その日。
 トリス=アソル氏は、朝帰りをした。

(……しまったなぁ)

 街の家並みに隠れ、ようやく顔を出しつつある太陽は見えない。しかし燦然たる曙光は家々を影のように黒く塗り潰し、更にはその隙間から惜しみなく光の鱗粉を振り撒いている。
 夜明け。ただ今の季節は秋の真っ盛り、時刻は午前六時前後、というところだろうか。家路を急ぎながら、そして無精ヒゲの生えた顎をザラリと撫でながら、トリスはウゥムと唸った。

 よもや朝帰りになってしまうとは。
 午前様ならまだしも、朝帰りとは。

 トリスの現在の職業は、王都警邏隊の武術指導官である。警邏隊の役目は、平時における王都の治安維持――つまるところ日常犯罪の捜査解決であり、その意味ではゴドランドの警察機構と非常に酷似している。
 どこの組織でも似たようなものだが、その組織内での人間関係というのは、円滑であるに越した事はない。そして人間関係を円滑にするには、何が一番手っ取り早いか――

「……だからと言って、徹夜で酒はさすがにキツいなぁ」

 溜め息混じりに呟き、静寂に包まれた朝の街に意外と響いていく事に、ビクリと肩を竦ませるトリス。
 微かな朝靄。どこかから聞こえる犬の鳴き声。細い路地の向こうから謎の呻き声なども耳に届いてきたりするが、それはまぁ、無視。
 押し黙り、それらの全てを判じ終えて、彼は緩々と詰めていた息を吐いた。
 現在位置、中地区住宅街のど真ん中。王都北端の王宮と王都南端の城門との間のほぼ真ん中、王都で一番安心して歩けて住める地域の家々が密集した一帯である。
 その片隅に、トリスの自宅がある。ここからそれほど遠くない。このまま歩いて十分も掛からないだろう。
 だが、それでも十分に距離はある。
 だから、そう――

「……聞こえるはずもねぇよなぁ。ったく、俺とした事がなぁにビビってんだか……」

 彼の息子が聞けば、「虚勢張るのも大概にしとけよクソ親父」とか言いそうなのは、さておき。
 ワハハ、という乾いた、そして強張った笑いを立てると、再び悠然と歩き出す。
 夜は明けた。どこの家でも、その一家の実質的な権力者であるところの主婦が起き出す頃だろう。トリスの家でも、そのはずだ。体中から酒の臭いをさせて朝帰りをしたトリスに、妻はきっと盛大に顔をしかめる事だろう。そしていくつか小言や嫌味を言うだろう。その程度は甘んじて受けよう。ともかく帰ろう。そう、早く帰ろう。その方が圧倒的に良いに決まっている。そうそう早く早く――

 などと考えていたらいつの間にか走っているのと見紛うばかりの早足だった事は、やはりさておいて。

 二、三の角を曲がって帰途を踏破したトリスは、自宅前に立った。
 どうという事のない、どこにでもある普通の家屋である。白壁、赤茶けた三角屋根はカーナ王都では概ね一般的。二階建てというのも、この辺りではそう珍しいものではない。玄関は東向き。木の扉には、今、ちょうどトリスの影がくっきりと映っている。玄関の脇には窓。そこから自分の姿が中に覗かないように、彼は注意して体勢を移動させた。玄関から入ってすぐが居間兼食堂。台所はその向こうだが、察しの良いトリスの妻は、こちらの影が窓から覗いただけで夫の帰宅を察するだろう。

 それにしても、何でビクビクしながら家に帰ってこなければいけないのだろう――

 などと思いながら、玄関のノブに手を掛け、音を立てないように回して、木の戸を開けて。


 こちらに背を向けてて今のテーブルに座っているトリスの妻イズーが、まるで手鏡でも覗くような形で抜き身の刀身に見入っていた。


 そして彼は一目散に逃げ出した。










アソル氏、恐怖の一日












「というわけで匿え馬鹿息子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「何が『というわけで』かよく解らねぇがとりあえず酒の臭い撒き散らして息子の職場に気安く来てんじゃねぇクソ親父ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 影が交錯。
 クロスカウンター。
 繰り出された互いの拳は、同じタイミングで相手の頬に吸い込まれる。
 そして戦竜隊の詰め所に響く打撲音。

