王宮の廊下で、アナスタシアとエカテリーナのウィザードコンビと喋っていたら(一方的にアナスタシアが喋っていた、とも言う)、フレデリカが角を曲がってやってきた。
「あら、フレデリカ」
「……ディアナ? アナスタシア、エカテリーナ。お、おはよう」
 軽く片手を上げ、柔らかく微笑んだフレデリカが輪に加わる。
「どうしたの、こんな所で」
「んー、あのね、エカテリーナがまた何か悩んでるみたいでさー」
「ち、違うの。そうじゃ、そうじゃなくって……アナスタシア、ってばぁ」
 尋ねるフレデリカ、答えるアナスタシア、その背後でボソボソと小声で反論しているエカテリーナ。
 まぁ、どうという事のない光景だ。だが――とディアナは目を光らせた。
 フレデリカの姿。


 少しくたびれた様子はいつもの通りだが、何故か目の下にうっすらと隈(くま)。
 三つ編みはキッチリ編まれているのが常なのに、今朝は何だか少し乱れている感じだ。
 そういえば、彼女の姿を昨夜から見なかったような――


 ふと、アナスタシアと目が合った。
 瞬間交わされるアイ・コンタクト。

 突撃を開始する。援護しろ。
 了解しました、隊長殿。

「あれ、フレデリカ」
「何?」
 こちらに顔を向かせたフレデリカに、ディアナは自分の鎖骨の辺りをチョンチョンと人差し指で差し、
「ここ、どうしたの?」
「え……?」
「痣?」
 フレデリカは、まだきょとんとしている。何を言われているのか解っていないのか、それとも――理解するのを拒んでいるのか。
 しかし、すかさずアナスタシアが口を挟む。
「あ、ホントだ。何か赤くなってる」
 赤くなっているのはフレデリカの顔だ。
 さすがに、そこまで言われて気が付いたらしい。
 何の事を言われているのか。
 彼女は咄嗟にパンッ、と手で鎖骨の辺りを隠すと、耳まで赤くなりながら誤魔化し笑いを浮かべ、一歩退きながら、
「あああああああ、ああ、あのね、これはね、えっと、その……違うの、そんなんじゃなくて!」
 にんまり、とディアナとアナスタシアは笑って顔を見合わせた。
 そして、彼女に告げた。
「で、何がどう違うの?」
「へ?」
「別に、何にもないけど」

 …………………………

 クルリッ、と踵を返して逃げ出そうとしたフレデリカを、ディアナとアナスタシアは手を伸ばして捕まえる。
「うふふふふふ〜、さ〜ぁ、フレデリカぁ〜? ちょぉっと色々聞きたいんだけどぉ、いいかしらぁ?」
「だぁいじょうぶ、すぐ終わるから」
「嫌ぁ、お願い、やめてぇぇっ」
「そんな悲鳴上げなくても平気よぉ。ちょっと聞きたいだけだから。ねぇ、アナスタシア?」
「ねー、ディアナ」
 顔を見合わせ、底意地の悪い笑みを浮かべ。ズリズリと引っ張って引き寄せたフレデリカの方に手を置き、ディアナは彼女の耳元で笑い含みの声で囁く。
「今、何そんなに焦ってたの?」
「あ、あの、違うの、そんなんじゃなくて――」
「そんなん、ってどんなん?」
 アナスタシアの援護射撃。フレデリカは口をパクパクさせるだけで何も言えない。
 そこを、更にディアナは突っ込んだ。
「そういえば、昨日の夜、いつの間にかいなかったわねぇ〜」
「ああああ、あっと、えっと、そのぉ……」
「どぉこ行ってたのよぉ」
「え、えっと、あの、いや、何と言うか……」
 耳まで真っ赤になってしどろもどろに弁解しようとするフレデリカ。それが更にドツボにはまっていってしまっている事に、気付いていないらしい。
 さぁ、そろそろフィニッシュだ。
「フレデリカ?」
「は、はい?」
 答える声が上ずってしまっている。
 にぃやり、と更に笑みを深めて、ディアナは尋ねた。
「鎖骨に痣のようなものがつく心当たりがある……。
 フレデリカ、昨日の夜、どうしてたの?」
 ディアナとアナスタシアに脇をガッチリと固められたフレデリカは、逃げる事も出来ず、限界ギリギリまで真っ赤になった顔をうつむかせている。
 さぁ、そろそろ堪えられないだろう――

「……何やってんだ? そんな所で固まって」

 フレデリカがやってきた方から声が掛かる。低くよく通る男の声。ディアナとアナスタシアがそちらに顔を向けるのと、フレデリカが助けを求めるようにパッと顔を上げたのは、ほぼ同時だった。
「あ、ビュウ。おはよう」
「おはよう。……どうしたんだ、フレデリカ?」
「あ、あの、ビュウ……――」
 フレデリカよりも早く、ディアナが言葉をビュウに投げ掛ける。

