると、知っていたのだけれど。

 

 


 ぶっちゃけ書きたかったのは、ビュウがフレデリカの左手の薬指(←ここポイント)に指輪をはめるシーンです。
 ところで今回宝石の名前を全部漢字にしたのは、「アクアマリン」の名前を出すと不思議な事になるからでした。「アクア」はともかく「マリン」はオレルス世界的にありですか? ちなみに藍玉がアクアマリンです(確か)。間違っていたらどうしよう。

 それにしても今回のビュウは煮え切らない人です。煮え切らない理由は色々あるんですが、まぁそれはいずれ長編の方でもボツボツと。
 でも、その煮え切らなさがここまで(書いてて)腹立たしいとは思わなかった。うっかり。

 とりあえず最後まで書き上げて読み返してみたら、話の流れが当初の想定とはまるで違っていて、そのせいでタイトルがまるで意味不明になってしまったがために大慌てでラストを書き直した、冬の夜、午前零時。

 

 

 

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