 夜勤と日勤が交代する時間帯。繰り広げられるわけの分からない光景に唖然とする夜勤隊員のボンヤリとした眼差しを感じながら、ビュウは父の拳を左頬で受け止めた。
 そして首を思い切り振って、その力だけで押し返し、
「っつーか何の用だ! 部外者が入って良い場所じゃねぇぞここは!」
 同じ動作でこちらの拳を押し返したトリスから距離を取り、人差し指をビシリと突きつけて、怒鳴る。そうしたら、同様に飛び退いてビュウとの間合いを空けたトリスは酒臭い口を開けた。
「俺はお前の父親で、ラッシュたちの剣の師だ! どこが部外者だ!?」
「宮廷及び国軍関係者以外は全員部外者だ! 警邏隊の人間が寝言言ってんじゃねぇぞ!」
「お前、この父を警邏隊というだけで差別するつもりか!?」
「誰が差別した誰が! ――誰だうちのクソ親父を中に入れたのは!?」
「いや、まぁ、その、舅殿に頼まれてしまっては……」
「あんたか義兄(にい)さん――もとい副隊長!」
 交代要員の間に紛れてコソコソと手を上げる褐色の髪に怒鳴りつけ、
「義理とは言え兄に向かって何だその口の聞き方は!」

 ガツンッ!

 トリスの拳骨がビュウの頭に落ちた。痛みに顔を伏せて堪えるビュウ。けれど復活は早い。
「仕事中は俺の方が上官だ!」

 ゴンッ!

 繰り出したビュウの拳はトリスの顎にヒットする。
 頭を小刻みに震わせて痛みをやり過ごすトリス。すぐにただでさえ鋭い目つきを険悪に吊り上げる。やはりさすがは父、復活は息子同様早い。
「十七の小童が何を偉そうに!」
「うるせぇ! 隊長になっちまったモンは仕方ねぇだろ!」
「今からでも遅くはない! その地位をとっとと返上して来い!」
「何が悲しくて親父の指図を受けなきゃいけねぇんだよこの歳で!」
「十七なんぞまだまだガキだ!」
「んだとぉクソ親父ぃっ!」
「お義父(とう)さんもビュウ、隊長もやるなら違う所でやってください日勤の連中が変な目で見てますから!」
 掴み合うビュウとトリス、その仲裁に入る副隊長ナルス――

 人間関係は、概ねこんなものである。
 ビュウとトリスは、血の繋がらない親子である。トリスとビュウの母イズーは再婚同士なのだ。
 そして、ビュウにはやはり血の繋がらない姉のアルネがいて。
 そのアルネの夫が、ナルスである。
 ちなみにこのナルスの実父でアルネの舅が、騎士団長を務めるマテライトであるのだが、ここでは余り関係がない。

 傍で見ていたラッシュたちが慌ててナルスに加勢する形となってようやく、ビュウとトリスは互いに猫のように威嚇しながらも掴み合っていたその手を離した。
 そうして二、三分。
「――……んで?」
 トゥルースとビッケバッケの押さえる手を解きながら、ビュウは改めて尋ねた。
「話くらい聞いてやるよ。何があったんだって?」
「ようやく聞く気になったか馬鹿息子」
 やはりナルスとラッシュの押さえる手を払いのけ、トリス。乱雑に服の襟元を正して彼は、
「実はな」
「おう」
「警邏隊の若い連中と飲み明かしてな」
「ほぉ」
「家に帰ったら、抜き身の剣を持ったイズーが居間にいた」
「斬られちまえ」
「それが父に言う台詞かお前はっ!」
「んなくだらねぇ事で息子の職場を騒がしてる奴に言われたくねぇよっ!」
「だから違う所でやってください違う所でここをどこだと思ってんですか!」
 再び四人に引き離されるビュウとトリス。
 さすがに同じ事を二度も三度もやれば、ビュウの頭もいい加減冷える。改めて、そして本当にトゥルースとビッケバッケの手を丁重に外すと、先程トリスがやったのと同じ動作で襟元を直してから、彼は渋面で言った。
「つまり、あれか? 母さんにぶった斬られるのが怖くて逃げてきた、ってか?」
「有り体に言えばそういうこった」
「そこは誤魔化せ父親として」
「そこで、だ、ビュウ」
「人の話を聞けよコラ」
「何とかしてイズーの怒りを静める方法はねぇもんか?」
「普段偉そうに振りかざしてる父の威厳台なしだな」
「やかましい」
 ともあれ、
「にしても、母さんが抜き身の剣持って居間で親父の帰りを待ち構えてた、ねぇ……」

