『橋大工』後書き


 一九九三年、十一月九日。
 旧ユーゴスラビア内戦の真っ只中、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという町の中心を流れるネレトヴァ川に架かるある橋が、爆破によって落とされました。
 橋の名は、スタリ・モスト。
 トルコ語で「古い橋」を意味する、モスタルの象徴とも、民族融和の象徴とも言える橋でした。

 モスタルという町は、ネレトヴァ川を挟んで東岸はイスラム系住民の居住区、西岸はクロアチア系住民の居住区という住み分けがされている町です。
 その両岸を結んでいた橋が、スタリ・モストでした。
 この橋は、町に住む少年たちの肝試しにも使われていました。ネレトヴァ川への飛び込みです。川は所によっては浅いから、中には川底に激突して死亡する人もいたそうです。それでも少年たちは、クロアチア人、イスラム教徒という民族の枠を超え、飛び込む事で大人になった事を主張したのです。
 飛び込み大会を通して、彼らは友情を育んだでしょう。相手が何人であっても、友達だと言えたでしょう。彼らは、スタリ・モストによって結ばれていたのです。

 しかしスタリ・モストは落ちました。
「敵」への補給路になっているから――それだけの理由で。

 内戦の最中、モスタルは隣人同士が殺しあう戦場と化した、といいます。
 ある人は、こう語りました。相手は友達だが、殺さなければいけない。何故なら相手は、違う民族だから――と。

 旧ユーゴスラヴィアの内戦は、旧ユーゴ連邦内のいくつかの共和国が独立しようとしたために起こったものです。ナショナリズムの昂揚により、例え顔見知りであっても、違う民族だからという理由で戦う人たちがたくさんいました。
 その中でのスタリ・モストの爆破は、それまで互いの「民族」を意識する事なく暮らしていた人々を、確実に分断するものだったのでした。



 ――私は学生時代、ユーゴ内戦とモスタルに関するNHKのドキュメンタリー番組を、ビデオで見ました。授業の中での事でした。
 それを観ながら、私はボロボロと泣きました。何故今まで仲良くしていたのに、友達同士で殺し合わなきゃいけないのか、と。私の他にも、泣いている人はたくさんいました。
 彼らは何故殺し合わなければならなかったのか。政治家がナショナリズムで以って民衆を煽り、戦争を始めたのが一番の理由でしょう。
 スタリ・モストはそのために落ち、多くの人は、そのために隣人を殺し、殺されました。



 バハラグアンソロの参加に当たって、私はちょっとおかしな野望を抱きました。

 真面目な話を書こう、という。

 真面目に、「戦争」というものを一つの側面から描いてみたかったのです。例えそこに住む人たちがある物に対してどんなに思い入れがあっても、戦争は容赦なくそれを奪っていく――その事実に相対するビュウを、私は書いてみたかったのです。


 かくして、アンソロ用短編『橋大工』は生まれました。


 アンソロを購入され、読んでくださった方にはもうお分かりの事でしょうが、『橋大工』の元ネタは、上記に紹介したスタリ・モストのエピソードです。
 戦争といえば関係のない市民が死んだり謀略があったり、というのが基本ですが、文化財の破壊も一つの要素です。橋なり建物なり、そういったある文化財に込められた人の思いというのは胸を打つもので、それを無にしてしまう戦争というのは、やはり嫌なもので、今回は趣向を変えてそちらに焦点を置きました。
 その要素に、長編『心、この厭わしきもの』の設定だとかビュウフレだとか私的萌えだとか、そんなものをぶち込みつつ平沢進で頭をシャッフルすれば、こんな話が出来上がります。平沢進の『橋大工』は良い歌ですよ。夜通しつるはしを振って橋を架けて道を繋げる橋大工の歌です。タイトルはまんまそちらから拝借しました。『救済の技法』というアルバムに収録されていますので、皆様、もしお近くのレンタルショップで発見したら、是非とも聞いてみてください。というか平沢進は全部お勧めです。とおおっぴらに布教してみる。