 まぁ、二人揃ってくれれば好都合だ。

 しかし、ここで気を付けなければいけない事がある。
 以前、ヨヨ女王がディアナに言った。

 ビュウから何か聞きだしたいなら、奴に考える時間を与えるな。

「フレデリカに、鎖骨に痣がある、って言ったらすっごく慌てたんだけど、ねぇビュウ、どうしてそんなに慌てたか心当たり、ある?」
 ギクリ。
 そんな擬音が似合うほどに、ビュウがはっきりと身を震わせた。
 ディアナはにぃっこりと笑う。
「ビュウ、どうしたの?」
「――え? あ、いや――」
「何か今動揺しなかった?」
「ど、動揺?」
「したでしょ? したわよね? 今思いっきりギクリってしたわよね? 見たわよ、私は見たわよ、ねぇアナスタシア?」
「うん、私もちゃんとこの目に収めたわよ! ねぇ、エカテリーナ!?」
「え……あ、はい。ギクッて、ビュウさんしてました」
 二人の言葉を聞いて、ディアナはうふふ〜、と笑った。その不気味さに、フレデリカもビュウも、一歩身を退かせる。
「ねぇ、ビュ〜ゥ?」
「な、何だよ」
「今、何動揺してたのぉ?」
「いや、俺は別に、動揺なんて――」
「ちなみにそんな痣、全然なかったんだけど」
「当たり前だ! 俺はつけた覚え――」
 そこまで言って。
 ハッと口を噤んで滝のような汗をダラダラと流し始めるビュウと、最早顔も上げられなくなった茹でダコ状態のフレデリカと、更に笑みを深くするディアナとアナスタシア。
 先に口を開いたのは、やはりディアナだった。
「『俺はつけた覚え』?」
「つけた、って、何を?」
 ヒィィ、とフレデリカが小さく悲鳴を上げる。
「何をつけたの?」
「ねぇ、何を?」
「「言っちゃいなさいよぉ、ビュウ」」
 二人同時に言い――

 ビュウは不意に顔を回廊の天井近くに上げると、声を張り上げた。

「サジン! ゼロシン!」
「「はっ!」」

 ボゥンッ!

 ディアナたちとビュウの間に落ちてきた何かが、煙を噴出し、一気に視界を白くする!
 その煙をうっかり吸い、口と鼻を覆って咳き込んでいたら、
「行くぞ、フレデリカ!」
「はい!」
 そして、タタタタタタッ、と走り去る音。ディアナはハッとして、
「アナスタシア、エカテリーナ! 追うわよ!」
「うん!」
「あ、ちょっと待って!」
 二人を伴い、ディアナは足音のした方へと走り出した。





§






 その足音が過ぎ去るのを待って。

 ボコリ。

「……行ったか」
「って言うか、ビュウ、これ何なの?」
「いや、こんな事もあろうかと」
 どういう事態を想定して、床に跳ね上げタイプの仕掛け扉を設置したのだ? いや、ビュウが勝手に設置したのか? いつ工事が入ったのだろう? そもそも、王宮管理局との折衝はしたのか? 無断で――は、あり得る、この男なら。
 とにかく、先程尋問を受けていた場所から比較的近い所の床に備え付けられていた仕掛け扉を開け、その下の避難スペースからノソノソと抜け出してきたビュウは、フレデリカに手を差し出して這い上がるのを助けた。
 少し手間取りながらも、胸の高さくらいはあるその避難スペースから這い出たフレデリカは、ビュウは虚空に向かって呼びかけるのを見た。
「サジン、ゼロシン」
「「はっ」」

 シュタッ。

 どこからともなく、二人の人影がビュウの前に現われ跪く。
 覆面をしたその二人は、サジンとゼロシンのアサシンコンビ。
 その二人に、ビュウは指示を下す。
「あの三人を俺たちから引き離しといてくれ」
「承知」
 無感情な了承の声。多分サジンだ。
「……あのー、ところで」
 その隣のアサシンが遠慮深げな声を出す。消去法から推して、ゼロシンだろう。
「今の煙玉……経費で、落ちます?」
「……落とす」
「労災は」
「下りるから」
「では、お任せあれ」
 ゼロシンがそう答えた瞬間、二人のアサシンの姿が煙のように掻き消える。
 多分、行ったのだろう。フレデリカはそう納得する事にした。それにしても、あの二人はだんだんビュウの私的なエージェントになっていっているような……。
「さぁ、フレデリカ、俺たちも行くか」
「え……どこに?」
「ほとぼりが冷めるまで、そうだな……図書館にでも」
 と、ビュウは笑う。
 そして彼は手を差し出し、フレデリカも、微笑み頷いてその手を取った。

 

 


 鎖骨辺りの痣、ってのは何なんだ、とか。
 フレデリカが昨日の夜どこで何をしていたのか、とか。
 何で彼女の目の下に隈が出来ているのか、とか。

 そういう野暮な質問はなしの方向で。


 床の仕掛け扉は、実は女王陛下もご承知の事です。費用も、国庫から捻出されています。ただし、工事関係者はビュウさんの縁者とか。
 あのような床の仕掛け扉は、実は王宮内の至る所に設置されているとかいないとか。そして、女王陛下が気分転換に潜り込み、そこで王宮内の人物関係を調査しているとかいないとか。


 ところで今回の話、一応カーナ解放後になります。じゃないとビュウとフレデリカはくっつかないので。
 ……お題の時系列がおかしくなってきたなぁ。

 

 

 

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