 母イズー。
 かつて一家総出で傭兵稼業をやっていたおかげで今でもやたらと広い人脈を持つビュウだが、それでも、イズー以上の剣士というのは思いつかない。そして、ビュウの知り合い全員に同じ問いを発しても、誰も答えられはしないだろう。
 十中八九、世界で唯一の女性クロスナイトにして、世界最強の剣士。
 クロスナイトと言って一般の軍人が思いつく名はグランベロスのパルパレオスだろうが、一度だけその彼と戦った事のあるビュウにしてみれば、パルパレオスなど、イズーの足元にも及ばない。
 さて、その母が帰りの遅い夫を剣を引っ提げて待ち構えていた。

(……ん?)

 ビュウはそこでふと首を傾げた。
 そしてしばし。
「……隊長? どうしたんです」
 小声で、ナルス。いや、とビュウは口の中で呟いて、それからまたしばしの沈黙。
 チラリと横目でトリスを見やる。息子の助言をどこまで当てにしているのか、眉間にしわを寄せた難しい表情からは、それは読み取れない。
 視線を彼から外し、ビュウは考える。問題なのは――

(どっちが面白いか、だ)

 それは、すぐに決まった。

「親父」
「おぉ」
「んなモン自分で考えろ。――副隊長、ラッシュ、トゥルース、ビッケバッケ! お帰りいただけ!」





§






 問題なのは、
(あの馬鹿息子をどうやって締めてくれようか……!)
 ではなくて。
 思わず息子の事に思考が向くのを無理矢理修正して、トリスは腕を組んだ。

 問題なのは、如何にしてイズーの怒りを解くか、だ。

 戦竜隊の詰め所でビュウとちょっとしたコントをしている内に、時刻はすっかり午前九時。行く道の両脇にゾロゾロと露店が開き始め、街はいつもの活気に包まれつつある。通り過ぎる人々の顔にはこれといった憂いはなく、始まったばかりの今日という日に対するささやかな希望のようなものが見て取れた。
 トリスはといえば、辛気臭い思案顔。すれ違う人の中には、その難しい顔にギョッとする者もいる。今日という日を楽観視する事など到底出来なかった。

 夫としては相当に情けない事だが――
 トリスは、イズーに勝てる自信がこれっぽっちもない。
 クロスナイトのイズーに対し、トリスはただのナイト。こちらが一撃を叩き込もうとすれば、彼女はそれを左の剣で受け、右の剣でがら空きになった胴を狙ってくるだろう。
 加えて、彼女の斬撃にはパワーもスピードもある。トリスの一回の剣閃と同じ速さで左右の剣を振るい、かつ、その一つずつの力というのはトリスのそれと大差ない。
(つまり、化け物ってぇ事だな)
 あの細腕のどこにそんなパワーがあるのか、出会った時からの謎である。多分解明される日は永遠に来ないだろう。人類史に残るミステリーだ。このオレルスの戦乱が生み出した奇跡だ。奇跡は奇跡のままにしておいた方が賢明だ。解明したらしたで、そこには恐怖しかない。
 そんな彼女と、剣を交える。
 ……三秒だ。
 三秒、生きていられれば良い方だ。

(あの馬鹿息子め……父ちゃんの危機だというのに何の知恵も寄越さんとは!)

 ビュウはイズーの連れ子で、しかも少々マザコンの気があるから、彼女に肩入れするのは仕方がない。大体、トリスとイズーの結婚が決まった直後、当時まだほんの子供だったビュウはこちらの謀殺を目論んだというし。
 だからこの手の危機に際し、知恵を出してくれない、というのは十分予測できたわけで――