 それはさておき。

 そんなこんなで戦争屋ビュウの葛藤なんて描いてみたわけですが、お読みになった皆様、如何だったでしょうか? 少しでも面白いと思ってくだされば、書き手としてこれほど幸いな事はございません。

 それでは、バハムートラグーン発売十周年と、記念アンソロジー本発行を祝し。




 二〇〇五年、再建されたスタリ・モスト。
 相反する民族を繋いだ、その白い橋。
 あの橋が、二度と落とされない事を願って。

2006/02/09 簾屋





以下、Web再録用後書き


 何と言いますか――
 こう、二年前の自分を呼びつけてですね。
 正座をさせてですね。

 ちょっと小一時間ほど説教したい気分です。

 いやだって、そうでしょう!? アンソロで何やってんのあんた! アンソロだよ!? バハラグスキーたちの十周年のお祭りよ!? その大切な節目の時に、何オリジナル要素満載の中編を書いてるのよあんたって子は! しかも上の後書き! 気負いすぎにもほどがあるよ! というかお前何偉そうな事言ってんのそんな上等な物書きじゃないくせして!

 いやぁ〜……気分は「若気の至り晒し」です。


 十周年アンソロは既に完売、重版の予定は一切ないという事で、私のこの中編はアンソロを購入された方しか読めないというちょっぴり希少価値の高い代物でした。そして、アンソロを購入された方のために、私はこの中編をWeb再録しないつもりでした、が――
 あれから二年経ちましたし、アンソロを買われた方しか読めない、というのも少しあれかなー、と思い、発表に踏み切った次第。え? 十二周年でやる事がなかったから発表したんじゃないか? いいいいやいやいや、決してそんな事はそんな事は!(挙動不審)
 そんなわけで、アンソロ当時と行詰めなんかはほとんど変わっていません。変更点は、タイトルの位置とか、各節の区切りの数字とかが入ったくらいでしょうか?
 ちなみに簾屋、この小説をワードで編集したんですが、文字の大きさを10・5ptで印刷してしまいました。何故10・5か? 学生時代、文芸部の部誌の規定書式が「ワードで文字サイズ10・5」だったから!
 おかげで、アンソロ本体(B5サイズ)に対して文字が大きいの何の。そしてその大きさが不自然で不自然で。おかげで簾屋は学びました。賞に投稿するんじゃないんだから9ptで良かったんだよ! ついでに二段組じゃなくて三段組の方が良かったよ!
 もし自分で同人誌を作るなら(そんな予定は一切ありませんが)、レイアウトにはこれでもかというくらいに気を使おう……――そんな事を学んだ二年前のあの日あの時。


 というわけで、二年前の中編『橋大工』でした。
 上にも書いた通り、モチーフはスタリ・モストと平沢進の『橋大工』でした。平沢の歌をモチーフにしてまた何か書きたいなぁ、と思いつつ、選曲を間違えるとその小説の主人公はビュウじゃなくなるなぁ確実に、というこのジレンマ。いっそやるか? オリジナル要素満載ばっかりなんだから、これ以上「頭の痛い子」っぷりを露見させるんじゃないよ簾屋。ただでさえ脳内が可哀相な事になってるんだから。
 ちなみにその場合の主人公は誰になるのか、と言えば、『夢十夜』の『地上の神』に登場させたあいつです。確実にあいつがオレルス世界に乱入します。そしてパワーバランスを滅茶苦茶に崩していくんですよ簾屋の頭が可哀相な事になっているから!(もうこの段階で大分可哀相)
 いやまぁいっそあいつを登場させてオレルスの世界情勢を滅茶苦茶にして好き勝手にさせる、ってのも面白そうなんですけどね。十中八九簾屋が楽しいだけです。そういうネタは脳内に留めておくに限ります。というかこの話を書き出した途端に筆の滑りがいやに良くなりました。ちょっと待て私。

 かような事を考えると、尚更そういう事はしない方が良いんだなぁ、としみじみと実感。やっちゃいけない事はたくさんあるのです。



 最後の方はグダグダになりましたが、皆様、ここまでお読みくださって、ありがとうございました!

2008/02/16 簾屋

 

 

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