 馬鹿は頼った自分。

 ぬあぁぁぁ、と唸りながら、トリスは頭を抱えた。
「ねぇママー、あの人どうしたの?」
「シッ、見ちゃいけません!」
 正面からやってきた親子連れが、そんな会話を繰り広げながら大きく迂回していったのは、この際気付かなかった事にして。
 迂回。
 正面から、迂回。
「――そうか!」
 ちょうど今脇を通り過ぎていった徒弟風の男がビックリして肩越しに振り返ってきたのも、やはり無視。
「そうか、そうだ……! 真正面からやりあう事を前提にしてっから駄目なんだ!」
 つまり。
 怒りに我を忘れた彼女に真っ正面からぶつかるのではなく、むしろその怒りを受け流す!
 受け流すには――
 周囲をキョロキョロと見回したトリスは、目当ての物を見つけた。

 花屋。

 店先から通りの騒ぎ(トリスの奇行)を怪訝そうに見ていた女の店員が、こちらと目が合ってビクゥッ、と身を竦ませる。
 その店員に向かって、一気に距離を詰めると、
「スマンが花束を作ってくれねぇかそりゃもうド派手な奴を!」
「はははははははははははははいかしこまりましたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 店員は、素早く動いたトリスに対する驚愕というよりもむしろ恐怖で叫び――



 午後零時十分前。
 トリスは改めて、自宅前に立っていた。
 その手には、赤やピンクや黄や橙など、見た目にも華やかな大きな花束。
 それを片手に、家の扉と睨めっこを、かれこれ十分。
 ゴクリと生唾を飲み込む。

 思い出されるのは今朝方のあの光景。
 一心に鈍色に輝く刀身に見入っていたイズーの背中。

 意を決し、トリスは手を伸ばす。
 ノック。
「はい?」
 家の中から応答の声。落ち着いた女のアルトボイス。
 パタパタパタ、と足音。扉に、こちらに向かって近付いてくる。自分の心臓の音が早く激しくなってくるのを、彼はいや増す恐怖心と共に感じていた。
 足音が。
 止まる。

 カチャリ。

 ドアノブが回る。

 キィ。

 扉が開く。
 その隙間から顔を出す、二児の母とは思えないほどの美しさを保つ金髪碧眼の女。
 イズー。

「あら、貴方――」

 彼女の声が言葉を全て紡ぎ終える前に。
 トリスは、携えてきた花束を彼女の鼻先に突きつけた。
 それから一言、
「すまなかった許してくれ!」
「え? え? あ、貴方? 一体何――」

 その直後だった。

 家の中から、弾けたような笑い声が外まで聞こえてきた。
 哄笑。
 爆笑。
 聞き覚えのある声。というか、割とついさっき聞いたような声――

 珍しく帰ってきていたビュウが、居間のテーブルに突っ伏して、加えてバンバンと拳を叩きつけながら、腹を抱えて大爆笑していた。





§






 そもそも、母が何故明け方に居間で剣を抜いていたか。
 真相は、こうである。

「父兄の方から、厄介な剣を押しつけられちゃったのよ。ほら、向こうの大通りに武器屋があるでしょ。あそこのご店主なんだけど、何でも仕入れた覚えのないおかしな剣が一振り混じってたんですって。私も別に目利きが得意なわけじゃないけど、一目見て判ったわ。相当な『いわくつき』の剣だ、って」

 イズーは、近所の学校で教師をしている。大通りにある武器屋の息子も教えていて、その縁で件の店主が母に相談を持ち掛けたそうだ。

「どんな剣なんだ、母さん?」
「見た目は普通の長剣よ。ただタチが悪くて……うっかり抜いちゃったから大変だったわ」

 その相談がやってきたのが、昨日の夕方。
 トリスが帰ってこないから、と一人で夕食を済ませたイズーは、片付けを粗方終えた後に、その剣を鞘から抜き払ってみたという。

「おかげで、夕べはずっと剣と対決よ。もう眠いったらありゃしない」
「で、その剣は?」
「仕方ないからお向かいに任せたわ。何だか『ゼミ用の良い教材になる』とか何とか言っていたわね」

 ビュウ一家のお向かいさんは世界でも指折りの、高名な魔道士である。そんな何かが憑いているらしい剣など、お向かいさんに任せればただの玩具だろう。

 台所から居間に漂う、昨日の夕飯の残りだというシチューの香りに鼻腔をくすぐられながら、ビュウは頬杖を突いてニヤニヤと笑っていた。
 その視線の先には、向かいの席でぐったりとしているトリス。
「……良かったじゃねぇか、親父」
「……黙れ馬鹿息子」
「母さん、親父の朝帰りどころじゃなかったみたいだし」
「…………」
「拗ねんなよ」
「……うるさい」
 と、大きく溜め息。
 まったく、まだまだだな――と、ビュウは肩を竦めた。

 イズーは温め直しているシチューから少し離れて、トリスからの突然のプレゼントを花瓶に生けている。それはもう上機嫌に、鼻歌交じりで。
 朝帰りした事を咎めず、いきなり持ってこられた花を喜んで受け取っている。

 この呑気者の母が、そんな程度で剣を持ち出すはずなど、あるわけがないのだ。

 修行が足りないぞ、クソ親父。

 と。
 その時、イズーの鼻歌が途切れた。それから不意に何か思いついたような口調で、
「貴方」
「何だ?」
 やる気のない父の応答。グッタリしたトリスは、受け答えするのも億劫そうだ。
 そんな夫の様子に気付いているのかいないのか、イズーは振り返りもしないまま、
「確か、昨日は警邏隊の子たちと散々飲んできたのよね?」
「おぉ」
「それで、貴方がおごってあげたのよね?」
「おぉ」
「じゃあ――」

 その瞬間。
 ビュウは、ハッと目を見開いた。
 その感覚を言葉で説明するなら、冷たい手で首筋を触られた時の、あの反射的に身を竦ませるようなあれだ。それまでの弛緩した気持ちが一気に引き締まり、一瞬にして背筋を伸ばして身構える。
 全神経を集中させる。感じるのは、チリチリとした刺激だった。まるで針でつつかれるような、冷たい、痛みとも言えない痛み。それが、今、ビュウの意識に働き掛けている。
 その名を、ビュウは知っていた。

 危険信号。

「このお花の代金……一体、どうしたの?」
「そりゃもちろん、支払いは城の戦竜隊隊長に――」

 トリスはそこでようやくテーブルから体を起こした。
 ビュウもまた、イズーを振り仰いだ。
 そして見た。
 彼女の体から、青白い水蒸気のようなものが立ち昇っているのを。

 人はそれを、闘気(オーラ)と呼ぶ。

「――待てイズー! 違う、違うんだ!」

 未だこちらを振り返らない彼女に向かって、弁明するトリス。
 しかし彼女は聞かない。聞いていない。コトリ、と流し台に花瓶を置いて――

 スカートの裾を翻して勢いよく振り返った次の瞬間、その両手には、長剣が一振りずつ握られていた。

「ってどこから出したどこから!?」
 椅子を蹴倒しながらも、顔面蒼白になったトリスは突っ込みを入れる。律儀だなぁ、と心の片隅で呑気に考えながら、ビュウはそそくさと『ラグナロック』の射線上からその身を退かせた。
 イズーは、ゆっくりとした、どことなく優雅さすら漂わせた動作で剣を構え――

「何がどう違うのか……ゆっくり、聞かせてくれる?」


 住宅街に、悲鳴が響き渡る……――



 アソル氏の恐怖は、まだ終わらない。

 

 


 アンソロ没ネタその三『ビュウさんご一家乱闘編』でした。

 没理由――こんなオリジナルキャラばかり登場している話をアンソロに出せるか。

 もっとも、このネタは何となく頭の中にあっただけで、アンソロ用ネタをひねり出している段階で「あ、これはやめとこ」と即行で没にしたのですが。


 九周年記念としてフリー配布にした『将軍閣下の幸せな食卓』。
 あそこでチラリと登場した「母の怒りをうやむやにするために花束を買って差し出す父」。これが、そのエピソードに当たります。
 うやむやにするはずの怒りなんてそもそもなく、変わりに、別件(ツケが息子に)で逆に怒りを買っている馬鹿親父トリスと、サウザーを上回る恐怖の必殺技『双発ラグナロック』を住宅地で夫相手に平気で放つ最強クロスナイト母イズーの物語でした。
 まったく、何でしょうね、アソルさんちは。
 ちなみに作中にチラリと書いた「高名な魔道士のお向かいさん」は、長編一章登場の幼馴染の黒髪魔道士君ご一家です。長編五章でも登場します。

 それにしても。
 クソ親父と喧嘩している時の馬鹿息子は精神年齢が通常の三割減ですね。作者もビックリです。

 

 

 

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